昨日のタイトル何か解りづらいのでタイトルを変えて見ました。
2010年12月17日、チュニジアで26歳の青年が警察に抗議し、焼身自殺をはかり死亡したことから青年の失業率(25~30㌫)の高さの不満から大学卒業後も就職できない若者を中心としたデモが各地で広がり結果としてチュニジア政権が崩壊した(ジャスミン革命)そしてその後各国にその波は広がり呼び名も「アラブの春」という言い方が定着してしまった。
アラブの春というタイトル自体日本人には春という言葉では、春一番という風を連想させ、吹くという表現が一番似合うのではないかと私も考えてしまった。アラブの春が経済の停滞から失業率の増大という国中に広まるやりきれない思い。やがてはデモとなり
国中をデモの渦に巻き込んでいった。その民衆の力は政権を倒し新しい国づくりを始めようとする力となっていく。だが現在のところ成功したという例は見当たらない。
それに対し多くの評論は『「アラブの春」以降の中東諸国、成熟途上の政治風土が混乱招く』 http://www.afpbb.com/articles/-/2965539?pid=11279386
『アラブの春は失敗に終わったのか?』JPプレスhttp://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38223
火事場の見物的に評論をしている。その中でも政治風土の未熟というとき、日本では政治風土は完成しているという立場からの評論なのかと考えさせられてしまう。
日本を含めアメリカ、ヨーロッパの先進諸国においても主権在民つまり真の民主主義国家とはいえない。なぜなら格差が逆に拡大している、その結果政権を取った政党も何とかして経済を活性化して失業率増大から来る不満、低賃金から来る不満、日本ではそれほどの物価高という面での不満は今のところ無いが、やがてはその不満が出てきてしまうだろう。
現在の自民党政権が、何とかしようという気持ちはわかる。その結果国債という借金を増大させていることはその政党人ですら解っているといっても過言ではないだろう。うまくオリンピックを誘致し、そのインフラ整備で当面の経済活性化を波及効果も含め好調な期間を長引かせることはできたとしても、その宴(うたげ)が終わったとき残ったのは経済の停滞と国債増大からそれ以上の国債を発行できないというジレンマに落ち込んでしまうだろう。
なぜなら経済の考え方の根本が間違えているからでしかない。国債残高が1000兆円ではどうしょうもないと言えるのではないか、これがせめて100兆円の残高だったら、しかしありえない。国民の不満が吹き上がり国がアラブの春並みにデモが頻発することを政治家が恐れるあまり経済を活性させるために国債を増刷させてしまったのだ。
今の現状を税制で乗り切れるものではない。いくら税金収入を国家が得たとしてもその反面消費経済の落ち込みから、かえって税収がマイナスとなり経済が停滞し国民の不満が増大してしまい、この日本においてもデモが多発してしまうだろう。そしてそこにはけ口を見いだした弱者が交通機関への飛び込み自殺よりも政治を変えれば何とかなるだろうと一抹の希望を持ち生きていく道を選ぶと考える。そこにアラブの春が日本にも上陸してしまう。
2010年12月17日、チュニジアで26歳の青年が警察に抗議し、焼身自殺をはかり死亡したことから青年の失業率(25~30㌫)の高さの不満から大学卒業後も就職できない若者を中心としたデモが各地で広がり結果としてチュニジア政権が崩壊した(ジャスミン革命)そしてその後各国にその波は広がり呼び名も「アラブの春」という言い方が定着してしまった。
アラブの春というタイトル自体日本人には春という言葉では、春一番という風を連想させ、吹くという表現が一番似合うのではないかと私も考えてしまった。アラブの春が経済の停滞から失業率の増大という国中に広まるやりきれない思い。やがてはデモとなり
国中をデモの渦に巻き込んでいった。その民衆の力は政権を倒し新しい国づくりを始めようとする力となっていく。だが現在のところ成功したという例は見当たらない。
それに対し多くの評論は『「アラブの春」以降の中東諸国、成熟途上の政治風土が混乱招く』 http://www.afpbb.com/articles/-/2965539?pid=11279386
『アラブの春は失敗に終わったのか?』JPプレスhttp://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38223
火事場の見物的に評論をしている。その中でも政治風土の未熟というとき、日本では政治風土は完成しているという立場からの評論なのかと考えさせられてしまう。
日本を含めアメリカ、ヨーロッパの先進諸国においても主権在民つまり真の民主主義国家とはいえない。なぜなら格差が逆に拡大している、その結果政権を取った政党も何とかして経済を活性化して失業率増大から来る不満、低賃金から来る不満、日本ではそれほどの物価高という面での不満は今のところ無いが、やがてはその不満が出てきてしまうだろう。
現在の自民党政権が、何とかしようという気持ちはわかる。その結果国債という借金を増大させていることはその政党人ですら解っているといっても過言ではないだろう。うまくオリンピックを誘致し、そのインフラ整備で当面の経済活性化を波及効果も含め好調な期間を長引かせることはできたとしても、その宴(うたげ)が終わったとき残ったのは経済の停滞と国債増大からそれ以上の国債を発行できないというジレンマに落ち込んでしまうだろう。
なぜなら経済の考え方の根本が間違えているからでしかない。国債残高が1000兆円ではどうしょうもないと言えるのではないか、これがせめて100兆円の残高だったら、しかしありえない。国民の不満が吹き上がり国がアラブの春並みにデモが頻発することを政治家が恐れるあまり経済を活性させるために国債を増刷させてしまったのだ。
今の現状を税制で乗り切れるものではない。いくら税金収入を国家が得たとしてもその反面消費経済の落ち込みから、かえって税収がマイナスとなり経済が停滞し国民の不満が増大してしまい、この日本においてもデモが多発してしまうだろう。そしてそこにはけ口を見いだした弱者が交通機関への飛び込み自殺よりも政治を変えれば何とかなるだろうと一抹の希望を持ち生きていく道を選ぶと考える。そこにアラブの春が日本にも上陸してしまう。
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