ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

木の芽時

2023年03月10日 13時13分26秒 | owarai
日本の四季は春夏秋冬に
はっきり分かれているが、
その間に微妙なニュー
アンスをもつ一時期がある。

春だけをとりあげても、初春、
早春、晩春といったように、
その言葉を聞いたとたんに

それぞれの季節の雰囲気から
精神に及ぼす感じかたまで
伝わってくる。

それは季節をこまかく分類し
ているのではなく、お互いに
目に見えぬ糸でつながりつつ、

自然に春が育って行く様を表
しているのである。

中でも「木の芽時」というのは、
ものみな萌える春を象徴する
言葉として独特のもだろう。

もともと春は張るから出た言
葉で、和歌の序詞(じょことば)
として、「木の芽もはるの何々」
といったように用いられてきた
が、

やがて木の芽といえば山椒の
花や芽を意味するようになり、
樹木から茶の若葉に至るまで
そう呼ばれるようになった。

したがって木の芽時という時間
は、短いし、長いといえば早春
の終わりごろまら晩春までつづく
のである。

昔から木の芽時は、健康によく
ない時期といわれて来た。
木の芽が動く時は、人間の心身
も不安定になるからで躁うつ病
の人にはこたえる。

一年中でももっとも美しいこの
季節には魔性がひそんでいるら
しい。

昔の人々は長い経験からそうい
うことを知っており、多くの神
社や仏閣で、「鎮花祭」や「御
霊会(ごりよえ)」が行われた。

京都の今宮神社で現在も行って
いる「やすらい祭」も、花鎮め
の行事の一種で、

「やすらい花や」(花よ、静かに
お休みなさい)と囃しながら踊
ることによって、

物の怪をなだめるとともに、人
心の不安を排除したのである。


「自分を輝かせる人」

2023年03月10日 13時10分35秒 | owarai
積極的な姿勢の人には、幸福
の女神が微笑むと言います。

それには、何があっても自分
を受け入れ、評価し、励まし
てくれる人を持つことです。

人はまず、母親によって自信
を得、励まされ、外の世界に
向っていきます。

やがて、母に代わって恋人が
現れ、自分を評価し、受け入
れてくれるようになる。

恋人ができると、人が美しく
なるのは、沢山のライバルの
中から自分を評価し、認めて
くれた人がいるという自信か
らです。

結婚すれば、妻(夫)がその
役目を担ってくれます。

ところが長く連れ添う間に、
人間の常としてあらのほうば
かりに目がいくようになり、

互いに馬鹿にするようになり
がちです。

そこで、肯定的で積極的な
自己イメージを絶えず与えて
くれ、また信じ切って、どこ
までもついていける人生の師
とも言うべき人を、外部に探す
ことが大切になります。

結局、積極的に生きるコツは、
自分にプラスの暗示をかけて
くれる人を師として持つことで
す。

上司でもいい、先輩でもいい。
そんな人を見つけられれば、
人は大きく次の次元へと飛躍
することができます。


『あいたくて』

2023年03月10日 12時08分22秒 | owarai
だれかに あいたくて
なにかに あいたくて
生まれてきた

そんな気がするのだけれど

それが だれかのか なになのか
あえるのは いつなのか

おつかいの とちゅうで
迷ってしまった子どもみたい
とほうに くれている

それでも 手のなかに
みえないことづけを

にぎりしめているような気が
するから

それを手わたさなくちゃ
だから

あいたくて


「リスクをとらないことが最大のリスク」

2023年03月10日 12時06分47秒 | owarai
リスクをとらないことが
最大のリスクだと思う。

今日勝つ確率が最も高い
戦法は、三年も経てば
完全に時代遅れになって
いるからだ。
羽生義治yoshiharu habu
将棋棋士/1970-

19世名人・羽生義治は、研究
で「新しい一手」を見出すと、
ためらわず実践で試すという。

むろんそれにはリスクはある。
しかし、棋士たちはみな日夜
研究に励んでいて、将棋は
絶えず進化しているのだ。

今は「最新の戦法」も、3年後
には「時代遅れの戦法」と化し
てしまう。

勝ち続けるには、最先端のさら
に一歩先を、常に目指さなけれ
ばならない。

将棋士に限らず、現状に甘んじ
る精神は「最大のリスク」で
あろう。


こころみにお前と呼ばばおどろくか否(いな)おどろくか否

2023年03月10日 12時01分50秒 | owarai
お互いをどう呼び合うかという
のは、心の距離をはかる、一つの
バロメーターだ。第三者からみて
も、名字にさんづけで呼び合う二
人は、まだまだ距離があるなと思
うし、名前を呼び捨ての二人なら、
かなり親しいなと感じる。

 当事者の場合、特に、呼びかた
が変わる時に、心の針が大きく振
れるようだ。それがプラスに傾く
のか、マイナスを示すのか。
「いつのまにか吾を呼びすてる男
いてフルーツパフェを食べさせた
がる」。呼び方が変わったことに
対して、ちょっと待ってよ、とい
う気持ち。タイミングが悪いと、
かえって心は離れてしまう。

そういえば西欧人の恋人を続けて
持った友人が、こんなことを言っ
ていた。「びっくりするのは、イ
ンティメットな関係になった(と
彼は上品な表現を使う)翌朝から、
みんな呼び方がガラッと変わるん
だ」。つまりその日を境に、ダー
リンとかハニーとかスイートハー
トとかになるらしい。わかりやす
いと言えばわかりやすいけれど、
日本人の場合は、もう少し逡巡(
しゅんじゅん)をともなったデリ
ケートな気がする。

歌は、変化の分岐点で立ち尽くす
男の思い。今二人の関係は「お前」
と呼べる距離なのか、どうか。
それを相手は、自然に受け入れら
れるのか、それとも驚くのか。
 意味という点では、上の句で
言い尽くされているわけだが、
下の句の単純に繰り返される
「おどろくか」とい言葉に、
緊張感を持たせている。

「おどろくか」は、相手への
問いかけであると同時に自分への
問いかけでもある。「否」は
「否?」であると同時に(あるい
はそれ以上に)「否?」である。