(写真:尊敬する中田宏横浜市長の表紙の雑誌です) *幼少の頃に長住在住経験有
このブログを小学校時代や中学校時代の友人が大勢見ていることが判りました。
私の幼年期ですが、とにかく活発な少年でした。特に体育には優れた才能?があって、町内のソフトボール大会には小学校2年生からレギュラj-で出場していましたし、6年生の時は区大会にまで出場しました。学校が終わると、近所の公園で野球をするのが日課で、4番でサードを守る事がお気に入り。あの頃は長嶋茂雄さんがヒーローの真っ只中で、みんなサードを守りたがったり、背番号3が何人もいた時代でした。喉が渇くとチェリオ(当時50円)を飲み、駄菓子屋で仮面ライダーお菓子を毎日食べていました。学校での昼休みは45分でしたがほとんど毎日ドッジボールかろくむし(みなさんご存知ですかね)をしていた記憶があります。冬に行われた持久走大会では学年中10位入賞したりして、体育だけはオール5でした。
学級委員は大体2学期になっていた記憶があります。夏休みに先頭になって海や山で遊んで自然に親しみ、そして悪そうをしていて、新学期に学級委員になってました。
私のあだ名は「マックン」って呼ばれていたので、今だにその当時の友人は私のことをあだ名で呼んでくれます。昨日も演説会で久しぶりに再会した友人も「マックン」って呼んでくれました。40過ぎると少し照れますが・・・・・
先日「JR筑肥線」の話をしていたら、ほとんどの若い世代の人達は存在すら知らないという事実を知りました。博多駅から高宮や小笹・西新などを経由して唐津まで行くJRの単線だった記憶があります。昔は筑肥線に乗って大入や深江の海に行っていたものでした。なんとなく古めかしいキハ系の車両だったですよね。何度となく列車から人が落ちたとか、屋根の上に高校生が上ろうとしたとか話題になりました。もう昔なのですね。
最後に久しぶりに尊敬する中田宏横浜市長の語録をどうぞ
「当たり前のこと」は誰でも出来る
「当たり前のこと」をするかしないかで、時が経つほどに大きな違いが生じていく。
「当たり前のこと」で、着実に 差 が開いていく。