「チャールトン・ヘストン」(1924/10/04~2008/04/05)死す。
青春の大スターであった。「十戒(1956)」、「大いなる西部(1958)」、「ベン・ハー(1959)」、「北京の55日(1963)」、「猿の惑星(1968)」・・・以後も大作に出続けたスターであった。
当時「デート」とかいうものは、映画を見ることが多かったように思う。自動車といえば「コロナ」でも45万円(初任給1万5千円、サラリーマンの年収25~30万円の時代)もしたので憧れ以前の存在であったし、遊園地と言っても「動物園」くらいのものであった。そこで映画(ロードショウで300円、場末では100円以下)となる。安保世代のいきがりを人生論に置き換えて、彼女に吹っかけるデリカシーのなさで・・・失恋を味わうのであった。
それでも、「北京の55日」は、北京を離れるときに、別れなければならない少女の腕を取って、馬の上に引き上げるシーンは、「ああ、よかった!(一緒に行こうの行動だった)」との安堵感を彼女と共有出来たときは、うれしかった記憶がある。
それも遠い昔になってしまった。
彼の晩年は「アメリカ・ライフル協会」の会長として、銃規制に反対する強力な圧力団体のメッセンジャーであり続けたことが残念なことであった。
青春の大スターであった。「十戒(1956)」、「大いなる西部(1958)」、「ベン・ハー(1959)」、「北京の55日(1963)」、「猿の惑星(1968)」・・・以後も大作に出続けたスターであった。
当時「デート」とかいうものは、映画を見ることが多かったように思う。自動車といえば「コロナ」でも45万円(初任給1万5千円、サラリーマンの年収25~30万円の時代)もしたので憧れ以前の存在であったし、遊園地と言っても「動物園」くらいのものであった。そこで映画(ロードショウで300円、場末では100円以下)となる。安保世代のいきがりを人生論に置き換えて、彼女に吹っかけるデリカシーのなさで・・・失恋を味わうのであった。
それでも、「北京の55日」は、北京を離れるときに、別れなければならない少女の腕を取って、馬の上に引き上げるシーンは、「ああ、よかった!(一緒に行こうの行動だった)」との安堵感を彼女と共有出来たときは、うれしかった記憶がある。
それも遠い昔になってしまった。
彼の晩年は「アメリカ・ライフル協会」の会長として、銃規制に反対する強力な圧力団体のメッセンジャーであり続けたことが残念なことであった。