2022年29日(土曜日)
今日の八王子の温度予想は -1℃ 昼間は 8℃
今の外の温度は 1℃ 家の中は 13℃ 曇りの予想です
体温は 36・7 血圧は 129-81-77
酸素は 98-81
昨日の 歩数は 4623歩
昨日は一日涙が出て・・泣きたくないのに自然に涙がでて・・
11日に入院した時は「この病気で死ぬことは無いから」って言いきった
「大腸憩室出血」誰でもかかる病気ですって
先生の治療ミスだと今も思っています
出血が止まらなくてバリュウムを入れて止めたそうです
そして出血が止まったので「お粥」がでて朝とお昼をたべて夜は食べられなかった
それでも結果がいいので個室に移しますって・・・
その次の朝 4分心臓が止まったそうです
呼ばれて行った時には「心臓マッサージ 喉に穴開けて呼吸装置」
先生曰く「直して大腸を切り小腸とS字け腸を繋げたいんです」って
それだったら「もっと早く出来たんじゃない」と思いました
呼吸が苦しくなるので眠り薬を使いますって・・その時までは話ができて
弱い私の事ばかり心配して「早く帰って美味しいもの食べな」
お見舞いに行くたびに言われてて 今でも娘とお父さんの口癖だったよネ
「美味しいもの食べて帰りな」がと話します
28日の先生との話し合いでは
透析をしないとダメです 透析をしてる間にダメかもしれません
もし透析ができたとしても認知症になります
退院できたとしても車椅子の生活になります
10日までの主人は自転車に乗り走り回っていた
元気だったんだよー!
本当に元気な人だった。
あんなに元気だった人に苦しい治療を続ける事をさせられなかった
主人の兄さん 甥っ子が一緒で 甥っ子が言ったよ
「お母さんが透析したら3ヶ月もったって」
透析の途中でダメになるかもしれない とは違うと思ったんだ
それでも 毎年1月28日初不動に日に 主人の命を決めたのは 私
31日の日に行った時 介護師さん(若い男性だった)
今日は呼びかけに反応したので明日は話せるかもって言ってくれて
「僕も○○さんとは話がしたいです」 って言ってくれて 嬉しかった
次の朝呼ばれて。。玄関に入った頃に・・と看護師さんが言った
「なにもしないんですか?」って思わず言いました(´;ω;`)ウゥゥ
「何もしなくて良いと聞いてます」ってそうなんだよね
それを私が決めたんだよね
あの時透析をしていたら今も生きていたかもしれないと思うと苦しいです
「お母さんは歌が好きだから唄いな」と言い残してくれた言葉が
あったから今の私があるし皆さんから元気をいただいています
今年は「七回忌」だからあの時の事を日記に残して置きたいと思いました
もう一つ考える事はいまも続くコロナ・・
この時代に生きていなくて幸せだったのかなぁとも思います
じっとしていられる人ではなかったから 元気な人だったから
27日の八王子のコロナ感染者は 236人でした
では