旅してマドモアゼル

Heart of Yogaを人生のコンパスに
ときどき旅、いつでも変わらぬジャニーズ愛

ウィーン 2005年11月1日「旅のおわり」

2006-01-24 | 海外旅行記(2001~2005年)
美しき青きドナウ・・・

その優美な姿を讃える曲まで作られたドナウ川まで足を伸ばすのは、ちょっと時間もなくて断念したのですが、シティ・エア・ターミナルのあるウィーンミッテ駅まで歩くついでに、そこからメトロでドナウ運河近くの駅へ。
シャッターを切ってすぐにホテルへと戻りました・・・
国立オペラ座のチケットが届いてない!と一騒動のあったチェックインとは正反対に、スムーズにチェックアウトが終わり・・・

スーツケースを手に、ヴァイフブルクガッセ駅へ。
そして一駅隣のウィーンミッテ駅でチェックインを済ませて、ユーロの所持金の関係上、シティ・エアポート・トレイン(片道9ユーロ)を利用せずに、国鉄Sバーン(たしか5ユーロだったような・・・)でウィーン空港へ。


空港へ向かう車窓からウィーン市街地の風景をぼんやりと眺め、旅の終わりを偲びつつ、でも心を満たす充実感に「やっぱり来てよかった」と思いましたよ。
薬を服用しながらで体調も万全というわけではなく、それゆえ精力的に歩き回ったとは言えず、行きたかった場所(ブダペストとか)を断念したりもしましたが、それでもウィーンそのものを存分に堪能できたという満足感でいっぱいでした。

とはいえ・・・この旅で病気が治ると思ったのは勘違いでした(その証拠に旅のあとは抜け殻状態になってました・・・)。あうー
でもあの日あのとき、ウィーンでは何の懸念もなく旅を心から楽しんでいたなーと今になって振り返って思います。そして、ピアノのレッスンをこうして楽しんでいるのも、ウィーンへの旅があったからではないかと思うわけデスよ。

ふと思うと、ここ数年は何かから逃げるために旅をしていたような気がするんだな。
それは気分転換、というものではなくて、現実逃避、に近いような。
だから日本に戻ってくるのが辛くて辛くてたまらなかった。
今回の旅では、そんな不安な気分は湧いてこなかった。
日本へ向かう飛行機の中で、自宅(のベッド)を懐かしいと思ったのも久しぶりだったですよ。(ホームシックとは違いますよ?)

やっぱり旅は心(しん)から楽しまなくっちゃねー
と、当たり前のことに気付いた旅でもありました。

おわり。

ウィーン 2005年10月31日「アルベルティーナ美術館」

2006-01-22 | 海外旅行記(2001~2005年)
ウィーン最後の訪問場所になりました「アルベルティーナ美術館」
もとはハプスブルク家の宮殿で、マリア・テレジア女帝が可愛がっていた妹の夫であるアルベルト・フォン・ザクセン・テシェン公爵が、この美術館コレクションの創始者です。
アルベルティーナの名称も公爵の名前に由来しています。
デューラー、ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロ、ルーベンス、レンブラント、エゴン・シーレといったルネサンス期から近現代までの絵画作品が、膨大な数でコレクションされている見逃せない美術館。
宮殿そのものが美術館になっているので、館内も豪華絢爛。
でも、リヒテンシュタイン、ベルヴェデーレ、美術史博物館・・・どこも宮殿を美術館にしているので、だんだん内部の記憶はゴッチャになってきて・・・
あの絵はどこで見たんだっけ???状態です。(苦笑)

