これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

朝鮮半島の歴史 (その9)

2018-10-20 11:45:35 | 朝鮮半島の歴史
 今回は、現在の韓国の問題点について纏めてみました。

【文民政権の時代】 1992年~現在
 1992年の大統領選挙で金泳三が選出されて、初めて韓国に文民政権が誕生したのです。まだ30年も経っていません。民主主義が成熟するのには、まだまだ時間が必要なように見受けられます。

 右派の大統領が1代→→左派が2代→→右派が2代→→現在は左派になっています。左派になると右派時代の政策を否定して実行中の改革をやめ、右派になると左派時代の政策を否定して実行中の改革をやめる。こんな事を繰り返していると、経済が停滞して”失われた○○年”になるのでは?

 人気取りのため、財源の目途の無い政策を選挙で堂々と掲げている様に見えます。結局、政策の失敗が明らかになってくると、李明博が”竹島に上陸”した様な反日のパホーマンスが必要になります。

金泳三 :★右派; 1993年~1998年 ・・・1997年・韓国経済危機(日本100億ドル融資)
金大中 :☆左派; 1998年~2003年 ・・・太陽政策、2000年南北首脳会談
盧武鉉 :☆左派; 2003年~2008年 ・・・2003年頃『冬のソナタ』放送=韓流ブーム
李明博 :★右派; 2008年~2013年 ・・・2008~9年韓国通貨危機(日韓通貨スワップ協定)
朴槿恵 :★右派; 2013年~2016年
文在寅 :☆左派; 2017年~

【韓国経済の問題点】
 韓国併合時代には、朝鮮半島の北側は工業化が進みましたが、南側は農業が主でした。韓国政府は1965年頃から、少ない資金を財閥に集中的に投入して工業化を進めました。この政策は予想以上の成果が得られたと思いますが、地域格差、所得格差などなどの社会問題が発生しました。

 全体としては飛躍的に豊かになって来ましたが、大半の国民は”超豊になった人達”との差を日々実感し、ストレスが溜まっており、そのはけ口が”反財閥”と”反日運動”になっているのではと私は見ています。

 韓国経済の問題点(虚弱体質)については、マスコミによく取り上げられており、書籍も多いので、私は列記にとどめておきます。

(注記) 韓国の社会運動家が主張しているほど所得格差は大きいのか? 貧困率、上位10%の所得や平均給与所得は日本と大差は有りません。 一握りの社会運動家の主張をマスコミが大きく取り上げる傾向がある様に思われます。資本主義国家では経済が発展する時は、所得格差が大きくなるものです。

① 財閥に依存した経済で、株主の多くは外資系
② 巨大な公営の財閥   ;電力公社、ガス公社、土地住宅公社、
             水資源公社、石油公社、道路公社 
③ 中小企業が少ない (特に、高度な技術を有する中小企業が少ない。)
④ 外需依存度が高い、特に中国への依存
⑤ 失業率が高い
⑥ 大学進学率が高いが、卒業生の就職先が少ない
⑦ 地域格差が大きい (ソール周辺への人口と富の過度な集中)
⑧ 所得格差が大きい
⑨ 労働組合が元気 (優良企業の賃金は高くなる →→所得格差が拡大する)

(外貨準備高) 外貨不足による通貨危機が過去2回(1997年と2008年)発生しています。韓国メディアによると、2018年外貨準備高は約4,000億ドルになったそうです。 この値には”高下駄を履かせている”と言う説もありますが、大幅に改善された事は確かです。

【所得主導の成長は可能か?】
 韓国では低賃金の非正規社員が多いいと言われています。文在寅は最低賃金を大幅にアップさせて、所得格差を小さくして経済を発展させる『所得主導の成長』政策を掲げて大統領になりました。

 経済評論家は、「その企業の生産性が向上するか、人手不足(失業率が低下)になると給与は上昇する」と説明しています。近年の韓国の失業率は高く、この状態で最低賃金を大幅にアップしたら、経済は悪化すると多くの経済学者は見ている様です。

