これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

令和維新のすゝめ (その12)

2020-11-28 20:14:22 | 改革
★★★★ 教育 ★★★★

【はじめに】
 私の持論ですが、「戦後・日本の経済が急成長した要因の一つは、個性の乏しい・従順な国民が多く、一致団結して物作りに励めたため」、逆に「バブル崩壊後に日本経済が低迷している要因の一つは、独創性に乏しい国民が多く、世界的に受け入れられる商品を作る事が出来ないため」だと思います。

(典型例 :アパレル産業) 「日本の糸偏産業はアメリカの圧力で衰退した」と私は認識しているのですが、今でも『糸』と『布』は世界的に競争力の有る製品を生産して、輸出しています。 日本では、顧客と接する営業マン/ウーマンは黒っぽい服を着用しています。 個性を主張する洋服が好まれない傾向が強いのです。その為に、世界的に受け入れられる斬新なデザインの洋服が国内で余り売れず、アパレル産業は成長出来ず、海外に打って出る事も出来ないのです。

 1980年頃の話しですが、私の勤めていた会社で、日本の大学を卒業したあとイギリスの研究所で活躍されていた女性を、当時の社長の肝いりでヘッドハンティングした事が有りました。彼女の服装は何時もド派手ででした。そして、性格と考え方が超個性的で、超酒豪でした。 あんな女性を後にも先にも見た事がありません。 日本人が個性が無く、従順なのは遺伝子のせいでは決して有りません。社会風潮と教育によるものです。 「出る釘は打たれる」社会からの脱却が必要です。

 各生徒の特性を生かして、個性豊かな人間を育てる教育に方向転換すべきです。勉強が苦にならない子供には、どんどん難しい勉強に取り組んでもらい、物作りが好きな子供はロボットでも家具でも陶器でも作る勉強をしたら良い、スポーツが得意なら・・・、歌が好きなら・・・、

【戦前と戦後の教育制度】
 明治元年は1868年で、終戦の年は1945年ですから、その間は77年間です。戦前は国が豊かに成るにつれ少しずつ、教育制度を充実させて来ました。1886年に義務教育の尋常小学校ができましたが、当時の就業年限は4年間でした。1907年から6年間になったのです。 (私の父は1901年生まれで、10歳頃に尋常小学校を中退したと言っていました。)

 戦前は種々の学校を作りました。尋常小学校以上のの学校は義務教育では無かったので、比較的裕福な家庭の子供達しか行けなかったと思われます。優秀な子供には、飛び級制度や7年制の旧制中学校を設けエリート教育をしたのです。

 戦後は、学校をシンプルな体系にしました。 「男女七歳にして席を同じゅうせず」という考え方を破棄して、男女が同じ学校で学べる様にしました。義務教育を9年間に延長しました。

 戦後75年経ち、日本は豊になり、世の中は大きく変化しました。 近年の教育の改革は内容よりも『金』絡みです。大学への補助金制度、高校の無償化などなど。 ゆとり教育、土曜日を休校にする・・・。 最優先で教育内容を見直す事が肝要だと思われませんか?

 小泉内閣の時(2003年)に国立大学法人法を制定して、国立大学を法人化しました。表向きは規制を緩和して、各国立大学に「自分達で運営しろ!」と命じたのです。 小泉氏の本音は、「これ以上、金は出せないよ、自分達で何とかしろ!」だったと思います。 学者先生達が、企業から金を集めたり、社会のニーズに合致する様に大学を改革出来るとは考えられません。

 戦前と戦後の代表的な学校を以下に整理して見ました。 紙面の都合で、専門学校等々は省略しています。 高等専門学校(高専)に相当する旧制専門学校が有りました。戦後、廃止されて近隣の大学の学部になりました。 現在の高専は1961年以降に、新たに設けられたものです。

年齢 : 現在            ;戦前
0歳 : 保育園
1歳 : 保育園
2歳 : 保育園
3歳 : 保育園/幼稚園
4歳 : 保育園/幼稚園
5歳 : 保育園/幼稚園
6歳 : 小学校           ;尋常小学校
7歳 : 小学校           ;尋常小学校
8歳 : 小学校           ;尋常小学校
9歳 : 小学校           ;尋常小学校
10歳 : 小学校            ;尋常小学校
11歳 : 小学校            ;尋常小学校
12歳 : 中学校           ;高等小学校/旧制中学校/高等女学校
13歳 : 中学校           ;高等小学校/旧制中学校/高等女学校
14歳 : 中学校           ;旧制中学校/高等女学校
15歳 : 高等学校/高専     ;旧制中学校/高等女学校
16歳 : 高等学校/高専     ;旧制中学校/高等女学校
17歳 : 高等学校/高専     ;旧制高等学校
18歳 : 大学/高専        ;旧制高等学校
19歳 : 大学/高専        ;旧制大学
20歳 : 大学             ;旧制大学
21歳 : 大学             ;旧制大学
22歳 : 大学院(修士) :旧制大学の大学院は何年と決まっていませんでした。
23歳 : 大学院(修士)
24歳 : 大学院(博士)
25歳 : 大学院(博士)
26歳 : 大学院(博士)

(余談 :高専) 高専から大学に転入したり、卒業して大学に進学する学生が多くなって来ています。 旧制専門学校から大学への転入は難しくしていました。(東京と京都帝国大学は認め無かった様です。) 現在も戦前も、専門の単位数は大学よりも多いいのです。 現在、転入希望者が多いいのは、高専卒だと出世街道に乗れない事が原因だと思われます。企業が仕事で評価せずに、高専卒を冷遇する事が根本原因です。 高専卒で大手超優良企業に入った方と話していたら、「高専卒は昇格にハンディが有る」と言われました。 私が入社した時お世話になった旧制専門学校卒の方は、数年後に重役になられ、最後は専務になられました。 私の会社では、高専卒の方の昇格は遅れていました。管理職になった方は少なかったです。

【高等学校と旧制中学校】
 私が学んだ高等学校は旧制中学校の施設を、ほぼそのまま使用していました。図書室では無くて、立派な図書館が有りました。 沢山・旧制中学校時代の図書が残っていました。 非常に黴臭かったので、数回しか旧制中学校時代の本は閲覧しませんでしたが、難しい本が並んでいました。

 旧制中学校と高等女学校の最終学年(5年生)は、現在の高校2年に相当します。戦前は16歳になる前から難しい本を読んでいたのでしょう! 「両校の学生は周辺では重んじられる存在で、卒業したら国家や地域に貢献すると自負を持って勉強していたのでは?」と想像します。

 母は1904年生まれで、一番上の姉は1930年生まれだったと思います。二人とも同じ高等女学校を卒業して、小学校の先生になりました。 昔は17歳で小学校の先生になれたのです!

 私が社会人になった1971年頃には、まだ・旧制中学校卒の方が活躍されていました。 戦争で沢山亡くなられていましたから少なかったですが、私は十人ほどの方のお世話になりました。皆さん、新制高校卒よりも凛としておられました。多分・戦争を経験された事も影響したと思われますが、知識/経験が豊富な様に見受けられました。

 「新制高校卒の方が1年間長く勉強しているのに、何故・旧制中学校卒の方が知識が豊富なんだろうか?」と不思議に思ったのですが、私の結論は「徴兵制が最大の原因だ!」です。

 現在は、徴兵制は無くなり、進学率がほぼ100%になっていますから、高校生はエリートでは無く、「心を引き締めて勉強する」環境でも有りません。 現在の高校生は、昔と比べると可愛そうな状況に置かれている様に思います。 卒業後の長い人生を楽しく/生き甲斐を持って生きられるような、高校教育に改革する必要が有ります。(勉強が嫌いな子供でも、何かを学べる様にすべきです。)

(余談 :狼の絶滅) ニホンオオカミは20世紀の初めに絶滅したと言われていますが、私の子供の頃は「狼を見た!」と言う大人がいました。(多分、噓です。) 狼は人間を襲う事も有った様ですが、猪や鹿が増えるのを抑えてくれていました。 私には、狼と徴兵制の効果は似ている様に思えます。男子は二十歳になると徴兵検査が有り、2年間の厳しい!厳しい!兵役に就かなければならなかったのです。軍隊の厳しい訓練に耐えられる様に、若者は日頃から身体と精神を鍛えておく必要が有った様に想像します。 何よりも、時間を大切に使ったのだと想像します。

