ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

こんなに、こんなに好きなのに  

2023年03月08日 13時05分03秒 | owarai
永遠にすれ違う、魂と魂で
あっても、たった一度きりで
あっても、

わたしたちはつながることが
できた。そう信じさせて
欲しい。

たとえ赦されない行為であって
も、そこには愛だ在ったのだと。

星たちが恋のささやき交わす

今下界の我は心乱れる

その日から、わたしたちはいっしょに暮らし始めた

2023年03月08日 12時58分18秒 | owarai

朝がカーテンの隙間から
洩れ

横たわるきみを優しく包む


白い壁に光は遊び なんて
眠りはきみを綺麗にするんだ

今ぼくのなかを朝が通りすぎる

顔をそむけひとりで生きて来た

何も見なかった何も聞かなかっ
たそんな今までが
昔のような気がする


もう起きてるの眠そうな声
眼を薄くあけて微笑みかける


何も言わずに息を吸いこむ
ぼくは暖かい

窓の外は春


ふだん着で待つことのほうがむずかしい二回着がえてもとのセーター 

2023年03月08日 12時17分05秒 | owarai
冬の冷たいい風が、少しずつ
和らぎ始めた空気を含んで、
まるで銀色の霧雨のように、
音もなく、街全体に降り注
いでいた。

曖昧で、不確で、掴みどころ
がなくて、なのになぜだか、
何かを予感させる。

強くはないのに心に染み込ん
くる。

そんな陽射しに包まれて、わ
たしは歩いていった。

おそらくそのあたりで、
会えると思います。
会えると思います。
会えと思います。

耳の奥にくっきりと残って
いる。

彼の声。その余韻を楽しみ
ながら・・・・・。

嬉しくて、涙ぐみそうになっていた。

2023年03月08日 12時15分19秒 | owarai
夢の中で、「これは夢じゃない
か」と頬をつねったこと
が、私には何度かある。

「逝きたる人」に会うことは、
それほど信じがたく、またそ
れほど遠くに感じられる存在
なのだ。

にもかかわらず夢に見るのが、
せつない。

“夢の中にはこれ夢かと
思ひをり逝きたる人に
出会ひたるとき“

もちろん、「これは夢か」には
疑問だけではなく、驚きと喜び
もふくまれている。

けれど、その驚きと喜びとは、
夢から醒めたときにはため息
に変わり二重にせつない。

夢から醒めたら次のように歌う
ほかはない。

“不意の出会ひある筈はなし
信号を幾つ超えても
空あるばかり“

保育園の砂場で人生に必要なことを教わった

2023年03月08日 12時14分01秒 | owarai
何でもみんなで分け合うこと。
    ↓
  はい。

ずるをしないこと。
    ↓
   てへ。

人をぶたないこと。
    ↓
  はい。

ちらかしたら自分で後かた
づけをすること。
     ↓
 がんばります。
  
人のものに手をださないこと。
    ↓
ヒトの女に手をだしません!

誰かを傷つけたら、ごめんなさい、
ということ。
     ↓
 ごめんなさい。

毎日かならず昼寝をすること。
     ↓
はい、昼寝がしたい


※人間はいくつになっても、おもて
に出たら手をつなぎ合って、
はなればなれにならないように

するのが一番だ  


諌(いさ)めますか道説きますか諭(さと)しますか世の中なんていいから抱いて

2023年03月08日 12時08分32秒 | owarai
あの人のこと、嫌いになった
わけじゃないの、でも・・・・」
 二度目の結婚の顚末を人に話す
時、わたしはどうしても最初に、
そう言わずにはいられなかった。
決して嫌いになったわけじゃない。
あの人は、いい人だった。正直で、
まっすぐで、男気があって、お腹
の中はまっ白な人だった。わたし
のことを精一杯、愛してくれた。
最初の夫と違って、ほかの人を好
きになったりしなかった。

一度だってわたしに、寂しい思い
を味あわせたりしなかった。わた
したちの結婚には、愛があった。
愛だけは、あった。あったと思う。
でも、娘に手を上げられて、それ
を許すことのできる母親が、いる
と思う?ああ、でも、でも、でも
・・・・
「でも、なんなの?」
友人の問いに、言葉を返すことが
できなかった。人にはそれぞれ、
答えることのできない問いという
ものがある。優しさとは、そうい
う問いを人に向けないということ
でもある。でも、好きだったの。
愛していたの。胸にこみ上げてく
る想いを、わたしはただ、涙に変
えることしか、できなかった。

こうしてわたしは再び、シングル
になった。

もう二度と、結婚しない。「三度目
の正直」は、必要ない。どんなに
寂しくても、どんなに心細くても、
これからはひとりで強く、たくま
しく生きてゆく。そう、心に決め
た。

やがて、高校を卒業した娘は、サ
ンフランシスコにある大学に進学
し、家を出て行った。
「わたしのことは、もう心配しな
くていいよ。ちゃんとひとりでや
って行けるから。ママはママだけ
の幸せだけを追求してね」
 冷たいようにも温かいようにも、
響く言葉を残して、娘はわたしの
もとから巣立って行った。
 翌年、母の闘病と死をきっかに、
日本に戻ることにした。二十五年
あまり、住み慣れたアメリカをあ
とにして

 ある夜、夕食を済ませたあと、
ぼんやりテレビを見ていると、そ
こに、最初の夫の姿が映し出され
たことがあった。

 彼は、ぎょっとするほど、老け
ていた。笑っているのにその表情
は暗く、眉間には苦悩と煩悩の皺
(しわ)が痛々しいほど深く、刻
まれていた。テレビ番組は、彼の
アメリカでの成功と栄光を伝える
ものだった。アナウンサーは彼の
業績をさかんに褒めたたえ、彼
は言葉巧みにインタビューに応
えていたけれど、わたしには
怖いくらいに、悲しいくらいに、
見て取れた。この人は、幸せで
はない、ということが。

 またある時、風のたよりに
聞いた話によると、二度目の夫
だった人はアメリカで再婚して、
今はフロリダ州に住んでいるら
しい。再婚相手は彼よりもひと
まわり年上のアメリカ人女性で、
医者だった夫と死別した、裕福
な未亡人だとう。

どうすれば、人は幸せになれる
のか。

今のわたしは、この問いに、答える
ことができない。幸せな結婚をして
も、人は幸せにはなれない。愛ある
結婚。あるいは、愛。それでも駄目
なのだ。

だからわたしは、自分にも他人にも、
問いかけたりしない。
あなたは、幸せですか?と