旅してマドモアゼル

Heart of Yogaを人生のコンパスに
ときどき旅、いつでも変わらぬジャニーズ愛

28 Agosto 1997 , Roma(7)

2006-07-17 | 海外旅行記(2000年以前)
夏カゼ復帰後の最初は、最後のイタリア旅行記です。

写真の場所、ローマに行ったことがなくても見たことがある人はいると思います。
映画「ローマの休日」でオードリー・ヘップバーンがジェラートを食べていたところが、ここスペイン広場のスペイン階段。

やっぱりここは外せませんね。
ヘップバーン気取りでジェラートを片手に、という写真はさすがにやめておきましたが、外国人の観光客でやってる人がいました・・・

階段の上に建つのは、トリニタ・デイ・モンティ教会。
この風景まるごとが映画でのお馴染みですよね。

こうやって旅を振り返ると、また行きたくなりますね。
特にイタリアについては、心残りがたくさんあって。
まだ訪れていない場所もたくさん。
今度は夏とは違うシーズンに訪れたいですねー

28 Agosto 1997 , Roma(6)

2006-07-11 | 海外旅行記(2000年以前)
ちょっと間が開きましたが・・・イタリア旅行記の続きです。

友だちに頼まれたプラダのグッズを買いに行ったNちゃんと、いったん別行動をとった私が向かったのは、ローマでどうしても行きたかった場所。
それがここ。Borghese Gallery ボルゲーゼ美術館。

ボルゲーゼ公園の中にある緑に囲まれた美術館。
今回のイタリア旅行の目的が“わたし的には”「美術鑑賞」だったので、ローマ屈指の美術館であるここを訪れるのは、ぜったいに外せなかったんです。
「プロセルピナの略奪」や「ダヴィデ」など彫刻家ベルニーニの傑作品はもちろん、絵画好きな私としては、ティツィアーノの『聖愛と俗愛』、クラナッハの『ヴィーナスとキューピッド』、ルーベンスやラファエロの『キリスト降架』、カラヴァッジョの『果物籠を持つ青年』……
美術図鑑で見たことのある傑作がいっぱいあって楽しみにしていました。

・・・・・・が。
私が到着した午後、閉館時間もまだ先だというのに。

「本日の受付は終了しました」

・・・ソレハドウイウコトデスカ?・・・

スタッフに確認すると「本日の入場者数に達したので打ち切り」ということらしく、どうやら入場制限をしているらしいのです。
これは、あれですかね?
閉館時間になっても、1時間前とかに入った人が粘ってウロウロされるのはとても迷惑ってことなんでしょうか。

滞在日程がもっとあれば、日を改めて出直しも出来るのですが、いかんせんこの日が最終日の私にはそれもムリな話で・・・
ガイドブックだけを買って美術館を後にしました・・・

英語もイタリア語もアカンというNちゃん、プラダでのお買い物は無事に出来たのでしょうか。
待ち合わせ場所のスペイン広場へ。

28 Agosto 1997 , Roma(5)

2006-06-30 | 海外旅行記(2000年以前)
Castel Sant'Angelo
オペラ「トスカ」の舞台でも有名なサンタンジェロ城です。

もとはハドリアヌス帝廟だった所ですが、ある年、ペストが大流行したときに、大天使ミカエルがその屋上に現れて、ペスト禍の終わりを告げた…のだそうです。
その故事から、6世紀にミカエルが現れた屋上に天使像が据えられて、今の名前がついたということです。
いまは国立博物館となっていますが、えーと…
観なかったので、どんな博物館なのか不明です。
ほかにどーしても行きたい所があったのですよ…
この限られた時間の中で。

というわけで、次回はどーしても行きたかった所をご紹介。

28 Agosto 1997 , Roma(4)

2006-06-27 | 海外旅行記(2000年以前)
そろそろ自分でも飽きてきた(笑)イタリア旅行記です。

2日目のローマは終日フリータイム。
朝からお目当てのヴァチカン美術館へ。
出来れば開館前に行くつもりだったのが、30分ほど遅れて到着……
激混み!!長蛇の列!!
出遅れたー!!
入館するまでにえらい時間がかかりましたよ…

