日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

風邪が治らない

2005年01月20日 16時41分55秒 | 気まま日記
2005/01/20(thu)
昨夜は氷枕と枕元に水(水分補給の)を用意して寝ようと努力したが、なかなか寝付けなかった。頭痛は風邪薬も効果なく、注意書きの「運転するな」ほど眠くならなかった。おまけに夜間に小便に起きたり、鼻水をかんだり、忙しいことだ。なによりも関節痛と鼻炎痛は他人が理解できないから、我慢の一夜であった。今日は寝ていようと思ったが、車の移動や、プラスチックのゴミ出しの日だし、犬の散歩もある。外出して、車の中で寝ようと思ったら(日光が当たるのでヴィタミンの補給になる)反対に暑くて困った。窓を開けると寒いし(風があった)、サムシング(レンタルビデオ)によって、「ワイルド・レンジ」と「死に花」を借りる。明日の返却とは忙しい。
とにかく、関節痛と鼻炎痛が退いてくれないことには!そこでガンバルとなった。

鬼の霍乱

2005年01月19日 14時58分26秒 | 気まま日記
2005/01/19
鬼の霍乱。(風邪をこじらせてしまったらしい。昨夜立て続けに咳がでて、頭痛、間接の痛みもあり、寝付けなかった。)今日は解熱頭痛薬を飲んで用心しようと思っていたが、暖房用の灯油がなくなり、買いに出たがカードの購入をする時にも、水洟が垂れる始末だ。寝床で読む本をコンビニで買って、早々に帰宅。コタツに横になりながら、氷枕(冷凍室で冷やすもの、中身はゲル)で冷やし、頭寒足熱を実行した。また、解熱剤を飲んで横になる。しかし、二匹の犬が食事と散歩を要求して、く~んと泣いている。とにかく頭が、鼻が痛い。姫路城の秘密

歌謡曲の中の中国

2005年01月18日 20時12分03秒 | 気まま日記
2005/01/18のち
四馬路(すまろ)はもともとは四頭立ての馬車がすれ違うことの出来る広い通りの意味なんですが、戦後歌謡曲の中に多く歌われるのは、歓楽街の名前です。こんな古い歌をなぜ覚えているんでしょうか。戦後歌謡曲は映画館などの実演(今で言うライヴショウ)やラジオでしか聞けません。レコードは一部の資産家以外は手が出ません。そのため、1つの歌は全国に行き渡るまで、長いものでは10年も歌われました。生まれてもいない私が、覚えているのは不思議ですが。戦前(1945年まで)の上海は、中国の弱体化につけ込んで、英米仏日が強制的に借り上げた租界(治外法権の区画)があり、中国にとっては屈辱の歴史に咲いたあだ花といえるでしょう。今でも当時の街区はライトアップされて、観光客の目に!さて、その四馬路は蘇州河の南側で、現在は福州路と呼ばれています。北側はあの有名な虹口(ほんきゅ)という歓楽街です。二つの歓楽街を結ぶ橋がガーデンブリッジ(中国名 外白渡橋)です。
そこで、「上海ブルース」詞:北村雄三、曲:大久保徳二郎、唄:ディック・ミネ(1939)「涙ぐんでる上海の 夢の四馬路の街の灯 リラの花散る今宵は 君を思い出す 何もいわずに 別れたね 君と僕 ガーデンブリッジ 誰と見る青い月」
「夜霧のブルース」詞:島田磐也、曲:大久保徳二郎、唄:ディック・ミネ(1947)
「青い夜霧に 灯影(ほかげ)が赤い どうせおいらは独り者 夢の四馬路か虹口(ほんきゅ)の街か ああ 波の音にも 血が騒ぐ」(松竹映画、「地獄の顔」主題歌、水島道太郎、木暮実千代(戦後サンヨー婦人として、サンヨー洗濯機などの電気製品のコマーシャルで一世風靡)
「上海帰りのリル」詞:東条寿三郎、曲:渡久地政信、唄:津村謙(1951年。艶のある、絹の歌声といわれた)「船を見つめていた 浜のキャバレーにいた 風の噂はリル 上海帰りのリル 甘く切ない思い出だけを 胸にたぐって探して歩く リル、リル、どこにいるのかリル 誰かリルを知らないか・・・・・夢の四馬路の霧降る中で・・・・」
今年末から来年には、もう一度行ってみたいものだ。