 この政策は、生産性の低い中小零細企業を淘汰するための”毒薬”になるでしょう。 楽観論かも知れませんが、長期的には、競争力のある(元気な)中小企業を育てる”良薬”になるかも知れません。

(非正規社員の定義) マスコミでは”非正規社員”についてよく報道されますが、日本、韓国、世界にも共通の”非正規社員の定義”は有りません。従って、非正規社員数は集計する国や団体によって、かなり差が出ます。 そんな訳で、日本と韓国の非正規社員の割合を比較するのは難しいのですが、私は大差が無いのではと見ています。

【労働組合が元気になると所得格差が拡大する!】
 『労働組合が元気になると所得格差が拡大するメカニズム』について私なりに考えてみました。

 ある会社(A社)で、100円でしか売れない製品が有ったとします。30円が社内の賃金分でしたが、組合が”5円”の賃上げを獲得したとします。A会社は5円コスト削減が必要になりますから、仕入れ先(中小企業のB社、社員の給料=20円)に”5円”引きを強制します。B社はコストダウンに種々努力しましたが、”2円”分は社員の給料を下げざるを得なくなったとします。

 賃金交渉の前には、A社の社員の給料=30円、B社=20円(A社の67%)でした。賃金交渉の後は、A社の社員の給料=35円、B社=18円(A社の51%)になります。

(この項の推薦図書) アメリカの経済学者・レスター・サロー著の「ゼロ・サム社会」:TBSブリタニカ(現・CCCメディアハウス) 古本が入手可能です。

【韓国の軍事的弱点?】
 ソールは軍事境界線から30kmしか離れていないために、朝鮮戦争の時、北朝鮮軍は4日目にはソールに突入しました。 朝鮮戦争でソールは甚大な被害を被ったにも拘わらず、ソールの人口は増加し、”富”(工場、インフラ)もソール周辺に集中しています。

 北朝鮮がソールを攻撃するために必要な兵器は、高価な最新の兵器など全く必要がありません。旧式の野砲や多連装ロケット砲で充分です。既に、ソールに向けてこれらの兵器は数百門配備されていると言われています。万一、朝鮮戦争が再開する様な事があると、1時間以内に5,000発以上の砲弾がソールに着弾する事が想定されています。

 韓国にとっては、勿論、核爆弾は脅威ですが、上記の通常兵器だけでも十分過ぎるほどの脅威です。北朝鮮は現有の通常兵器で”ソールを火の海に”出来るのです。

 現在、韓国の国民の大半も、金正恩も武力で朝鮮半島を統一する野望は持っていないと思われます。南北間で大規模な軍事衝突が起こるとしたら、想定外の事が起こった時です。想定外の事件を無くす事は可能でしょうか? ”終戦協定”が締結されたら”想定外”の事態は避けられるのでしょうか? 国交が樹立されたら”想定外”の事態は避けられるのでしょうか?

 米朝間の国交が樹立され中国、韓国や欧米の企業が北朝鮮に投資して北朝鮮が発展したら、”想定外”の事が起こるリスクは低下するかも知れません。

(日本への脅威) 北朝鮮が日本を攻撃するためには、工作員を多量に侵入させて原子力発電所などを破壊するか、中距離弾道ミサイルを使用するかです。通常の爆弾を装着したミサイルでは、日本に壊滅的な被害をもたらすこは出来ません。核爆弾搭載ミサイルが必要です。 北朝鮮が日本にミサイルを発射するのはどう言う場合が考えられますか? ①金正恩が狂ってしまった! ②アメリカが北朝鮮を攻撃した!③兵隊が誤って発射ボタンを押してしまった!等々。 いずれにしても、北朝鮮の核爆弾は脅威です。

【北朝鮮シンパ】
 韓国には北朝鮮シンパ(従北派)が沢山いると問題にしている方がおれれますが、それが民主主義国家の証だと思います。
(我が国も同じです!) 2016年の参議院選挙では日本共産党は600万票(約11%)・5議席も獲得しました。

【後 記】
 母が逝ってもう十年になります、母から聞いた馬山(マサン)の話の記憶は段々と薄れて来ています。 母の思い出と重なる韓国を私は嫌いでは有りません。 「ソメイヨシノを済州島から日本人が盗んだ」と言う記事を読んで、「おーおー又言い出した!」くらいにしか思いませんでした。 日本バッシングをしなくても国論が統一出来る国になってくれる事を期待しています。

 私の主観が沢山入った『朝鮮半島の歴史』を読んで頂いた皆さんに深く感謝致します!

