そろそろ寝よう、そう思って私はテレビの電源を消した。
液晶画面が暗くなると同時に、夜の静けさが室内を支配する。
が、しかし、まるでそのタイミングを図っていたかのように、携帯が音を立てて震えた。
(なんやねん。またFighting Man流れたで。嫌がらせか?)
「ちゃんと登録してるよ。3曲は入ってるはずなんだけど」
(俺、悪いけど、いっちども聞いたことないで。もう、俺、めっちゃ気分悪いわ)
「自分から掛けてきて何勝手なこと言うてんの」
(もう登録消せや、それ)
間髪入れずに「ヤダ」と一言で答えた私に、なに即答してんねん、と彼は笑った。
(そういやブログ。恋人たちの聖地とか。なに一人でそんなとこ行ってるん)
「だって一緒に行く相手いなかったんだもん」
そんなん分かってるくせに。
「それとも、誰か相手見つけて一緒に行った方が良かった?」
(なんやそれ。んなこと言うとらんやろ。ホンマ、おまえ、ムカつくわ)
ムカつくと言いながらも、電話の向こうでは笑っているのがわかる。
(そや、明日のライブ終わったら、次の日一緒に行こか?)
そんなことが、もし本当に出来たら。
出来るはずもない夢だけど、なぜか彼が言うと、簡単に出来そうな気がしてしまう。
本当に、彼にその気があるなら…
「残念でした。月曜はお昼前に帰るの」
嘘をついた。
久しぶりに彼と一緒に過ごせるなら、私の帰りの時間なんて遅くなってもいいと思ってる。
でも実際は、彼の方にそんな時間などないことを、私は知ってる。
彼も私も、お互いのために、優しい嘘をついているだけ。
なのに、なんでこんなに悲しい気持ちになるんだろう。
(仕事か?)
あなたもね。「うん。ほら、年末も近いし」
(そういや、この前も毎日よう残業してたよな)
ううん。
新しい仕事が決まって忙しくなってるのは彼の方。
でも、私の前では、そんな様子は微塵も見せないけど。
少しは、忙しい、疲れた、とか愚痴を言ってくれてもいいのに。
―― 大好きな仕事、好きなようにさせてもらってんのに、辛いとか言ってたらおかしいやん。
彼はきっとこう答えるに決まっている。
本当に自分の仕事が大好きな人だから。
(そやな…そしたら何か違うことしよか)
「違うこと?」
(恋人たちの聖地に負けんようなこと)
「なにそれ」
笑ったのは私だけだった。
「どうしよかな」とか「何がええやろな」とか、彼のつぶやく声が聞こえてくる。
「いいよ、そんなん無理に考えなくても」
(…そや、おまえ明日のラストに来るんやろ?)
なんだろうと思いながら、うんと答える。
(俺、おまえに合図するわ)
「は?」
(おまえにわかりやすく合図する。ライブ中に)
彼が正直何を言ってるんだか、全然わかんなかった。
合図?なんの合図?
「よくわかんない」
(ええねん、いまわからんでも。見ればすぐわかるから)
「どんな合図?」
(それ言うたらつまらんやろ)
「だって見逃すかもしれんし」
(見逃さんように、俺だけ見とったらええやん)
いつも、君しか見てないよ。
他のメンバーが面白いことやってても、うっかり見逃しちゃうくらい、ずっと、ずーっと。
「その合図って、他の人にはバレないん?」
(…たぶん)
「たぶん?」
(いや、大丈夫)
―― 今回は、ちゃんとおまえと目合わせるから。俺から目そらすなよ
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携帯の呼び出し音で目が覚めた。
部屋の明かりを点けっぱなしで、寝てしまったらしい。
しかも、起き上がって自分の格好を見れば、昨日着ていた服のままだ。
昨日の夜は、久しぶりに最高の気分で、お酒を飲みすぎた。
携帯に手を伸ばして相手の名前を見た途端、まだ真新しい記憶が蘇って心臓が高鳴った。
でも、そんな気持ちを悟られたくなくて、私は照れ隠しに彼のネタを使って電話に出た。
「もしもし、ヘンリー?」
(…そんなんに乗っからんからな、俺は)
「ねえ、レイチェルが彼女じゃないんだね」
(…電話、切ってええか)
「ヤダ」
(おまえ、ヤダ言う時だけ迷いもなく即答やな)
彼の笑い声に包まれて、気持ちが温かくなる。
(な、わかったやろ?)
メガネをはずすタイミングのこと?と、またネタで返そうとして、でもすぐに思いとどまった。
あの瞬間を冗談になどしたくなかった。
「…うん」
(席聞いたとき、ちょうどあの曲でおまえの席の真っ正面やな、思って。わかりやすかったやろ)
「うん」
(目ぇそらさんかったな)
「うん」
うん。
私はそう答えるしか出来なかった。
あの瞬間からずっと続いている、彼と私の間の見えない絆。
儚くて、脆くて、とても傷つきやすい絆。
それを、私のうかつな一言で、切ってしまうのが恐かった。
(…あれな、昔から歌ってたけど)
「うん…」
(…あれ、歌やなくてホンマの気持ちやから)
―― 君をさがして…
受話器を持つ手が震える。
彼に伝える言葉を失った。
心が熱くて、熱くて、今にも体の中心から燃え上がってしまいそう。
お願い、このまま、時を止めて
繊細なガラス細工のような私たちの時間を、私自身が不用意な言葉でうっかり壊してしまわないように。
(なあんてな)
「…え?」
(…おまえ、いまどんな格好してるん?)
「え?え?か、格好…」
(俺、言うたやろ。どんなん疲れて酔って帰っても、ベッドに入る前にちゃんと風呂入れって。言ったやろ)
「えっ…何で、わかったん?」
大げさなため息が受話器越しに伝わってくる。
(やっぱりそうやったか。まさかとは思ったけど)
え?いまのって誘導尋問?
(もうホンマ、頼むからちゃんとしてくれ)
―― 探す相手はおまえしかいないんやから…
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うーん
やっぱり例のミラクルは、文章では説明しにくかったです。
てか、書いちゃうと、の記憶からが消えちゃいそうな気がしたんです
でも、これで、わかる人にはわかると思うんですよ。
チェリッシュで手越さんから→を受けたきゅうちゃんは特にわかると思う。
素敵な思い出を別の形で残しておきたくて、短編にしました…
いえ、スミマセン。ウソです。
たしかに「いいネタもらった」という気持ちがなかったわけじゃないです
はい、めちゃめちゃ楽しんで書きましたーっ
数少ないご愛読者のみなさま
今回の作品、いかがでしたでしょうか