清水寺 「災」に思う。

2005年01月17日 20時51分47秒 | 気まま日記
2005/01/17
今日は「阪神大震災」から10年を迎えた。中心地から60Kmも離れた当地でも、家が潰れるほどの揺れを感じた。5時46分であった。鏡台は倒れ、建具もはずれ、瓦もずれる、大きな揺れであった。(このまま倒壊して死ぬかも・・・と感じた)その10年目を迎える前年の去年は、京都清水寺の去年の漢字は「災」であった。本当に災害の多い年でした。台風上陸はなんと10個もあった。(例年は1~2個)9月5日には紀伊半島南東沖で連続地震。鉄道などのダイヤはストップした。各地で津波警報も発動された。10月には相次ぐ台風は四国、広島、兵庫、京都に甚大な被害をもたらした。特に台風23号は兵庫北部(バスの屋根で避難、豊岡市外や出石の冠水)の円山川の氾濫による被害には驚いた。そして、10月23日の新潟中越地震は死者40人であったが、地盤が崩壊して、避難者は当初10万人もいた。いまでも仮設住宅でも自宅でも、豪雪地帯ゆえに苦労は続く。その中で救われたのはテレビで実況中継された「皆川優太」ちゃんの救出劇であった。八百万の神々(やおよろずのかみがみ)よりも日本国民や、なによりも避難中の人々に生きる勇気を与えたに違いない。12月26日にはインド洋スマトラ沖の大地震による大津波があった。死者行方不明者はなんと18万人を越えている。日本人の犠牲者は20数人ですが、行方不明者は100人はいるかも知れない。(現地で生活していたり、行き先を決めていない旅行者など)皮肉なことに、清水寺の「災」の発表後に大災害が待っていた。申年は去った。この酉年は少しは希望の望める年になって欲しいものだ。世界はイラク、ガザ地区、北朝鮮など次々に解決不能な問題が噴出しそうだ。「諸行無常 是正滅法 生滅滅己 寂滅為楽」(般若経・・いろはにほへと・・・の元)

おもしろスポット

2005年01月16日 19時11分45秒 | 気まま日記
2005/01/16
日記をブログに移行する、あるいはしようと努力中ですが、評判が良ければ今月中に完全に移します。過去日記は今までのリンクで1年分を残します。ブログは別のリンクバナーを張ります。その「おもしろスポットに行く」ですが、去年の11月に初めて人物「田捨女」にしてからでも、大分時間が経ってしまいました。次回のおもしろスポットは・・・(雪深いところで、役場から5月以降と助言された、村岡町の棚田や町村合併に背を向ける西粟倉村・・・などです)。もう一つは「神になった岩」(写真)の続きで、神になった人(江戸時代以後の実在の人物)の資料を整理しています。ご期待ください。明日は兵庫県と岡山県の地図を購入予定。「おもしろスポットに行く」

とんど

2005年01月15日 11時57分12秒 | 気まま日記
2005/01/15
14日の午後6時にとんどに火が点けられた。古い行事ではあるんですが、世の習いでだんだんと様相を変えていく。しかし、形は変わっていない。近くでも「左義長」といっている場所もある。材木をキャンプファイヤーの如く組み合わせたものや、こんもりと一山に笹竹や正月用品を積んだ形やいろいろとあるが、当地のそれは5本の竹を芯柱と4方に張った形に立てて、高さは6メートルにも達する。(写真は点火直後)もともとはこの歳の豊作と災害のないことを願い、燃え尽きて崩れる前に、その年の恵方に倒す風習があった。そのために、倒壊の防止のためにもあった上方にはり渡された綱の先の方は太い蔓によって燃えないように工夫されている。