楢篠賢司の『人間とは』

人間とは何かを研究しています。現在は経済学を自分のものにしたいと目下勉強中です。

AEの関係

2010-05-28 13:59:57 | Weblog
 
 この『A・Eの関係)という言葉は私のブログで何回か使われた言葉ですが、これからの文章でも頻繁に使いますのでここに独立した項目として載せておきます。この関係を理解することでアダム・スミスの『見えざる手』が『見える手』になるかと思います。

注釈*見えざる手(みえざるて、英: invisible hand)は、アダム・スミスの言葉であり、国富論の第4編第2章に現れる術語であり、古典的自由主義経済における市場仮説を指す。 この言葉は『国富論』では一度しか出てこないが、あまりにも有名である。神の見えざる手(invisible hand of God)という名でも知られるが、『国富論』には「神の」という単語は無い。出典: フリー百科事典『ウィキペディア』

Aが自己の労働を1枚の貨幣(カネ)に換え、Bが作り出した商品と交換します。そこにはAが持っていたカネがBに渡ります。BはそのカネでCの持っている商品と交換します(つまりCの商品を買うという行為です)Aの所有していたカネがBを通してCに渡ったわけです。CはDの持っている商品を買います。DはEの持っている商品を買います。そしてEはAが持っている商品を買います。  つまりここでは簡単な例ですが最初にAが持っていた1枚のカネがB、C、D、Eを通してAに戻ってきて一巡したわけです。そしてお互いに作り出した商品が売れたということになります。

 さらにまたAがBの商品を買い、その関係がEまで続きAの元へ戻ってきたとします。そこにはAからEまで2回商品を製造しなくてはなりません。たった1枚の貨幣が2回の商品製造をさせたことになります。この関係がさらにAからEを通してAまで戻ってきたとき1枚の金が3回の商品を各自に作り出させたわけです。 

 このことが貨幣と労働との関係だと捉えています。ただし、そこには現実の経済社会では簡単なA・Eの関係ではなく複雑な貨幣と労働との関係が行われているということです。つまり1000万の購買があれば1000万通りの貨幣と労働との交換があるということです(そのことが今まで経済をわかりにくくしてきた原因です)働くことのない子供は物を買うために親から小遣いを貰うとか、老人では現在の社会では年金というかたちで貨幣を手に入れ貨幣と他者の労働で作られた商品と交換し手に入れます。

 タイトル「A.Eの関係」を簡単にAEの関係に変えさせていただきます。2012年1月22日 

ケインズが捉えた社会 Ⅰ

2010-05-28 08:39:03 | Weblog
 ケインズがどのような時代に生きていたのか、そしてその時代において何をどのように考えていたのかということになります。

 人は何かを考えるとき自分の周りで起きている状況でものを考えてしまう、いや、むしろその状況内でしかものを考えられないという性質があるようにみられます。

 先に私がマルクスで書いたようにケインズもまた社会の不平等と失業者の増大する社会に対し、どのように対処すれば失業者を無くすことができるのかを考えたといえます。実際のところ前に私が何度も書いてきたように貨幣における偏った所持方法が根底にあるということを気がつかなかっただけだといえますが。

 ここにウィキペディアに載っていたケインズ経済学の文章の中から一部を抜粋します。

『ケインズの生きた時代のイギリスでは、経済の成熟化で国内での投資機会が希少になり、また自由な資本移動の下で資本の国外流出を阻止するための高金利政策が国内投資を圧迫するというジレンマに悩んでいた。そこで政府が主導して資本の流出を防ぎ投資機会を創出することで国民経済の充実をはかることをケインズは考えていた』

 上記がケインズが置かれていた社会的状況であり。ここに書かれているような経済の成熟化で国内の投資機会が少なくなったことが原因であるとなっているが、ただ単に経済が停滞しだしたと考えられる。当然のことひとたび経済が低迷という坂を下りだせば、人は未来への不安感から財布の紐を締めてしまい、さらに経済活動は低下の道を辿ることになる。そこには当然のこと投資という段階を経て生産量を増やそうという考え方はなくなる。

 そこで唯一、投資家が考えることは現時点で資金を必要としている国があるならばそこに投資をし、リターンを求めたいという考え方に行き着く。その結果国内の貨幣量が不足しより経済は低下の道を辿る。先に書いた『A・E』の関係での一部の人間が購買にまわさないで貨幣をストップさせてしまうとA・Eの関係全体に影響していく。

 何が原因でこのようなこと(経済の停滞)が起こるのかは後で書きたい。

『もともとケインズは、景気対策として中央銀行の介入による利子率のコントロール(金融政策)に期待していたが、のちの『一般理論』においては企業の期待利潤率の変動や流動性選好などの制約で金融政策が奏効しない可能性を認め、雇用量を制約する生産量の引き上げの方策として公共投資(財政政策)の有効性を強く主張するようになった』

 上記文章もウィキペディアに掲載されていた文章であるが、少し解りやすく説明してみよう。

 金融政策として利子率を動かすということは、インフレ時には多少の雇用減少を招いても物価の高騰を抑えることが大事だと判断したときは利子率を引き上げて貯蓄に回させるようにするが、反面そのことをきっかけとして景気停滞を招いてしまう恐れも伴う。

 またデフレ(景気低迷)時において利子率を引き下げるという方策も取れるがグローバル化した現代では貨幣が国外の利子率の高い国へ逃げてしまう。

 そこで景気浮揚の最後の手段として財政政策の軸となる公共投資を増やすことになるがそこには国債の増刷という落とし穴が待ち構えていることになる。

次はまたの日に