楢篠賢司の『人間とは』

人間とは何かを研究しています。現在は経済学を自分のものにしたいと目下勉強中です。

未来社会はどうあるべきか 5 市場経済

2009-05-29 09:45:26 | Weblog
 現実のこの社会を変えるにはどのような方法があるのだろうか、もはや労働者を中心とした革命という手段は、資本主義の対極にあった社会主義社会が崩壊してしまった現在、考えられないことになってしまった。

 それとも日本共産党のように社会を変えようという理念が先走り、現実からかけ離れてしまったかのような、少数の人しかついていくことができない党になってしまった現状、知識人と称する人さえも、現在の資本主義の末期症状を呈している社会を、どのように変えていくのか回答を出すことの難しさを感じているのではないだろうか。

 その中で無い知恵を絞り、今までとは違う方向から社会が変えられるのではないかと手探りしているのが現在の私である。そして辿り着いたのが、人間が偶然から生み出した貨幣を知ることによって、社会変革の犠牲を伴わないかたちの、社会を現出できるのではないかと幾ばくかの希望を持ってこれを書いている。

 貨幣を知ることによって、貨幣が持つ蓄蔵機能(保存機能)を人間の知恵をもって制御できれば、全ての人が人生をエンジョイできるのではないかと考えている。

 蓄蔵機能を制御する。当然そこには株式会社の形態を持つ資本主義の牙城も崩れることになる。つまり株式に投資をする貨幣所持も無くなり当然のこと先物取引、金融派生商品というかたちの取引も無くなる。
 ただこのようなかたちを1国だけがとったとしても無理がある。そこでより貨幣を世界中の人が理論から理解する必要があると考えている。

 ある人からお前の考えていることは社会主義ではないかと言われたことがあるが、今までの社会主義というものは計画経済であったような気がする。何せ計画経済という言葉さえ現在では死語かしているのではないだろうか。ただ当然のこと蓄蔵機能を制限すればその社会は社会主義に似てくることになる。だがそこには貨幣の持つ交換機能が重視された社会になることは確かだ。

 交換機能が充足している社会であれば、その社会は自由な交換が保障される市場経済のかたちをとることになる。投資ということが個人から社会に移り、個人としては蓄蔵することが制限され、当然のこと蓄蔵の延長線上にある投資ということもできなくなる。ただ個人として貨幣を通した交換が自由に行われる社会であるということになる。

 このような社会を描き出したとして、どのような人が貨幣が持つ交換機能重視の社会に反対を唱えることができるのか、反対するとすれば多分蓄蔵が制限された人であろう。しかし自由の名の下に社会が困窮している状態を、ほんの少数の人の欲望、利益のために多くの人間が我慢しなくてはならないという論理を作ることができるのか。多分できないであろう。
     
       ウィキペディア 市場経済参照

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