旧浅科村の経緯は、昭和30年1月15日 中津村・五郎兵衛新田村・南御牧村が合併して発足、平成17年4月1日 佐久市・北佐久郡臼田町・望月町と合併し、改めて佐久市が発足したことにより浅科村は廃止となります。
旧浅科村は、長野県の東部佐久平のほぼ中央に位置し、北に浅間山、南に蓼科山の雄姿を望み村内の東側に千曲川の清流が南北に流れる県下の村では面積が一番小さい村です。村内には、旧中山道23番目千曲川川越しの宿として栄えた塩名田宿跡、皇女和宮が降嫁の折りに宿泊した24番目の宿場八幡宿跡があります。
面積は19.52平方キロメートル、平成12年の国勢調査時点で、人口は6.5千人強、世帯数は2.0千世帯強でした。
村章は、「ア」を図案化したもののようです。(昭和41年12月13日制定)
村の花は「シロカノコユリ」です。
浅科村の下水道事業の概要は、
特定環境保全公共下水道事業として浅科村が運営し「浅科浄化センター」で汚水処理し千曲川に放出しているようです。なお、平成17 年4 月1日の合併で新佐久市が誕生したことに伴い、事業は新たな佐久市に引き継がれました。
それでは、前置はここまでとしてマンホール蓋の整理を始めます。
最初は、特定環境保全公共下水道に関わる蓋です。
こちらは、佐久市下水道管理センター内のカラー展示蓋です。
遠景に浅間山、千曲川と五郎兵衛新田、収穫した稲穂がデザインされた汚水蓋です。
こちらはノンカラーの設置蓋です。
右蓋は枠に模様があります。
こちらは親子蓋です。
こちらは小型蓋です。
こちらは、宅内枡の蓋と思われます。
下部に「特環」の表記があります。
こちらは「おすい」の表記となっています。
以上で、その4.浅科村のマンホール蓋の整理は終了です。