4月9日は、三男「りゅう」の入学式だった。入学式と言っても、今までと同じ特別支援学校の中学部に行くわけで、同じ学校だから「進級」という感じもする。
でも、やっぱり「入学おめでとう」だな。
長い春休みだったが・・・・・・・・・・・・・・ . . . 本文を読む
昨日は、三男「りゅう」の居住地校交流だった。
6年間続いた地元小学校の同級生たちとの、最後の交流だった。
ちょうど「6年生を送る会」だということで、「りゅう」も、当小学校の6年生たち共々、在校生にお祝いしてもらったようだ。
音楽の発表はニコニコと楽しんで、バイキング給食はパクパクと食べたとのことである。
本来なら、最後の日くらいは親も出向いて、先生や同級生の子どもたちに6年間のお礼を述べるべきなのだろうが、仕事との調整もつかず、今回も送迎共にヘルパーさんにお願いし、私は顔を出すことができなかった。
それで、せめてもと、同級生の子どもたち宛てに手紙を書き、担任の先生に何かの折にでも読んでいただけたらと託した。
以下がその手紙。
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↑三男「りゅう」がやっと「お座り」ができた頃の写真。
「りゅう」の学校から卒業式に使う写真を4枚出して欲しいとの連絡があった。式中にスクリーンに投影するらしい。
また、PTA新聞の卒業生特集に原稿も依頼され、先の水曜日は最近珍しく夜なべ仕事となってしまった。
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相も変わらず、子どもを中心としたバタバタ日記です。音楽のことは書いておりません。また子どもの癲癇発作のことも書いています。そういう叙述でご不快になりそうな方は読まないことをお勧めします。
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今日は「子どもの日」だった。日頃から「我が家は年中『子どもの日』」なんて、エラそうに言っているのだが、それでもやっぱり、今日は「子どもの日」だな。「子ども」と言っても、我が家の三人の子どもたち、上の2人は、もう二十歳を過ぎている。まあ、親から見れば、いつまでも「子ども」ではあるが・・・(特に、二男は、中身も、まだまだ「子ども」、これからもずっと限りなく「子ども」的な成人で在り続けるだろう)
上の写真は、今夜の三男「りゅう」。「ビデオの海」の中で、手を合わせている。 . . . 本文を読む
大地震と大津波が来る2日前の9日。三男「りゅう」の今年度最後の居住地校交流だった。2月に予定していたのが、りゅうの学校がインフルエンザの流行で休校となったため延期になり、この日になった。
1年生からずっと交流してきている子どもたちである。もう高学年だから、小さいときみたいな関わりとは違ってきているが、それでも、何人かの子どもたちが最後まで見送りに残っていてくれた。今回は・・・・・ . . . 本文を読む
クリスマス・イブですが、私は手術から一年が経過したということで内視鏡検査でした。ツィッターでけっこう呟いて(ぼやいて)いましたが、朝から腸の中をきれいにするニフレックという薬2リットルを2時間かけて飲み、便がほぼ透明になった時点で病院へ向かいました。
去年は、何の苦痛もなかった内視鏡検査ですが、今日はちと痛かったりしました。やっぱり操作の上手下手ってあるのでしょうかね?苦しい時は、戦地で麻酔無しで腕を切断した水木しげるのことを考え、おれなんかまだまだや、なんて気合入れて(見かけは)平然としたふりをしていました。でも、けっこう痛かったなぁ・・・。
そんなことじゃなくて、今回は違うことを・・・。
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今日は前回に続いて、三男りゅうの今年度2度目の居住地校交流でした。今回は、私は参加せず、迎えに行っただけです。送りはヘルパーさんにお願いしました。
音楽と図工の授業、それに給食と昼休みを、同年齢の子ども達と過ごさせてもらいました。
音楽も楽しかったみたいですし、図工では、りゅうがモデルになって、クラスの子ども達がりゅうの顔を描いてくれました。なかなか特徴をよく捉えた . . . 本文を読む
我が家の大人の負担を少しでも軽減するべく、11月から子どもの食事と入浴をヘルパーさんにお願いすることにした。正式には「身体介護」と「家事支援」と言うのだそうだ。「お試し」というわけではないが、私が仕事で帰りが遅くなる日に、さっそく二度ばかり来て頂いた。
一人に一人のヘルパー、ということで、夕食前後の2時間あまり、我が家に二人のヘルパーさんが滞在されることになる。
以下は、ヘルパーさん宛ての私からのお願いメモ・・・・・・・・・ . . . 本文を読む