DANCIN`HEART

あなただけが 私の恋人♪
 思い出して あの浜辺を♪
ふと見交わす あなたの瞳に 
赤い太陽が 満ちあふれて♪ 

孫の笑顔

2016年10月04日 | 家族

昨日は小雨混じりの中を、娘宅へ出かけました。最近は孫の子守りで呼ばれる事が多くなりました。私にすれば嬉しい外出なので張り切って家をでました。そんな時にお留守番になるのは愛犬です。「良い子にしててね」と言いきかせて出かけるのですが、「えっ、又、お留守番なんだ~」という顔をします。8(*^o^*)そこで、いつも抱き上げてしっかりスキンシップをしてあげます。

久々に孫娘に会って驚いたのは、今まではふっくらとした赤ちゃん体型だったのに、少しスリムになって、まさしく幼児体型になっていました。もう、赤ちゃんではなくなってきたのですね。

さて、娘宅に来てチャイムを鳴らすと、娘と孫の笑顔が飛び込んできました。孫娘は私の顔を見るとリビングにある玩具をいっぱい出して、一緒に遊んでねと意思表示します。すっかり女の子らしくなってきて将来が楽しみになってきました。孫が20才になった時に、一緒にお祝いできるように、今から体調管理に努めなければと思います。(笑)前も、こんなこと書きこんでいましたよね~


お盆

2016年08月22日 | 家族

8月のお盆に、この1月に他界した義母のお墓に出掛けました。

お盆には、車を駐車するスペースがないほど車・車でいっぱいになります。

なので、例年より少し早めに娘夫婦と一緒にお墓の掃除をしました。お花を活けて線香に火を灯して手を合わせると、元気だった頃の義父母との何気ない会話だったり、笑顔などが浮かんでは消え、消えては浮かんできます。

義父母と一緒に暮らす事が出来なかっただけに、気持ちの中では悔いが残り胸が痛みます。

夫は私以上にそうだと思います。一緒に住むという選択もタイミングがあると思います。

夫の妹から、実母と住みたいという内容の手紙が私の元に届かなかったら、義母共々現在の住まいである我が家にお義母さんとお義姉さんを迎え入れたと思います。

「○○さん、やっぱり一緒に住んでくれなかったね・・・」

 お義母さんのその言葉が悲しかったです。

 


父の日に乾杯

2016年06月20日 | 家族

父の日は、長女の手作りのイタリア料理で乾杯しました。

今、仏蘭西料理の料理学校に通っているそうです。

今回はイタリア料理を作ってくれました。

お代わりしたいくらい美味でした。

 たこ入りキヌアサラダ (左上) ルイボスティー (右上)
 白桃の冷製スープ(左下) サーモンとアボカドラタトゥイユ(右下)

イタリアで人気のバーニャカウダは鍋料理のひとつで(左下)
イタリアヒエモンテ語で、バーニャはソース、カウダは熱いの意味。
今回は、鍋ではなく温野菜にしていただきました♪
ソースはアンチョビオニオンチーズ♪アンチヨビは風味も良く
美味しいので、野菜とマッチしますよね~♪
豚ヒレ肉のオーブン焼き(右端中央)

娘のバースデーにいただいたフランス産赤ワインCHATEAU DE LAMARQUE(1981)娘の生まれた年なので、その頃の事が走馬燈のように回想していきました。

娘夫婦も一児の親になったことで、親の気持ちも分かるようになってきたのでしょうね。


HAPPY MOTHER'S DAY

2016年05月09日 | 家族

 母の日に寄せて

HAPPY MOTHER'S DAY
私が今、とっても幸せでいられるのは、お母さんのおかげ。
母の日に、ありったけの愛をこめて、『ありがとう!』

学生時代に読んだ「幸福論」のなかに”心を贈り合う事が大事”だと書かれています。

幸せは回り回りって、自分自身に戻ってくるということを忘れていました。

母の日に同じような言葉を娘から聞いて、私はとても反省しました。

どちらかというと自己中心になりがちな今の私自身は、反省と共に謙虚さが必要かも知れません。

感謝の気持ちを、あらためて亡き母にも届けたい気持ちです。

最近、人生は長いようで短いと思うようになったのは年齢のせいでしょうか。

明日、どんな事が起こるのかしら?と、考えても今の時代は予想も難しいような気がします。

日々恙なく健康と食事には気を付けているつもりですが、食事のバランスなど自己中心なので

多少の偏りはどうも否めません。

娘夫婦の家で、私と夫は”母の日”を過ごしました。

  おかあさん ありがとう

今年の母の日には、何故かこの文字が目に染みたのは年齢のせいでしょうか?

最近、娘がとても優しくなったような気がします。(笑) 


バルーンバースディー 

2016年04月09日 | 家族

  

孫娘の1才のバースディーを迎えました。娘夫婦の住むマンションは我が家から車で30分くらいの所なので、まぁ、近い方でしょうか。チャイムを鳴らしてリビングに入るとカラフルなバルーンが迎えてくれました。私も夫も、その発想にびっくりしました。今、子供達の間では、バルーンが人気のようですね。そう言えば、昔、幼なかった娘や息子を連れてスーパーの中を歩いていると、イベント中だったのか赤や黄色の風船を貰った記憶が蘇ってきました。何時の時代でも子供達はバルーンが大好きですよね。

 