【高等学校の改革】
 私の持論は、「高等学校を4年制にして、大学を3年制に戻す」です。 私達が大学の教養部で学んだ事を、高校で教えるのです。 例えば、法律です。社会人になったら誰でも法律に無関係ではおれません。 日本国憲法をジックリ教え、民法。刑法、商法、民事訴訟法及び刑事訴訟法の概要を教えるべきです。 各種産業法のタイトルだけでも学んだら、物作りの仕事に就いたら役立ちます。

 現在は公費でエリート教育をする事に反対する人達がいますが、戦前に種々の学校/コースが有り、飛び級制度が有ったり、エリートのための7年制の中学校も有りました。

 私の母校は中学校を併設しました。狙いは、大学入試対策の様です。 現在は大学の数が増えて、レベルはピンからキリまで有ります。適当に勉強していたら、どこかの大学には入れます。 入試の為の勉強よりも、『良く遊び、良く学べ』の方が重要だと思います。チャレンジ精神や創意/工夫をする事を教えるのが重要です。

 英・国・数・理・歴公が勉強の全てでは有りません。話し上手で/カラオケの旨い営業マンが大活躍した例を知っています。 5教科が駄目なら、何か得意なものを見に付けさせ、自信を持たせて学生が社会に出ていける様にすべきだと思います。

(余談 :笑い話) 超レベルの低い男子高生と女子高生が乗って来る電車で通勤していたことが有ります。大きな声で話すので、内容がハッキリ分かりました。期末試験の頃は寄席に行くより面白かったです。 一人が問題集を見ながら「江戸幕府を作ったのは誰でしょうか?、①明智光秀、②徳川家康、③豊臣秀吉」、友達が「明智光秀!」と答えるのです。 知識は無くても『あっけらかん』と話せるので、彼達と彼女達は社会に出て、活躍したと私は思います。

【大学の改革】
 戦前の大学は3年制でした。(イギリスは今でも3年制です。) 戦後は教養課程を学ばせる事にしたので、4年制になったのだと思われます。ストレートに進学した場合の、卒業時の年齢は、戦前も戦後も同じです。

 30年程前から、国立大学や有名私立大学の学卒や修士卒の、報告書が満足に書けない、基礎知識が不足している新入社員が増えてきました。私は幸いにも優秀な新入社員を回して頂いたので、問題の有る社員は一人しか経験していません。親しい管理職が、新入社員教育で毎年・毎年悪戦苦闘していました。彼が赤鉛筆で添削した報告書を出して、「これを見てくれ」と時々言いました。 表現だけで無く、『てにおは』も間違いだらけで、報告書は『真っ赤っ赤(まっかっか)』でした。

 現在の大学を『大学』と『大学院大学』に分離して、大学は学部だけにして、「学問の基礎を教える」事に徹すべきだと思います。現在の『教授、准教授、講師』などの称号を廃止して、『ティーチャー』の様な統一の称号に変えましょう! ティーチャー達には、その大学の学生達の学力を加味して、上手に教える工夫をして貰うのです。

 私が大学生だった時、字は下手くそで、声は小さく、少し東北弁が混じる教官がいました。必須科目でしたから、学生がなんとか理解しよう努力して授業に臨みました。文字通りの反面教師でした。

 文系の方の『卒論』に相当するのが、工学部では『卒業実験』でした。私はポンプの実験を選択して、ポンプの論文や本を読みました。当時、ポンプの分野の権威者と認められていた、京都大学のAT教授が活躍されていました。2000年代の初めに某中小企業に出向すると、大阪の私立大学の工学部出身の若い社員がいました。 ある時、彼とポンプの話をすると、「僕はポンプの授業は受けたけど、京大から来たトンデモナイ教授だったので、理解出来無かった」と言いました。その教授は、私が尊敬していたAT教授だったのです。AT教授は京大の時と同じ授業をしたのでは?と思いました。優れた研究者が必ずしも、優れたティーチャーでは有りません。学生のレベルに合う教え方をすべきです。

 大規模な予備校や塾では、人気の高い先生には高給を出す様です。大学のティーチャーは、(現在の論文の数では無く)上手に教える事で評価し、給与に差を設けたら良いと思います。

【医学部と医科大学の改革】
 戦前の医学部は4年制でしたが、戦後は6年制になりました。明治政府は医師を増やす事に力を入れたので、医科大学を全国に設けました。国立医科大学をベースにして国立大学が創設されました。

 教養課程を廃止したら、医学部を4年制に戻すのは十分可能だと思います。(歯学部は3年制でも良いかも知れません。) (単純に考えると、)卒業までに必要な学費を30%ほど削減出来る可能性が有ります。

 現在は医学部入試の偏差値は高いですが、その理由は医者になりたい高校生が多いいからで、医者になるために優秀な人間が要求されている分けでは有りません。 私の高校の同級生で7人が医者になりました。 一人はトップの成績でしたが、残りは私よりも高校の成績は悪かったと思います。 それでも、全員・国家試験に合格して医師を続けています。

 偏差値が高いのは、医者になりたい高校生が多いいからです。自由主義経済の一丁目一番地は「需要に委ねる」です。日本医師会の反対を無視して、医学部の定員を増やしたり、医科大学の新設を認めるべきです。 日本医師会が危惧している様に、医師の数が増加したら医師の平均所得は低下するでしょう。 少しは問題が発生するかも知れませんが、その方が自然です。

 日本の人口1,000人当たりの医者の数は『2.3人』で、先進国の中では、決して高い値では有りません。

 ある業種に従事する人達の平均所得を下げない為に、その業種に関連する大学の定員を増やさない政策は邪道です。医師だけで無く、加計問題で表面化した獣医もそうです。弁護士は大学の定員を増やしたり、国家試験向けの大学院を設けたりしましたが、国家試験の合格者数を制限しているために弁護士は相変わらず”狭き門”になっています。圧力団体の力を削ぐ事にマスコミは力を入れるべきです。(政治家は、圧力団体の票と金が欲しため、この種の改革は出来ません。)

 「防衛医科大学校の定員(現在は80名)を大幅に増やすか、新たに二、三校設けるべき」、「各都道府県に一か所以上、自衛隊病院を設け、一般患者を受け入れるべき」が私の持論です。 (現在は、中央病院・1カ所と地区病院・15カ所設けられています。)

 新型コロナの医療では、自衛隊病院の医師たちが活躍されました。将来・もっと毒性の強い感染症が発生する恐れが有りますから、厳しい訓練に耐えた自衛隊病院の医師を増やしておくべきです。 そして、日本は地震、火山噴火、台風などの災害の多いい国ですから、各都道府県に一か所以上、自衛隊病院を設け、いざという時に助けてもらいましょう!

【大学院の改革】
 大学院を大学から分離すべきです。そして、2種類の大学院大学にする案が良いと思います。 ①5年制の博士課程大学(研究者を養成する学校)。 ②2年制で、大学や高専のティーチャーを養成する学校。

 余裕の有る企業の協力を得て、大学院生に夏休み・1ケ月ほど企業実習を受けさせたら、学生の世界観が広がると思います。 (企業側にも種々のメリットが有ると私は思います。)

 ティーチャーを養成する大学院では、専攻する学問の知識を深めるだけでなく、学生のレベルを判断して旨く教える方法/技術を学んでもらうのです。 この大学院の卒業生は、民間企業から沢山求人が来ると私は予想します。


令和維新のすゝめ (その11)

2020-11-21 10:43:58 | 改革
★★★★ 教育 ★★★★

【はじめに】
 人間の能力をペーパーテストの得点で判定するのは一番簡単です。 然し、私は、「ペーパーテストで人間の能力を決めるのは間違いだ!」と考えています。人間の能力を測るのは非常に難しいです。人間には種々の能力が有ります。 A社では『能力a』が重要でも、B社では『能力b』の方が重要かもしれません。

 社会人になって重要なのは、創意/工夫の能力と臨機応変に対応出来る能力だと思います。私の持論は、「社会が要求する能力を向上する様に教育を改革すべきだ!」です。

 子供の『虐め』と大人の『パワハラ』が社会問題になっています。これらの問題を減らす方法/対策について、種々考えてきました。 自然に反する様な社会になっている事が、原因の様に私には思えるのです。

 今回は、教育についての私の持論を書きます。 繋がりの無い様な話を並べますが、結構・密接な関係が有ると私は思います。

【虐め問題】
 現在の教育の最大の問題の一つは、『虐め』に対する教育者の対応だと思います。虐めを隠蔽したり、責任を取らなかったり、・・・教育者として恥かしく無いのでしょうか?

