広島は原爆投下から75回目の原爆の日。
投下された時間に1分間の黙とうをしました。
広島の様子が目に浮かびます。
平和公園、街、そして広島カープ。
kutakutaは戦後生まれです。
子供の頃、親から聞いた話はお隣のおばさんが広島市内に娘さんを探しに行って、
遠くから大きな声で泣きながら帰って来られた時の事など今でも記憶に残っています。
原爆資料館が出来て母と弟と見学に行った時の事はよく覚えています。
すし詰め状態で入口から出口まで通った事、kutakutaと弟はまだ小さかったので
展示パネルの下をくぐって出口まで行きました。
以降何度も見学に行っています。
その後も爪痕は長く残っていました。
kutakutaが高校生の時も広島駅前の川の上に櫓のような木が組んでありその上に家が並んでいたこと。
平和公園近くの基町周辺には家を失った人がバラックの長屋に住んでいて毎年のように火災が発生、
いったん火災になると多くの人が家を失うのです。
戦後75年、kutakutaの回りには戦争体験者が少なくなりました。
身内ではおばだけです。
おばはどうしているだろうか、懐かしいです。
いつ以来会っていないんだろう・・・
施設暮らしのおばです。
従妹の話では昨年インフルエンザの頃から会いに行けず、年が明けてそろそろと思っていたらコロナ。
ずっと会えない日が続いているそうです。
投下された時間に1分間の黙とうをしました。
広島の様子が目に浮かびます。
平和公園、街、そして広島カープ。
kutakutaは戦後生まれです。
子供の頃、親から聞いた話はお隣のおばさんが広島市内に娘さんを探しに行って、
遠くから大きな声で泣きながら帰って来られた時の事など今でも記憶に残っています。
原爆資料館が出来て母と弟と見学に行った時の事はよく覚えています。
すし詰め状態で入口から出口まで通った事、kutakutaと弟はまだ小さかったので
展示パネルの下をくぐって出口まで行きました。
以降何度も見学に行っています。
その後も爪痕は長く残っていました。
kutakutaが高校生の時も広島駅前の川の上に櫓のような木が組んでありその上に家が並んでいたこと。
平和公園近くの基町周辺には家を失った人がバラックの長屋に住んでいて毎年のように火災が発生、
いったん火災になると多くの人が家を失うのです。
戦後75年、kutakutaの回りには戦争体験者が少なくなりました。
身内ではおばだけです。
おばはどうしているだろうか、懐かしいです。
いつ以来会っていないんだろう・・・
施設暮らしのおばです。
従妹の話では昨年インフルエンザの頃から会いに行けず、年が明けてそろそろと思っていたらコロナ。
ずっと会えない日が続いているそうです。
8/6の歩数=5492歩 8/5の歩数=7266歩