ふと女神のガイダンス。出たカードはマート。
エジプトの誠実、公平、正義を司る女神様。
マートが持つ駝鳥の羽根は真理の象徴とされ、
死者の魂を量るため、天秤の皿の一方に置かれたそうです。
マートは、ビジネスや個人的な人間関係で公平に扱われ、
尊重されるように守ってくれる女神であるそうです。
女神マートは当時助けられたようなこともあって、それからすごく好きになりました。
カードのイラストも好みです。
マートのカードを見ていたら、小さい頃のことを思い出しました。
小学校三年生のときのクラスの女子たちのこと。
クラスのボス女子的な子が、ある女の子をイジメてました。
といっても、なにかをするというわけではないのです。無視という形のイジメ。
で、ボス的女子が関わり合いのないわたしたちのグループにまで
そういうことを強要してくるのでした。
当時小学校三年生といっても、まだまだ子どもなので後先考えずに
なんだかイヤだけど、ボス女子も怖いからちょっとだけ
その子に対して、短い期間冷たい態度をとったりしたことがありました。
それだって、立派なイジメの加担なんですけどね…。
結局その事態は、担任の先生に知れ渡ることとなり、
クラスの女子たちは放課後に先生の元に集められることになりました。
その時の担任の先生は、いつもおどけていて
授業中も冗談ばっかりいっている愉快な先生でした。
ですが事態が発覚し、女子たちを放課後集めたときの、
先生の真剣な雰囲気は今でも印象に残っています。
首謀しいじめた子たちの気持ちも聞きつつ
その子に加担を持ちかけられた子たち一人一人のとった行動や
どう思っていたかも全部きいていきました。
いじめられた子がどんな思いをしていたか、
いじめられた子の気持ちを全員で共有し、
それがどんなに悲しいことかを静かに伝えてくれました。
先生はいじめた側を怒ったり責めたりしませんでした。
語気を荒げたりといったことは一切なく、
ただ真剣に、静かに一人一人の話をきいていたのを覚えています。
その真剣で静かな雰囲気が、かえっていじめた側の罪悪感に訴えかけてきました。
自分たちがしてしまったことの重大さに気づいて、
みんな泣いていました。いじめられていた子もみんな。
いじめるにいたった最初のきっかけが、
とてもささいな仲違いが原因だったことも、
先生が中に入って話すことによって明らかになりました。
わたしたち一人一人が断片しか知りえなかった
当時一人一人がどう思っていたかという気持ちを
みんなで共有し、一人一人がどう考えるかの機会を与えてくれました。
最後には自然にみんな「ごめんなさい」と謝っていました。
こういった対応って、出来そうでいて
実はすごく難しいのではないのだろうか~と今のわたしは思います。
どちらにも公平でした。
その後、いじめられていた子とわたしはなぜかすごく仲良くなりました。
でも、こういう行為って、誰かが裁いたりしなくても
因果応報で必ず自分に帰ってくるものなんですね。
そんな中途半端な形でいじめに加担したわたしは、
中学校の時、今度は自分が傷つけられる目にあいました。
いじめではなかったけれど、友達だと思ってた人から突然閉め出しをくらいました。
自分がしたものは、形を変えて巡ってくるんだなぁ、ホント。教訓になりました。
でも、一方でその時の因果が今生で巡って来てよかったなぁ…
なんても少し思います。
案外知らないだけで、過去には人を殺したこともあるかもしれないし、
それが巡って殺されたこともあるかもしれない。
そんな過去の知り得ないカルマが巡ってくるとかはゴメンなので、
学校の中でのイジメとイジメラレの形で今生で帰ってきてよかったです。
ちなみにその時のイジメを首謀した子の一人は、
今ではカウンセラーとして人のために働いていることを人づてに聞きました。
人生って不思議だなぁ。
わたしも、そういう小さい形ですが、
イジメる方とイジメられる方、どっちも体験してみて、
もうこういうのはコリゴリだと思いました。
でも、そういうどちらの気持ちも体験するのは貴重だったのかもしれません。
前にアトランティアンボトルをアートビーイングさんから購入したとき、
そのボトルに対応しているオーラソーマタロットのメッセージを見たことがありました。
その中に、「マインドで判断せず、ジャッジせず、ただあるままを受入れ聞いていく」
というような文章があって、わたしはそれがすごく好きです。
その文章を見た時、わたしもそんな風でありたいと思うようになりました。
なんとなく、公平さは、そういった質のような気がしています。
弁護士記章のひまわりの真ん中には、「公正と平等」の象徴として、
マートが持つ天秤が描かれているそうです。なんだか納得…。
マートのカードの写真を撮るときに、カードケースを台座にしようとして蓋を開けたら、
トートのカードが一番上で表になっていました。
しかも、女神のカードなのに間違ってアセンデッドマスターカードを開けてしまいました。
でも、マートとトートは夫婦なので、ちょっとシンクロを感じました。
しかし、トートのカードが「書く」だから、
やっぱりそういうカードがでると、ブログがすごく長い…。
