★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇フランス人演奏家によるシューマン:ピアノ三重奏曲第1番/第3番

2020-04-13 09:37:19 | 室内楽曲

シューマン:ピアノ三重奏曲第1番/第3番

        ジャン・ユボー(ピアノ)
        ヘンリ・マルケル(ヴァイオリン)
        ポール・トルトゥリエ(チェロ)

発売:1976年

LP:RVC(ΣRATO) ERA‐1098
 
 シューマンは、ピアノ三重奏曲として、第1番~第3番のほかに「幻想小曲集」の合計4曲を残している。このうち最も有名な曲がピアノ三重奏曲第1番である。これは1847年6月に、妻であるクララの誕生日を祝って書かれた曲で、メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番とともにロマン派を代表するピアノ三重奏曲に数えられている。曲は4つの楽章からなり、全体にロマンの香りが濃く漂うが、ただそれだけではなく、強固な構成力と強靭な精神性にも貫かれており、現在でもピアノ四重奏曲、ピアノ五重奏曲と並び、シューマンの人気のある室内楽曲に数えられている。特にメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番を強く意識して書かれたようで、調性も同じニ短調である。一方、ピアノ三重奏曲第3番は、1851年3月に作曲された。シューマンは、この頃精神の異常が表面化して来たこともあり、第1番で見せた起伏のある情感が、この第3番では希薄となり、現在、あまり演奏される機会はないようである。しかし、よく聴くとシューマンの内面を覗くような奥深さを感じ取ることができる曲でもある。シューマンの室内楽の年は1842年とされるが、ピアノ三重奏曲第1番と第2番は1847年に、第3番は1851年に書かれた。このLPレコードで演奏しているのは、ピアノ:ジャン・ユボー、ヴァイオリン:ヘンリ・マルケル、チェロ:ポール・トルトゥリエの3人のフランス人の演奏家である。ピアノのジャン・ユボー(1917年―1992年)は、9歳でパリ音楽院への入学し、13歳でピアノ科の首席となった俊英。1935年ルイ・ディエメ賞を獲得。ヴェルサイユ音楽院院長およびパリ音楽院室内楽科の教授も務めた。チェロのポール・トルトゥリエ(1914年―1990年)は、1930年16歳でパリ音楽院チェロ科を1位で卒業。モンテカルロ歌劇場管弦楽団、ボストン交響楽団、パリ音楽院管弦楽団の首席チェロ奏者を歴任。パリ音楽院チェロ科教授を務めたほか、指揮者としても活躍した。このLPレコードで3人は、如何にもフランス人らしい洒落たニュアンスたっぷりな演奏を披瀝する。特に3人の意気がぴたりと合い、室内楽の楽しさを味あわさせてくれる。ドイツ・オーストリア系の演奏家によるシューマンの濃厚なロマンの香りがする演奏とは異なり、さらっとした肌合いの演奏である。シューマンの室内楽曲に、違った面から光を当てたような新鮮さがその演奏からは感じ取れる。このため、その特徴は第1番より、晦渋性が強い第3番を演奏する際に、より一層効果を挙げているように感じられる。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ピエール・モントゥー指揮ウィーン・フィルのブラームス:交響曲第2番

2020-04-09 09:35:43 | 交響曲(ブラームス)

