季節の風音

季節の移ろいや日々の風を写真とともに綴ります。

【雨にも負けず】を思い出した日

2024-11-10 23:15:12 | 思い出
昨日の朝は冷え込んで、今朝も寒かったけど昨日ほどではないかな。

布団から出るのに気合を入れて、なーんて大袈裟な、まだ秋に入ったばかりだよ。
が、待てよ、今年は残暑が長かった分秋が短いかも。




遠い昔の記憶


暑い時には「早く涼しくならないかなぁー」と愚痴り、
寒くなると「寒さに耐えられない身体になったなぁー」と愚痴る。

ふと思い出した。宮沢賢治の【雨にも負けず】を。
高校の倫理社会の時間、授業が始まると先ず【雨にも負けず】の朗読から。
先生はいつも詰襟の学生服、学校では有名でした。
詰襟だからといって若くはありません。
毎時間朗読しますからその内にみんな暗記します。
中間期末試験の時には答案用紙の裏に【雨にも負けず】の詩を書けば0点は免れました
たしか配点15点だったような・・・
今の時代とは違って長閑な時代でした。

夏は暑いからと言って全部脱ぐわけにはいきませんが、寒いのは着込めばいいのです。
分かってはいてもつい暖房に手が伸びる(>_<)。


11/10の歩数=5829歩
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セピア色の思い出 ニューオーリンズ

2024-10-12 16:53:14 | 思い出
録画しておいた【街角ピアノ】を観ました。出演は大江千里さんです。
演奏場所はアメリカ南部の街《ニューオーリンズ》
デビュー当時の大江千里さんのイメージからは随分違って見えました。
番組の紹介によると現在アメリカ在住だそうです。





ニューオーリンズはアメリカ合衆国のルイジアナ州南部にあり、
メキシコ湾に面し、ミシシッピ川の河口に位置する同州最大の都市



映像を観て懐かしい記憶がよみがえりました。
およそ40数年前です。
当時夫の転勤でジョージア州アトランタ郊外に住んでいました。
アメリカに行ってまだ半年、右も左もどころか言葉もさっぱりのkutakuta家族に
一緒にニューオーリンズに行きませんかと誘って下さった家族がいました。
我家族はまだ生後10か月の赤ん坊がいました。
自分達だけでも思うように動けていないのに旅行なんて、それも人様と一緒になんて
とても無理とお断りしましたが是非にと。
それで意を決して一緒に行く事になったのでした。
誘って下さったMさん家族はアメリカシカゴ在住の経験もあり海外生活には慣れておられました。

行くと決めてからもニューオーリンズってどこにあるんだっけ?状態です。
初めての遠出で不安だらけ、こうなったら金魚の糞状態でついて行くしかありません。



観光も宿泊先も全てMさん家族にお任せでした。
車で長距離の旅行です。






デキシーランドジャズの街ニューオーリンズ、バーボンストリートはジャズ演奏が外にまで響き、
路上には弾き語りの人がいてkutakutaにとってはこれがアメリカかぁーと初めての街に
目が真ん丸になったものです。





ホテルの窓から


ホテルはMさんの旦那様のこだわりがあってフレンチ・クオーター地区にとっていました。
《古き街》の雰囲気が街全体に漂っています。
部屋に入るとそこは映画で見る世界のようでわくわく感いっぱいでしたが、
古いから建付けがガタビシ、ドアのカギは閉まらない。
それでどうしたかと言うとドアの前にソファーとテーブルを寄せてドアが開かないようにしました。
こんなホテルでもお値段は高かったと記憶しています。

夕食もまたMさんの旦那様のこだわりがあって素敵なレストランを選んだのですが、
入口で「子供のメニューはありません」と言われました。
kutakutaは意味が分からなくてキョトンとしていたらMさんが「他を探そう」と。
やっと意味が分かりました。
ここでは「子供はお断り」じゃなくて「子供のメニューはない」という断り方をするのだと
初めて知りました。



