あの人のこと、嫌いになった
わけじゃないの、でも・・・・」
二度目の結婚の顚末を人に話す
時、わたしはどうしても最初に、
そう言わずにはいられなかった。
決して嫌いになったわけじゃない。
あの人は、いい人だった。正直で、
まっすぐで、男気があって、お腹
の中はまっ白な人だった。わたし
のことを精一杯、愛してくれた。
最初の夫と違って、ほかの人を好
きになったりしなかった。
一度だってわたしに、寂しい思い
を味あわせたりしなかった。わた
したちの結婚には、愛があった。
愛だけは、あった。あったと思う。
でも、娘に手を上げられて、それ
を許すことのできる母親が、いる
と思う?ああ、でも、でも、でも
・・・・
「でも、なんなの?」
友人の問いに、言葉を返すことが
できなかった。人にはそれぞれ、
答えることのできない問いという
ものがある。優しさとは、そうい
う問いを人に向けないということ
でもある。でも、好きだったの。
愛していたの。胸にこみ上げてく
る想いを、わたしはただ、涙に変
えることしか、できなかった。
こうしてわたしは再び、シングル
になった。
もう二度と、結婚しない。「三度目
の正直」は、必要ない。どんなに
寂しくても、どんなに心細くても、
これからはひとりで強く、たくま
しく生きてゆく。そう、心に決め
た。
やがて、高校を卒業した娘は、サ
ンフランシスコにある大学に進学
し、家を出て行った。
「わたしのことは、もう心配しな
くていいよ。ちゃんとひとりでや
って行けるから。ママはママだけ
の幸せだけを追求してね」
冷たいようにも温かいようにも、
響く言葉を残して、娘はわたしの
もとから巣立って行った。
翌年、母の闘病と死をきっかに、
日本に戻ることにした。二十五年
あまり、住み慣れたアメリカをあ
とにして
ある夜、夕食を済ませたあと、
ぼんやりテレビを見ていると、そ
こに、最初の夫の姿が映し出され
たことがあった。
彼は、ぎょっとするほど、老け
ていた。笑っているのにその表情
は暗く、眉間には苦悩と煩悩の皺
(しわ)が痛々しいほど深く、刻
まれていた。テレビ番組は、彼の
アメリカでの成功と栄光を伝える
ものだった。アナウンサーは彼の
業績をさかんに褒めたたえ、彼
は言葉巧みにインタビューに応
えていたけれど、わたしには
怖いくらいに、悲しいくらいに、
見て取れた。この人は、幸せで
はない、ということが。
またある時、風のたよりに
聞いた話によると、二度目の夫
だった人はアメリカで再婚して、
今はフロリダ州に住んでいるら
しい。再婚相手は彼よりもひと
まわり年上のアメリカ人女性で、
医者だった夫と死別した、裕福
な未亡人だとう。
どうすれば、人は幸せになれる
のか。
今のわたしは、この問いに、答える
ことができない。幸せな結婚をして
も、人は幸せにはなれない。愛ある
結婚。あるいは、愛。それでも駄目
なのだ。
だからわたしは、自分にも他人にも、
問いかけたりしない。
あなたは、幸せですか?と