こんばんは、ジニーです。
久しぶりの歌詞考察。
4か月も開いてしまったのですね。
当ブログで、実はこの歌詞を考えるシリーズはなかなか人気のようでして
定期的にいろんな方に見ていただいているようです。
ありがとうございます。
さて、今回考察するのはこの曲。
柴田淳さんの「人魚の声」。
この「人魚の声」は2007年にリリースされた「月夜の雨」という
アルバムに収録されている曲です。
実はずっと前から、この曲のことを書きたいと思っていました。
柴田淳さんではこの「月夜の雨」は本当に僕の中で傑作でして、
以前歌詞考察をした「HIROMI」もこのアルバムに収録されたシングル曲です。
歌詞を考える 柴田淳 『HIROMI』
それでは、始めましょうか。
歌詞は
こちらでご確認ください。
しかし、柴田淳という女性は本当にこういう歌を歌わせると天才的です。
女の情念や寂しさ、切なさ、儚さ、どうしようもなさ、男の僕にまで伝わってきます。
中でもこの「人魚の声」は、もう凄いとしか言えない。
こういう歌詞は男には書けないですよ。
「愛されたい」と一心に思う女性が主人公であるこの歌は、
冒頭からサビを迎えます。
「愛されていないって 思いたくない
あなたを失うのはこわいの
これ以上 それ以上 期待していても
傷つくだけと知っても・・・」
もう、ここからつらいじゃないですか、染みるじゃないですか。
本当にね、この女性の彼氏に「もっと大事にしろよ」って言いたくなります。
Aメロ、Bメロはそんな彼氏のひどさが浮き彫りになります。
「どうしたの?って心配する
映画の恋人は優しい
そんな場面を見る度に
悲しくなったの」
「電話したって 私が一人
ただずっと喋っているだけ」
なにこれ、哀しい。
彼女も彼女です、そんな彼氏に対して素直になれないのです。
2番の歌詞にその気持ちの部分が色濃く表現されます。
「作り笑いを真に受けるし
「やだ」の「いいよ」もわからないなら
何も話さなくなった
私に気付いて・・・」
男からすれば、それは無理だよ、とついこぼしたくなる歌詞ですが、
僕はここにこそ女性の心理をとても強く感じます。
「やだ」の「いいよ」ここにこの歌の神髄がすべて込められている気がします。
男の僕なりに考えるのですが、
女性の心理には「見ていてほしい」という願いが込められている気がします。
自分から言って気づいてもらうのは、違うんです。
「ほしい」ものを「ほしい」と言わず気付いてほしいのです。
そこに、愛されているという確証を得るから。
「せめて ねえ 気付いてよ
いつもと違うって」
ここにもその心情が見て取れますね。
さて、この物語、僕はすでに恋は取り返しのつかないところに来ている気がします。
おそらく彼氏の心は彼女に向いてはいない、ひょっとするとほかの女性を思っているかも
しれません。
そこをちゃんとこの女性は気づいています。
だから、言えないのです、「愛して」って。
だって「愛して」って言ったら、「もう君を愛せない」と言われてしまうから。
確かめることをしなければ、少なくともあなたを失う時間は少し先に延命できる。
その先に満たされることがないと知りつつも、切れないのです。
だって、かつては確かに「愛されていた」
「愛されていた」ことを知っているから。
「愛されなくなる」恐怖がそこにあるから。
少し盲目的になっている節もありますが、
だからこそ恋なんだと感じさせるのです。
読めば読むほど、空回りする女性の胸の音が聞こえてきそうですが、
バカだなとは思えないんです。
胸が締め付けられるんです。
誰だって愛してほしいに決まっています。
自分が愛した人に対してはなおさらです。
この女性はどこか、愛さなくちゃ愛されないくなるという義務になっています
冷静になれば、それが正常ではないこともわかるはずなのに、そうできない。
どうしようもない人だけど、ふとした時の笑顔を見て、ただそれだけで「好き」ってなる気持ち。
10のうち9つ外れても、たった1つ拠り所があればそれだけでいいんです、恋は。
だからそんなに簡単に割り切れない。
そもそもそんな理屈で愛してなんかない。
読み解けば読み解くほど、空しさではなく、
女性の強さを感じる歌詞です。
男がどんなに頑張ったって、こんな風に情念の微かな隙間に母性を感じさせる歌詞なんて
よっぽど書けないですよ。
だから、こういう歌詞をかけて、適度な温度感で歌えることが
本当に心から凄いと思うし、羨ましい。
このどこにも行けない恋は、どんな結末を迎えるのでしょう?
そんなに自分を追い詰めないでと手を差し伸べたくなりますが、無意味でしょう。
その手を彼女は求めていない。
求めているのは彼なのだから、それ以外は見えない。
次の愛を知るには、一度泡になり海の藻屑にならないといけないのかもしれませんね。
それこそ、果てしなく深い宇宙のような海底で。