さて、ヴァチカン美術館ですが、前日訪れたサン・ピエトロ寺院の北側に隣接してまして、歴代の法皇が収集、または巨匠らに制作させた美術品の宝庫。
中は27のスペースに分かれてまして、それらを結ぶ通路は全長11km(!)にも達するそうです。
全部歩いたらハイキング並みだよ?
ということで、ただ歩くだけじゃなくて、すべての美術品を丹念に見て回るとなると1週間はかかると言われてます。
ルーヴルと同じじゃん…
とはいえ、そんな余裕は長期休暇の取れない我々日本人にはないわけで。
ヴァチカンで「ここだけは見逃すな!」というポイントをあげると

Ⅰ.ピナコテカ(絵画館)
Ⅱ.ピオ・クレメンティーノ美術館
Ⅲ.ラファエロの間
Ⅳ.システィーナ礼拝堂

の4箇所かな。
特にシスティーナ礼拝堂は有名なミケランジェロの「最後の審判」を見ないでは、ヴァチカンを立ち去れません。

ちょうどイタリア旅行の前に、システィーナ礼拝堂のミケランジェロの絵画修復がすべて終了したこともあって、たしか日本テレビだったと思いますが、その修復作業の様子を放送していたんですよ。
長い年月に煤や埃、後世の画家の加筆などで隠されていたミケランジェロが制作した本来の色、本来の絵の姿の全貌が修復作業で表れたそのときの、目の覚めるような鮮やかな色に、本当に衝撃を受けました。
で、その関連本も買ったのですが、カラーで掲載された絵画の美しさに「実物をぜったいに見なきゃ!!」と思ってたのです。

実物とのご対面。
想像していた以上の迫力です。
写真も撮ってないので説明しにくいのですが…
礼拝堂に入った瞬間に、鮮やかな色の洪水と力強い絵画に圧倒されます。

ちなみに写真は、ヴァチカンとはまったく関係なくて…ナヴォーナ広場です。
かつて紀元一世紀末、ドミティアヌス帝が造らせた競技場だった所です。
なので、南北に細長い楕円形をした広場なんですよ。
広場中央に四大河、ナイル、ガンジス、ドナウ、ラプラタの噴水、北にネプチューンの噴水、南にムーア人の噴水があります。
四大河の噴水は、バロック期の建築家ベルニーニによる傑作です。

ちなみに、ローマの街中にはいろんな噴水がたくさんあって、どれも個性的なデザインなので、行かれる機会があったらチェックしてみるのも楽しいかと。

ナヴォーナ広場にあるバール。
ここのチョコレートジェラート「タルトゥーフォ」は人気のデザート。
ちなみにこういう外のテーブル席ではテーブルチャージを取られます。
当時知らなくて「値段違うよ!」と文句を言ってしまいました…
すぐに説明されて分かったのですが、うう情けない話です……

27 Agosto 1997 , Roma(3)

2006-06-25 | 海外旅行記(2000年以前)
「功名が辻」来週の予告に「マジでー??」と衝撃を受けつつ
今回の、同じ画面に粟根まことさんと柄本明さんの二人だけという
なんとも濃~い場面の残像が、いまだキョーレツに私の脳内を侵食中。
しかも二人で手を握り合ってたよね?ね?ね? あのシーンは笑うとこ?

さて。
気を取り直して(?)イタリア旅行記。
写真の場所は、映画などでも使われていて有名な「トレヴィの泉」。
ここで肩越しにコインを1つ投げ入れると、ローマにまた来ることができるとか。
ちなみに2つ投げると好きな人と結婚できる…らしいのですが…
ウソかもしれません
その証拠がここにいますから。

…………。

トレヴィの泉は観光名所だけあって、観光客も多いがスリも多い。

 こちらはコロッセオ。
 5万人を収容した古代ローマの巨大な円形闘技場。
 ローマ市民に娯楽を提供するために造られた闘技場で
 人と猛獣の死闘などが繰り広げられたところ。
 ローマ市民はそういうのに熱狂したんですよね。


ローマの旅、あともうちょっと続きます♪

27 Agosto 1997 , Roma(2)

2006-06-22 | 海外旅行記(2000年以前)
あと数時間後に迫った対ブラジル戦。
今日はさっさと眠って、4時前に早起きです!!