朝鮮半島の歴史 (その8)

2018-10-13 12:12:29 | 朝鮮半島の歴史
 今回は、三代続いた軍人政権時代の韓国の歴史です。(1961年~93年) 私は何時も不思議に思うのですが、韓国の経済を発展させたのは軍人出身の朴正煕と全斗煥です。

【朴正煕の時代と韓国の復興】 1961年~79年
 1961年に軍事クーデタによって、(旧日本軍の中尉だった)朴正煕が政権を奪取しました。その後、大統領に就任し、暗殺される1979年までの約18年間、韓国を支配しました。非民主的な独裁政権でしたが、韓国の経済を飛躍的に発展させたのです。

 13年間(1952年~1965年)にも及ぶ交渉の末に、佐藤栄作首相と朴正煕大統領によって”日韓基本条約”が調印されました。(当時の韓国は”最貧国”でした。)

 日本からの援助金は、3億ドル(無償)、2億ドル(有償)と3億ドル(民間借款)で、ウイキペディアでは合計11億ドルとなっています。無償の3億ドルには”日韓請求権協定”により、韓国政府が個人に支給する分も含まれていましたが、その分も経済復興に流用してしまいました。(徴用工への未払い賃金分なども流用)

 韓国は朝鮮半島唯一の合法国家であると主張して来ました。日韓交渉でも北朝鮮分も含めた経済援助を要求したのです。従って、北朝鮮は日本に要求するのでは無く、韓国に経済援助を要求するのが”筋”です。

 日本からの援助金は、下記の事業に集中的に投資され、韓国経済が発展し始めたのです。
 ①浦項総合製鉄(現・ポスコ) :日本の製鉄企業が技術支援も行いました。
 ②京釜高速国道

 1963年~76年には、西ドイツに炭鉱労働者や看護婦を合計9万人ほど派遣し、膨大な外貨を獲得する事が出来ました。(西ドイツ特需)

 1964年から韓国は進んでベトナム戦争に参戦しました。韓国から派遣された兵士(延べ32万人)の給料はアメリカが負担し、その大半は韓国に送金されました。さらにアメリカは膨大な軍事援助と韓国製品に対する輸入規制の大幅緩和を行いました。(ベトナム特需)

 三星(サムスン)、現代、、韓進、大宇などの韓国企業が、ベトナムで道路建設、浚渫工事、輸送などを行い、外貨を獲得しました。その後、これらの企業は成長して”財閥”になったのです。

 西ドイツ特需、ベトナム特需及び日本からの援助によって”漢江の奇跡”と呼ばれている、経済発展を達成しました。 朴政権の末期には特需による外貨獲得が終わり、経済は停滞する様になっていました。

【崔圭夏】  1979年12月8日 – 1980年8月16日 約8か月
 1979年10月26日に朴正煕が暗殺されたあと、朴政権の首相を務めていた崔圭夏が大統領になりました。 民主化を進めようとしましたが、戒厳令下であり在任期間が短かったために、ほとんど成果をあげられませんでした。 なお、崔圭夏は東京高等師範学校(現・筑波大学)出身の文民でした。

【全斗煥と盧泰愚の時代】 1961年~92年
 朴正煕が軍事クーデタを起こして以来、30年以上に亘って軍人出身の大統領が続きました。 (崔圭夏大統領の約8か月は除く。)

①全斗煥の時代(1980年 ~88年)
  1979年に全斗煥は軍事クーデタ(粛軍クーデター)によって政権を掌握し、翌年に発生したクーデタ反対の民衆蜂起(光州事件)を鎮圧して、大統領に就任しました。 (光州事件では154名が殺害されました。)

