楢篠賢司の『人間とは』

人間とは何かを研究しています。現在は経済学を自分のものにしたいと目下勉強中です。

日本版アラブの春は来るのだろうか Ⅱ

2013-10-18 06:30:32 | Weblog

   『経済の考え方の根本が間違えているからでしかない。』

 昨日のブログの中でこのように書いたが。またこのように書くとき21世紀に生きている人達が人間の歴史始まってこの方、(狩猟採集経済社会を除いて)国によってエジプトのように長い年月を持つ国もあるが、人は貨幣に対し強者からのマインドコントロールをされてきたものといえる。

 それは貨幣とはこのようなものだと強者の力によっての押さえつけであり、または教育によってであり、労働とは貨幣によって売り買いができるものである等と、何の不思議さも感じさせず、無意識的に人の頭脳へと刷り込ませてきた。

 それは経済の中に占める貨幣の意味を原初から21世紀の現代社会まで継続させてきたのが今の状況であるといえる。
 
 キリストも不平等社会に気が付いた一人といえる、ただそれをその当時の思想から神に結び付けてしまった。貧者の救いはこの世ではなく来世という天国で幸せが得られる、その代わり富者はラクダが針の穴を通るよりも難しい(はたしてキリスト自身の言葉かは失念)この考えは富者にとっては最高の思想といえる、そして現在でもこの思想はキリスト教を信じている社会では優位性を保ち、不平等・経済的格差の原因を作っている根本の考え方だと言える。ただ富者はお目こぼし的寄付という行為で来世も現世と同じように天国で幸せが得られると考えている。根本には貨幣が持つ考え方を捻じ曲げて現代の社会まで継続させてきた証だといえる。

 そしてマルクスはやはり人間社会の不平等、この時代では資本を持っている側とただ労働を売る側という視点からこの状態を解消するには労働者自身の国を作ること。いわゆる共産主義国家を建設するという思想に傾注した。ただ言えることはマルクス主義という思想、そしてその活動が無かったら言論の自由・表現の自由もおぼつかない状態が現在でも継続していたといえる。決して富者は進んで民主主義、言論の自由を取り入れようとはしないだろう。マルクス主義があったからこそ、民主主義とは何か、言論・表現の自由とは何かという知識が一般化されて来た時代であるからこそ、私自身もこのような文章を書ける自由が与えられていると感じる。

 そして不遜にも私はキリスト及びマルクスは間違っていた、つまり偉大な過去の両者は不平等の根源が何かをみていなかったということになる。

 話が変わって、アメリカでの債務(借金)上限問題の引き上げが17日米上院で可決され、下院でも可決となり、後はオバマ大統領の署名を待つだけとなったという。おそらく経済を少しでもかじったことがある人なら当然こういう結果になると考えていたのではないか。

 なぜなら債務不履行(デフォルト)ということになれば今まで国債を大量に発行し現在の社会まで持ちこたえてきたものが一瞬のうちに崩壊してしまうことになる。この先何回かこのようなことが起きるかも知れないが当然の結果として国債残高の積み上げという先送りで崖っぷちに歩を進めていくことになる。

 国債発行という飴玉がやがてはそれが毒薬入りだと人が気が付いたときまで、何回もその飴玉をしゃぶらせることとなる。つまり現状の国債発行残高は積み上がりこそすれ、決して減少させることはできないと言える。それは経済浮揚と国債発行はどちらも切り離すことができないからであり、国の借金体質を変えようと財政再建に取り掛かれば景気はダウンしていく。景気がダウンしたとき富者にとってはそれほど響かないことだろうが、多くの国民にとっては不況は死活問題に直結していく。

 資本主義=それは現在の状況を観ていると崩壊直前まで来ている姿なのではないかと私には観える。

 このことではどのような政党がやったとしても多くの国民を苦しませてしまうだけである。根本を変えない限り…
 

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