今、ココログ「―お茶でっせ」のサイドバーで「アピール:左利き/「利き手(左利き)の矯正」という言葉の使用について」の意見に対する賛否のアンケート「「矯正」という言葉の不使用のお願いアピール についてのアンケート」を実施しています。
それに先立って、同様の趣旨で、言葉の使用の是非そのものを問うアンケートを実施しています。
2004年12月5日より2005年1月1日までの4週間に渡って「レフティやすおの左組通信」で実施しました、〈左利き・プチアンケート〉「第11回「利き手(左利き)の矯正」という言葉をどう思いますか」がそれです。
その投票結果を報告しておきます。
こちらのアンケートは、左利きの左手使いを右手使いに変える行為に「矯正」という言葉を使用することをどのように考えるかというものです。
投票結果
投票結果について
投票総数:26 (右利き=5/左利き=21)
・1と2、あるいは5と6をあわせて、
使用/可と答えた人:4 (右利き=1/左利き=3
・3と7 使用/自由と答えた人:6 (右利き=1/左利き=5
・4と8 使用/不可と答えた人:16(右利き=3/左利き=13
「矯正」という言葉の使用※1について「自由」という意見も含めて肯定派を、反対派が少しですが勝るという結果でした。
積極的な肯定派と思われる人が少ないのが、わがサイトでのアンケートとはいえ、私はうれしく思います。
反面、左利きの人のなかに「自由」という意見が多く、意外に感じました。
コメント※2でも書いていますが、これが現状へのあきらめからの意見でなければいいのですが。諦めからは、何も生れません。
どんなときも、前向きに取り組んでゆかないと、物事は良くならないと思います。
今の世の中では、ちょっとうるさがられるぐらいに、訴えるべきことは訴えてゆくべきだと思います。
※1このアンケートで言う「矯正」という言葉の使用とは、あくまでも現在形・未来形におけるもので、過去の事例に対する使用は含みません。過去における「矯正」は歴史的事実であり、その事実を記載する際にこの言葉は不可欠なものです。
※2 使用は自由と答えた方の中には―特に左利きの人で―、諦めから人それぞれ何を言ってもわからぬ人もいるし、使う人の自由にしたら、好きにしたら、という考えに落ち着いている人も少なからずいらっしゃるのでは、と推測します。
しかし、あきらめは良くない、諦めからは何も生れない、と私は考えています。
正義を振りかぶるつもりはありませんが、おかしいと思うことはおかしいとはっきり言うべきです。
意思を伝え合い、互いの立場を明らかにして初めて相手のことを理解でき、十分に話し合うことが可能になり、物事の解決につながるのだと思います。
※投票者のご意見・コメントなどは、〈左利き・プチアンケート〉 第11回「利き手(左利き)の矯正」という言葉をどう思いますか をご覧ください。
※本稿は、ココログ版「レフティやすおのお茶でっせ」より転載して、テーマサロン◆左利き同盟◆に参加しています。
それに先立って、同様の趣旨で、言葉の使用の是非そのものを問うアンケートを実施しています。
2004年12月5日より2005年1月1日までの4週間に渡って「レフティやすおの左組通信」で実施しました、〈左利き・プチアンケート〉「第11回「利き手(左利き)の矯正」という言葉をどう思いますか」がそれです。
その投票結果を報告しておきます。
こちらのアンケートは、左利きの左手使いを右手使いに変える行為に「矯正」という言葉を使用することをどのように考えるかというものです。
[貴方はこの「利き手(左利き)の矯正」という言葉にどんな印象をお持ちでしょうか。
使っても良い、使うべきではないと両意見があるようですが、それをどう思われますか。]
投票結果
1 右利きの人/使用:可 /昔からの用法であり、右手使いへの変更を表現する言葉として普及しているので、それでよい | 0 |
2 〃 /使用:可 /厳密な言葉の意味など神経質になる必要はないし、ただの言葉なので気にすることではない | 1 |
3 〃 /使用:自由/使いたい人は使えばよいし、使いたくない人は使わなければいい、それだけの問題だ | 1 |
4 〃 /使用:不可/もはや左利きは矯正すべき性質とは考えられないので、不適切な言葉で使うべきではない | 3 |
5 左利きの人/使用:可 /昔からの用法であり、右手使いへの変更を表現する言葉として普及しているので、それでよい | 1 |
6 〃 /使用:可 /厳密な言葉の意味など神経質になる必要はないし、ただの言葉なので気にすることではない | 2 |
7 〃 /使用:自由/使いたい人は使えばよいし、使いたくない人は使わなければいい、それだけの問題だ | 5 |
8 〃 /使用:不可/もはや左利きは矯正すべき性質とは考えられないので、不適切な言葉で使うべきではない | 13 |
投票結果について
投票総数:26 (右利き=5/左利き=21)
・1と2、あるいは5と6をあわせて、
使用/可と答えた人:4 (右利き=1/左利き=3
・3と7 使用/自由と答えた人:6 (右利き=1/左利き=5
・4と8 使用/不可と答えた人:16(右利き=3/左利き=13
「矯正」という言葉の使用※1について「自由」という意見も含めて肯定派を、反対派が少しですが勝るという結果でした。
積極的な肯定派と思われる人が少ないのが、わがサイトでのアンケートとはいえ、私はうれしく思います。
反面、左利きの人のなかに「自由」という意見が多く、意外に感じました。
コメント※2でも書いていますが、これが現状へのあきらめからの意見でなければいいのですが。諦めからは、何も生れません。
どんなときも、前向きに取り組んでゆかないと、物事は良くならないと思います。
今の世の中では、ちょっとうるさがられるぐらいに、訴えるべきことは訴えてゆくべきだと思います。
※1このアンケートで言う「矯正」という言葉の使用とは、あくまでも現在形・未来形におけるもので、過去の事例に対する使用は含みません。過去における「矯正」は歴史的事実であり、その事実を記載する際にこの言葉は不可欠なものです。
※2 使用は自由と答えた方の中には―特に左利きの人で―、諦めから人それぞれ何を言ってもわからぬ人もいるし、使う人の自由にしたら、好きにしたら、という考えに落ち着いている人も少なからずいらっしゃるのでは、と推測します。
しかし、あきらめは良くない、諦めからは何も生れない、と私は考えています。
正義を振りかぶるつもりはありませんが、おかしいと思うことはおかしいとはっきり言うべきです。
意思を伝え合い、互いの立場を明らかにして初めて相手のことを理解でき、十分に話し合うことが可能になり、物事の解決につながるのだと思います。
※投票者のご意見・コメントなどは、〈左利き・プチアンケート〉 第11回「利き手(左利き)の矯正」という言葉をどう思いますか をご覧ください。
※本稿は、ココログ版「レフティやすおのお茶でっせ」より転載して、テーマサロン◆左利き同盟◆に参加しています。