 『虐め』は犯罪です。大昔から現在まで、子供から大人の社会にまで存在します。多分、どんな人類にも存在する犯罪だと思われます。「虐めを撲滅する」と考えるのが間違いの元」だと私は考えます。泥棒と同じで、減らす努力/工夫は大切ですが、無くす事は出来ません。

 無くせない事を、「無くせ!」と命じたら、先生達や教育委員会のお偉方は、知らぬ顔の半兵衛を決め込むか、皆で結託して隠蔽するか、・・・。 ばれたら!カメラの前で頭を下げれば済む話しです。 虐められている子供の気持ち慮ったり、虐められて自殺した子供の親の悲しみが分かる人間を教育委員、教育委員長や教育長に任命すべきです。

 もう一度書きますが、虐めは無くなりません。減らす努力を地道に続ける事が肝要です。虐められて苦しんでいる子供を、一人でも助けられたら『大手柄』です!

 虐めが増えて社会問題にまでなったのは、「学校教育に問題が有る」と考えるべきでは有りません。核家族化や、放課後に塾に通って受験勉強する事が原因だと私は思います。子供にとっての理想は『よく遊びよく学べ』です。 但し、スマホゲームをやるのは、『遊び』にカウントすべきでは有りません。

 「子供の健全な遊びとは?」を真剣に考えて、健全な遊びが出来る場所を作って子供達に提供すべきです。例えば、公園の近くに学童保育所を設けて、天気の良い日は公園で遊ばせ、雨の日は屋内で年の違う子供達で教え合って勉強する。 「種々の知恵玩具が市販されていますから、国費で学童保育所に沢山備え付ける」案はどうでしょうか?

(余談:パワハラ) 大人社会の虐めをパワーハラスメント(パワハラ)と呼ぶ様になりました。私は幸いにも田舎育ちだった為か、子供の頃は殆ど『虐めている現場』を見た事が有りません。1971年に入社して、パワハラの現場を沢山見ました。当時は「パワハラは犯罪だ!」と言う認識が無かった様に思います。

 平社員のパワハラは殆ど有りませんでしたが、課長以上になると日常的にパワハラを繰り返す人間が出て来ました。 重役待遇になったT氏は、反対の意見を言うと、「首だ!」と時々怒鳴るのです。社内規則では、上司が勝手に、部下を首にする事は禁止されていました。人事部が走り回って「首だ!」と言われた社員の出向先を探しました。(私は、T氏を出向させるべきだと思いました。) T氏には一切お咎めが有りませんでした。 パワハラは犯罪でも、処罰の対象でも無かったのです!

 私は中小企業・数社に出向しましたが、2社の社長はパワハラを生き甲斐の様にしていました。取引先の中小企業の社長にも同様の人間がいました。

 1980年頃に、私が勤務していた会社では「セクハラ防止運動」が始まりましたが、パワハラについては2005年に退職する時点でも問題視されていませんでした。

 「痴漢は犯罪です!」と書いたポスターを良く見かけます。若い女性が「お尻を触られる」のは気持ち悪いと思います。 然し、チョットしたミスで怒鳴りまくられて、次の日も怒鳴られて・・・結局、辞めた若者を十人以上見て来ました。私は『痴漢』よりも『パワハラ』の方が罪が重いと考えています。苦労して大学を卒業し、企業に入って悪辣な上司のパワハラで会社を辞めた若者を慮って下さい。

(余談:パワハラ防止法) 『労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律」(労働施策総合推進法)』が2019年に一部改訂され、俗に『パワハラ防止法』と呼ばれる様になりました。今年から大企業には適用され、2022年4月から中小企業にも適用されます。

 今回の改定は、①パワハラとは何かを定義し、②企業は対策を取りなさい、③パワハラを無くしたら貴方の会社は活性化しますよ!・・・と言う様な内容です。対策を取らない企業に対する罰則規定は書かれていません。 パワハラを繰り返す社員を罰しなさいとも書いていません。こんな法律で、パワハラが少なくなると、皆さんは思われますか?

 ①中小企業では社長がパワハラをするケースを多々見ましたが、そんな企業がパワハラ対策を真面目にするとは考えられません。 ②大企業で重役がパワハラをするのを沢山見ました。③躁病の管理職は大抵パワハラをします。 パワハラを繰り返す重役は首にすべきとか、躁病の人間を管理職にしてはならないとか、規定しない限りパワハラを減らす事は出来ません。

【昔の幼児の遊び相手】
 昔の田舎では、三世代家族が多かったので、幼児の面倒は 爺婆(祖父祖母)の仕事でした。小学生が下校すると、集落の(他人の家の)幼児達を含めて一緒に遊びました。 お墓と氏神さんの草引き、田圃の畔の野焼きは集落の子供達でやりました。 小学校の高学年になると、結構責任が重かったのです。

 私の故郷には高等小学校は無かったので、戦前は尋常小学校を出たら、殆ど村を出たか、山林労務者になったのだと思います。(高等小学校は現在の中学校に相当しますが、義務教育化されていませんでした。) それで、中学生が幼児達と遊ぶ習慣が無かったのだと思います。 然し、夏・川で泳ぐ時は、中学生も幼児の面倒をみました。

  戦後・まだまだ田舎の女性達は和服が主流でした。 和服の洗濯は大変です。 一度・糸を外し→洗濯し→干し→縫って仕立てるのです。 竈でご飯を炊いた事が有りますか? 「初めちょろちょろ、中ぱっぱ、赤子泣いてもふた取るな」と言う様に、薪(火力)の調節が必要です。 現在は、米を洗って、炊飯器のスイッチを入れたら御飯が炊けます! 他にも、田植え→草引き収穫→脱穀、畑の野菜の手入れ、牛にやる草を刈る・・・等々の仕事が有り、主婦達には幼児の世話をする時間が無かったのです。 1950年代の後半から家庭電気製品が普及する様になり、主婦の仕事が楽になって来ました。 然し、その頃から、私の故郷では男達が出稼ぎに出る様になって、主婦は益々忙しくなりました。

 都会の主婦たちは、家庭電化製品のお蔭で、幼児の相手をする十分な時間が持てる様になりました。昔は子供を数人育てましたが、家事が楽になると(皮肉な事に、)少子化が始まりました。 子供に手が掛からなくなった奥さんの一部は、韓流ドラマに嵌って韓国まで追っ掛けたり、愛人を作ったり、良からぬ事に時間を使う様になったのです。

 人類の長い歴史の中で庶民の奥さんが『専業主婦』でおれるのは、現在だけです。家事と言う仕事が殆ど無くなっていますから、「奥さんは家の外で仕事を見付けるべきだ!」と考えます。

(余談) 知り合いの家に50歳代の女性が月2回、料理を作りに通っています。彼女は真新しい、500万円以上する電気自動車(EV)に乗っています。パートの給料で買ったそうです。 韓流ドラマに嵌って、年に何回も韓国に出掛けていた様ですが、「コロナのせいで今年は行けない」と不満そうでした。 「ひいきの俳優を追っかける為に、途中で充電しないで東京まで走れる車に買い替えた」と言っていました。「旦那さんは文句を言いませんか?」と聞くと、「旅行費用は全て私の稼ぎだから、文句は言わせない!」と言いました。

(余談 :椿の葉巻タバコ) 紀州の山奥の私の故郷では、主婦の多くがタバコを吸っていました。椿の生の葉を筒状に巻いて、キセル用の刻みタバコを詰めるのです。日に一、二回、数人集まって『井戸端会議』ならぬ『椿の葉巻タバコ会議』をしていました。 それが、主婦達の楽しみだったと思います。

(余談 :集落の集会場) 私が小学校の高学年になった1966年頃に、村の補助金で集落の集会場が出来ました。プロパンガス・コンロの付いた台所とトイレが有りました。毎月一回、集落の主婦達が集まって、持ち寄った食材で昼食を作って、一日骨休みをしました。 (口を動かす筋肉は、休めるどころでは無く、酷使されましたが。) この頃から、故郷の女性達にも自由な時間が持てる様になったのです。

 日本に人間が住むようになって、庶民の女性達が天候に関係なく、皆で集まって一日楽しく過ごせる様になったのは、100年も経っていないのです。映画やドラマでは、江戸の長屋の奥さん達は何時も井戸端会議をしていますが、「実際の彼女達は結構毎日忙しかったのでは?」と思います。

 「今日は、うどんが出るから下校したら集会場においで!」と言ってくれる日は嬉しかったです。私の母は料理に砂糖を殆ど入れなかったので、集会場で食べる『素うどん』は格別に美味でした。