 ”漢江の奇跡”と呼ばれた経済発展は終わり、経済は低迷していました。 反対を許さない独裁政権でしたが、全斗煥は経済について勉強し、経済学者や財界人の意見を聞いて、経済の発展に注力しました。 そして、かなりの成果を収めました。
 1988年 :ソールオリンピック開催

②盧泰愚の時代(1988年 ~93年)
 盧泰愚は、1987年に実施された直接選挙で大統領になりました。  (最初は間接選挙→直接選挙→間接選挙で大統領が選ばれて来ましたが、盧泰愚からは直接選挙が定着しました。)

 元軍人でしたが「民主的な政治を行った最初の大統領だ」と私は思います。 外交に注力して、以下の成果を上げました。
 1990年 :ソビエトと国交樹立  (翌年にソビエトは崩壊しましたが!)
 1991年 :国連に加盟(北朝鮮と同時) ・・・日本の加盟は1956年です。
 1991年 :南北基本合意書を締結(南北対話)
 1992年 :中国と国交樹立        ・・・日中国交正常化は1972年です。

 退任後、政治資金隠匿と光州事件への関与で逮捕され有罪判決を受けて服役しましたが、数か月後に特赦で釈放されました。

【北朝鮮によるテロ】
 朝鮮戦争後に北朝鮮が韓国に対して行ったテロ事件を列記してみました。(拉致事件は除く) 多くの韓国人が犠牲になっていますが、不思議な事に韓国は殆ど反撃していません。

 韓国には現在でも沢山”北朝鮮シンパ”がいます。 彼らは、「李承福事件と大韓航空機爆破事件は、李承晩と全斗煥が北朝鮮に悪いイメージを持たせるために仕組んだ自作自演劇だった」と主張しています。 彼らは、神の様に北朝鮮を信じている様です!

1958年 :滄浪号ハイジャック事件  (李承晩/金日成)
1959年 :李承福事件    (李承晩/金日成) 5~9歳の子供3人と祖母を殺害
1968年 :青瓦台襲撃未遂事件    (朴正熙/金日成)
1969年 :大韓航空機YS11 ハイジャック事件  (朴正熙/金日成)
1974年 :文世光事件 (朴正熙夫人の暗殺)  (朴正熙/金日成)
1983年 :ラングーン爆弾テロ事件  (全斗煥/金日成)
1987年 :大韓航空機爆破事件   (全斗煥/金日成)
1996年 :江陵浸透事件     (金泳三/金正日) 工作員計26名が韓国内に侵入
2010年 :天安沈没事件     (李明博/金正日)  戦死46名

(注記) :天安コルベット艦が沈没した原因については、韓国内でも意見が対立しており、「北朝鮮の仕業とは断定できない」と私は考えています。

【韓国人の拉致問題】
 朝鮮戦争中に北朝鮮軍は韓国から10万人ほど拉致(拉北)したと言われています。その中には自らの意思で北朝鮮に行った者(北朝鮮シンパかスパイ)がいたと考えられて、朴正煕の時代には、拉致被害者の親族が不穏な動きをしないか情報機関が監視しました。

 日本人が拉致された1977年~83年頃(朴正煕から全斗煥の時代)にも韓国人が多数拉致されています。

 韓国政府認定の拉致被害者(拉北者)は486人もいますが、今までの北朝鮮との交渉ではこの問題は殆ど取り上げて来ませんでした。 拉致は国家の犯罪ですから、この問題の解決を最優先課題にすると、北朝鮮との平和交渉が永遠に進まないと歴代の韓国政府は考えてきたのだと推察します。(私は賢明な判断だと思います。)

★★予告★★
 次回は、現在の韓国の問題点について纏めてみました。

朝鮮半島の歴史 (その7)

2018-10-06 12:31:31 | 朝鮮半島の歴史
 今回は、大戦後の韓国の李承晩時代についてです。 なお、朝鮮戦争については、『朝鮮半島の歴史(その4)』を参照願います。

