6月1日に発刊された加藤シゲアキ先生の新作『傘をもたない蟻たちは』
読み終わりました!
昨日の晩、読み終わった途端、急激に眠気に襲われて、KちゃんNEWSで新曲を聴くはるか前に寝落ちしちゃいました。今朝、音源見つかった聴けたけど。
新作の感想は一言で言えば「とてもいい」(笑)
ごめんなさい。
もっといろいろありますので、本の感想はまたあらためて。
さて。
今回は、久しぶりに買った某ドル誌の10000字インタビューの話。
シゲアキ先生の「いま彼が思っていること」を知りたくて買ったんだけど… ただ、読む前から、書かれていることが想像できてしまって。
雑誌の一番最後のページに別冊のようにはさみこまれたインタビュー記事のページを、息が詰まるような苦しさを覚えながら、読み始めました。
「アイドル」「作家」という特殊な肩書を持つ彼に限らず、私たちのような普通の人でも本音と建て前のギリギリのラインで生きています。私もそう。
そして、自分の本心を他人にさらけ出すには、かなりの勇気が必要。臨床心理室のように、閉ざされた空間の中でなければ、心の奥底にあるモノを吐き出すことは難しい。
そこに綴られた「あの時」から「今」に至るまで、を読み進めながら、私の心に何度もよぎったのは懺悔という痛み。そして胸が熱くなるような感動。
私は、彼が一番苦しんでいた時に、彼に背を向けました。
背を向けたといっても、彼のファンをやめたわけではなくて。
でも、アイドルとしての自覚もなく、歌やダンスを上達しようともしないで、メンバーのいじられ役という現状に満足している彼(と当時の私は思っていた)がもどかしかった。
まだ成人すら迎えていない19歳の彼に夢中になって、ずっとずっと、何度も何度も、舞台のアンケートや何通ものファンレター(を書いたのは彼に対してだけです!)を通して、加藤成亮(当時は名前が漢字だった)がどれほど魅力的で素敵な存在であるかということ、磨けば光るダイヤモンドのような素晴らしい輝きを持っていること、彼の存在が私のパワーの源になっていること、そんな彼をこの世に送り出してくれた彼のご両親への感謝の気持ち…etcを伝えてきたのに、ライブのMCでは「自分のファンなんてここにはいない」と不貞腐れたり、花道を歩きながら、彼のうちわを手にしたファンに笑顔も見せない、目線すら向けない、そんな不遜な態度の彼の姿を見るたびに、無性に悲しくてたまらなかったものでした。
その頃ですよね、前々から好きなアイドルの一人だった横山裕が、30代直前の大人の魅力を全身から放っていることに気づいたのは。
自身の母親の死を乗り越えてソロコンサートを最後までやり遂げた横山裕には、加藤成亮には見られないハングリーさ、一人立ちした大人の落ち着き、関ジャニ∞のメンバーを束ねる包容力があって、あっという間に心を奪われてしまったのです。
無愛想なシゲと違って、ファンには笑顔を向けてくれるし、何度もファンサしてくれたし。
でも、いま振り返ると横山裕という存在は、私にとって妄想の対象でしかなかったことがわかります。
当時、このブログで毎日のように書いていた『短編小説』がまさにそれ。
そして、彼との妄想が尽きた時、私の中で少しずつ横山裕という存在が薄くなっていった。まるで、熱病が回復していくように、横山裕への熱が引いていったんです。
きっとあの時、私が夢中になっていたのは、私の妄想の中で作った『横山裕』というキャラクターだったのかもしれない。そんな気がします。
もちろん、このブログ初期の頃を振り返れば、シゲアキに対しても『シゲっと熱』とか言っちゃって、熱病みたいに浮かれている時があるんだけれど、私が彼を愛してやまなかったのは、彼の嗜好や思考回路、思想や哲学、書き綴る文章の中に散りばめられた独特な世界観。
そもそも加藤成亮を好きになったきっかけは、彼の見た目でも声でもなく、彼がかつてジャニーズwebで書いていた『吾輩はシゲである』という日記を読み始めたこと。
そこから熱病?に至る経緯?は前にも熱く語っているので省きます(笑)
でもね、横山裕に夢中になっている時も、彼を『ウチの人』(これこそ妄想の極み・笑)と呼んでは「いま何やってるのよ~」「お仕事ないの~?」とぼやいたり、「もしもシゲがこのブログを偶然前から見ていて、私の心変わりに気づいたら、これはヤバいって思って、変わってくれるんじゃないかしら?」と思っていたりしたの!
