『われに五月を』は寺山修司の歌集の名前です。
でも、誕生したのは12月。
5月は偶然にも彼の命日となってしまいました。
あさって5月4日がその日です。
世田谷文学館が発行した『あの名作の舞台』という本
(世田谷を舞台にした名作とそのお散歩マップのような本です)で、
天井桟敷の最初のアトリエが下馬にあったことを知りました。
知りました、というより思い出しましたといった方が近いかもしれません。
そのことはずっと記憶の引き出しの奥の奥にあったので
改めて訪ねてみようかなと思いました。
昨年のことです。
でも、その本では、散歩の起点は三軒茶屋になっていたので、
その時はどうしても行き着くことができませんでした。
ところが、天井桟敷に在籍していた荻原朔美の『思い出のなかの寺山修司』を
読み返したら、祐天寺からの方が近いことがわかりました。
それで、今日はリベンジ。
今回は下調べも念入りにやって、絶対探し出すという気持ちでした。
そんな意気込みとは裏腹に、結果は、
拍子抜けするくらいあっさりと見つかりました。
ずっとできなかったジグソーパズルが今日ぴったりあったような感じです。
写真はそのマンション。
今はなんの変哲もないマンションですが30年以上も前は
さぞモダンな建物だったんでしょう。
ここで天井桟敷が旗揚げされたんだなあと思うと感慨深かったです。
天井桟敷はとっくに解散してしまったけど、
看板役者だった若松さんはときどき舞台やTVでお見かけするし、
最近では個展にも呼んでいただきました。
音楽のシーザーは、GIGAの芝居に客演してた柴田くんの遊行寺の芝居で音楽を担当されてたし、
細々と芝居を観続けていると、
こんな私にでも寺山さん繋がりの細い糸があるもんだなあと思います。
バブル期ほどではないのですが、作家などのゆかりの建物が
知らず知らずに壊されていくので、
思い立ったら早めに尋ねた方がよさそうですね。