【韓国の第1代(第1回)総選挙】  1947年~48年
 1947年末から、アメリカを中心とした国連は、朝鮮半島で南北統一の総選挙を実施しようとしましたが、北側(ソビエト)が拒否したために、48年の5月に南側でのみ総選挙が行われました。

 南側の左派の人達は、分断選挙に対する反対運動を起こし、選挙に参加しませんでした。特に済州島では暴動にまで発展し、死者が出ました。(済州島四・三事件の始まりです。)

 1948年7月に憲法を制定し、国会議員の投票で初代大統領(李承晩)を選出しました。

【李承晩の時代の始まり】  1948年~1960年
 1904年に大韓帝国の高宗がアメリカに派遣した”李承晩”は、それ以来アメリカに住んでいました。1945年に帰国し、アメリカでのロビー活動で得た人脈を活かして、第1代総選挙で国会議員になり、首班候補になりました。 選挙を有利に展開するために、1920年頃から”日本軍と戦ってきた”と言う嘘の経歴をでっち上げました。

 1960年に大統領選挙の不正に対する大衆運動「四月革命」が起こり、李承晩は失脚し、住み慣れたアメリカに亡命しました。

【李承晩時代の韓国経済】
 韓国併合時代、半島の北部には世界的レベルの大工場が沢山有りましたが、南部には工場は少なく、南側は農業が主だったのです。 その上に、日本が残した貴重な資産の多くを朝鮮戦争で失いました。

 朝鮮戦後にアメリカから総額23億ドルもの巨額の援助を得ましたが、(どぶに捨てる様に金を使って)製粉・製糖・紡績などの工場を過剰に建設してしまい、供給過剰になってしまいました。 アメリカの援助が少なくなるにつれ、どんどん貧しくなって、約12年間続いた李承晩の末期には併合前(1910年)の状態に戻ってしまいました。(結局、世界の最貧国になってしまったのです。)

 ちなみに、アメリカの援助・23億ドルは、後に日本から得た援助金(総額11億ドル)の2倍以上もあったのです!

 韓国では、『併合時代に日本が収奪したために、朝鮮半島は李氏朝鮮時代よりも貧しくなった』と主張している一派がいる様です。 朝鮮戦争と李承晩の愚鈍な経済政策を隠蔽するための主張だと思われます。

【李承晩ライン】 1952年
 朝鮮戦争の休戦協定が締結される前年(1952年)、李承晩は一方的に”李承晩ライン”を設定して、竹島を実行支配しました。  なお、李承晩ラインには対馬も入っています。

 当時はまだ自衛隊が設立されておらず、竹島に手を出しても日本が何も出来ない事を見越して行動したのです。

【李承晩による大虐殺】  1948年~1957年
 韓国側に共産党の組織が温存された状態で、1948年に韓国は建国されました。共産主義者達は北朝鮮との統一を画策していました。李承晩の時代には、共産主義者を撲滅すると称して多量の虐殺が行われました。 これらの事件について書くことは、韓国では今でもタブーの様になっています。

 ★朝鮮戦争の前の虐殺 : 1948年 ;①麗水叛乱・順天事件(被害者=8,000人)、②済州島四・三事件 (総被害者=約8万人)
 注記 :済州島四・三事件は李承晩が大統領に就任する前(1948年4月3日)に発生しましたが、虐殺のほとんどは就任後で、57年までには8万人の島民が虐殺されたと言われています。

 ★朝鮮戦争中の虐殺 : 1950年 ;①保導連盟事件 (被害者=公式には約5,000人、非公式には20万人から120万人)、 ②信川虐殺事件(被害者=約3.5万人) ・・・実行者はいまだ解明されていません。

 ★国民防衛軍事件 :1951年1月に軍の幹部達が戦争中にも関わらず、軍事物資や兵糧を横領したために、9万人以上の兵隊が餓死しました。(にわかには信じられない話です。)