とーっても図々しいけどね。
思い上がりも甚だしいけどね。
ほんとに上から目線な酷いファンだよね。
男である彼が、今のままでいい、だなんて本当に思っていたわけがない。
なぜなら、プライドを持ち続けて生きるのが男だから。
でも、女にとってプライドは生きる原動力にはならないから、男が後生大事にするプライドの価値が理解できない。
今回の10000字インタビューを読んで、彼があの時どれほど己をメンタルで追い込んでいたのか、そして無力感に苛まれ、もがきながら、強烈なまでの後悔と焦燥感の中で、どれだけ熾烈に生きていたのか、あらためて思い知らされました。
あの頃の私は、そんな彼の苦悩を知ろうともしなくて、自分を楽に楽しませてくれる世界にどっぷり浸かっていただけ…
でも、そんな時間があったから「それでもやっぱりシゲが好き!」と、素直に戻ってこられたと思うのです。
そして離れていた間に、彼は私がかつて彼にはこうあってほしいと願っていた人に生まれ変わって、表舞台に戻ってきてくれました。
『人は変わる、いつだって変われる』
どん底から自分の力で、自分にしか出来ないことを探して、見出して、それを自分の強みとするために、どれほど多くの努力をしてきたんだろう。
どれほど強く拳を握りしめて、歯を食いしばって、自分を叱咤激励してきたんだろう。
復活ライブの秩父宮ラグビー場で、初めてみる弾けるような笑顔で、一人ひとりのファンに向けて途切れることなく手を振る彼の、ひたむきな姿を見た時は、ただただ嬉しかった。
辛かったあの体験を経て、いろいろ思うこともあって、生まれ変わったんだなぁと涙が溢れて止まらなかった。
そして今、今回のインタビューを読みながら、彼が抱えてきた、そしてこれからも抱え続けるだろう「痛みの記憶」と、それを凌駕するために積み上げてきた努力が、加藤シゲアキを本物のダイヤモンドにしたんだろうなぁと、胸が熱くなって、泣けてくるんですよね…
ところで、今回のインタビューの中で、シゲアキが「俺は小山にとって頼れる参謀になろうかなって思った」(ちょっと文面違うけど)という言葉に、むちゃくちゃ激萌だったんですけど!!
究極のコヤシゲ萌!!
というか、この二人が共に歩んできた時間の流れを思うと、ウルウルしてしまうの…
若い2人の激動の歴史があって、そして今ここで彼が「小山の参謀で」って言葉を出したことに、彼の器の大きさとホットでクールな横顔を感じて熱くなる。
実はこの後、どうしても読みたくなってポチッとな購入した1号前のけーちゃんの10000字インタビューを読んだら、ここでもコヤシゲ愛が!
けーちゃんを支えてくれた人は家族も含めていろいろいたけれど、「唯一ずっと寄り添って支えてくれたのはシゲ」って言葉が。
やだやだ、もう泣くしかないじゃん!!
読む順番が逆になっちゃったけど、この言葉を受けてからの、シゲの「俺は参謀」発言かと思うと、この二人の関係ってとことん最高すぎる!!と思うのです。
てか「参謀」って響きがカッコよすぎる!!
本当にコヤシゲが好きだ
そしてコヤシゲが土台となって支えている4人のNEWSが好きだ
とりとめもなく、だらだらと語ったけど
無駄に長文だけど
私はね、もう、彼が表舞台でキラキラ輝いているのをただ見つめているだけでいいです、満足です。
とはいったものの…
彼の頭の片隅に、微かな微かな記憶でいいから、「昔いっぱいファンレターをくれた人がいたなぁ」くらいは覚えててほしい。
と、思うのはワガママかしら?(笑)