ウィーン最後の夜は再び楽友協会へ。モーツアルトコンサートです。
滞在中ずっと食べたいなーと思っていたホテルのシアタープレートで夕食を済ませ、いざムジークフェラインへ。
このコンサート、ウィーンのコンサートに詳しいHM氏によると、あくまでも観光客向けのコンサートなので、金を出してまで聴くようなものじゃない、というものらしい。
最初その話を聞いたときはガックリしましたが、日本でチケットを手配した後だったので、まあこれも勉強さ(?)と行くことにしました。
楽友協会に着いた途端、ああ、たしかに。
団体の観光客がワサワサ・・・(中国からの団体客とか・・・賑やかでした・・・)
クリーヴランドオケの時とは明らかに客層が違う・・・
ありゃりゃ失敗か・・・
と思ったのですが、隣席の親子らしき2人づれの白人青年がすっごーく素敵で、私好みだったので、ま、いいんじゃない?と、気分もちょっぴり晴れやかに。
杞憂していた演奏も思っていたより悪くなかったです。
何より、モーツアルトの時代の扮装でのコンサートというのが、観る方を華やかな気分にさせてくれますね。
めっちゃオススメ!はしませんが、聴いたことがある曲が数多く演奏されるということもあり、ウィーンの華やかな雰囲気を楽しむのであればピッタリではないでしょうか。
でも、あえてオススメはしませんがね。

ホテルに帰ったら、帰り支度です・・・

つづく!

ウィーン 2005年10月31日「アウグスティーナー教会」

2006-01-21 | 海外旅行記(2001~2005年)
雪ですね・・・シンシンシンシン・・・
都心では6センチも積もったとか、5年ぶりの大雪になる模様だそうです。
6~9センチで大雪というのですから、3メートルを越えた所はなんと言えばいいんでしょうかね。豪雪、ドカ雪、巨雪・・・

さて、ウィーン旅行記。
ここではまだ晩秋・・・
王宮を後にして、次に向かったのは、アウグスティーナ教会。
ここで、エリザベート皇妃シシィとフランツ・ヨーゼフ一世の結婚式が華やかに行われました。当時、花嫁のシシィは16歳。誰もがうっとりするほど美しい花嫁だったそうです。花婿のフランツは23歳。美しい花嫁を目の前に、まさに「有頂天」だったのではないかと。
マリー・アントワネットの母親としても有名な、女帝マリア・テレジアもここで結婚式を行いました。
そして娘、マリー・アントワネットがフランス王ルイ16世と結婚することが決まり、その代理人と婚約指輪の交換を行ったのもここ。
つまり、代々にわたりハプスブルク家の結婚式の舞台となったところなのです。
シュテファン大聖堂ほど大きな教会ではないのですが、王族の権威にあふれた、重厚感のある荘厳な教会です。
ヨーロッパの教会では、いろいろなコンサートが開かれていて、夏に何度か行ったことのあるフランスでは、タイミングよく訪れた教会のコンサートにぶつかったりして「ラッキー♪」ということがあるのですが、今回の滞在では、「あちゃー昨日だったか」とか「残念、帰っちゃう日だよ」という状態で、ラッキーな偶然にぶつからなかったですね。
まあ、そういうこともありますかね。初めてのウィーンなんですから。

教会をあとに、アルベルティーナ美術館へと向かいます。

つづく!

ウィーン 2005年10月31日「王宮」

2006-01-18 | 海外旅行記(2001~2005年)
ムキャーーーー!!!(のだめ?)
さっき出来上がったブログが・・・あうあう、一瞬にして消えちゃいました・・・めちゃショックやねん・・・
昨日の「学校へ行こうMAX」の岡田君のことを、熱く熱~く(しかも長かった!)語っていたのに・・・(泣)
たった2週間で中国の民族楽器の楊琴をマスターした岡田君、とにかく文句なしに素敵だったデス。
というようなことを、枝葉末節、種々雑多、大山鳴動(おい?)、とにかくなんだかテンコモリ状態だったのデス。
でもでも、言いたかったことはそれだけじゃないのデス。

音楽・・・音学・・・

・・・・・・。

ま、いいや。それはまたこんど。

気を取り直して、まだまだ続いているウィーン旅行記いってみよー!