プランテーション(大規模農園)にも行きました。
聞いた時にはそこ何処?何?でした。
奴隷を労働力として営まれていた当時の豪農の邸宅などが残されています。
案内の女性は当時のドレスを着ています。ウエストをキュッと引き締めたドレスです。
映画「風と共に去りぬ」を思い起こさせる風景です。
40年以上も前の事ですので観光客も多くなく、そのドレスの女性と庭に出て
写真を撮ったり子供と触れ合ったりして下さいました。
当時はまだ外国人の観光客は少なかった時代です。
もちろん日本人は私達を除いて一人もいません。

邸宅に続く道はオークという木の並木になっていました。





この旅行をきっかけに[アメリカの歩き方](大袈裟ですが)を教えて頂いて自信がつきました。
Mさんご家族に感謝です。

テレビを観て懐かしくて古いアルバムの1ページをめくった次第です。


10/12の歩数=7056歩
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もしも これが松茸だったなら・・・

2024-09-16 23:19:51 | 思い出



ウオーキングの時に見つけたキノコ。

もしもこれが松茸だったなら・・・



前回松茸を食べたのはいつだっただろう。
子供の頃は稲刈りの時期にお昼休みに家族で松茸狩りに行くのが常でした。
当時とすればちょっとしたレジャー、それも無料の。
今は松茸狩りのレジャーなんて聞いた事はありません。


その当時は採った松茸を炭火で焼いてどんぶり山盛りが夕食のおかずでした。
そんな時代もあったのです。
今では考えられない事です。


9/16の歩数=6950歩   9/15の歩数=12910歩
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東北は夏祭り真っ只中

2024-08-06 23:59:05 | 思い出
8月初めの東北は夏祭り真っ只中。

それもそのはずと昔は思った物です。
ウン十年前に転勤で福島に住んだ事があります。
瀬戸内育ちのkutakutaは初めての寒い地域での冬越しで驚いたり困ったり。
洗濯物を外に干すさきからいかの干物状に凍ったり、氷点下8度になって水道管が凍り瞬間湯沸かし器も凍って水が出ない。
かろうじてお風呂場の水道が出てほっとして水道管の氷が融けるまで1週間、お風呂場の水道を使いました。
後になって話を聞くと冬は寝る前に湯沸し器の水を抜いたり水道管に保温対策をしたり。
そんなの全然知りませんでした。まったくノー天気でした。
3月になって朝の最低気温が0度になった時「0度って温かい!」とすごく感動したものです。
そんな冬が過ぎ梅も桜も一斉に花開き春爛漫、そして夏です。
短い夏を謳歌するべく賑やかに威勢よくお祭りが開かれます。
皆さん待ちに待ったお祭りです。
今は分かりませんが当時福島では【わらじ祭り】と【ちょうちん祭り】がありました。
【わらじ祭り】はでっかいわらじを男衆が担いで町のメイン通りを練り歩くのです。
【ちょうちん祭り】は秋田の竿灯に似ています。
長い竹竿の提灯のだしをどうやって電線をくぐらせるんだろう、一旦倒すのかなと思って見ていたら
真ん中からパタンと折れるようになっていて「なるほど」と感心したものです。



昨年と今年のクルーズで秋田と青森に寄港しました
その時に見た竿灯とねぶたを思い出します



ねぶた制作中
【青森県観光物産館アスパム】の前広場に大型の箱型テントがありその中でねぶた制作中でした
まるで迷路のような骨組みです








ねぶたは青森県各地でも開催されるようです
ほんわかするような絵柄のねぶたもあり各地のお祭りも見てみたいなと思いました


8/6の歩数=10713歩
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故郷は

2022-05-23 23:06:05 | 思い出
今日の庭 クレマチス





買い物に行く時いつもの大通りではなく脇道を行きました。
広い敷地にみかんの木が3本あるお宅があります。
丁度花が咲いていました。
懐かしいです。
いい香りがするはず、マスクを取って顔を近づけてみました。
ん、何も匂わない、そんなはずない、みかんの花は甘くて優しい香りがするはず。
もう一度顔を近づける、やはり匂わない。

このお宅は毎年みかんや夏ミカン、ボンタン似の大きなみかんが生るのです。
匂わないというのはkutakutaの鼻がおかしい?
そんなはずはありません。どうしてなんだろう・・・



