さて、また今年も来ます、「左利きグッズの日」。
未だに、「日本版〈左利きの日〉レ(0)フ(2)ト(10)の日」という人もあるようですが、2009年から「左利きグッズの日」と申請、認定されています。
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左利き(の不便さ、左利きの“差別”待遇の不合理さ)について知ってもらい、左利きの人の生活環境向上のため、左利きグッズ、左手・左利き用品の普及を目指す日です。
●記念日の由来●
2008.12.28
2月10日は左利きグッズの日、日本記念日協会で認定されるより
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2015.2.10
2月10日は改称7年目の〈左利きグッズの日〉より
●左利きグッズは左利きの人だけのもの?
左利きグッズといっても必ずしも、左利きの人だけのものではありません。
私は多く「左手・左利き用品」という表現を使っていますが、要するに左用のお道具といったものですね。
たいていのものは、右利きの人が多数ゆえに、右利きの人が使いやすい形状や構造になっています。
そこで、これを便宜的に「右利き用」と称しています。
それに対して、左利きの人が使いやすいものを称して「左利き用」と呼んでいるだけです。
実際に使うのは、左利きの人が多いにしても、右利きの人が利用しないわけではありません。
実際問題としていえば、右手が不自由になった人では、特に重宝されています。
メルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
第225号(No.225) 2010/8/21「名作の中の左利き(番外編)「はさみ」岩井礼子」
http://archives.mag2.com/0000171874/20100821074000000.html
に紹介しているエッセイに登場する人物などはその一例です。
●右利きの人にこそ強い味方になる!?―「左用」道具
岩井礼子「はさみ」(「文と友だち」同人・主婦、『随筆春秋』第8号)
日本エッセイストクラブ/編
『最高の贈り物―'98年版ベスト・エッセイ集』文春文庫版(2001.8)
脳梗塞で倒れたお母さんが「左利き用のはさみ」を愛用していて、そのエピソードをきっかけに少女時代の思い出を語るという内容です。
この女性の例に限らず、実際に「左手用の道具」を使っている人は少なくないでしょう。
右利きの人が、利き手である右手を使えなくなったとき、現状のように「右用の道具」がほとんどという社会で生きてゆくのは、非常に困難を要することでしょう。
そんなときに強い味方になるのが、「左用」でしょう。
それに比べて左利きの人の場合、もし左手が使えなくなったとしても、右手用の道具は生活のすべての面で揃っているので、道具に関しては不便を感じることは少ないでしょう。
●左右両方を用意するユニバーサル・サービス制度の実現を!
「右利きさんの非常用」としても活躍する「左用」の道具をもっと充実させて欲しいと思います。
左右性のある道具や機械等(例えば、ハサミなどの刃物類・野球のグローブ等)には、すべて左右両方を用意する、もしくは製品の設計の段階から左右両用可能なものを工夫することを義務付けすることも必要かもしれません。
そういう製品の製造コストに関しては、ユニバーサル・サービス料金制(ケータイの料金に付加されているような)を導入するという手があります。
今、子供用のハサミはたいていのメーカーさんは、左右同一料金で提供しています。
これは製造コストから言えば絶対あり得ないことで、企業努力の結果(のはず)です。
右用の価格設定から左用をカバーしているか、何らかの融通をしているはずです。
単価がさほどではない場合はこれでも十分対応できるでしょうけれど、もっと高価格のものとなると一定のルールを設定しなければカバーしきれない、と思われます。
ぜひ制度化されることを願います。
●先人木を植えて後人その下に憩う
「先人木を植えて後人その下に憩う」という東洋の言葉があるそうです。
(出典を探してみたのですが、よくわかりませんでした。)
私が見つけたのは、
加藤尚武『現代倫理学入門』(講談社学術文庫 1997.2.10)
「第13章 現在の人間には未来の人間に対する義務があるか」
のなかでした。
未来の人のために、今、木を植え、憩える場所を作る。
言ってみれば、宮沢賢治の童話「虔十公園林」のようなものです。
左利きに関しても同じことが言えるのでないでしょうか。
将来生まれてくるであろう左利きの子供たちのために、今生きている私たちが、より暮らしやすい社会を作る義務があるのではないでしょうか。
加藤尚武氏は「自発的自己犠牲」という言葉を使っていました。
「左利きグッズの日」を機に考えていただきたい事柄です。
*
『オツベルと象/虔十公園林 (ますむらひろし版宮沢賢治童話集)』三起商行 (2015/7/28)
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※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より
「2月10日は左利きグッズの日」を転載したものです。
(この記事へのコメント・トラックバックは、転載元『お茶でっせ』のほうにお願い致します。ただし承認制になっていますので、ただちに反映されません。ご了承ください。)
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未だに、「日本版〈左利きの日〉レ(0)フ(2)ト(10)の日」という人もあるようですが、2009年から「左利きグッズの日」と申請、認定されています。
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左利き(の不便さ、左利きの“差別”待遇の不合理さ)について知ってもらい、左利きの人の生活環境向上のため、左利きグッズ、左手・左利き用品の普及を目指す日です。
《... 2009年、左利き用グッズコーナーを始めてから10周年を迎えるという、神奈川県相模原市の「菊屋浦上商事株式会社」が、 『左利きグッズを通じて、使いやすさの喜びと楽しさを多くの人に知って頂く記念日』になれば、との考えで「日本記念日協会」に2月10日を左利きグッズの日として申請し、... 認定されたものです。》
●記念日の由来●
《社会生活で左利きの人が感じているさまざまな道具の使いづらさ。それを解消するための左利き用グッズの普及を目指し、左利きグッズを扱う神奈川県相模原市の菊屋浦上商事株式会社が制定。日付は2月10日を0210として「0(レ)2(フ)10(ト)」と読み、レフト=左の発想から。》
2008.12.28
2月10日は左利きグッズの日、日本記念日協会で認定されるより
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2015.2.10
2月10日は改称7年目の〈左利きグッズの日〉より
●左利きグッズは左利きの人だけのもの?