【小学校+幼稚園+保育園】
 幼児から小学生までは、同じ学年の子供達だけ集めて教育するのでは無くて、「週に何時間か、年齢の違う子供のクラスを作って、年長者が小さい子供に教える授業が必要だ!」と考えます。 その為には、保育園から小学校まで、一つの学校にすべきです。全国一斉は無理ですから、特区を設けて始めたら良いと思います。 過疎地なら直ぐにでも可能です。

 『情けは人の為ならず』と言いますが、人に教える事は自分の勉強を深める事にもなります。私の経験では、人に教える事は非常に難しいと思います。 『一を聞いて十を知る』ような子供は少ないですから、最初はどの子供も悪戦苦闘しながら教える事になると予想されます。 傍で見ている先生が、時々・教えている子供に、次の様なアドバイスをします。 (教える側の子供が、色々工夫しながら教えられる様に、先生は指導するのです。)

① 相手が理解出来る様に話す。(相手のレベルを加味して、説明する。)
② 相手が興味を持てる様に話す。(時々関連する興味深い話を挿入する。)
③ 怒らないで!褒めて教える。

 長男の娘(YR)は7歳で、次男の娘(SH)は4歳です。 毎年・正月、ゴールデンウイークとお盆に三泊四日ほど帰省します。私は二人で遊べる知恵玩具を毎回買って置いています。YRのするのをSHはジット見ていて、少しずつ出来る様になります。 YRはまだ7歳ですから、口でやり方を教えるのは難しいですが、努力しているのは分かります。「YRちゃんが出来るんだから、私もやれる!」とSHは思って頑張っている様に見えます。

 私は入社するまで、殆ど『虐め』の現場を見ませんでした。 子供の頃は、年長の子供に種々の遊びを教えて貰い、小学高学年になると私も教える様になりました。「そんな環境だと虐めは少ないのでは?」と思います。 近所の小さい子供達は、私が下校するのを待っていたのです。そんな子供を虐めるなんて出来ませんでした。

 現在の教育は、高校や大学受験のための暗記型勉強に力を入れている様に思えます。 皆さんの経験で、暗記型の勉強が社会に出て役に立ちましたか? 大学で勉強された事が、社会に出て直接・役立ちましたか? 私が入社した時の大学卒の同期は450名程いましたが、殆どの方は大学での勉強が直接役立つ部署には配属されませんでした。

 企業では、創意/工夫の能力が高く、臨機応変に対応出来る社員の評価が高いのです。ペーパーテストの点数が高くても、仕事が出来るとは限りません。修士/博士課程は別として、幼児教育から大学教育までは、『創意/工夫と臨機応変な対応』の力を養う事に力を入れるべきです。

 くどいようですが、教育の在り方を原点に帰って見直し/改革する必要が有ります。

令和維新のすゝめ (その10)

2020-11-14 11:13:37 | 改革
★★★★ 教育、学習、勉強 ★★★★

【はじめに】
 今回は、「教育、学習、勉強についての見直し/改革が必要だ!」と言う、私の持論の第一稿です。

 教育は人間を幸福にすることがポイントです。 勉強が嫌いな子供に「勉強しろ!」と言うのは止めましょう。 100人の社員がいたとします。 一人か二人が優秀な社員で、数人がまあまあ優秀で、あとは凡庸な社員の集団の方が人間的で、効率的に仕事が出来る様に思います。

 東大法学部卒の優秀な政治家が、「このハゲ!」と叫んで物議を醸しました。彼女は頭の良い子供が集まる私立の中学/高校から東大に進みました。 世の中には凡庸な人間が沢山いる事を、学校で学ばなかったのでしょう! 優秀な人間ばっかりでは、組織は低迷してしまいます。 「社会にとっては、凡庸な人間も重要な存在だ」と私は思います。 そんな前提で教育を改革すべきです。

【私の経験】
 私が今までどんなにして勉強したかは、①~④のブログに書きました。 興味の有る方は読んでみて下さい。 私は、「学校で学んだ事がベースで、社会人になってその延長線上の分野の勉強をした人間だ」と思っています。

 私は沢山の方と仕事を通して接し、その経験から、「学校で学んだ事が直接仕事に繋がらなくても、その人の人生や仕事に役立っている」と考える様になりました。 今回は、そんな考え方を教えてくれた人の例を書きます。 大学も含めた学校では、学問以外に①友人と遊ぶこと/人との接し方、②善人/悪人・色々な人間がいる事、③左派/右派・色々な考え方が有ること、④社会には嫌な事/矛盾する事が多々ある事、・・・等々を知らず知らずのうちに学んでいるのです。

① 私の中学卒業までの勉強 :2020年6月27日投稿
② 私の大学合格までと勉強 :2020年7月4日投稿
③ 私の貧乏学生時代 :2020年7月11日投稿
④ 社会人になってからの勉強 (その1~4):2020年7月18日~8月15日投稿

【文学部→建築学科修士課程に転入】
 2010年に某中小企業で数ヶ月間働きました。当時は就職難の時代で、修士1名、大卒3名が入社して、私が2週間ほど新入社員教育を担当しました。 修士は超有名な国立大学の文学部を卒業し、その大学の建築学部の修士課程に進学しました。 彼は博士課程に進みたいと言ったのですが、教授が「博士論文を指導するのは無理だ」と考えて、(知り合いの)機械のメンテナンスをする会社の社長に頼んで引き取って貰ったのです。

 彼は建築についても知識が乏しく、機械については全く何も知りませんでした。普通の専業主婦程度の知識しか有りませんでした。 私の講義は殆ど理解出来ていない様子で、トンチンカンな質問をしていました。

 大学の偉い!偉い!教授達が、「我が大学は優秀な学生ばかりだから、文学部卒業生でも、修士と博士課程で教えたら、立派な建築家になれる!」と考えたのでしょう。 彼自身も甘い考え方だったと思いましたが、偉い!教授達の方はバカだったのです。 彼の様な犠牲者が二度と出ない事を祈っています。

 彼は修士号を持っていると言っていました。「どんな基準で修士号を出しているのか?」不思議に思いました。 (一二を争う国立大学だったのです。)

【文学部卒→シーケンサー制御】
 2000年頃に、社員30名程のシーケンサー制御の設計/派遣会社の社長と親しくなりました。 事務所を訪問すると、社長が「うちの会社には若い優秀な社員が多いい! 数年前までは求人に苦労していたが、最近は必要な数の社員は簡単に確保出来る」と得意げに言うのです。

 社長の遠いい親戚の息子が、私立大学の文学部を卒業したのですが、適当な就職先が見つからなかったので、両親に泣き付かれて引き取ったそうです。予想に反して、彼は短時間にシーケンサー制御言語をマスターして、プログラムの腕を上げたのです。

 制御プログラーマには論理一貫性が要求されます。 プログラムのバグ(bug :プログラムの誤り)を最小限にする必要が有るのです。 社長は、「文学部卒の若者は論理一貫しているから、制御プログラーマに向いている」と考えて、私立大学の文学部に求人を出したら、予想以上に応募者が有ったそうです。

 機械の制御プログラーマは、現地に行って、プログラムの微調整をするケースが多いいです。 顧客担当者とのコミュニケーション能力も重要です。「この点でも、文学部卒は適しているのでは?」と私は思いました。

【理学部卒→機械開発/設計部署に配属】
 旧帝大の理学部・修士卒の男性社員が、私の開発チームに配属されました。図面を描くこと、機械部品の名称等々の基礎から教える必要がありました。 幸いにも、彼は報告書の作成と実験は、ほぼ合格点を付けても良いレベルで、気立ての良い・皆に好かれる若者でした。 「彼を機械の開発/設計部署でやって行ける様にする義務が、私には有る」と思ったので、毎日・毎日、彼の教育に時間を割きました。 (一年間ほど最終退場者になってしまいました。)

 3年間ほど彼と机を並べましたが、その後・彼は相当苦労したと想像します。 私の会社の人事部は無茶苦茶でした。『適材適所』と言う言葉を無視した、配属や転属が結構沢山有りました。 日本には『人事心理学』を研究されている先生方がおられる様ですが、私は『人事学』が必要だと思います。

 ①適材適所の方法、②人事評価の方法、③採用してはいけない人の見抜き方、④セクハラやパワハラを繰り返す社員への対応方法、・・・こんな問題を研究するのが、私の持論の『人事学』です。

【文系卒→機械加工会社の社長】
 大手重電(ME社)の協力会社に出向していた時に、精度の高い機械加工業者を探す事になりました。ME社に相談すると、鳥取県の社員数名の小さな会社(K社)を紹介してくれました。