ローマのサン・ピエトロ寺院にあるミケランジェロ作「ピエタ像」
この像をモチーフにした絵画もたくさん描かれたほど有名な作品。
人気の秘密は、命絶えた我が子を抱く母親というテーマそのものより
息子キリストと同年齢にしか見えない若いマリアの姿にあると思う。
その美しく哀しみと憂いに満ちた表情。
描かれたテーマを知らなければ、恋人を失った女性の嘆きの像だ、
といってもおかしくない。

ずっと見続けていたくなるほど、その表情には心を引きつけられるのです。

ちなみに、実際のピエタ像は私が想像していたのより小さかったです。
たぶん等身大だからなのではないかと思うのですが、ちょっと意外でした。

次回はローマの街へ。

27 Agosto 1997 , Roma

2006-06-20 | 海外旅行記(2000年以前)
なんだか、いつまでもたってもイタリア旅行記ですが…
なかなか終わらないのは、合間合間にいろんな話題が入ってきては
それをいちいち取り上げてるせいだとは自分でも承知してまして。

でも、ついに最終地のローマに到着です!!
まったく自分で言うのもなんだが長い旅行記だよ?(しかも9年前の話だし)

さて、写真の場所はかの有名なサン・ピエトロ寺院。

…だったらローマじゃなくて、ヴァチカンじゃん?
…ああ、そうだね

と一人でツッコんでみたりする。

ヴァチカンは世界一小さな国家であると同時に、世界一有名なカトリック教会でもあります。
日曜や祝日には教皇宮殿のバルコニーに法皇が現われて、サン・ピエトロ広場に集まった人々に祝福を施すのであります。

テレビで皆さんも一度くらいはそんな光景を見たことがあるんじゃないかと。
……新年の、年明けの番組とかで。

ここサン・ピエトロ寺院で、何より自分のその目で見たかった有名なピエタ像の紹介はまた明日。

27 Agosto 1997 , Assisi

2006-06-18 | 海外旅行記(2000年以前)
アッシジのスペリングに「何か違うんじゃないか?」と不安を抱きつつ
そして、始まったクロアチア戦に「頼む!お願い!」と悲壮な願いを抱きつつ

とりあえず、イタリア旅行記。

スパージオ山麓の丘の上に位置する、人口約2万5千人(当時)の小さな街アッシジ。
写真を見ても分かるように、ここアッシジは坂の街です。
そして写真ではちょっと分かりにくいかもしれませんが、地元のスパージオ山から採れる淡いピンク色の石を用いた建物が並び、中世の面影が色濃く残っています。
またアッシジは、イタリアの守護聖人、聖フランチェスコの聖地でもあります。
写真の背景、丘の上にピョンと何かがそびえ建っているのが見えますかね?
見えないか。
ま、いいや。街の中央の丘の上にあるのが、城塞のような威容を誇るサン・フランチェスコ大聖堂です。
なんと、この大聖堂に日本人の聖職者がお務めされていたのですよ。大聖堂の見事なフレスコ画の説明などその方から受けました。
大聖堂をはじめ、白とピンクの石組によるファサードが印象的なサンタ・キアーラ教会、そしてアッシジの街そのものの佇まい。
この街だけが、まるでここだけ時間が止まっているかのように感じられるのです。
フィレンツェにがっかりさせられた分、この穏やかな街に心を癒されましたね。

この旅行の後です。
アッシジを大きな地震が襲ったのは。
まだ見覚えのある大聖堂のフレスコ画が崩れ落ちている映像を見たときは、すごいショックを受けました。
カンボジアのアンコールワットをはじめ、歴史遺産、文化遺産を末永く残していくことの難しさ。
人災は人々の心や努力次第でなんとか防ぐことは出来ますが、天災だけは人の力でどうなるものではないですからね。