ブラームス:交響曲第2番

指揮:ピエール・モントゥー

管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

発売:1976年

LP:キングレコード GT 9068
  
 このLPレコードは、巨匠ピエール・モントゥー(1875年―1964年)が、ブラームスを指揮した録音であるところに価値がある。というのは、モントゥーはフランス人でありながら、ブラームスを敬愛し、ブラームスが晩年の頃に本人の前で演奏をしたことを終生誇りにしていたというほど。つまり生粋のフランス人でありながら、ベートーヴェンやブラームスなどのドイツ・オーストリア系作曲家の作品も得意としていたのだ。そんな指揮者のピエール・モントゥーの経歴を見てみよう。フランス、パリ出身。パリ音楽院でヴァイオリンを学び、同時に指揮活動も行う。1906年にコロンヌ管弦楽団を指揮してデビューを飾る。1911年からはディアギレフのロシア・バレエ団で指揮を担当。この時、ストラヴィンスキーの「春の祭典」「ペトルーシュカ」、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」、ドビュッシーの「遊戯」など、20世紀の名作バレエ音楽の初演を行っている。ピエール・モントゥーは、ロシア・バレエ団指揮者(1911年~1914年)を皮切りに、メトロポリタン歌劇場指揮者(1917年~1919年)、パリ交響楽団(1929年~1935年)の創立時の常任指揮者を務める。そしてボストン交響楽団音楽監督(1919年~1924年)を歴任後、1935年からはサンフランシスコ交響楽団の常任指揮者となり、同楽団の黄金時代を築く。1961年にはロンドン交響楽団の首席指揮者となり、死去するまでその地位にあった。来日時は、88歳と高齢であったが、そのときの演奏内容について、石田一志氏はこのLPレコードのライナーノートで「流麗で生気にとんだ音楽つくりは、年齢を感じさせるものではないということが、当時のもっぱらの評判であった」と紹介し、さらに「それはレコードで聴いても同様である。モントゥーの演奏は、スコアに徹底した忠実さをもってのぞむことによって、常にフレッシュであり啓示的ですらある。晩年にはとくにベートーヴェンやブラームスに名演を聴かせることが多くなった」と書いている。ブラームス:交響曲第2番がブラームスの「田園交響曲」と呼ばれるに相応しく、このLPレコードでのモントゥー指揮ウィーン・フィルによる演奏は、ロマンの香りが馥郁と漂う田園の広がりを連想させる。少しも奇を衒うことがない。しかし、その底流には、常に躍動感が漲っているので、聴いたあとの充実感は限りなく大きいのだ。このLPレコードを今聴くと、やはりピエール・モントゥーは、不世出の大指揮者であったのだなと実感させられる。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇コレギウム・アウレウム合奏団によるモーツァルト:喜遊曲第11番/第10番

2020-04-06 09:36:47 | 管弦楽曲

モーツァルト:喜遊曲第11番/第10番

室内合奏:コレギウム・アウレウム合奏団

録音:1963年、ドイツ、キルヒハイム・フッガー城、糸杉の間

LP:テイチク(ハルモニアムンディ) ULS‐3128‐H
 
 喜遊曲(ディベルティメント)は、社交会や宴会のときに、室内で独奏楽器群により演奏される音楽で、楽しい旋律に飾られ、内容も軽妙な作風の曲のことをいう。18世紀のドイツを中心に持て囃され、ハイドンやモーツァルトなどが盛んに書いた。通常4楽章以上の構成で、第1楽章はソナタ形式で書かれ、その他の楽章はメヌエットなどの舞曲が用いられる。楽器の編成は、弦楽器が中心で、それに管楽器が加わる。18世紀半ば以降は、弦楽四重奏曲や交響曲に関心が移り、喜遊曲は表舞台から徐々に姿を消すことになる。それでも後になりバルトークなどが作曲したこともあることにはあった。このLPレコードには、A面にモーツァルト:喜遊曲第11番が、B面に第10番が収録されている。モーツァルト:喜遊曲第11番は、敬愛する姉のナンネルの誕生祝いのために、1776年7月に作曲された。ナンネルは、かつて両親や弟とパリを訪れ、ヴェルサイユ宮殿で、ルイ15世の御前演奏を弟と一緒に行ったことがあり、フランスへの愛着を一際強く持っていた。このため、モーツァルトは、この喜遊曲第11番に、全体にフランス風の軽快なリズムを持たせ、同時に和やかで美しい曲調に仕上げている。全体は6つの楽章からなる。楽器編成は、弦楽4部に2本のホルン、1本のオーボエからなるところから「ナンネル7重奏曲」とも呼ばれることがある。一方、喜遊曲第10番は、モーツァルトがザルツブルで親しくしていたロードロン伯爵家の夫人、アントニアの誕生祝いのために、1776年6月に作曲された。2つのメヌエットを持った全部で6楽章からなり、楽器編成は弦楽4部に2本のホルンが加わる。当時モーツァルトは20歳で、ハイドンの弟のミヒャエル・ハイドンの影響を受けた曲とも言われる。これら2曲を演奏しているのがコレギウム・アウレウム合奏団。コレギウム・アウレウム合奏団は、1962年、ドイツのハルモニア・ムンディの録音のために組織された古楽演奏団体で、その名の意味は“黄金の楽団”。これは主な録音会場がドイツのシュヴァーベン地方にあるフッガー城の「糸杉の間」で、そのホールの構造が黄金分割になっているところから付けられたもの。メンバーはバッハ時代のガット弦の古楽器を用いており、古楽オーケストラの草分け的存在。このLPレコードでコレギウム・アウレウム合奏団員達の演奏は、古き良き時代の雰囲気を存分に醸し出している。リスナーは、あたかも18世紀にタイムスリップしたかのような雰囲気の中で、リラックスしながら2曲のモーツァルトの喜遊曲を楽しむことができる。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇カラヤン指揮ベルリン・フィルのバレエ組曲「コッペリア」/「レ・シルフィード」