 訪問すると、田圃と果樹園の中に真新しい工場が一つだけ建っていました。工作機械は全て数年以内に購入したと思われる、最新鋭の物でした。 社長は50歳ほどの方で、従業員は少なかったですが、皆さん忙しそうに働いていました。

 一人息子が、「大学を出たら跡を継ぐ」と言ったので、卒業前に会社を移転して、新しい工作機械を買い揃えたのです。 東京の私立大学の文系を卒業された息子さんが、約束通りに帰って来て、職人になりました。 私が最初に訪問した時、息子さんは二十歳代後半で、その工場ではダントツに若い工員でした。

 それまでに、私は工作機械(旋盤、フライス盤、ボール盤・・・マシニングセンター等々)について一通り勉強していました。 社長が工作機械を案内してくれました。ボール盤には手作りと思われるドリルの監視カメラが付いていました。ジット見ていると、社長が「ドリルが折れたら警報が出ます。息子が作った!」と誇らしげに言われました。他にも同様の工夫が何カ所かに施されたいて、全て文系卒の息子さんが作ったそうです。

 K社はME社の孫請け会社でした。、ME社の下請け(子請け)会社が反対したので仕事を受けて貰えませんでした。 それから数年後に、私はME社とは取引の無い別の会社に出向しました。その会社に、K社にピッタリの仕事が有ったので、K社に行って見ました。

 先代社長は既に亡くなっていて、三十歳そこそこの息子さんが立派な社長になっていました。工場を増設して工作機械も増やし、従業員は十名ほどいました。 この時も、ME社の下請け会社の反対で、話を進める事が出来ませんでした。

【工学部卒→大手商社→機械メーカーの社長】
 社員が300名程(中規模)の機械メーカーの社長が若くして急死されました。 子息は有名な私立大学の工学部を卒業されて、大手商社の東京本社に勤務していました。重役達が毎週の様に上越新幹線で上京して、「社長になって下さい」と子息を説得しました。根負けして、彼は社長に就任しました。 その直ぐ後に、「アドバイスしてやって欲しい」と頼まれたので、二、三回会いに行きました。

 考え方のシッカリした、25~6歳ほどの好青年でした。先代はガソリンスタンドや賃貸マンションや色々手広く手掛けていましたが、彼は本業以外の事業は全て整理しました。殆どアドバイスが必要無いと、私は判断しました。

 それから15年ほどした・ある日、テレビをつけると立派になられた彼が映っていたのです。NHKだったと記憶するのですが、優良企業として彼の会社を紹介する番組でした。

 「大学を卒業して直ぐに父親の会社に入っていたら、これほど成功しなかったのでは!?」と思いました。「商社での社会勉強で、視野が広がったのだ」と勝手に思った次第です。

【文系卒→プレス加工会社の営業】
 1980年頃の話しですが、東京六大学野球のピッチャーだった若者が、就職先が無くて、伯父さんが経営する小さなプレス加工会社に雇って貰いました。職工にするには歳を取り過ぎているので、営業を任せる事になりました。 (彼は、文科系の学科卒だった様でした。)

 彼が営業を始める様になって注文が増えて、それまでの工場の倍ほどの用地を買って第二工場を建てました。 更に、本社工場の機械も全て新しくしました。 ドンドン注文が増えて、第三工場を建てました。 私が最初に訪問したのは1990年でしたが、既に優良企業になっていました。

 彼が高卒で伯父さんの会社に入っていたら、職工になっていたと思います。大学で学んだ事は、仕事には直接関係が無い様に思えますが、東京の4年間で得た世の中に関する知識と経験(社会勉強)は、彼の営業の仕事に大いに役立ったと思いました。

 この会社が成長したのは、プレス加工の仕事が増え始めた時期に第二、第三工場を建て、最新の機械を導入した事と、この業界の常識に反して営業担当者を置いた事など、沢山有りました。正に『流れに掉さして』急成長したのです。

 営業をされた方には分かって貰えると思いますが、袖の下を要求したり、傲慢な態度を取る、嫌な顧客が結構います。 彼は大学まで野球をやった分けですが、厳しい練習と・嫌な先輩に耐えて頑張ったと思われます。 その会社で営業は彼だけでしたから、相談相手もいませんでした。 彼が成功したのは、野球の経験も大きな要因だった様に思いました。

【ティーチング・ロボットの開発】
 1970年頃のスエーデンの話しです。シャベルを作る小さな町工場が有りました。 息子さんが大学で機械制御を学んで卒業し、父親の会社で働き始めました。シャベルの最終工程は、人手による塗装です。 彼は仕事の合間に、塗装ロボットの研究をして、開発に成功しました。 当時、産業用のロボットは殆ど販売されていませんでした。

 私より十歳程年上の社員(NO氏)が、ドイツのデュセルドルフ国際展示会に出張しました。そこに前述のロボットが展示されていました。NO氏は甚く感心して、社長に「技術提携したい!」と申し入れました。既に、日本の数社を含め多くの会社から話が有り、各社に年間売り上げ予想台数を出させたら数百台とか千台と回答したそうです。NO氏は「二、三十台」と回答したそうです。 

 「息子が趣味で作ったロボットを、毎年数百台も売れる分けが無い」と社長は考えられていたのです。 「貴社と契約する」と言ってくれたそうです。帰国後、NO氏が私に色々話してくれました。

 技術提携を結ぶ為にはライセンスフィー(契約金)の額?とロイヤリティを何%にするか?会社上層部の許可を取り付ける必要があります。NO氏は説得のために走り回っていました。 「スエーデンのショベル・メーカーと技術提携するらしい」と聞いたので、NO氏に「シャベルを作る町工場だったのでは?」と私は尋ねました。 「シャベル・メーカーだったら許可が貰えないよ!」と言われました。 『ャ』と『ョ』だけの違いですから、ばれても「言い間違いでした」と誤魔化せます。

 私は現場に行った帰りに、ロボットの実験を時々見学させて貰いました。つい時間を忘れてしまう、面白い実験でした。時々でしたが、データーを記録している磁気テープが切断して、交換するのが大変でした。

 私は重役の一人から、「半導体の技術的な進歩と価格変動を調査して、時々報告書を提出」する様に命じられていました。 あっという間に半導体メモリーが安くなったので、ロボットの担当者に「磁気テープを半導体メモリーに変える」提案をしましたが、彼は勉強しようとはしませんでした。

 スエーデンのシャベルの会社は、その後・新しいロボットを開発しなかった様です。 「息子さんには才能が有る様に思えたし、毎年入って来るロイヤリティを開発に回せばロボット・メーカーになれたのでは?」と残念に思いました。

 当時のロボットは空気シリンダーか油圧シリンダーで動かしていました。その為に機械メーカーが開発/製造していました。 日本電産(株)が素晴らしいモーターを販売する様になって、ロボットはあっという間にギヤードモーター駆動が主流になりました。 日本電産(株)は急成長して、今では小形精密モーターの分野で世界一の会社になっています。

(余談 :ティーチング・ロボット) 人間の身体にセンサーを付けて、動きをデーター化して記録します。その記録データーでロボットを動かすのがティーチング・ロボットです。 当時は半導体のメモリーが高価だったので、エンドレスの磁気テープに記録データーのコピーを入れていました。 磁気テープを高速で走らせるので、切断トラブルが頻繁に発生しました。テープの交換作業は大変でした。

(余談 :シャベルとスコップ) 関東では大きいのを『スコップ』、小さいのを『シャベル』、と言いますが、関西は逆です。 JISでは、上に足を掛けて押し込めるのを『シャベル』、上が丸くて足が掛けられないのを『スコップ』と呼びます。 スコップの語源ははオランダ語の”Schop”で、江戸時代に日本に入って来たようです。

(余談 :語学の才能) NO氏は工学部卒でしたが、英語とドイツ語が堪能でした。私の席の近くで、英語とドイツ語でショッチュウ電話していました。重役の誰かが海外出張する時は、通訳としてお供していました。フランス語とスペイン語もマスターして、中国語も喋れる様になりました。 最後にお会いした時、「君は技術屋として素晴らしい仕事をやった、羨ましいよ! 僕は技術屋らしい仕事は何も出来なかった」と言われました。

令和維新のすゝめ (その7)