エジプトの誠実、公平、正義を司る女神様。
マートが持つ駝鳥の羽根は真理の象徴とされ、
死者の魂を量るため、天秤の皿の一方に置かれたそうです。
マートは、ビジネスや個人的な人間関係で公平に扱われ、
尊重されるように守ってくれる女神であるそうです。
女神マートは当時助けられたようなこともあって、それからすごく好きになりました。
カードのイラストも好みです。
マートのカードを見ていたら、小さい頃のことを思い出しました。
小学校三年生のときのクラスの女子たちのこと。
クラスのボス女子的な子が、ある女の子をイジメてました。
といっても、なにかをするというわけではないのです。無視という形のイジメ。
で、ボス的女子が関わり合いのないわたしたちのグループにまで
そういうことを強要してくるのでした。
当時小学校三年生といっても、まだまだ子どもなので後先考えずに
なんだかイヤだけど、ボス女子も怖いからちょっとだけ
その子に対して、短い期間冷たい態度をとったりしたことがありました。
それだって、立派なイジメの加担なんですけどね…。
結局その事態は、担任の先生に知れ渡ることとなり、
クラスの女子たちは放課後に先生の元に集められることになりました。
その時の担任の先生は、いつもおどけていて
授業中も冗談ばっかりいっている愉快な先生でした。
ですが事態が発覚し、女子たちを放課後集めたときの、
先生の真剣な雰囲気は今でも印象に残っています。
首謀しいじめた子たちの気持ちも聞きつつ
その子に加担を持ちかけられた子たち一人一人のとった行動や
どう思っていたかも全部きいていきました。
いじめられた子がどんな思いをしていたか、
いじめられた子の気持ちを全員で共有し、
それがどんなに悲しいことかを静かに伝えてくれました。
先生はいじめた側を怒ったり責めたりしませんでした。
語気を荒げたりといったことは一切なく、
ただ真剣に、静かに一人一人の話をきいていたのを覚えています。
その真剣で静かな雰囲気が、かえっていじめた側の罪悪感に訴えかけてきました。
自分たちがしてしまったことの重大さに気づいて、
みんな泣いていました。いじめられていた子もみんな。
いじめるにいたった最初のきっかけが、
とてもささいな仲違いが原因だったことも、
先生が中に入って話すことによって明らかになりました。
わたしたち一人一人が断片しか知りえなかった
当時一人一人がどう思っていたかという気持ちを
みんなで共有し、一人一人がどう考えるかの機会を与えてくれました。
最後には自然にみんな「ごめんなさい」と謝っていました。
こういった対応って、出来そうでいて
実はすごく難しいのではないのだろうか~と今のわたしは思います。
どちらにも公平でした。
その後、いじめられていた子とわたしはなぜかすごく仲良くなりました。
でも、こういう行為って、誰かが裁いたりしなくても
因果応報で必ず自分に帰ってくるものなんですね。
そんな中途半端な形でいじめに加担したわたしは、
中学校の時、今度は自分が傷つけられる目にあいました。
いじめではなかったけれど、友達だと思ってた人から突然閉め出しをくらいました。
自分がしたものは、形を変えて巡ってくるんだなぁ、ホント。教訓になりました。
でも、一方でその時の因果が今生で巡って来てよかったなぁ…
なんても少し思います。
案外知らないだけで、過去には人を殺したこともあるかもしれないし、
それが巡って殺されたこともあるかもしれない。
そんな過去の知り得ないカルマが巡ってくるとかはゴメンなので、
学校の中でのイジメとイジメラレの形で今生で帰ってきてよかったです。
ちなみにその時のイジメを首謀した子の一人は、
今ではカウンセラーとして人のために働いていることを人づてに聞きました。
人生って不思議だなぁ。
わたしも、そういう小さい形ですが、
イジメる方とイジメられる方、どっちも体験してみて、
もうこういうのはコリゴリだと思いました。
でも、そういうどちらの気持ちも体験するのは貴重だったのかもしれません。
前にアトランティアンボトルをアートビーイングさんから購入したとき、
そのボトルに対応しているオーラソーマタロットのメッセージを見たことがありました。
その中に、「マインドで判断せず、ジャッジせず、ただあるままを受入れ聞いていく」
というような文章があって、わたしはそれがすごく好きです。
その文章を見た時、わたしもそんな風でありたいと思うようになりました。
なんとなく、公平さは、そういった質のような気がしています。
弁護士記章のひまわりの真ん中には、「公正と平等」の象徴として、
マートが持つ天秤が描かれているそうです。なんだか納得…。
マートのカードの写真を撮るときに、カードケースを台座にしようとして蓋を開けたら、
トートのカードが一番上で表になっていました。
しかも、女神のカードなのに間違ってアセンデッドマスターカードを開けてしまいました。
でも、マートとトートは夫婦なので、ちょっとシンクロを感じました。
しかし、トートのカードが「書く」だから、
やっぱりそういうカードがでると、ブログがすごく長い…。