ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

「たすけて」と言えばあなたは会いに来てくれるだろうかくれぬだろうか

2023年03月06日 13時19分36秒 | owarai
青麦畑でかわした
はじめてのくちづけを
忘れてしまいたい

パスポートにはさんでおいた
四葉のクローバー 希望の旅を
忘れてしまいたい

軽井沢のホテル
カーテンからさしこむ 朝の光を
忘れてしまいたい

はじめての愛だったから
あなたのことを
忘れてしまいたい

みんなまとめて
今すぐ
思い出すために

「ふりむきざまのあなたの気配」

2023年03月06日 13時17分58秒 | owarai
五月の草原に七月の風
笑顔の君に 憂いの瞳

雨あがりの一番星よ
遥かなる明日へと続く今日の日よ

とてもやさしく
愛することのむずかしさ
そして素敵さ

バスターミナルが近づいてきた。
入り口近くに花屋のワゴンが
停まっている。つかつかと
歩よっていくと、

僕は迷うことなく、無数の
花のなかから深紅の薔薇を
今夜は愛一本で勝負する
一輪だけ抜き取って、買い
求めた。

「まぶし過ぎて、痛い」。

2023年03月06日 13時15分54秒 | owarai
「出逢って恋をしていろんなこと
があって、それでふたりが今の
自分を好きだって言えるのって
何だかすごい。
うれしいことだよね」

きっと私たちはうまくいく。
こんな広い世界の片隅で
めぐり逢えるなんて。

たったひとりを選び合って。
まるではるか昔に約束をして
生まれてきように。

「陽だまりの樹」に人は集まる

2023年03月06日 12時18分18秒 | owarai
成功する男の第一条件は、得
も言われない明るさを身体全
体から漂わせながら、絶えず
物事の明るい面を見て前向き
に対処することです。

「黒沢監督の『羅生門』の終
わりのほうに、『真実とは、所
詮、その人が真実と思いたい
ものにすぎないのではないか』
という文句があるが、

この考え方を応用すれば、人生
の暗黒面にばかり目がいく人は、
人生というものを暗く思いたい
からにすぎな、と言えないであ
ろうか」

何事にも二面性があり、光の当
て方によって見え方が違います。

いつも物事を暗く考る人は、はじ
めから明るい面に光を当てる気も
ないのだから暗い面しか見えませ
ん。これでは、前向きに物事を取
り組むことはできません。

ヒマワリが太陽に向かって花を
咲かせ、虫が灯の周りに集まって
くるように、人も運も明るい人の
周りに集まってきます。

成功するためには、まず90%の
満足を持って楽観的に前向きに生
き、10%の不満を刺激して、
向上していくように努力するこ
とではないしょうか。

「創造の“芽”は伝授する」

2023年03月06日 12時15分14秒 | owarai
マーガレット・ミードという
文化人類学者は世界中を歩い
た結果、「世界の各地にはスモ
ール・グループで非常創造的
な集団が、その時々に存在する。

また、その中の1人が偉くなる
と、他のメンバーも偉くなる」
と、その著者の中にしるしてい
ます。

幕末の吉田松陰の松下村塾や
戦前の理化学研究所のグル―
プ(湯川秀樹がノーベル賞を
もらうと、すぐに朝永振一郎
もノーベル賞を受賞した)が
いい例である。

「創造的行為をしていると、
個人と組織の壁がなくなり、
集団が創造的行為に燃え上がる」
と文化人類学者の川喜田二郎さ
んも言っています。

企業の中でもよくありますが、
保守的な上司は、「そんなこと
は前例がない」「ウチではうまく
いかない」「そんなものが売れる
のか」などと創造性の芽を摘んで
しまう。

自分が創造的な上司は、「その
アイデア面白いな。もう少しこ
んな面を突っ込んで考えたらど
うだ」などと、その芽を育てて
いく。だから、集団自身が創造
的に育っていく。

はじめから創造的な人やそうで
ない人にわかれているのではな
く、部下がそれぞれの上司の
色に染まっていくだけなのです。


清い心でいたい。

2023年03月06日 12時13分47秒 | owarai
人間はみんな孤独なんだ。
かならず誰かがわけ知り顔で
言う。

そんなことはわかっている。
私はそれからの先が知りたい
のだ。みんな孤独なら・・・

その孤独を抱えながらどう
やって生きていけばいいのか。
私が知りたいのはそういう
ことなのだ。


人間のいのちの奥のはづかしさ滲(し)み來るかもよ君に對(むか)へば 校正後

2023年03月06日 12時09分00秒 | owarai
愛する人の手を握りたい、唇に
触れたい、そして抱き合いたい—
と思うのは。男性でも女性でも自然
な感情だろう。だた、自然なことと
はいっても、なかなか自然にふるま
えないのが、性にまつわる場面だ。

理性とか分別とか羞恥心とか、さま
ざまなものが邪魔をする。そういう
ものを身につけるのも大人になるこ
とでもあるし、性に目覚めてゆくの
も大人になることであるし。人間と
はやっかいな動物だ。特に相手を、
神聖な存在として意識するとき、本
来は同じ方向を向いているはずの愛
と性の矢印が、逆向きになることが
ある。歌には、そんな二つの矢印を
抱えて、揺れて捩(よじ)れる男心
が詠まれている。

 愛する人を目の前にしたとき、体
の奥からじわじわ湧いてくる、ある
感情。ある感覚。「人間のいのちの奥
のはづかしさ」なのだ。
 
 これを性欲、とだけいってしまって
はミもフタもないかもしれないが、相
手を抱きたいという気持ちである。た
だ、それは単なる欲望ではなく、何か
神秘的なものとして捉えている。

 自分の内に湧いてくるものを、自然
の摂理として受けとめようという気持
ちと、愛する人をそういう対象として
見てしまっていることへの後ろめたさ
と。そのぎりぎりの葛藤が「人間のい
のちの奥のはづかしさ」という、哲学
的とさえ感じられる言葉を生んだ。
そして「滲み來る」には、抗いがたい
感じを出した。
 「いのち」という語からは、性の
営みが連想される。もちろんそれは、
肉体の上だけのことではない。
愛し合う二人は、精神を含めて、抱
き合うのだから。