2020-10-24 10:25:17 | 改革
★★★★ 技術革新と物作り ★★★★
【はじめに】
 今回から、物作りの視点からコロナ問題後の経済について書きます。国民の多くは、「経済は政治家や官僚に任せておけば、何とかなる」と安易に考えて来た様に思いますが、中国の台頭のために、そんな良き時代は終わっています。 国民、政治家、官僚、皆が勉強して、対策を考える事が必要な時代に入っています。

【私が主張する物作り】
 本稿で言う「物作り」は、工業だけでは有りません。建設業、鉱業、窯業、農業、林業、漁業などなどを含みます。そして、倉庫業、運輸業・・・GDP(国内総生産)でカウントされる物・全てを含みます。

 日本は資源と食糧を輸入する為の外貨を獲得する必要が有りますが、国民が現在よりも豊かな生活を送れる様にするには、国内の物作りを拡大して内需率を高める事がポイントです。

 韓国にはサムソン電子があり、現代重工をはじめとする造船産業が有るので、米中貿易戦争は韓国にとっては有利なはずです。(文大統領がこの千載一遇のチャンスを生かせるか?甚だ疑問ですが。) 残念ながら日本には中国の物作りの代打が出来る産業が殆ど有りません。米中貿易戦争は日本にとってはマイナスです。官民を挙げて、難局に取り組む必要が有ると思います。

【政治家は勉強すべし!】
 米中貿易が始まっており、第四次産業革命が進行中ですから、現在は政府、政治家、企業の経営者も難しい舵取りが必要になっています。 然し、近年の与野党の政治家の多くは、「経済は官僚と企業の経営者に任せておけば良い」とノー天気に構えている様に見受けられます。

 昔のキャリア官僚は、入省後も勉強して「日本を背負うのは、政治家では無く、俺達だ!」と言う様な志を持った方が沢山おられた様に思います。 経済政策/物作りについて、政治家達に教え/アドバイスしていたと想像します。 当時の政治家達も勉強はしなかったのでは?と思われますが、聞く耳は持っていたのでしょう。

 勉強はしない、聞く耳を持たない政治家達と付き合うキャリア官僚の身になって考えて見て下さい。私だったら直ぐに辞めてしまいます。然ういう政治家に投票する私達国民にも責任が有ります。

【政治家に勉強して欲しい!】
 2009年7月の衆議院選挙で、私は手弁当で民主党候補(DO氏)の選挙運動に参加しました。 私は公示の1カ月以上前から選挙運動を手伝ったので、DO氏だけで無く、県会議員や市会議員とも何回も話をしました。 皆さん、産業/物作りについての知識/経験は殆ど無く、興味も無い様でした。

 2010年にリタイアした後、与野党の若手政治家で勉強していると思られる方・10人以上に、「ボランティアで産業/物作りの調査をして、報告書を作成します。先生が勉強したい事が有ったら調査します。」とメールしました。 全ての政治家から無視されました。

 某社長から依頼されて作成した「リチュウム電池の報告書」を御参考にとメールに添付して見ましたが、やはり無視されました。 そんな分けで、3年ほど前からブログを書き始めました。

 国会議員・自らこのブログを読んでおられるとは思えませんが、秘書や後援会の方が読んでおられて、先生が産業/物作りに関心が有ると思われたら、このブログのコメント欄に連絡先を書いて下さい。 勿論、ボランティアで協力させて頂きます。 産業/物作りの話しですから、右派も左派も関係無いと思います。

【不勉強の典型例】
 日本を代表する政治家や大企業のトップが、勉強しない人間だったら、国がトンデモナイ事になります。 その典型例が『故・稲山嘉寛氏』と当時の政治家達です。

 稲山氏は、韓国と中国に製鉄所を建設する為の図面、製鉄所に必要な機械を製造する為の図面、製鉄所を操業する為の技術資料などなどを、殆ど無償で提供してしまいました。さらに、操業指導さえしたのです。 「敵に塩を送る」だけで無く、「最新の兵器の製造方法」と「戦争のやり方」を教えたに等しいのです。 現在、稲山氏の様な事をしたら、株主に訴えられて、多分・有罪判決が出ると思われます。

 日本の支援を受けた韓国と中国の製鉄産業はドンドン成長して、日本の製鉄業の市場が奪われたので、日本の製鉄産業が成長する事が出来なくなり→生産量を減らしてきました。 韓国も中国も日本の技術支援に感謝していません。韓国に至っては、ポスコの発展に多大な貢献をした日本製鉄から徴用工の慰謝料を取ろうとしています。 稲山氏と時の総理大臣は、外交で『温情』を持つ事の愚かしさを知らなかったのです。

 明治以降、「鉄は国家なり」で、官民を挙げて鉄鋼産業の発展に努力して来ました。優秀な人材が鉄鋼関連企業に就職する時代が続いたのです。 西欧諸国の技術を導入して製鉄産業が発達してきましたが、日本では沢山の優秀な技術者達が努力して、ドンドン工夫/改良を加え、超大形の高炉の建設/操業が出来る技術を確立していました。稲山氏が、安易に提供した技術は世界最高レベルの物だったのです。

★ 稲山嘉寛氏 :新日鐡の初代社長(1970年~1973年)、会長(1973年~1981年)
★ 1965年 :日韓請求権協定 ;総理大臣=佐藤栄作
★ 1970年から韓国・浦項製鉄所の建設を開始(現・ポスコ) ;総理大臣=佐藤栄作
★ 1974年 :日中貿易協定 ;総理大臣=田中角栄
★ 1977年に中国の宝鋼集団に対する技術協力 ;総理大臣=福田赳夫

*** 余談 :鉄の製造 ***
 「稲山氏がどれだけ貴重な技術を流失させてしまったのか?」を理解して頂く為に、鉄の製造方法について書いて置きます。

 江戸時代まで炭で加熱して、砂鉄をくっ付ける「たたら」と呼ばれる方法で鉄を作っていました。(砂鉄を液状にしていた分けでは有りません。) 出来た鉄を「たまはがね(玉鋼)」と呼びます。

 幕末に西洋から入って来た技術は、高炉で鉄鉱石を高温で溶かす方法です。鉄は1,536℃で液体になりますが、高炉の中の温度を2,000℃程にする必要が有ります。

 高炉は下部から空気を吹き込んで、上部に原料を投入します。 小形の高炉では、鉄鉱石、石炭、石灰石を投入していたと思われますが、高炉を大型化すると投入する前に原料を均一なサイズに成形/固める(ペレット化する)必要が有ります。 そうしないと、高炉の中を空気が均一に流れず、均一な温度にならず、最悪の場合は目詰まりしてしまいます。 (石炭はコークスに加工され、ペレット化されます。)

 高炉で出来た鉄を「銑鉄」と呼びます。鉄鉱石には炭素は含まれていませんが、銑鉄には高炉中でコークスの炭素が約4%含有され、不純物も含んでいます。 銑鉄を転炉(転換炉)に入れて、炭素分を減らし、不純物を除去します。

 鉄の炭素含有量は重要です。少ないと柔らかくなり、身近な物では「針金」です。転炉で炭素含有量を0.1%~0.55%程度に調整します。炭素が多くなると「焼きが入る」様になり、強度は高くなりますが、衝撃を加えると折れやすくなります。(使用目的に合わせて炭素量が調節されます。)

 転炉から出た鋼(はがね)を連続鋳造設備でインゴット(塊)にします。長い!長い!圧延設備へ厚板を、更に圧延して薄板、棒材、形材、管を作ります。

 転炉から出た鋼(はがね)を連続鋳造設備でインゴット(塊)にします。長い!長い!圧延設備で厚板を作り、更に圧延して薄板、棒材、形材、管を作ります。

 幕末に入って来た技術は、やっと芽を出した『双葉』の様なものでしたが、明治以降に種々の技術革新を進めて、世界的な大樹に育っていた技術を、稲山氏が無償で韓国と中国に渡してしまったのです。当時の政治家達は技術に関する知識が無かったので、国家にとって重要な技術の流出を止めませんでした、 驚いた事に、政府は稲山氏に勲章(勲一等旭日大綬章、勲一等瑞宝章、藍綬褒章)を与えました。

(余談 :製鉄所の見学) 私が入社した会社には種々の事業部が有り、私は機械事業部で仕事をしました。 一番大きな事業部は製鉄でした。 私の顧客で製鉄所の見学を希望される方が何人かおられ、何回も案内しました。 高炉の周辺は高温ですが、真夏の好天の日でも、見学したいと言う方がおられ、往生しました。

 高炉の下部の穴を開けると、真っ赤な銑鉄が流れ出して、下に待ち受けた台車上の容器に流れ落ちます。 壮観ですが、とにかく暑いです。

 連続鋳造設備と圧延設備の全長は1km以上有ったと思いますが、暑い職場です。これも案内するのですが、さすがに数百メートルで顧客は「もう結構です」と言われました。

 見学者を募集している製鉄所が多数有ります。是非・参加して見て下さい。 想像以上に大きな工場で、沢山の機械が動いています。 稲山氏は、それらの機械がほぼ全て作れる図面/資料を流出させたのです。 一式分の図面/資料を運ぶのに大形コンテナが何個か必要だったと思われます。(どんな優秀な産業スパイでも、持ち出せない量です!)