王宮内の美術館・博物館へは訪れていましたが、やっと、王宮内そのものの見学へ。
上の写真は、王宮近くのフォルクス庭園。ここは、バラの季節に来ると、満開に咲き誇るバラを楽しめるバラ園でもあります。
写真に小さく写っている白い彫像は、シシィことエリザベート皇妃の記念像。
15歳という若さでオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ一世のもとに嫁いだエリザベートは、ウィーンの宮廷生活に馴染めず、生涯のほとんどを旅から旅の日々で過ごしたこともあって、当時のオーストリアでは今ほどの人気はなかったそうです。
旅先のレマン湖畔でアナーキストによって暗殺された時も、あまり注目を受けなかったのですが、オーストリアを代表するほどの人気になったきっかけは、日本でも宝塚や帝劇の舞台で上演されているミュージカル「エリザベート」です。
残された肖像画は、晩年の頃のものはなく、すべて若い頃の美貌を伝えるものばかり。
王宮で公開されている「皇帝居館」に飾られている肖像画の中のシシィは、今でも通用するくらいの「美人」です。
皇帝居館というだけに、シェーンブルンに負けない豪華絢爛さ。こういう所に住むってどんな気分なんだろうと庶民は思うのです。
その皇帝居館のうちの6部屋が、その名も「シシィ・ミュージアム」として2004年4月にオープン。
ここで、彼女の61年の生涯を、その短い宮廷生活と長い放浪の旅について知ることができます。
ドレスやアクセサリーなどは復元したものが展示されているんですが、肖像画に描かれている星を象った数十個のダイヤの髪飾りは、スワロフスキーが復元してるのですが、これがマジで美しー!!!
いやん、同じものが売ってたら買っちゃうよ?
と思ってたら、お土産ショップにイミテーションが売られてましたよ。
やっぱりね。
でも、スワロフスキー製ではなかったです・・・でも買っちゃいました・・・

王宮内の見所はもうひとつ。「銀器・食卓調度コレクション」。
すごいです。マジですごいです。
私は食器とか(特に高級食器)大好きで、デパートの食器売り場なども、毎回飽きるほどよく見ているんですが、そういうのが好きな人なら狂喜乱舞するほどのコレクション!
時代ごとや、用途ごとに展示されているんですが、その高価な品々と豪華さ、キラキラと眩しくて目がつぶれそう・・・
  


途中、カフェ・ホーフブルクでトルテとカフェを楽しんで。
王宮見学を堪能しましたとさ。

つづく!

ウィーン 2005年10月31日「国会議事堂」

2006-01-17 | 海外旅行記(2001~2005年)
ウィーンで過ごす最後の日を迎えました。
翌日も出発まで多少の時間はありますが、のんびり出来るわけではないので、実質この日が最終日。
行きたい所はまだまだたくさんあるけれど、欲張ってもしかたないので、まだ見ていない王宮ホーフブルクと、アルベルティーナ美術館へ行くことにしました。
さて。ホーフブルクへ向かう途中で見かけたこの建物は国会議事堂。
このギリシャ神殿風の建物は、1873年から1883年にかけて(足掛け10年!)建てられたものです。議事堂の正面には、アテネの泉と知恵の女神が立っています。えーっとどこだ?
見学のガイドツアーもあるらしいのですが、なにしろ時間がないので・・・素通り。

えっと。今日はここまで。

つづく!

ウィーン 2005年10月30日「ハウス・デア・ムジーク」

2006-01-13 | 海外旅行記(2001~2005年)
ワスレテマシタ……
やっぱり、1ヶ月以上も経つと記憶が曖昧になるもんです。
シュテファン大聖堂から新王宮までの間に、ここを訪れてました。
大聖堂からオペラ座の途中にある「ハウス・デア・ムジーク」(そのまま略すと音楽の家とでもいいますか)
ちなみに、この写真は話とは別に関係ないです。ウィーンのイメージ写真のようなもので(笑)
セピアモードで撮ったのですが、雰囲気がよく出ていて気に入ってます。
てなわけで。
ここハウス・デア・ムジークは、ウィーンフィルの歴史や著名な音楽家たち(モーツアルトやベートーヴェン、シューベルトのほかマーラーなども)について学べるほか、音楽体験ができる博物館。
音楽家の紹介は各部屋ごとに分かれていて、ハンディフォンで聞けるようになっていますが、ここもやはり日本語対応のものはなくて英語を選ぶしかないんですねー。
パリではベルサイユやルーブルなど日本語対応がかなり充実しているのに対し、ウィーンでは著名な施設でもほとんどないことに思いがけない感じを受けました。
最近、個人旅行が主流になってきたとはいえ、今回のウィーン行きの飛行機に中高年の団体客が多く搭乗していたことを思うと、パリと比べてウィーンの日本人個人旅行者はまだまだ少ない、ということでしょうか。
話を戻します。
ハウス・デア・ムジークでは、一番最後にウィーンフィルを自分で指揮する、というバーチャル体験が出来ます。
私が到着したときは、外人客で大賑わい状態で、チャレンジする機会がなかったのですが、見た目以上に意外と難しいみたいです。
ほとんどの人が途中でアウト、最後まで演奏できたという人はいませんでした。
曲目は、シュトラウスの著名な作品から選べるのですが、その曲を最初から最後まで正確に覚えていないと、ちょっと難しいかもしれません。
でも、試してみたかったなー