2020-04-02 09:40:47 | 管弦楽曲

ドリーブ:バレエ組曲「コッペリア」
ショパン(ダグラス編曲):バレエ組曲「レ・シルフィード」

指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン

管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

LP:ポリドール(ドイツ・グラモフォン) 2535 189
 
 バレエ「コッペリア」は、ホフマンの短編小説「眠りの精」を基にドリーブが作曲し、1870年5月25日にパリのオペラ座で初演された。舞台となるのは、ハンガリーとポーランドの国境地帯にあるガリヴァという街。人形つくりのコッペリウスは、コッペリアと名付けた若い娘の人形をつくって2階の窓際に置いておいたことから物語が始まる。最後には、コッペリアの身代わりになったスワニルダが人形つくりの仕事部屋をめちゃくちゃにして、恋人のフランツと逃げて行く、というのが筋書き。ドリーブ(1836年―1891年)は、バレエ音楽や歌劇で知られるフランスの作曲家で“フランス・バレエ音楽の父”とも呼ばれている。ドリーブ:バレエ組曲「コッペリア」は、全編が美しいメロディーで覆い尽くされた実に楽しい管弦楽組曲で、「前奏曲とマズルカ」「情景とスワニルダの円舞曲」「チャルダッシュ」「情景と人形の円舞曲」「バラードとスラヴ民謡の変奏曲」からなる。難しい理屈などはこの際は棚上げして、リスナーは、ただただドリーブの音楽のマジックの虜になる。一方、ショパン(ダグラス編曲):バレエ組曲「レ・シルフィード」は、もともとグラズーノフがショパンのピアノ曲を基に管弦楽に編曲した「ショピニアーナ」が下敷きとなり、これに数人の作曲家が徐々に手を加え(編曲)、「レ・シルフィード」という名称で上演され、人気バレエとして定着することになる。ここでは、ロイ・ダグラス(1907年―2015年)による編曲が使われている。「前奏曲(原曲:作品27の7の前奏曲)」「円舞曲(作品70の1の円舞曲)」「マズルカ(作品33の2のマズルカ)」「マズルカ(作品67の3のマズルカ)」「前奏曲(作品27の7の前奏曲)」「円舞曲(作品64の2の円舞曲)」「華麗なる円舞曲(作品18の1)」からなっている。管弦楽演奏で原曲であるショパンのピアノ曲を聴くことは、ショパンの別の顔を見るようで誠に興味が尽きない。この曲も、ショパンの美しくも華麗なメロディーが凝縮され、聴いているだけで夢心地に陥ること請け合いの曲である。このバレエ組曲を代表する2曲を演奏しているのが、ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908年―1989年)指揮ベルリン・フィルである。このLPレコードを聴いてみると、曲の組み立て方が、細部にわたって実に緻密なことに驚かされる。カラヤンが思い描く音が、ベルリン・フィルに全て吸収され、混じりけのないピュアな音として再現されてるのだ。このLPレコードは“帝王カラヤン”の面目躍如そのものの録音である。(LPC)

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