龍馬伝で、
「イゾウは現代のある種の人の気持ちを代弁しているのかな」
と思ってから、
龍馬伝の中にちりばめられた、
「問題提起」「世相を斬る」的な部分を
探すようになり、より面白く感じられます。
大河に限らず、小説だろうとドラマだろうと、
私たちは自分に引き寄せる傾向があります。
小説にしてもドラマにしてもいろんな種類があり、
すっきりするもの。
笑って楽しい気分になるもの。
怖いもの。
涙がぼろぼろ出るもの。
考えさせられるもの。
などなどがあると思います。
そして「感動」にも、いろいろな色があり、
性質があるように私は思います。
「感動」を「その場限りの感動」
だけで終わらせないで、
「感動してその後考える」
ことで、その作品は
「世の中を変える」可能性すら持つ。
「ハゲタカ」ではさまざまな問題提起がされました。
それは比較的ストレートなものだったと思います。
大河ドラマで「ハゲタカ」と同じやり方は通用しない。
でも、見事に、お茶の間を
「すっきりさせ」(龍馬さんの剣術シーン)
「げらげら笑わせ」 (弥太郎とその一家!!)
「涙がぼろぼろ出て」(「かお~いくな~」)
「怖くて」
(もののけ東洋さんとか最近では怪物・容堂さん!!!)
ながらも、考えさせられる。
この「考えさせられる」ところは、
タケチさんの役割重要。
「ハゲタカ」的な問題提起、鋭い指摘は健在です。
テレビは「初めての出会い」「最初の感動」に
適したメディアです。
短い時間で感動してもらい、興味を持って貰い、
「それをぐっと自分に引き寄せて貰う…。」
そこから先はご自身が考え、
ネットや書籍で深めていくのだと思いますが。
どんなメディアでも同じですが、
本当の主役は「受け手ひとりひとり」です。
(どこかで聴いたセリフですね)
話を大河に戻すと、たぶんなんですが、
わかりやすい感動をちりばめつつ、
世相を斬る、問題提起をするということが
これから益々あるように思います。
というか、あのスタッフでそれがなければ、
私はむしろがっかりです。
そしてその問題提起は決して後ろ向きではなく、
「閉塞感を打ち破る」ようなものではないか
と私は予想しています。
「閉塞感を打ち破る」
これは志ある作り手がみんな考えていることです。
大河ドラマ「龍馬伝」ははたして時代の閉塞感に
一石を投じる、いや打ち破るような展開をみせるのでしょうか?
また、その他さまざまな、ドラマ、小説、映画などで、
そうした試みが試され、成功するのでしょうか?
そんなことを考えていたら、
「受け手としての自分自身の在り方が問われるなあ」
なんて思ったのでした。
大河に限らず、志ある作り手に敬意を表して。
「イゾウは現代のある種の人の気持ちを代弁しているのかな」
と思ってから、
龍馬伝の中にちりばめられた、
「問題提起」「世相を斬る」的な部分を
探すようになり、より面白く感じられます。
大河に限らず、小説だろうとドラマだろうと、
私たちは自分に引き寄せる傾向があります。
小説にしてもドラマにしてもいろんな種類があり、
すっきりするもの。
笑って楽しい気分になるもの。
怖いもの。
涙がぼろぼろ出るもの。
考えさせられるもの。
などなどがあると思います。
そして「感動」にも、いろいろな色があり、
性質があるように私は思います。
「感動」を「その場限りの感動」
だけで終わらせないで、
「感動してその後考える」
ことで、その作品は
「世の中を変える」可能性すら持つ。
「ハゲタカ」ではさまざまな問題提起がされました。
それは比較的ストレートなものだったと思います。
大河ドラマで「ハゲタカ」と同じやり方は通用しない。
でも、見事に、お茶の間を
「すっきりさせ」(龍馬さんの剣術シーン)
「げらげら笑わせ」 (弥太郎とその一家!!)
「涙がぼろぼろ出て」(「かお~いくな~」)
「怖くて」
(もののけ東洋さんとか最近では怪物・容堂さん!!!)
ながらも、考えさせられる。
この「考えさせられる」ところは、
タケチさんの役割重要。
「ハゲタカ」的な問題提起、鋭い指摘は健在です。
テレビは「初めての出会い」「最初の感動」に
適したメディアです。
短い時間で感動してもらい、興味を持って貰い、
「それをぐっと自分に引き寄せて貰う…。」
そこから先はご自身が考え、
ネットや書籍で深めていくのだと思いますが。
どんなメディアでも同じですが、
本当の主役は「受け手ひとりひとり」です。
(どこかで聴いたセリフですね)
話を大河に戻すと、たぶんなんですが、
わかりやすい感動をちりばめつつ、
世相を斬る、問題提起をするということが
これから益々あるように思います。
というか、あのスタッフでそれがなければ、
私はむしろがっかりです。
そしてその問題提起は決して後ろ向きではなく、
「閉塞感を打ち破る」ようなものではないか
と私は予想しています。
「閉塞感を打ち破る」
これは志ある作り手がみんな考えていることです。
大河ドラマ「龍馬伝」ははたして時代の閉塞感に
一石を投じる、いや打ち破るような展開をみせるのでしょうか?
また、その他さまざまな、ドラマ、小説、映画などで、
そうした試みが試され、成功するのでしょうか?
そんなことを考えていたら、
「受け手としての自分自身の在り方が問われるなあ」
なんて思ったのでした。
大河に限らず、志ある作り手に敬意を表して。