【理想的な経済とは?】
 コロナの問題が発生して、マスクの多くを中国から輸入していた事が分かりました。 マスクは、各家庭で結構沢山備蓄していましたが、医療用の資材は備蓄量が少なく、医療現場では困った様です。

 幸いにも今回のコロナの毒性が(今の所)低いので、何とか経済活動を継続出来ていますが、将来・毒性の強い新型の流行性病原体が発生する事を考慮した、経済/物作り体制を確立する必要が有ります。

 農作物は、豊作の年も有れば/不作の年も有ります。 (近年、異常気象が続いています。) 主食の農産物が不作になると、農業国は自国向けを優先すると予想されます。 世界的な食糧不足になった年に、日本が豊富な外貨で買い漁ると、国際信用を失ってしまいます。 最低限の食糧は国内で生産する事が肝要です。

 政治家や官僚諸君に、「日本の理想的な経済運営とは?」を考えて頂きたい。 自分の理想/理念を持って、行動する事が肝要です。官僚は政治家の考えを忖度して仕事をする事が要求されますが、確固たる理念を持った上で「忖度」して仕事をして下さい。 私の理想を下に列記して置きます。

① 最低限必要な物は国内で生産する。(食糧、医薬品/医療資材などなど)
② 内需率を高める。
③ 国際競争力の有る製品を開発し続ける。
④ 貿易相手国を増やす。(一国に偏った貿易は安全保障の面で好ましく有りません。)
⑤ 経常収支は毎年適度に黒字であるべき。(大幅な黒字は国際摩擦を引き起こします。)
⑥ 実質GDP(国内総生産)が毎年アップする。
⑦ 企業が利益を適正範囲で株主と従業員に配分する。(内部留保はほどほどに!)

【出を節約して、入りを工夫する】
 小学校のクラスメイトに、村で「金を貯めている」と噂の家の子がいました。時々・遊びに行くと小父さんが、「出を制して、入りを図る」と金が貯まると言われました。

 私は、「支出を減らして、収入手段を工夫して沢山儲けろ!」と言う意味だと大人になるまで誤解していました。 然し、国家の経済政策では、私の間違った解釈の方が正しいと思います。多少の貿易収支の赤字は許容出来ます。 官民挙げて物作りに励み、輸出出来る製品/産品を増やす事が肝要です。

(余談) 大人になって、小父さんは二宮尊徳(金次郎)の名言をそのまま言っていたのだと分かりました。「収入を計算して、それに見合った出費をしなさい!」と言う意味です。私の小学校には、薪を背負って、歩きながら読書をする少年の立派な銅像が有りました。 私達の頃・学校では二宮尊徳についての授業は有りませんでしたが、小父さん達が小学生だった頃は、その名言や偉業を教えて貰ったのだと思います。

(余談) 私は若者達に「二宮尊徳について勉強しなさい!」とは言いませんが、国会議員や政治家を志す人には、「二宮尊徳について勉強しなさい!」と言いたいです! 国会議事堂の前にこそ、二宮尊徳像を置く必要が有ります。

【中国に負けてはいけません!】
 習近平が2012年に中国の最高指導者になって、①蓄積した豊富な外貨、②アメリカ等で学んだ多数の優秀な人材、③過剰な製造設備、④豊富な地下資源、⑤巨大な国営企業群・・・などをフル活用して経済的/軍事的な覇権主義を進めています。

 欧米諸国、日本や韓国では一企業や一分野の企業群に多額の資金を投入して優遇するのは、国内ルールと国際ルールで制約されています。 然し、中国は、「そんなルールは関知しない」との態度です。 中国が重点指向して取り組む分野では、西側諸国の民間企業が国の支援無しに対抗するのは難しくなって来ています。

 中国は他国の企業、資源、農地などを買収しています。日本でも北海道などの土地を買っています。 中国は自国の土地や国営企業を絶対に他国には売りません。 この様な一方的な状況を放置して良いと思われますか? 中国のやっているのは、『金と言う武器による植民地化政策』です。

 日本を含めた西側諸国は、中国の国営企業や中国人が購入した不動産/企業を調査して実態を把握する必要が有ります。 中国の金による植民地化政策を制限する国際ルールを確立する必要が有ります。

 この国際ルールが出来るまで、日本は重要な産業を選んで、国が支援する必要が有ります。 倒産寸前まで追い込まれた企業を支援するのでは無く、元気な内に手を打つべきです。 中国に渡してはならない、不動産を選定して、中国が買えない法律を制定する必要が有ります。 現在は民間人が所有する不動産や企業を中国は、殆ど制約無しに購入出来ます。 

 中国国内に住んでいる中国人が北海道に所有する土地に道路を作る事になったとします。所有者の許可を得るのは非常に難しいと思います。 「A国が許容している事は、日本も許容するが、A国が許容しない事は日本も許容しない」と言う法律を至急作るべきです。 これは、国際ルール違反にはならないと思われます。

日本学術会議の問題

2020-10-17 11:23:51 | 改革
【はじめに】
 菅内閣が日本学術会議から推薦された会員候補・105名の内、6名を認めなかったことで、マスコミと野党などが大騒ぎしています。 最近まで殆どの国民は、日本学術会議と言う名前を聞いた事が無かったのでは?

 数日前に、尊敬している三浦瑠璃氏のコメントを読んで、日頃は”歯に衣を着せない”彼女なのに、日本学術会議側の批判は殆どしていませんでした。 彼女は”学者”ですから、「老先生達の問題点は指摘できないのか?」と思いました。 それなら、私が書こうと思い立った分けです。

【日本学術会議とは】
 日本学術会議は、1948年に制定された『日本学術会議法』に基づいて、内閣府に設けられた機関です。 学者・先生達が科学に関する意見を議論して、発表する団体です。 科学に関する予算に関連したり、政治的圧力を加える団体では有りません。

 ウイキペディアによると、意見表明には下記の六種類が有るようです。近年は、政府から意見を求められる事も無く、日本学術会議の方から勧告や要望を出す事も殆ど有りません。

① 勧告 :科学的な事柄について、政府に対して実現を強く勧めるもの
② 要望 :科学的な事柄について、政府及び関係機関等に実現を望む意思表示をするもの
③ 声明 :科学的な事柄について、その目的を遂行するために特に必要と考える事項について、意思等を発表するもの
④ 答申  :専門科学者の検討を要する事柄についての政府からの問いかけに対する回答
⑤ 提言  :科学的な事柄について、部、委員会又は分科会が実現を望む意見等を発表するもの
⑥ 会長談話 :緊急な課題等について、日本学術会議会長から発する談話

(余談) 日本には科学アカデミーに相当する団体は、日本学術会議の他に日本学士院と日本工業アカデミーが有ります。 科学予算の配分に関係しているのは、国立研究開発法人・科学振興機構と独立行政法人・日本学術振興会です。

【会員の任命】
 問題になっている『会員の任命』についての規定は、日本学術会議法の第7条の2項「会員は、第17条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」。 第17条は、「日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする」となっています。

 「推薦された会員候補を総理大臣が拒否出来るか?」は法律には明記されていません。 最近亡くなられた中曾根康弘氏が総理大臣だった、1983年に「学会から推薦したものは拒否しない、形だけの任命をしていく、政府が干渉したり、そういうものではない」との見解を出されました。 野党の一部などは、この見解を盾に異議を唱えています。

 中曽根氏の見解は40年ほど前の話しです。「世の中が変化しても、昔の総理大臣の考え方に縛られる」と、皆さんは考えますか? もし、そんなルールが存在しているのだったら、新しい事は何も出来ません。 立憲民主党が政権を取っても、自民党時代の政府見解を守るのですか?

