楢篠賢司の『人間とは』

人間とは何かを研究しています。現在は経済学を自分のものにしたいと目下勉強中です。

貨幣は偶然の中から生み出されたものである

2009-01-05 08:50:47 | Weblog
 新年おめでとうございます。

 現在使われている貨幣(お金)に対しなぜタイトルにある文章をわざわざ使ったのか疑問に思われる方もおられるかと思います。

 貨幣は偶然から生み出されたもの、つまり私が言いたいのは私達が何気なく当たり前のように毎日を生活していくために財布から出しているお金、その起源が偶然から生み出されたものであると言うことなのです。

 当然そこには原始の社会で物々交換の中で初期の貨幣に替わるものが突然生まれたことになります。

 それは必然性を持って生まれてきたのではないかと考えられないこともありませんが、ただ必然的といったとき物々交換では決して叶えられない貨幣になる物には「欲求の二重の一致」という観念ができていたことになります。

 つまりここで書きました「欲求の二重の一致」が貨幣(お金)が持つ最大の特徴になるからです。これは物々交換社会では最大の市場があったのち、交換する相手を探し出すまでには多くの労力を割かなくてはならないからです。

 貨幣は市場が無くても個々の生産者から貨幣を通して必要物を得る最短距離の近道があると言えるからです。皆さんの中にも、その方が農家の人であれば野菜を販売したお金を持って近所のコンビニへ走っていけば暖かいおでんと交換することができると言う便利さがあるのを経験しているでしょう。

 もし現代まで貨幣がなかったら自給自足社会か物々交換で生きるために必要物を得るしか方法が無いわけです。当然のこと社会が分業化されていく段階で出来てきたコンビニという店舗も無いわけです。

 物々交換社会では限られた分業しか育ちませんが、交換に貨幣を使った社会では多くの分業を作り出すことが可能になるわけです。それは貨幣が持つ「欲求の二重の一致」をいとも簡単に満たすことが出来るからです。

 ここまでは貨幣について概観を書いてきましたが、本来のテーマに戻して「貨幣は偶然の中から生まれてきた」という問題について書いていきます。

 偶然の中から生まれてきたというとき、貨幣の発生時には貨幣についての何の理論も無く、また使われてきた段階においても現代に至るまで貨幣についての更なる理論も無いと言うことになります。ただ闇雲に交換において「欲求の二重の一致」さという便利さゆえに使われて来てしまったと言うことになります。

 ここで問題となるのが貨幣はまだ他に別の面を持っていたと言うことです。それは貨幣には蓄蔵機能が付いていたと言うことです、おそらく原初の時代、偶然から生み出されてきた当時は「欲求の二重の一致」さゆえに発達されたと考えますが使用していく時点で蓄蔵できると言う新たな道を発見したわけです。

 この蓄蔵できるという機能が歴史上数多くの不平等を作り出した元になるわけです。そして最終的には現在の金融危機の元凶とも言えるわけです。

 私がこのように書くのは多くの人達に貨幣とは何かを知ってもらい、そのことから新しい社会を考えていく手がかりになるのではないかと思っているわけです。

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