今まで書いてきたAEの関係は私自身が不充分であると気が付きましたのでここに加筆し新たに掲載いたします。
この『A・Eの関係)という言葉は私のブログで何回か使われた言葉ですが、これからの文章でも頻繁に使いますのでここに独立した項目として載せておきます。この関係を理解することでアダム・スミスの『見えざる手』が『見える手』になるかと思います。
注釈*見えざる手(みえざるて、英: invisible hand)は、アダム・スミスの言葉であり、国富論の第4編第2章に現れる術語であり、古典的自由主義経済における市場仮説を指す。 この言葉は『国富論』では一度しか出てこないが、あまりにも有名である。神の見えざる手(invisible hand of God)という名でも知られるが、『国富論』には「神の」という単語は無い。出典: フリー百科事典『ウィキペディア』
今回は解り易く貨幣の例として書いていくものです。今まで書いた文章でAEの関係を読み返したとき、不親切さが解りました。AEの関係とはA~Eまでの人物が生産者であり消費者であると言う前提でした。
そこで例えばAは人が生きるのに必要な主食となる米と野菜の生産者であるとします。Bは鶏等を育て卵と鶏肉の生産者。Cは味噌等調味料の生産者。Dは船を持っていることから漁業に精通した魚類の生産者。Eはパンや麺類の生産者。であるとします。
このA~Eという関係者の中に1枚の紙幣、例えば千円をAに渡します。
AはBが生産し販売していた商品、卵と鶏肉を千円で購入します。そこにはAが持っていた千円がBに渡ります。Bはその千円でCが生産し販売している味噌等調味料を購入します。最初Aが持っていた千円はBを通してCに渡ったわけです。CはDが生産し販売している魚や蟹等を購入します。そしてDはEが生産し販売しているパンや麺類を千円で購入します。そして最終段階ではEはAが生産し販売している主食となる米や野菜を購入します。
ここまで来ると最初Aが持っていた千円がまたAの手へ戻ってきたことになります。
これを何回か繰り返せばABCDEとその日に必要とする生活必需品を皆が購入でき満足することができます。ここでは最初の千円があれば五者の生活が成り立つこということです。ただしA~Eの人たちは五人が必要としている商品の生産に、自己の労働を通して商品の生産をしなくてはならないということです。そこには働ける状態があれば失業も無くデフレ・インフレも起こらないということになると言えます。
これは何を言おうとしているのかといいますと、貨幣は労働で作り出された商品と、はたまた労働で作り出された他人の商品の交換を仲介しているに過ぎないと言うことです。
このことは貨幣の機能としての交換機能に重点を当てて他の機能、保存機能を無視したにすぎません。そしてこの1枚の千円札はいつまでも擦り切れるまでこの五人の中に留まっていることになります。ここでは市中にカネが無くなり国債を発行して新たに千円を投入する必要も無いということです。
追記 まだ貨幣には違う役割があるということで追記ということで書きます。
AEの関係を読んだ人もなんだ手っ取り早く物々交換にしちゃえばいいじゃないかという人もあるかと思いますが、ご存知のように物々交換にはお互いの製品にお互いがOKを出さなくては成立は不可能です。例えばAさんは肉屋であり、そしてAさんが魚が欲しいと考えたとき、Bさんの魚屋に行き魚と自分の持っている肉とを交換してくれと頼みますがBさんはパンがほしいということでAさんの申し出を断ります。そこで貨幣(お金)を介してBさんが持っている魚を買えばいいことです。Bさんは魚を売ったお金を持ってパン屋に行きパンを買ってくる。ということです。
この『A・Eの関係)という言葉は私のブログで何回か使われた言葉ですが、これからの文章でも頻繁に使いますのでここに独立した項目として載せておきます。この関係を理解することでアダム・スミスの『見えざる手』が『見える手』になるかと思います。
注釈*見えざる手(みえざるて、英: invisible hand)は、アダム・スミスの言葉であり、国富論の第4編第2章に現れる術語であり、古典的自由主義経済における市場仮説を指す。 この言葉は『国富論』では一度しか出てこないが、あまりにも有名である。神の見えざる手(invisible hand of God)という名でも知られるが、『国富論』には「神の」という単語は無い。出典: フリー百科事典『ウィキペディア』
今回は解り易く貨幣の例として書いていくものです。今まで書いた文章でAEの関係を読み返したとき、不親切さが解りました。AEの関係とはA~Eまでの人物が生産者であり消費者であると言う前提でした。
そこで例えばAは人が生きるのに必要な主食となる米と野菜の生産者であるとします。Bは鶏等を育て卵と鶏肉の生産者。Cは味噌等調味料の生産者。Dは船を持っていることから漁業に精通した魚類の生産者。Eはパンや麺類の生産者。であるとします。
このA~Eという関係者の中に1枚の紙幣、例えば千円をAに渡します。
AはBが生産し販売していた商品、卵と鶏肉を千円で購入します。そこにはAが持っていた千円がBに渡ります。Bはその千円でCが生産し販売している味噌等調味料を購入します。最初Aが持っていた千円はBを通してCに渡ったわけです。CはDが生産し販売している魚や蟹等を購入します。そしてDはEが生産し販売しているパンや麺類を千円で購入します。そして最終段階ではEはAが生産し販売している主食となる米や野菜を購入します。
ここまで来ると最初Aが持っていた千円がまたAの手へ戻ってきたことになります。
これを何回か繰り返せばABCDEとその日に必要とする生活必需品を皆が購入でき満足することができます。ここでは最初の千円があれば五者の生活が成り立つこということです。ただしA~Eの人たちは五人が必要としている商品の生産に、自己の労働を通して商品の生産をしなくてはならないということです。そこには働ける状態があれば失業も無くデフレ・インフレも起こらないということになると言えます。
これは何を言おうとしているのかといいますと、貨幣は労働で作り出された商品と、はたまた労働で作り出された他人の商品の交換を仲介しているに過ぎないと言うことです。
このことは貨幣の機能としての交換機能に重点を当てて他の機能、保存機能を無視したにすぎません。そしてこの1枚の千円札はいつまでも擦り切れるまでこの五人の中に留まっていることになります。ここでは市中にカネが無くなり国債を発行して新たに千円を投入する必要も無いということです。
追記 まだ貨幣には違う役割があるということで追記ということで書きます。
AEの関係を読んだ人もなんだ手っ取り早く物々交換にしちゃえばいいじゃないかという人もあるかと思いますが、ご存知のように物々交換にはお互いの製品にお互いがOKを出さなくては成立は不可能です。例えばAさんは肉屋であり、そしてAさんが魚が欲しいと考えたとき、Bさんの魚屋に行き魚と自分の持っている肉とを交換してくれと頼みますがBさんはパンがほしいということでAさんの申し出を断ります。そこで貨幣(お金)を介してBさんが持っている魚を買えばいいことです。Bさんは魚を売ったお金を持ってパン屋に行きパンを買ってくる。ということです。
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