アッシジの次は、すべての道はここへ通じる。ローマヘ。

26 Agosto 1997 , Firenze(2)

2006-06-15 | 海外旅行記(2000年以前)
イタリア旅行記、フィレンツェ編のつづき。
スケッチブックの左側、「ジョットの鐘楼」とその陰にアタマだけ見せている「花の聖母教会」の写真は、もとい、写真というか、パンフレットの切り抜き。
なぜなら、写真を撮る時間がなかったから。

フィレンツェ市内の名所を(写真を撮る余裕さえないほど)急ぎ足で見て回り、なにはさておきとばかりにウフィッツィ美術館へ。
うん、まあそれはしょうがないさ。
バカンスシーズンとあって観光客は多いし、入場制限で入るまでに時間がかかるんだから。
ウフィッツィ美術館は、この旅行での(私にとって)3本指に入る超目玉。
わざわざ日本で購入したウフィッツィ美術館の(重い)本を持ってきて、飛行機の中や移動中のバスの中で掲載されている絵画を何度も見ては、「ああ、これを目の前で見られるのかあ…」と、憧れの絵画との対面に心を躍らせていたわけですよ。
もちろん、入場するまでのこの待ち時間の合間も、本のページをくってワクワク待ちかねていたわけですよ。
…そして、待つこと2時間弱。
やっと待ち焦がれたウフィッツィ美術館の至宝の作品との出会いが!!!
…と思ったら、「見学時間が限られてますので(現地の)ガイドさんの後についていってください!ここでのフリータイムはありません!」

…な、な、なんですとーーー????

どうやらガイドさんの専門らしく、聖母子像を描いた宗教画について順を追って説明し、あとは人気の「ラ・プリマヴェーラ」と「ヴィーナスの誕生」について説明をして、そして、そして……って、おいっ!!まさか、これで終わりかよ!!

ウフィッツィ美術館の見学時間、たったの1時間。

あの長かった待ち時間の2分の1ですよ?
ていうか、日本の美術館での鑑賞だって2時間以上はかかる私にとって、1時間なんて見なかったも同然の時間。

なんだ、これ

これがツアーの宿命なのか?

素通りした部屋に見たかった絵を見つけて、出口へと向かうツアー仲間から離れて「ちょっとだけ…」と急いで見たりしたけれど、こんなのぜんぜんダメ。
ほんっとに、ほんっとに、期待はずれもいいとこで、ヴェネツィアがフリータイムが多くて楽しかっただけに、この落差にショックは大……

これに加えてホテルに対する不満もあって、このイタリア旅行を最後に、ツアー旅行をやめたのでした。

フィレンツェの不満を抱えたまま、翌日は聖地アッシジヘ。

26 Agosto 1997 , Firenze

2006-06-13 | 海外旅行記(2000年以前)
昨晩のショックからまだ抜けきれてない管理人です……
WBCのような奇跡の逆転劇を期待するだけです……

というわけで。
今日は、イタリア旅行のつづき。

ピサの斜塔を後にして同じ日の午後、花の都フィレンツェに到着。
花の都といっても、別にオランダのチューリップ畑のように、あるいはスペインアンダルシアのひまわり畑のように、花が町中に咲き乱れているわけではなく、花の都の名前は「花の聖母教会」という名称でも有名なドゥオモから来ています。(たぶん)

15世紀に開花した(おお、これも花)ルネッサンスの発祥地。
トスカーナの丘に囲まれた盆地にあり、当時のおもかげそのままの古い館や教会が建ち並び、イタリア絵画にもよく描かれる糸杉が続く郊外の丘には、メディチ家のヴィラが点在しています。
写真は詩人のダンテも好んだというベッキオ橋とアルノ川ですが、思わずセピアで撮影したくなるほどクラシックなのです。
そしてウフィッツィ美術館に代表されるように、イタリア随一のルネッサンス美術の宝庫。

…というわけで、美術好きの私にはヨダレが出るほど魅力的な街で、このときの旅行の中でも「めちゃ楽しみにしてる場所」ナンバー1,2を争う訪問地だったのですが。
ですが!
で・す・が!!

私を幻滅させたフィレンツェ滞在。そのつづきはまた明日。