音楽葬

2016年03月21日 | 家族

亡くなった人を思い出す「音楽葬」とは?――専門家に具体的に聞いてみた

ひと昔前、10年は経ったと思います。当時はまだ少ない音楽葬でした。館内に入ると故人が好きだったクラッシックが静かに流れていました。音大に進まれたお孫さんが弾かれたピアノを録音したクラッシックが流れていました。私と夫、親族の後に故人の友人たちの行列が長々と続きます。驚いたのは私の家族だけではないと思います。皆に慕われていらしたのでしょうね。焼香の代わりに、百合の花を一輪持って、故人の前に置かれた箱のなかにお花を入れました。当時は、まだ馴染みのない音楽葬だったのではないでしょうか。このような音楽葬は初めての経験でしたから、とても心まに残る音楽葬でした。私も音楽葬で送られたいと思っていす。私の好きなシューベルトの”セレナーデ”・・・・残念なのは、その音楽を自分自身が聴けないのことですね。苦笑((*^▽^*):

 

 

 


今になって・・・

2016年03月07日 | 家族

義母の四十九日法要も終え、ほっと一息です。墓園に一人で眠る義父は、義母が隣に来て遅かったね~と呟いたでしょうか。先日、娘からメールが来て1才の頃の写真を見たいというので古いアルバムを開いてみると、そこに、長男(息子)を抱いて笑っている義母の写真をみつけました。その頃のことを思い出しては、懐かしさで涙が溢れてきました。今となって、もっと労ってあげれば良かった・・・もっと分かってあげれば良かったと悲しい気持ちになりました。夫は長男なので両親は私たち家族との同居願望がありましたが、まだ、若かった私たちは、同居する勇気がありませんでした。両親が他界してしまった今、私たちも何となく親の気持ちが理解できる年齢になったように思います。お花は、長いお付き合いのミク友のhinaちゃんにお願いしました。お墓用と仏壇用と(カサブランカ・蘭・匊その他)ブーケになって届いたのですが、仏壇用の写真を撮るタイミングを外してしまったので画像を載せることが出来ないのが残念です。お墓の両サイドに飾った百合の花など、とってもエレガントでした♪hinaちゃんにお願いして良かったわ。


美味しい たこ焼き

2016年03月06日 | 家族

先日、娘宅でたこ焼きを楽しみました。皆でワイワイお喋りしながら、たこ焼きを串でクルクル回して、焼けたらお皿に入れて専用のソースをかけていただきます。キャベツがいっぱい入っていると、さらに美味しい意ですね~私は、これまでにないくらいの量をいただき後に胃が痛まないかしらと気になりました。幸いに胃が絶好調です。結構heartと同じようにデリケートなんです。((*^o^*)たこ焼きをいただきながら、スティック状の野菜人参・大根・きゅうり・セロリに味噌をつけて野菜もたくさん摂る事ができました。母より娘の方が、創意工夫が感じられていつも感心しています。料理は、その時代を反映しますよね。さて昼食後は、リビングに約1ヶ月飾っていた雛人形のお片付けです。(笑)セッティングもお片付けも、じぃじ&ばぁばの出番です。((;゜ロ゜);それでもお役に立てばと私たちはセッセセッセと箱に仕舞いました。防虫剤も、新しいのに取り替えなければならないのですが、これもじぃじ&ばぁばがお店に足を運ぶことになります。(笑)笑っていられないけどね?


あの頃は

2016年02月18日 | 家族

グリーンスムージー(小松菜・パイン)

孫に会うと、すぐ抱っこしてしまいます。抱き癖がついてしまう~と娘に言われても、可愛い可愛いと抱っこです。(笑)抱っこしながら小さかった頃の娘を思います。2DKの社宅住まいで、同じ年代の人が多かったので一緒にお散歩やショッピングなどしました。何処の家もご主人様は殆ど午前様でしたから、仲良し家族と晩ご飯をご一緒したりしていい時代でした。小さなトラブルもなくはなかったけど、苦にはならなかった・・・と言うか、もう忘れてしまったのでしょうね。(笑)その頃、高度成長期を迎え、収入もそれなりにUPし、財形貯蓄でマイホーム資金を積み立てました。当時は何処の家も専業主婦ばかりで、いくつかのグループに別れるけれど楽しい子育て時代でした。


 安らかに

2016年01月26日 | 家族

12月半ばに義母が入院した事を知らせてくれたのは、同居している義妹夫婦からではなく、妹夫婦と同じ町内に住む義姉からでした。翌日、夫と一緒に入院先の病院へ見舞いに駆けつけました。〇東区にある病院へは、我が家からメトロ乗り換えで、家から駅にでるのを含めると約1時間半掛かります。義母の足首の上部がパンパンに腫れていたのは、もう、20年も前からの事でした。義父が他界してから14年になります。その間、実家のあった場所からほど近い町内に新居を構えて義妹夫婦家族と同居し今に至っています。義母がいるので、お正月とお盆には会いに行っていました。義母の12月の入院は10日前後だったと思います。お正月に挨拶をした時にはお元気そうでしたから私たちは安心していましたが、1月半ば、義母の危篤を同居の義妹からの電話で知り、翌朝、夫と一緒に病院に向かいました。12月に手術した足首上部に付いていた菌が肺に入ってしまったそうで、死因は敗血症という診断でした。老齢になるとどうしても抵抗力が落ちるので、そこに付いた菌に負けてしまうケースが多いそうです。

近所のセレモニーホールで親族だけの家族葬でした。義母の突然の他界に、何だか淋しくなりました。今となっては、もっといろんな事をしてあげれば良かったと、胸が痛みます。

お墓は、我が家の近くにある〇〇霊園なので、いつでも会えますね。お義母さん、安らかにお眠りくださいね。そう、お義父さんがお墓の中でお待ちですね~遅かったね~かしら?いつかは、私も夫も同じお墓に入るので、その時に色々とお話しできますね。。。。?