この日の夜は、事前に予約をしておいたグランドホテルの「雲海」で和食を。
ここは時々、ウィーンフィルの方たちも利用されるそうです。
さすがグランドホテルに入っているだけあって、料理の盛り付けも味も逸品。
そしてさすがはグランドホテル。
トイレもゴージャス!!!(写真は撮ってません)

優雅な食事後、自分のホテルへ帰る道は一段と風が冷たかったのであった……

つづく!

ウィーン 2005年10月30日「古楽器&武器コレクション」

2006-01-10 | 海外旅行記(2001~2005年)
英雄広場を囲むように立つ弓形の建物、新王宮(ノイエ・ブルク)。
王宮に隣り合う所は国際会議場として利用されていますが、冬にシーズンを迎える華やかな舞踏会の会場としても使われています。
子供の頃は舞踏会なんて、ディズニーのお姫様たちの世界の中だけだと思ってましたが、こういう文化はずっと残していってほしいですね。

ローブデコルテを着てウィンナワルツ~♪

新王宮はまた博物館の宝庫でもあります。
民俗学博物館、エフェソス博物館、狩猟・武器コレクション、古楽器コレクション。
まずは、旅行前にオススメいただいた古楽器コレクションへ。
と思ったら、どうやら入る入口を間違えたようで、いきなり一番最後の展示室に入ってしまいました。
時代を遡って行く私……
まあ、近現代の楽器から昔の楽器へと歴史をたどるのもまた一興……

………。

でもやっぱり気持ちがわるいので、もう一度最初から見ることにしました。
10あるホールを往復。
それにしても、すばらしいコレクションです。
パンフレットによると、ここには、アンブラス城のコレクションとエステ・コレクションの楽器に、ルネサンスとバロック期の楽器が所蔵されているそうですが、弦楽器、木管楽器、鍵盤楽器の中で歴史ある古楽器が体系的に収集されていることに感動しました。
個人的にはやはり、鍵盤楽器に興味があるので、チェンバロとかハンマー・フリューゲル、ターフェル・クラヴィーアに目がいきましたね。
バロック期の楽器が展示されているホールには、スピネットの模作が置いてあって、実際に演奏することが出来ます。
ピアノよりは気軽に弾けると思うので、もしも行く機会があった場合にはお試しを。

ウィーンで知り合ったHM氏が「ピアノはベーゼンドルファーがいい!」と主張していましたが、ここにもベーゼンドルファー製のターフェル・クラヴィーアやグランドピアノが展示されていました。
ピアノといえば、カワイかヤマハ(我が家はこれ)、スタインウェイかボストン、くらいしか知らなかった私ですが、なるほど世界にはいろいろなピアノがあるのだと勉強になりました。