遠い昔の思い出が甦ります。
母は「みかんの花咲くころ」の歌が好きでした。よく歌ってくれました。
ですからみかんの花の咲く季節になるといつも思い出します。


コロナ禍で帰省は難しいですが収まればその内帰れると思います。
出来ればみかんの花咲く頃がいいな。


5/23の歩数=9091歩
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kutakutaにとって旅は心のビタミン

2022-02-17 18:19:38 | 思い出
コロナでお出かけが制限されてまる2年が経過した。
まさかこんなに長く続くとは・・・

kutakutaにとって旅は心のビタミン、旅の思い出は老後のビタミン剤(笑)。

子供の頃、夏休みに父が出張の際にkutakutaと弟を連れて行ってくれた。
田舎暮らしのkutakutaはバスに電車にフェリーに、それはそれは楽しい旅行だった。
kutakutaの旅好きはここが原点だったと思う。

ある時三次(広島県)で会議があった。
会議中はどのようにしていたか定かではないが夜は父は鵜飼の船に乗りに行った。
旅館で待機の弟と鵜飼船を見に行こうと真っ暗な中露地を通り抜けた。
小さな小学生2人の夜歩きなんて今では考えられない事だけど平和な世の中だった。

旅は続く。
夜行に乗って翌朝宍道湖畔を電車で通り朝食に「緑の蕎麦」を食べた。
「緑の蕎麦は見た事ないだろう」という父の勧めで。
味は覚えていないが珍しかったのだけは記憶にある。

その後日御碕灯台に行った。
灯台までの 道沿いにサザエのつぼ焼きを売っていました。
そのお値段の高さに目が(◎_◎)
こんなに高価な物だとはその時初めて知りました。
海辺の田舎町で育ち、獲りに行った人がおすそ分けをしてくれるので買って食べた事はなかったのです。



それからウン十年後、帰省する際に日本海側を車で回りました。
懐かしい日御碕灯台にも寄りました。
kutakutaの記憶の中の光景がそのままそこにありました。
ウン十年経っているのにほとんど変わっていないのです。
もちろんサザエのつぼ焼きも売っていました。
夫は食べたそうでしたが
「高いからダメ!」のkutakutaの一言で
宿をとっていました。選ぶほどなくて適当に。
まさか・・・「ゴキブリホイホイ」が置いてあるのです。
子供達が「えぇー!!! (+o+)でしたが」
当時は観光客はいても宿泊客は少ないのでしょう。
この時以降こちらには訪ねていません。
今はどうなっているんだろう・・・いつの日か訪れる日が来るだろうか。


父との旅行ではいつもポケットの中に住所と名前を書いた紙と、わずかな小銭を入れてくれていました。
もし何かあったらの親心です。


2/17の歩数=7216歩   2/16の歩数=10340歩   2/15の歩数=2824歩   2/14の歩数=5509歩
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終日暖房ONと谷瀬のつり橋

2021-10-22 20:21:07 | 思い出
今日の庭 ジニアプロフュージョン





 寒い一日でした。

予報では午後2時頃には止むはずなのに夕方になってもまだ降っています。
それに寒いです。
終日暖房をつけています。
まだ10月中旬、今からこれでは先が思いやられます。


たまたま観ていたTV「新日本風土記」で奈良県戸津川村が出てきました。
「わ~私ここ行ったわ!」
ウン十年前を懐かしく思い出しました。
友人とお盆休暇を利用して旅をしました。行先は戸津川村の「谷瀬のつり橋」です。
何故こんな人里離れた場所へ?と思いますがつり橋を見たかったのだと思います。
川からの高さがかなり高いとかで橋からの眺めとスリル感を味わいたかったのでしょう。
当時は日に何本もないバスで行き、帰りも少ないバスの本数で2時間以上待たねばならず、バス停で座り込んでいました。
そこへ車が1台止まりました。バスはまだ当分来ないのでダムを見に来ないかと誘われ連れて行ってもらいました。
エレベーターでダム底まで案内してもらい発電の説明をして頂いて見学が終わったらバス停まで送っていただきました。
止まった車は発電所で働く従業員だったのです。
中は結構広かった記憶があります。
もちろん私達2人は発電所見学は初めてでした。
興味津々でキョロキョロしたものです。
平和な時代でした。今ではあり得ない経験です。