左利きグッズといっても必ずしも、左利きの人だけのものではありません。
私は多く「左手・左利き用品」という表現を使っていますが、要するに左用のお道具といったものですね。
たいていのものは、右利きの人が多数ゆえに、右利きの人が使いやすい形状や構造になっています。
そこで、これを便宜的に「右利き用」と称しています。
それに対して、左利きの人が使いやすいものを称して「左利き用」と呼んでいるだけです。
実際に使うのは、左利きの人が多いにしても、右利きの人が利用しないわけではありません。
実際問題としていえば、右手が不自由になった人では、特に重宝されています。
メルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
第225号(No.225) 2010/8/21「名作の中の左利き(番外編)「はさみ」岩井礼子」
http://archives.mag2.com/0000171874/20100821074000000.html
に紹介しているエッセイに登場する人物などはその一例です。
●右利きの人にこそ強い味方になる!?―「左用」道具
岩井礼子「はさみ」(「文と友だち」同人・主婦、『随筆春秋』第8号)
日本エッセイストクラブ/編
『最高の贈り物―'98年版ベスト・エッセイ集』文春文庫版(2001.8)
脳梗塞で倒れたお母さんが「左利き用のはさみ」を愛用していて、そのエピソードをきっかけに少女時代の思い出を語るという内容です。
この女性の例に限らず、実際に「左手用の道具」を使っている人は少なくないでしょう。
右利きの人が、利き手である右手を使えなくなったとき、現状のように「右用の道具」がほとんどという社会で生きてゆくのは、非常に困難を要することでしょう。
そんなときに強い味方になるのが、「左用」でしょう。
それに比べて左利きの人の場合、もし左手が使えなくなったとしても、右手用の道具は生活のすべての面で揃っているので、道具に関しては不便を感じることは少ないでしょう。
●左右両方を用意するユニバーサル・サービス制度の実現を!
「右利きさんの非常用」としても活躍する「左用」の道具をもっと充実させて欲しいと思います。
左右性のある道具や機械等(例えば、ハサミなどの刃物類・野球のグローブ等)には、すべて左右両方を用意する、もしくは製品の設計の段階から左右両用可能なものを工夫することを義務付けすることも必要かもしれません。
そういう製品の製造コストに関しては、ユニバーサル・サービス料金制(ケータイの料金に付加されているような)を導入するという手があります。
今、子供用のハサミはたいていのメーカーさんは、左右同一料金で提供しています。
これは製造コストから言えば絶対あり得ないことで、企業努力の結果(のはず)です。
右用の価格設定から左用をカバーしているか、何らかの融通をしているはずです。
単価がさほどではない場合はこれでも十分対応できるでしょうけれど、もっと高価格のものとなると一定のルールを設定しなければカバーしきれない、と思われます。
ぜひ制度化されることを願います。
●先人木を植えて後人その下に憩う
「先人木を植えて後人その下に憩う」という東洋の言葉があるそうです。
(出典を探してみたのですが、よくわかりませんでした。)
私が見つけたのは、
加藤尚武『現代倫理学入門』(講談社学術文庫 1997.2.10)
「第13章 現在の人間には未来の人間に対する義務があるか」
のなかでした。
未来の人のために、今、木を植え、憩える場所を作る。
言ってみれば、宮沢賢治の童話「虔十公園林」のようなものです。
左利きに関しても同じことが言えるのでないでしょうか。
将来生まれてくるであろう左利きの子供たちのために、今生きている私たちが、より暮らしやすい社会を作る義務があるのではないでしょうか。
加藤尚武氏は「自発的自己犠牲」という言葉を使っていました。
「左利きグッズの日」を機に考えていただきたい事柄です。
*
『オツベルと象/虔十公園林 (ますむらひろし版宮沢賢治童話集)』三起商行 (2015/7/28)
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※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より
「2月10日は左利きグッズの日」を転載したものです。
(この記事へのコメント・トラックバックは、転載元『お茶でっせ』のほうにお願い致します。ただし承認制になっていますので、ただちに反映されません。ご了承ください。)
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