【大虐殺を私の子供の頃の体験から考えると!】  ~1955年
 私の故郷は山深い山村です。戦前に水力発電所が3か所建設されましたが、電気は町に送られ、村では役場や学校など以外には電力は供給されていませんでした。1950年頃に、やっと我が家にも電気が来ました。 ほとんどの家は、安い『一戸一灯契約』で、最初はラジオも普及していませんでした。新聞を取っている家は2~3軒ほどしかなく、殆どの人は政治についての知識がありませんでした。

 私の家は20戸ほどの集落にありましたが、選挙が行われる度に、誰かの家に集まって『誰に投票するか』決めていました。

 併合時代の朝鮮半島は、電気の普及率は内地より高かった様ですが、識字率は内地より低かった様です。 当時の韓国では 選挙などの時は、(私のふる里の様に)集団で態度を決めていたのではないかと推察します。

 第1代総選挙の時に、共産党が主導した運動が激しかった地域では、全員が共産主義者だと見なされて、”誰彼構わず”に虐殺されたのだと私は見ています。

【在日の韓国人と朝鮮人】
 終戦までに朝鮮半島から日本に渡って来た人達は、約200万人ほどいましたが、1946年3月までに約140万人は朝鮮に帰還しました。約60万人は日本に留まったことになります。

 1959年~84年の北朝鮮への帰還事業によって、9万人程が帰国されました。(大半は現在の韓国の出身者だったようです。) 現在、(北)朝鮮籍の在日人は約3万人しかいません。
 我が国には、朝鮮総連が実質的に運営している、金王朝を礼賛する朝鮮学校(幼稚園~大学)が多数あります。(北)朝鮮籍の子供達だけでなく、韓国籍、日本国籍を取得した朝鮮人、純粋に日本人の子供も在籍している様です。 年々生徒数は減少して、1970年頃には4~5万人でしたが、2015年頃には6,000人程になっている様です。

 戦後の李承晩の時代に何回も行われた虐殺事件により多量の難民(60万人と言う説もあります)が日本に密入国しました。日本政府は帰還させようと韓国と交渉しましたが、「殺戮すべき共産主義者か、そのシンパ(Sympathizer)である」と見なしていたために、引き取りを拒否されました。
 その後、日本国籍を取得された方も多く、現在も韓国籍の在日韓国人は約45万人です、韓国に帰りたければ(現在は)帰れる状況になっています。 彼らの子供達は、ほとんど日本の公立の学校で学んでいます。

【在日韓国人についての私の考え】
 最後に密入国された方でも、70年程日本に住んでいる事になります。もう孫の世代が活躍されています。幸いにも日本は働き手が不足しています。日本に住み続けられて、何か支障が有るでしょうか? 勿論、北朝鮮のスパイは摘発して追放すべきですが!

 差別やヘイトスピーチは止めましょう! 私は、二世の立派な社長さん(数人)と取引したことがあります。何れの方も、沢山日本人を雇用していました。

★★予告★★
 次回は、三代続いた軍人政権時代の韓国の歴史です。

朝鮮半島の歴史 (その6)

2018-09-29 01:01:52 | 朝鮮半島の歴史
 今回は、北朝鮮の三代目・金正恩の時代についてです。

【金正恩の時代】  2011年~
 金正日は長男・正男を後継者にしようと考えていた時期もあった様ですが、三男・正恩を後継者に指名して、(正恩を神格化する事無く、)2011年に亡くなりました。 政権基盤を固めるために、金正恩は自分で粛清の指示を出す必要があったと思われます。

 金正恩になってからは、韓国に対するテロ活動は行っていませんが、核開発と長距離弾道ミサイルの開発には本格的に取り組んできました。
 核とミサイルについては種々・報道されますが、私は経済に注目してきました。

金正恩が引き継いだ北朝鮮の経済】
 北朝鮮の経済構造は非常に複雑で、全容は把握出来ません。 ①社会主義経済と②金王朝の宮廷経済の『二重経済構造』で説明する方がおられますが、私はそんなに単純では無いと考えています。