一緒に行った友達にLINEでそのTV番組の事を話したら「〇〇年前だね」と。
あの頃は若かったから行き当たりばったりだったよね。
今はああなったらどうしよう、こうなったらどうしよう・・・
いろいろ考えてしまって一歩前に進めません。
歳をとるってこうなるんですね。これって私だけかしら。


10/22の歩数=6302歩
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遠い記憶 上高地

2021-08-23 16:33:12 | 思い出


明神池



遠い遠い記憶のお話。

先日放送があったNHK「新日本風土記」 は上高地だった。(再放送だったかも)
ふと昔々友と行った上高地を思い出した。今から50年ほど前になろうか・・・

社会人になってお盆休暇を利用して友と2人上高地に行った。
どういう行程だったか・・・多分夜行で出発し富山から立山黒部アルペンルートと通り松本へ。
そして上高地だったと思う。
当時は予約はまだ往復はがきで申し込む時代だった。
何故そうしたかは分からないが上高地での宿は「嘉門次小屋」を取っていた。

当時は明神まで行く人はほぼ登山の人。
そんな事は知るはずもなく観光気分で河童橋に降り立った。
今思えば無知だった。上高地から1時間、道も悪い。リュックではなく旅行カバンを抱えて歩いた。

「嘉門次小屋」に着いて2人で目を白黒、観光目的の人はいない。私達場違いな所に来てしまった。
でもま、いいよね。
若さで何事も突破。

部屋は個室がある訳ではない。雑魚寝、ま、いっか!で突破。

夕方になると次から次へ宿泊客が来る。
寝る場所ないよ!と思っても来る。来るもの拒まず。
結局ギューギューで我ら2人は布団を出した後の押し入れの中の下の段、畳1畳ほどのスペースに2人で。
後て知った事ですが山では出来るだけ宿泊は拒まないと。遭難の危険があるから。

登山の方々が泊まる宿に町の観光をするような娘2名、間違えたの?と思われた事でしょう。
今となっては懐かしい思い出です。

結婚して関東に住むようになりそれ以降上高地は機会あるごとに出掛けています。
いつ行っても心和む風景が好きです。
※当時の写真は断捨離して無く、画像はそれ以降に行った時の物です。


8/23の歩数=9108歩   8/22の歩数=5094歩
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来年は行けるかな~ 池田町夢牧場

2021-04-05 18:34:23 | 思い出
今年の桜シーズンは気温が高く数日で見ごろは終わってしまいました。
これからは山間部へと移って行きます。
以前行ったお気に入りの桜を検索してみたらどこも開花が早くて、
例年GW頃に満開となる場所も開花しています。
温暖化とはいえ今年は異常な早さです。


都会の桜も好きですが山間部の長閑な場所に咲いている桜はもっと好きです。
草の上に腰を下ろしのんびり眺めているだけで安らぎます。
年をとったからでしょうって?そうかもしれません






以前行った長野県の夢牧場は好きな場所の一つ。
平日に行きましたが桜がほぼ終わっていて誰もいませんでした。
誰もいないのがまたいい(笑)、のんびりできます。
広い駐車場がありますから休日には大勢の人が来られるのだと思います。

来年は行けるといいなぁー




初夏並みの陽気から一転冬に逆戻りです。寒くて暖房を入れました。
今週は寒の戻りだそうです。
体調管理に気を付けねば。
先日、近くの内科の診療所の前を通りました。
入口ドアに張り紙があり読んでみたら
【熱のある人、咳、のどの痛みなどある人は事前に電話でお問い合わせください。
当院はコロナ感染症には対応しておりません。】
ですって。
これは普通の風邪の症状ですよね。それでも直に病院には行けないのです。
早くワクチン接種できるようになりますように。


4/5の歩数=7885歩
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