楽器を2度も堪能したあとは、ついでにお隣あわせの狩猟・武器コレクションへ。
言葉とおり「ついで」のつもりで見たのですが、これがなかなか面白いのです!
甲冑って、人によってイメージはいろいろあると思うんですが、誰もが描く「こんなイメージ」というのは、それほど大差ないのではないかと。
いやー。正直ここの展示を見ると感嘆します。
時代時代によって、形も大きさもデザインも装飾もバラエティにとんでいて、多種多様な甲冑があるんですよ。
たしかに、日本の戦国時代の鎧なども、身に着けていた人によってそれぞれ特徴があったり、兜などはバラエティ豊かなデザインが多くあるので、西洋の甲冑だって同じことだとは思うのですが。
それにしても、かつて日本も西洋も、こんな重い武具を身に着けて馬に乗って、弓や槍や刀や剣を振り回していたんですよねー
ギャラリーに中世の頃より行われていたシュテッヘン(騎槍試合。向かい合った騎馬上の2人が長槍で相手を突き倒す競技)の展示(等身大?よりもっと大きいような・・・)がありまして、先の尖った槍を使うためか、身に着けている甲冑がものすごく丈夫そうなんですが、馬への乗り降りが大変そう・・・
それに、馬も同じような重そうな武具を身に着けていて重そうなのですが・・・
その上にさらに重い人間が乗って・・・

ヒトもウマもタイヘンな時代だったんですねー

つづく!

ウィーン 2005年10月30日「英雄広場」

2006-01-09 | 海外旅行記(2001~2005年)
申し訳ないというかなんというか。旅行記、年越ししちゃいました。
写真をアップするのがめんどくさーい、とか、なんだかタルーい、とか
どうでもいい言い訳でグズグズと引き延ばしていた結果がコレ。
えーと、一応タイトルには2005年と入れておきました。

さて。前回どこまでだったか、自分でも忘れている始末。
確認したら、王宮庭園のモーツアルト像まででしたね。
この日、モーツアルト像を見た後は、英雄広場ヘルデンプラッツへ。
ここには、オーストリアを代表する2人の英雄の騎馬像が立っています。
トルコ戦の英雄オイゲン公と、1809年のアスペルンの戦いでナポレオンを破ったカール大公
写真はたぶん、カール大公ではないかと思うのですが、いまいち自信がありません(苦笑)

つづく!

ウィーン 10月30日「モーツアルト像」 &ほかの話

2005-12-30 | 海外旅行記(2001~2005年)
ホーフブルク王宮の庭園内にある「モーツアルト像」
王宮内にあること自体が、モーツアルトの存在そのものの「すごさ」を象徴してますね。
ま、たった35年の生涯に900曲におよぶ作品を作った偉大な方ですから。

さて。
来年2006年は、モーツアルト生誕250年。
もしかすると、ウィーンには来年行った方がよかったのか、そんな考えも頭を過ぎりましたが、そこは日本でも人気の高いモーツアルト。日本で開かれるクラシックのコンサートもモーツアルトをテーマにしたものがたくさん予定されてます。
私も5月・・・だったかな?(オイオイ)金聖響さんの指揮によるモーツアルトコンサートのチケットを手配済♪
とはいえ・・・
やはり、本場ウィーンでは、国立オペラ座では「コシ・ファン・トウッテ」や「ドン・ジョヴァンニ」「魔笛」「フィガロの結婚」と、モーツアルトの大作オペラをシーズン中に上演するのですよ・・・ちなみに「レクイエム」は第213回忌にあたる12月5日に上演するそうです。観られたらいいですよね~
それにそれに。「フィガロの結婚」を作曲したウィーンの「フィガロハウス」は2006年にリニューアルするし、ザルツブルクのモーツアルテウムにある「魔笛の家」も2006年には見学可能になるとか!
ああ、やっぱり来年行けばよかったのかーーー

なら、来年行けばいいじゃん?ってか?

つづく!

あ、ところで。

NHKの特番にフクチョがゲストで出てましたね!
今日は、年越し&正月の買い物に午後から出かけて、超ダッシュで買い物を済ませて、速攻で3時過ぎに帰宅したんだけど・・・

出るかな出るかな~♪副長はもうすぐ出るかな~♪

って、おいっ!
いつまでたっても副長が出ないじゃん!
つーか、6時30分前を切ったぜ?
もうすぐで終わりじゃねーかよ?

