疫病と人間同士の感染に関する正しい知識が広がる前、人びとは見るからに病んでいる者だけを避けていた。たとえば、頭に縁なし帽を被ったり、首に布を巻いている人は、その下にできものがあるのが明らかで、確かに恐ろしかった。ところが、身なりのきちんとした紳士が首のまわりをひだ襟で覆い、手には手袋をはめ、頭に洒落た帽子を載せ、髪も櫛で整えていると、この人には少しも不安を抱かなかった。
それにずいぶん長いあいだ、人びとは気ままに人付き合いをしていた。とりわけ近所の人たちや、前から知っている人たちには警戒しなかった。
しかしやがて医師たちが、病気の人たちだけでなく、健康な人たち、つまり健康に見える人たちも危険だと、はっきり警告を出した。しかも、自分が疫病とはまったく関係ないと思っている人ほど、助からないことが多いのだという。
これが一般に知られると、誰もが不安になったけれど、正しい指摘のようにも思われた。このころから市民が他人をなるべく避けるようになり、とても多くの人たちがみずから家に引きこもり、外に出て誰かと会うことは一切とりやめ、街なかで誰と接していたか分からない者は決して家に入れず、近づくことさえ許さなくなった。少なくとも、息がかかったり、臭いが届く範囲まで来ることは絶対に認めなかった。どうしても、知らない者と遠くから会話をしないといけないときには、必ず予防薬を口に含み、衣服にも撒いて、疫病を断固として寄せ付けないようにした。
人びとがこうした注意を払うようになると、危険に身をさらすことが少なくなり、かつて家から家を次々に襲った疫病も、彼らの家の前では勢いを失うようだった。
これは「ロビンソンクルーソー」の著者が、1665年にロンドンで起きたペストの被害を架空の語り手を用いて記録した作品。この疫病は18か月猛威を振るい推定10万人を死亡させたと言われている。
それにしても、人間のふるまいは、時代や国を問わず同じだとつくづく思う。
貧富の差でその後の運命が左右されてしまうこと、愚かな人はどこまでも愚かで無分別だということ。
勿論、どんなに注意をしていても無残に亡くなる人が大勢いたし、誰もが本当に苦しんだ。ロンドンは大火事に、戦争に、そして国内は疫病。大変な国難だったが、もはやそれも他人事ではない。
かなり厚い本だったけれど、ため息とともに読了。(;´Д`)