ダンシネイン城内の中庭、太鼓や軍旗とともにマクベスと冑持ちのシートンが登場する。
マクベスが以上の独白をしている間、シートンは城内で響く女たちの泣き声を聞き、様子を見に行った。そして戻ってきた彼は、マクベス夫人が亡くなったことをマクベスに告げるのだった。
マクベスは自身に取巻く不運の中にあって、彼の心は挫かれるというより、むしろ高揚していった。
赤く燃え上がるというよりも、冷たく醒めた鋭い刃物といった感じなのだ。
赤く燃え上がるというよりも、冷たく醒めた鋭い刃物といった感じなのだ。
'I have almost forgot the taste of fears: The time has been, my senses would have cooled To hear a night-shriek; and my fell of hair Would at a dismal treatise rouse, and stir As life were in't; I have supped full with horrors; Direness, familiar to my slaughterous thoughts, Cannot once strat me.' (俺は恐怖というものを殆ど忘れてしまった、 以前は、闇夜に響く叫びを声を聞いて背筋を冷やし、 恐ろしい話を聞けば、髪が生き物のように逆立った、 しかし、ありとあらゆる恐ろしいことが、 この身に沁みこんで、今や何が起ころうとも、 人殺しの俺には日常茶飯事で、 もうぎくりともしない)
マクベスが以上の独白をしている間、シートンは城内で響く女たちの泣き声を聞き、様子を見に行った。そして戻ってきた彼は、マクベス夫人が亡くなったことをマクベスに告げるのだった。
'Out, out, brief candle ! Life's but a walking shadow, a poor player That struts and frets his hour upon the stage And then is heard no more: it is a tale Told by an idiot, full of sound and fury Signifying nothing.' (消えよ、消えよ、束の間(短い)の蝋燭(命)! 人生は歩く影法師、哀れな役者だ、 出番の時だけ舞台の上で、見得を切ったり、 喚き散らしたりしているが、芝居が終われば、 それまでだ。人の一生なんて阿呆の語る物語。 やたら激しく騒がしいが、何ら意味などありはせぬ)
『マクベス』の中で一番有名な台詞だ。短いけれど、言葉のリズムと意味が相まって強い印象を与えている。人生の儚さを、これほど見事に語った言葉はそうそう見当たらない。
ちなみに「brief candle(短い蝋燭)」はオールダス・ハックスの小説の題名に使われている。
直前に「恐怖すら感じなくなってしまった」と語っていたマクベスは、最愛だった妻が亡くなったという知らせに「She should have died hereafter」というだけである。
この台詞は2通りの意味に取れて、一つは「何も今、死ぬことはなかったのっだ」で、もう一つは「いつかは死ななければならなかったのだ」である。日本語に訳すときは、どちらかの意味を取らなければならないが、原文では両方の意味が同時に響いている。
つまり「どうせ死ぬにしても、もっと落ち着いてその死を受け止められる時に死んで欲しかった」という気持ちと、「いつかは死ぬ定めだったのだ。仕方ないのではないか」という気持ちが、マクベスの心中で同時に存在しているということになるのだ。
ちなみに「brief candle(短い蝋燭)」はオールダス・ハックスの小説の題名に使われている。
直前に「恐怖すら感じなくなってしまった」と語っていたマクベスは、最愛だった妻が亡くなったという知らせに「She should have died hereafter」というだけである。
この台詞は2通りの意味に取れて、一つは「何も今、死ぬことはなかったのっだ」で、もう一つは「いつかは死ななければならなかったのだ」である。日本語に訳すときは、どちらかの意味を取らなければならないが、原文では両方の意味が同時に響いている。
つまり「どうせ死ぬにしても、もっと落ち着いてその死を受け止められる時に死んで欲しかった」という気持ちと、「いつかは死ぬ定めだったのだ。仕方ないのではないか」という気持ちが、マクベスの心中で同時に存在しているということになるのだ。
そこに使者が登場し、バーナム森が動き出したと告げに来たのだった。
魔女たちの託宣が現実になり始めた。マルコムのイングランド兵が手に木の枝を持って進軍してきたのだ。
'Great Birnum wood to hight Duncinane hill Does come against him.' (恐れるな、マクベス。 大バーナムの森が、ダンシネインの丘へやって来るまでは)
このことが、いよいよマクベスの決死の覚悟を固めさせる。
'Blow wind ! come wrack ! At least we'll die with harness on our back.' (風よ、吹け! 破滅よ、来い! せめて鎧を着て死んでやるぞ)
それでもマクベスは最後まで戦い続ける。何のために? 人間は自分に与えられた道を最後まで走り続けなければならないのか、たとえそれが破滅に続いていると分かっていても。
絶望的な状況で懸命に生きようとする姿は、多くの人に感動を与える。それは結果ではなく、その過程を大切に感じるからではないかと思う。
『マクベス』は悲劇であるが故に、最後は悲惨な結果をもたらすが、そこに至るまでの過程において多くの読者に考えるべき内容がたくさん盛り込まれているのではないだろうか。
絶望的な状況で懸命に生きようとする姿は、多くの人に感動を与える。それは結果ではなく、その過程を大切に感じるからではないかと思う。
『マクベス』は悲劇であるが故に、最後は悲惨な結果をもたらすが、そこに至るまでの過程において多くの読者に考えるべき内容がたくさん盛り込まれているのではないだろうか。