恋とはそういうものかも
しれない。ふたつの心と
体が触れあうときの、決し
てひとつになれないもどか
しさ。
愛している、愛されている
ということを、言葉でも
態度でも表しききれないも
どかしさ。
そんなもどかしさが、とき
どきほのかな淋しさになって
私の胸を痛くする。
しれない。ふたつの心と
体が触れあうときの、決し
てひとつになれないもどか
しさ。
愛している、愛されている
ということを、言葉でも
態度でも表しききれないも
どかしさ。
そんなもどかしさが、とき
どきほのかな淋しさになって
私の胸を痛くする。
クローゼットの前に立って、迷う。
何を着ていこう。今宵の逢瀬に
ふさわしい洋服は、どれ?
あれこれ取り出して、身に着けて
は、むしり取る。「これでよし」と
思った直後に「ああ、違う!」と
つぶやいて、また一からやり直し。
我ながら「馬鹿みたいだ」と思う。
この「ひとりファッションショー」
をやっていると、いつも古い映画
『恋におちて』の中で、メリル・
ストリーブがデ・ニーロに会いに
行くために、ベットルームの鏡の
前で洋服を取っ替え引っ替えして
いるシーンを思い出す。
想いを寄せている人の手で、あと
で脱がされるために着るドレスを
選ぶ・・・・なんて骨の折れる、
なんて心躍る時間。
さんざん迷った挙げ句、わたし
が選んだのは、ラベンダー色のシ
ルクのワンピース。胸もとと背中
が大きく開いている。ニースリー
ブの肩から、淡い紫のショールを
ふんわりとかけて。アクセサリー
は、何もつけない。このドレスに
はなぜか、香水だけが映る。スト
ッキングと靴は黒。バックは濃い
紫の薔薇の花を飾ったものにする。
これできまり!
いつだったか、彼も言ってくれた。
「恵美ちゃんには、紫がよく似合う
よ」。
電話がかかってきたのは、午後四時
に二十分だった。
「もしもし、素敵な恵美ちゃんに、
デートのお誘いです。実はさっき、
クライアントから連絡が入って、
夕方のアポイントがひとつ、急に
キャンセルになってね。だから、
今夜はどこかで一緒に食事しよう。
恵美ちゃんの好きな店でいいいよ」
彼ったら、なんて、嘘が下手なの。
「夕方のアポイントが急にキャンセル
になった」だなんて、そんな見え透
いた嘘をついて、ほんと、可愛い人。
「了解。じゃあ、お店はわたしのほう
で予約しておく。でも、どこもいっぱ
いだったら、あきらめて、モールで
ピザでも食べようね。そうそう、つい
でにスーパーに立ち寄って買い物した
いので、そのつもりでいて。トイレッ
トペーパーと洗い物の洗剤と猫の砂が
切れそうなの」と、わざと所帯じみた
ことを言って、彼を煙に巻いたつもり
なのだけど。
彼はわたしが、もうすっかり忘れてい
ると、思っているのだろうか。
忘れるわけがない。きょうが何の日か。
わたしはその日、ニューヨークに
向かう飛行機に乗っていた。今から十年
前のきょうだ。
その頃務めていた英会話学校の休暇
を利用して、マンハッタンに住んでいる
友人を訪ね、ついでに父と父が再婚した
人にも会うつもりにしていた。
食事が終わり、映画の上映が始まった。
それは『Homeward Bound』というタ
イトルの、いかにも飛行機の中で上映
される映画としてふさわしい、他愛の
ない、犬猫の冒険物だった。わたしは
あくびを噛み殺しながら、その子ども
だましな映画を見ていた。
隣の彼はおそらく、あなりにも詰まら
なくて、眠っているだろうなと思い
ながら。
だが予想に反して、彼は食い入るよ
うにスクリーンを見つめていた。話かけ
ても、気づかないほど、熱中している。
彼は泣いていたのだ。動物たちが飼い
主と再会する感動の場面で。
なんて可愛い人なの。
忘れもしない、彼を好きになったのは、
その瞬間だった。その瞬間、恋の神様
がわたしたちのために、彼の最も愛され
るべきチヤームに、ぱっと光を当てて
くれたんだと思う。
わたしはハンドルを切って、駐車場
に車を滑り込ませる。
バスはあと五分もすれば、到着するだ
ろう。思い切りお洒落した彼は、きっ
と、深い紫色の薔薇の花束を手に、バ
スから降りてくるだろう。
今から十年前に、この広い広い、果て
しない宇宙の中で、混沌とした世界の
中で、わたしたちは巡り会った。
きょうは、ふたりの恋の誕生日。
バスから降りて、わたあしを探す彼の
姿が見えたなら、わたしはまっすぐに
駆けて行く。世界で一番愛している、
世界で一番素敵な人の、両腕に抱かれ
るために。
何を着ていこう。今宵の逢瀬に
ふさわしい洋服は、どれ?