と思ったところへ、紅白のリハを終えたらしい山本君が!!!!
きゃーーーー!!
ああ、明日の紅白でもこのお姿を見られるなんて幸せ・・・
「最期の一日」の映像も流れましたね。懐かしい顔もチラホラと。いいですね~「微笑みの貴公子」もちゃんといますよ!
ドラマそのものでは、三谷さんらしい「会話劇」のシチュエーションに超期待。
だけど、山本君も言ってたように「泣いても笑ってもこれが最後」なんですよね・・・
「新選組!」最終回は、最初から最後まで涙でボロボロ状態だったけど(というか、最終回前の数話から毎週泣いてばかりだったな)、今回はどうなんだろうなー。
予告編を見ても、なんとなく覚めた目線の自分がいて、冷静に見られるかもと思う反面、三谷マジックにまたやられるかも、と思ったり。

三谷マジックといえば(別にマジックはいらないけど)、「最期の一日」放送日の3日!
あの~
同じ時間帯に~
見たいドラマが~
3つもあるんですけど?

なぜに、三谷ドラマがNHKとフジ(こっちは「古畑」)と重なるわけさ?
しかも、同じ出演者(フジタツ)がいるってさ?
あと「八犬伝」の後編がこの日なんですけどーーーーー!!!
ここでも同じ出演者(照英)がいるでしょー!!

ああ、八犬伝はですね、別に主演とか役者が目当てなわけじゃなくて、もともと馬琴の「南総里見八犬伝」が大好きなんですね、私。
中学?高校?の時かな(ま、学生時代)、すっごくハマりまして。たしか新聞の連載で読んだような記憶が・・・(でも違うかも)
とにかく、すぐに馬琴の原作本を買いまして、しばらくの間、八犬伝漬け状態でした。
まさかドラマ化されるとは予想にもしてなくて、懐かしい登場人物の名前にワクワクドキドキ♪ってなほどに、チョー楽しみにしてるんです!!
これで岡田君が犬塚信乃役だったら、サイコーなんだけど。(ま、タッキーでもいいんですが。見た目合ってるし。でも!!

なので、どれもDVDに残しておきたいんだけど・・・
我が家のDVDはW録が出来ない機種なんですけど!!

いいよ、いいよ
どれか2つはビデオに録画すればいいんでしょ・・・

ウィーン 10月30日「シュテファン寺院」

2005-12-29 | 海外旅行記(2001~2005年)
う、う、う、さ、寒いっ!!!
暖冬はどこへいったんじゃー!!

と、今のジャパンも寒うございますが、10月30日のウィーンも寒かった。
じつはこの日からサマータイムが終了なんだけど(時計の針を1時間戻すのを忘れると大変なことになります。時間に遅れちゃったりとかねー)、まるで天候がそれに合わせたかのように、いっきに寒くなりましたです。
とにかく風が冷たい~のさ!!

さて、その寒空の下、ホテルからテクテクとシュテファン寺院へ。

800年以上の長い歴史を誇るウィーンのシンボル、シュテファン寺院
12世紀、小さな教会が建てられたのがその始まりで、14世紀にルドルフ4世によって、現在のゴシック様式に建て替えられました。
屋根のモザイク模様が印象的。
この日は日曜日だったのでミサをやっていました。
お祈りをする人以外はミサが終わるまで中に入れないのですが、仏教徒の私、「お祈りをしに来ました」と堂々と中へ。

ミサはドイツ語で何を話しているのかチンプンカンプンでしたが、司祭の声もオルガン(左の写真はそのパイプオルガン)の音色も賛美歌も耳に心地よく、清々しい時間を過ごしました。

ミサの後に撮った寺院内部の写真。


ミサの時間も含めると、ずいぶんと長居をしました・・・

シュテファン寺院を出て、オペラ座方面へと向かいながら・・・
「今日はどこへ行こう・・・」
じつは。
旅行前は、この日曜日にブダペストへ行こうと目論んでたのですが、残り1日ではウィーンの行きたい所に行けないのではないかと思い、ブダペスト行きは断念。
「あそこはアルベルティーナ美術館だよね・・・」
悩みつつ、結局トラムに乗って王宮方面へ。
困ったときのホーフブルク状態。

つづく!