 中国は北朝鮮に改革開放政策を推奨しましたが、拒否した様です。 ”闇市(市場経済)”は、改革開放政策のうち”国内体制の改革”すなわち市場経済化の役割を果たしていると考えられます。 正恩時代になって、市場経済化を容認したことで、北朝鮮は少しずつ豊かになっていると思われます。 経済封鎖が解除されたら、GDPは毎年確実に増加していくと、私は見ています。 

【闇市→公設市場の誕生】 1996年頃~
 1996年頃に配給制度が廃止され、戦後の日本の様に庶民が生活物資を得るための”闇市”が各地に出来ました。金正日は、当初は色々な規制を行い、2009年には『貨幣改革(デノミ)』によって個人の蓄財を没収しました。 庶民は逞しく規制を乗り越え、蓄財する人も増えてきました。 北朝鮮では成金の事を『トンジュ(金主)』と呼びます。

 結局、国は闇市から、”的屋”の様に”所場代(税)”を取る、常設の『公設市場』を設けました。近年はどんどん増設して、2017年には500か所ほどになっているようです。 トンジュも増えて、公認で(販売業だけで無く)種々の事業を行う様になっています。

  (現在は数千万円程度のようですが、)将来・数億円とか数十億円の資産を持つトンジュが誕生する事を、正恩は許容するでしょうか?

 国の種々の機関が運営するデパート、スーパー、公営商店等が今でも存在しますが、一部の富裕層が顧客です。

【農業】
 絶対権力者の金日成は、農業に関する知識が殆ど無かったために、苗を過密に植えさせたり、農地には適さない土地を開墾させたり、”誤った農業方法”を奨励(命令)しました。 そのために、収穫量が減少して食糧難になりました。

 農業は、現在ほとんど民間共同経営の農場に変わり、金日成の”誤った農業方法”から、理にかなった農法に戻っています。機械化が進んでいないために農繁期には兵隊が駆り出され、軍は穀物を得ています。

 農場から支給される食糧だけでは食べていけないために、農民は個人耕作地で栽培した作物を自由市場で販売して、やっと生きています。

 畜産は設備投資が必要なために共同経営ではなく、今でも軍隊などの機関が直接経営している様です。

【漁業】 
 北朝鮮では漁業権を国の機関が所有していて、黄海と日本海側の漁業権を中国の組織に販売したと言われています。 80億円ほどが毎年”金王朝資金”になっているようです。 補足しますと、北朝鮮は自分たちの排他的経済水域では魚を取れなくなっているのです。(北朝鮮は公表していないために、詳細は不明です。)

 漁民は軍などから委託された形で、小さな木造の漁船で排他的経済水域の外まで出て操業しています。 北朝鮮には職業選択の自由は有りませんから、 如何に危険でも乗船を拒否したら家族と一緒に強制収容所に送られるので、出漁しているのです。

 デイリーNKが2018年6月に、『繊維強化プラスチック製の漁船を多量に手配した』と報じていました。 死体の漂着は減るかも知れませんが、大和堆での違法操業は今後も続くでしょう。

【工業】
 1990年代から国営工場の多くは、電力や資材の供給が停止して、休業状態になっています。従業員に給料を支払う事が出来なくなりました。 従業員は工場にお金を払って休暇を取ったり、早退して他で働くようになりました。 (これを、『8.3ジル』と呼びます。)

 トンジュ達が種々の事業を行う様になって、従業員が(8.3ジルを利用して)トンジュ達に雇われる様になりました。

 2000年頃から、工場がトンジュの職場に従業員を派遣したり、工場の一部をトンジュに貸したりしているようです。

【為替レート】
 北朝鮮の通貨単位は”ウォン〝です。北朝鮮の為替レートには『公式レート』と『市場レート』の二種類が存在します。 例えば、私が米ドル・1ドルを交換すると100ウォン貰えます(=公式レート)。北朝鮮人が1ドルを交換すると(80倍の)8,000ウォン程の札束が貰えます(=市場レート)。

