WIND BENEATH MY WINGS

震災後、私たちの暮らしの「あるべき姿」を考え中。持続可能で幸せな暮らしを一緒に考えていきませんか?

「人間が生きる意味」と「企業の存在する意味」

2010-05-15 22:39:08 | 企業が社会に出来ること
真面目バージョンです・笑。

企業の価値
企業の存在意義
企業の目的

についてつらつらと考えていたら、
ふと、VEフランクル氏の言葉を思い出しました。

私は「生きる意味」「人生の目的」について
考えるとき、VEフランクル立ち戻ります。

「それでも人生にイエスと言う」の中で
彼はこんなことを言っています。

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私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、
はじめから誤っているのです。
つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。

人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。
私たちは間われている存在なのです。

私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、
「人生の問い」に答えなければならない、
答を出さなければならない存在なのです。
生きること自体、問われていることにほかなりません。

私たちが生きていくことは答えることにほかなりません。
そしてそれは、生きていることに責任を担うことです。
-----------------------------------

これを企業におきかえたらどうかなって。

つまり企業は「問われている存在」だということです。

どんなもんでしょうか?

■関連投稿
VEフランクル氏から学んだこと
http://blog.goo.ne.jp/mamiko-kouhei/e/fccd206fcc2e2f8b5832b9d76cd9cb76

夜と霧 新版
ヴィクトール・E・フランクル
みすず書房

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それでも人生にイエスと言う
V.E. フランクル
春秋社

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タケチさんについて

2010-05-15 13:51:56 | 嬉しい!楽しい!面白い!ワクワク!
大河ドラマ「龍馬伝」にて、タケチさんこと武市半平太は、
よく具合が悪くなりますよね。
大殿様から褒められて倒れ、
同士の裏切りを知り倒れた。
自律神経失調気味なのかな?心配です・・・。

そんなタケチさん。
先週は、土佐に帰れば命はないかもしれないのに帰ると言います。

龍馬が泣きながら、土佐へ帰るなと、説得しているとき、
現代を生きる私は、タケチさんの運命を知りながら、
タケチさんが龍馬と海軍をつくる夢を一瞬みました。

気迫と信念に、手段を選ばない狂気、
そして脆さ、危うさを持つ、自律神経失調気味の
攘夷のリーダータケチさん。
オール・オア・ナッシングの武市。
若くして散った命は今は幕末史の一行になりますが、
今この瞬間は、まるで目の前にいるようです。
そして「こういう人って現代にもいるな」と思いました。

せつない。

現代でもお手本とされちゃう柔軟性の塊、
ファシリテーターの龍馬を、絶対に現代では通用しそうにない、
思い込みの塊タケチさんが詰るのが興味深いですね。

センス・オブ・ワンダー

2010-05-15 12:01:47 | 嬉しい!楽しい!面白い!ワクワク!
昨日、特定非営利活動法人 荒川クリーンエイドフォーラムの糸岡氏が、弊社にて、活動の説明をしてくださいました。
(荒川クリーンエイド・フォーラムの糸岡さま、伊藤さま、有難うございます)
荒川クリーンエイド スタッフブログ
http://blog.canpan.info/araclean/

荒川クリーンエイドフォーラムと「24時間テレビ」荒川クリーンエイドアクション2010」については、のちほど詳しく書きます。
糸岡氏がお話の最後に引用した、レイチェル・カーソン氏の『センスオブワンダー』について、質問を受けたので、あらためてご紹介します。

**センス・オブ・ワンダー レイチェル・L. カーソン より引用


もしも私が、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力を持っていたら、
世界中の子どもに、生涯消えることのない『センスオブワンダー=神秘さや不思議さに目をみはる感性』をさずけてほしいとたのむでしょう。

この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、私たちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤となるのです」

*********** 引用ここまで ********


センス・オブ・ワンダー
レイチェル・L. カーソン
新潮社

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化学薬品による環境汚染に警鐘を鳴らした『沈黙の春』の著者レイチェル・カーソンの遺作として、彼女の友人たちによって出版されたのが本書。

描かれているのは、彼女が毎年、夏の数か月を過ごしたメーン州の海岸と森です。
嵐の夜の海の荒々しい興奮、夏の森の散歩で出会う岩やシダ、花やコケの親しさ、潮に濡れて貝がらを拾う楽しさ。子どもと一緒に自然を探検し、発見の喜びに胸をときめかせる。ともに過ごしたロジャー(ご親族)の様子を、詩情豊かな筆致でつづっています。
このとき彼女は既に病に冒されていたと言われています。

レイチェルが最も伝えたかったのは、
すべての子どもが生まれながらに持っている「センス・オブ・ワンダー」、つまり「神秘さや不思議さに目を見はる感性」を、いつまでも失わないでほしいという願いだと、多くの人が書いています。

そして、さまざまな場所で冒頭の言葉は引用されてきました。

そして、そのセンスオブワンダーをはぐくむために私たちができることは、わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合うことだと彼女は言います。

はじめてこの本を読んだとき、ためいきが出るような深い洞察と豊かな精神だと感じました。
そして、私自身『幻滅』や『倦怠』に心が押しつぶされそうなとき、何度も自然の美しさに救われ、心にエネルギーを満たして、立ち上がることが出来たことを思い出しました。その後も、私の中の小さなセンスオブワンダーは、おそらく私を救い続けてきました。
(私にこれをさずけてくれた大人たちと妖精に感謝しています)

そんなことから、私自身の子供たちに対しても、これだけは与えつづけようと誓い、休みのたびに自然公園めぐりをしています。