【推薦する会員の決定】
 内閣府に推薦する『会員』の決定方法は、過去・何回か変更されましたが、2005年から「現在の会員が次の会員を選ぶ『コ・オプテーション方式』」になっています。 左派の現会員は左派の人を、右派の現会員は右派の人を推薦する事になります。理工系でも学閥が存在しますから、○○学閥の現会員は○○学閥の人を推薦します。

 国立大学で新たな教授を採用する事になったとします。「××領域の研究をしている・・・を募集する」と言う官報が出ます。 貴方が正に該当すると考えて応募して見て下さい。 ノーベル賞の様な権威のある賞を得ている場合は別ですが、不採用になります。 官報を出す前に内示が出ているケースが殆どだと、私は思います。学者先生達はそう言う世界に生きているのです。

 政治家は、国民の考え方が多いい方が当選しますが、学者先生達は国民の思想とは無関係です。従って、どんな『推薦会員』の決定方法でも、国民の少数しか支持しない思想の持ち主の『会員』が誕生します。 然し、「日本学術会議には国政に関する決定権が無いのですから、色々の考え方の『会員』がいる方が健全だ」と私は思います。

(余談 :日本学術会議の選挙?) 日本学術会議には210名の会員と約2,000名の連携会員がいます。会員と連携会員の任期は6年で、会員は再任不可、連携会員は2回まで再任可能です。3年毎に半数が交代する事になっています。会員の定年は70歳です。

 現在の会員と連携会員が(次期の)会員候補と連携会員候補を投票用紙に5名まで記入します。 その内、会員候補は0名~2名まで書く事になっています。 「投票結果をどの様に集計して当選者を決めるのか?」私が調べた範囲内では不明です。「当落ライン上で、得票数が同じ場合はどうするのか?」、「定員に達しなかったらどうするのか?」、「1票しか得られ無かった人でも、当選にするのか?」・・・日本学術会議は公表する義務が有ります。

 会員候補を105名選んで、リストを内閣府に提出しますが、連携会員には内閣の認定は不要ですから、日本学術会議が投票結果を基に独自に決定します。 なお、「会員は特別職、連携会員は一般職の国家公務員となります」が、貴方や私の毎月の小遣い程度の手当が支給されるだけだと思われます。「会員になったら年金が増える」との報道がありましたが、噓です! 全くの名誉職です。

【日本学術会議は必要か?】
 欧米諸国には科学アカデミーと言う団体が有ります。日本にも戦前には『学術研究会議』が有りましたが、終戦の年(1945年)に廃止されました。 多分・GHQの指導が有ったのだと思いますが、1949年に『日本学術会議』として復活しました。

 初期の頃は、荒廃した科学の復興に日本学術会議は貢献した様に思いますが、次第に政治家にとって日本学術会議は重要ではなく、寧ろ困った存在になったと思われます。

 政府が専門家に意見を出して貰いたい時、日本学術会議に意見を求めると(忖度しない)意見が出て来る恐れが有ります。 従って、現在は民間人と御用学者を含めた有識者会議で議論してもらう様になっています。

 現在の存続の意義は、「欧米諸国にアカデミーが存続しているから、国の体裁の為にそのままにしておこう!」、「年間の経費は僅か11億円ほどだから」と考えて、歴代の内閣は放置して来たのだと私は考えています。 近年は、「秘書付き、小遣い付き、居心地の良い高給老人クラブ」の様な存在になっている様に思われます。

 野党は6人排除した事を問題にしていますが、立憲民主党や共産党が将来・政権を取ったとしても、日本学術会議に活躍して貰う事は無いでしょう。 日本学術会議には右寄りの先生もおられるので、立憲民主党や共産党にとっても、好ましい団体では無いのです。

【学者・先生達の組織を改革出来るのか?】
 菅総理は、日本学術会議を改革したいと考えているのでしょうか? どう改革したいのでしょうか? 私は、「軽い気持ちで(深い考え無しに)6人排除した書類にサインしてしまったのでは」と想像します。

 日本学術会議の会員と連携会員は、文章を書くのに慣れており、口の達者な方が多く、何よりも年寄り達ですから、人の意見を聞く耳を持っていません。 「少しは、政府の方針を忖度した発言をして欲しい!」と言っても、馬耳東風です。

 一時的に左寄りの学者を排除しても、十年もしたら左寄りの学者が会員になるでしょう! 総理大臣の貴重な時間とエネルギーを割いて、日本学術会議の改革(?)を行う必要は無いと思います。

【学会の選挙】
 日本学術会議の会員(210名)と連携会員(約2,000名)は、各種学会の推薦で選ばれます。 各学会のボス達が独断で人選しているのだと思います。ガラス張りの状態で決めているのでは有りません。

 ウイキペディアによると、2020年現在・日本には1,176もの学会が有ります。学会より会員の少ない協会、研究会や勉強会も多数有ります。 研究者や開発者は、大抵・複数の学会や協会のメンバーになります。(私も、五つの団体に会費を納入していました。)

 学会には『公的学会』があり、それらは日本学術会議が指定しています。公的学会で無い学会も有ります。『創価学会』は公的学会では有りません。

 私は、1971年に機械工学科を卒業して社会人になりましたが、当時の機械工学関係の学会や研究会は会員は少なかったですが、戦争で遅れてしまった工業の発展に貢献したいと考えて、皆さん頑張っていた様に思います。学会で活躍されていた方が理事になられました。

 日本が豊かになって来ると学会の会員数が増えて、名誉欲の強い人間が学会の理事に立候補する様になって来ました。 民間企業からも理事が選ばれましたが、名誉欲だけは人一倍強いのですが、工学的知見は殆ど無い”お偉方”が理事になるケースが増えて来ました。

【日本弁護士連合会】
 欧米諸国では、市民が血を流して民主主義を獲得しましたが、日本は戦後・GHQから与えられました。民主国家になったと考えておられる方が多いいと思いますが、何かの団体を作ると、直ぐに非民主化してしまいます。その典型が日本弁護士連合会(日弁連)だと思います。

 日本には1949年に全面改正された『弁護士法』が有ります。この法律によって、弁護士の資格を得ても、どこかの弁護士会に所属しないと、弁護士の仕事が出来ません。 全国に有る弁護士会は、日弁連に所属しなければなりません。

 日本学術会議は税金で運営されていますが、弁護士会は弁護士達が治める会費などで運営されています。(国費は投入されていません。) 従って、弁護士として働くためには、地域の弁護士会と日弁連に会費を納入しなければならないのです。 合計の年会費は20万円以上になるようです。日弁連に入る年会費の総額は(私の試算では)60億円ほどになります。(日本学術会議の運営費は11億円ほどです。)

 弁護士になるためには、ある程度・頭脳明晰でなければなりませんが、「頭の良い人間の団体はガラス張りの民主的な団体だろう」と思われそうです。 然し、実情は全く違う様に見えます。

 日本人の多くは『事なかれ主義』です。自分達の出す金で運営される団体で、ボス達が勝手に決定しても文句を言わないケースが多々有るのです。 その典型例が、日弁連と民間企業の御用組合だと思います。

(余談) 橋下徹氏も日弁連の会員です。 橋本氏でも、日弁連の左寄りで、理想主義的な主張を止める事が出来ません。 私は典型的な悪徳御用組合に所属していましたが、組合員を無視した会社寄りの(高給を食む)組合幹部に異議を申し立てた事は有りません。そんな事をしたら、昇格が完全にスットップしたからです。

【私の考え】
 日本学術会議は有っても無くても良い機関ですから、この際・廃止したらスッキリすると思います。日本学術会議法を廃止するだけで良いのでは? 野党は6名排除した事は問題にしていますが、日本学術会議の廃止にも反対するでしょうか? 民主党政権時代にも、日本学術会議は何の役にも立たなかった様に思えるのですが!?

 廃止したら、東京の地下鉄・乃木坂駅前の一等地が空きます。職員50名の給与4億円と、更に7億円ほどの予算が浮きます。

 国民に民主主義思想がもっと広がって、事なかれ主義から脱却出来て、自分の意見をハッキリ言う人が増えて来たら、「日本科学アカデミー」として再スタートしたら良いと考えます。日本の国民は残念ながら、ガラス張りの民主的な団体を作ったり、維持する能力が有りません。 少子化対策が進んで『未婚女性家族社会』になったら、世の中はガラリと変わって、民主主義思想が定着すると期待しています。

(余談) 私は「自衛隊は必要だ」と考えています。従って、兵器も必要です。 日本学術会議は1950年以来・一貫して兵器の研究開発を否定しています。欧米諸国、ロシア、中国にも科学アカデミーは有りますが、兵器の研究開発を否定しているアカデミーは、他には無いと思います。