(会場のひとつ愛知県芸文センターの地下2階エントランスでは
ヤノベケンジの「サイエンス・チャイルド」が迎えます)
世界の一流アーティストが集結! こんなキャッチフレーズで、現代美術を中心にした「あいちトリエンナーレ2013」が、名古屋市内と岡崎市内を舞台に開かれています。10月27日まで79日間のロングラン。やっと気温も過ごしやすくなったので、遅まきながら少しずつ会場巡りを始めました。
現代美術といっても、いつの時代からの美術をいうのか、どんな作品をいうのか、などの定義はないようです。絵画、彫刻、構造物、映像、音楽、照明、演劇、ダンス、オペラ・・・と、表現方法はさまざま。アーティストの一人からは「自分は現代美術作家と思えば、それで十分」との説明も聞きました。だから、大きな展示室に白い紙一枚、ロープ一本、小石一個を置くことで表現したっていいわけです。
でも、僕は無知なるが故にあまり関心がありませんでした。
そんな僕の中に、7・8年前から少しずつ変化が起きました。
通い始めた風景水彩画教室の先生が「本職」は現代美術作家だったこと、新しく家族になった一人がガラス工芸と現代アート作家であること――などから興味を持ち始めたのです。
現代アートが並ぶ21世紀美術館(金沢市)や森美術館(東京・六本木)へも出向くようになりました。教室の絵仲間たちも先生に連れられてギャラリーに足を運ぶうち現代美術が身近になり、世界のアーティストが集まる北京の798芸術区(大山子芸術区)へ一緒に出かけたこともあります。
といっても、僕が現代美術をきちんと理解できるようになった訳ではありません。ただ「こんなものは僕にはわからん」と、作品に見向きもしなかったのが「なるほど」「ほー」と、作品の前に立ち止まるようになったのです。
作品に込められた意図は? どこまで表現できているのか?展示場所や空間を有機的に結び付けているか?
最近は「僕の足と目と時間を長く止めた作品が良い作品」と勝手に評価を楽しみ、作品からほとばしるエネルギーに驚嘆しています。
ただし、奇をてらうことだけに精力を注いだような作品は敬遠します。
今回のトリエンナーレのテーマは「揺れる大地―われわれはどこに立っているのか:場所、記憶、そして復活」。
この実に重いテーマを、作家たちがどう受け止め、どう向き合い、どう表現したのか。できるだけ多くの作品に出会いたいと思います。<o:p></o:p>
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