あれこれ取り出して、身に着けて
は、むしり取る。「これでよし」と
思った直後に「ああ、違う!」と
つぶやいて、また一からやり直し。
我ながら「馬鹿みたいだ」と思う。
この「ひとりファッションショー」
をやっていると、いつも古い映画
『恋におちて』の中で、メリル・
ストリーブがデ・ニーロに会いに
行くために、ベットルームの鏡の
前で洋服を取っ替え引っ替えして
いるシーンを思い出す。
想いを寄せている人の手で、あと
で脱がされるために着るドレスを
選ぶ・・・・なんて骨の折れる、
なんて心躍る時間。
さんざん迷った挙げ句、わたし
が選んだのは、ラベンダー色のシ
ルクのワンピース。胸もとと背中
が大きく開いている。ニースリー
ブの肩から、淡い紫のショールを
ふんわりとかけて。アクセサリー
は、何もつけない。このドレスに
はなぜか、香水だけが映る。スト
ッキングと靴は黒。バックは濃い
紫の薔薇の花を飾ったものにする。
これできまり!
いつだったか、彼も言ってくれた。
「恵美ちゃんには、紫がよく似合う
よ」。
電話がかかってきたのは、午後四時
に二十分だった。
「もしもし、素敵な恵美ちゃんに、
デートのお誘いです。実はさっき、
クライアントから連絡が入って、
夕方のアポイントがひとつ、急に
キャンセルになってね。だから、
今夜はどこかで一緒に食事しよう。
恵美ちゃんの好きな店でいいいよ」
彼ったら、なんて、嘘が下手なの。
「夕方のアポイントが急にキャンセル
になった」だなんて、そんな見え透
いた嘘をついて、ほんと、可愛い人。
「了解。じゃあ、お店はわたしのほう
で予約しておく。でも、どこもいっぱ
いだったら、あきらめて、モールで
ピザでも食べようね。そうそう、つい
でにスーパーに立ち寄って買い物した
いので、そのつもりでいて。トイレッ
トペーパーと洗い物の洗剤と猫の砂が
切れそうなの」と、わざと所帯じみた
ことを言って、彼を煙に巻いたつもり
なのだけど。
彼はわたしが、もうすっかり忘れてい
ると、思っているのだろうか。
忘れるわけがない。きょうが何の日か。
わたしはその日、ニューヨークに
向かう飛行機に乗っていた。今から十年
前のきょうだ。
その頃務めていた英会話学校の休暇
を利用して、マンハッタンに住んでいる
友人を訪ね、ついでに父と父が再婚した
人にも会うつもりにしていた。
食事が終わり、映画の上映が始まった。
それは『Homeward Bound』というタ
イトルの、いかにも飛行機の中で上映
される映画としてふさわしい、他愛の
ない、犬猫の冒険物だった。わたしは
あくびを噛み殺しながら、その子ども
だましな映画を見ていた。
隣の彼はおそらく、あなりにも詰まら
なくて、眠っているだろうなと思い
ながら。
だが予想に反して、彼は食い入るよ
うにスクリーンを見つめていた。話かけ
ても、気づかないほど、熱中している。
彼は泣いていたのだ。動物たちが飼い
主と再会する感動の場面で。
なんて可愛い人なの。
忘れもしない、彼を好きになったのは、
その瞬間だった。その瞬間、恋の神様
がわたしたちのために、彼の最も愛され
るべきチヤームに、ぱっと光を当てて
くれたんだと思う。
わたしはハンドルを切って、駐車場
に車を滑り込ませる。
バスはあと五分もすれば、到着するだ
ろう。思い切りお洒落した彼は、きっ
と、深い紫色の薔薇の花束を手に、バ
スから降りてくるだろう。
今から十年前に、この広い広い、果て
しない宇宙の中で、混沌とした世界の
中で、わたしたちは巡り会った。
きょうは、ふたりの恋の誕生日。
バスから降りて、わたあしを探す彼の
姿が見えたなら、わたしはまっすぐに
駆けて行く。世界で一番愛している、
世界で一番素敵な人の、両腕に抱かれ
るために。