 現在は、人民元、米ドル、ユーロ、日本円が通用する様になっている様です。 2017年末の米の価格は1kg=6,000ウォン弱でした。タクシー運転手が外人を乗せて一日に50ドル稼ぎ、25日働いて、稼ぎの10%を給料として貰ったら、なんと167kgも米が買える事になります。

【アメリカとの国交が樹立されたら!】
 北朝鮮は、今まで中国の援助を受けて来ましたが、産業を興して経済を発展させられるだけの資金は得られていません。”生かさず殺さず”の支援だったのです。

 私が推測する金正恩の考え :①現在の様な貧しい国では無く、豊かな国を自由気ままに統治したい、 ②武力で韓国を併合する気はない。(自由を味わってしまった韓国を併合したら、厄介だ!)

 金正恩の立場に立って私なりに考えてみました。『自力で経済を発展させのは不可能だから、外国から投資を呼び込む必要がある。そのためには、アメリカと平和協定を結び、国交を樹立しなければならない。アメリカを交渉のテーブルにつかせるためには、父・金正日が始めた、核開発とミサイル開発を進めるのが効果があるだろう。』 『核と長距離弾道ミサイルを放棄したら、アメリカと国交が樹立出来るだろう。』 

 マスコミ報道の影響で、私は『トランプ大統領は、”馬鹿”で金正恩の瀬戸際外交に切れてしまって、戦争を始めるのでは?』と心配していました。トランプ大統領は、金正恩の本音(国交樹立⇒経済発展)が分かり、金正恩の希望の線で交渉を纏めると私は期待しています。

【世襲制度が続く限り恐怖政治は行われる!】
 金正恩はアメリカに「体制を保証しろ」と要求している様です。「私を暗殺するな」と要求しているのでは無く、「世襲制度と粛清に口を出すな! 強制収容所を問題にするな!」と言っているのだと私は理解しています。

 将来、北朝鮮が豊かな国に成ったとしたら、隣に同族の韓国がありますから、国民は自由を要求し始める可能性があります。 『”金王朝”を維持する為には、国が豊かになっても連座制による恐怖政治は不可欠だ』と正恩は考えていると思われます。

【悲惨な強制収容所を忘れないでください!】
 北朝鮮には、ナチスの強制収容所に匹敵する様な施設が多数あり、毎日100人ほどの罪の無い人が、悲惨な最後を迎えています! 最近の韓国とアメリカの対北朝鮮交渉では、この問題は無視されています。

 李氏朝鮮では1894年まで、”連座制”による恐怖政治が行われてきました。北朝鮮では連座制が復活して、親族や友人が犯罪を犯したり、反体制人物と疑われると収容所に入れられるのです。勿論、北朝鮮は公表していないので、収容されている人数は不明ですが、私は人口の1%程度=20万人程度だと推測しています。第二次世界大戦後の70年間に、200万人程が収容所で亡くなられたと思われます。

 強制収容所の”言語に絶する”悲惨な状況は、脱北者の著書やインターネットで読む事が出来ます。 余りにも惨い内容なので、デリケートな方は読まれない方が良いでしょう!

★★予告★★ 
 次回は、大戦後の李承晩時代の韓国の悲惨な歴史です。

朝鮮半島の歴史 (その5)

2018-09-22 11:28:49 | 朝鮮半島の歴史
 今回は、北朝鮮の二代目・金正日の時代についてです。

【金正日の時代】  1994年~2011年
 金日成は、長男・金正日に権力を継承させるために、金正日の生誕地や、誕生日までも偽って神格化しました。死ぬ前から、『金正日は素晴らしい才能を有する唯一の後継者で有る』と宣伝しました。 1994年に金日成が亡くなり、正日の時代が始またのです。

 既にソビエトは崩壊し(1991年)、ソビエトからの援助は完全にストップし経済発展を続けられなくなっていました。 1995年には大水害が発生し、飢餓で多くの人が亡くなりました。1996年には食糧配給が出来なくなりました。 1997年には”先軍政治”と言うスローガンを掲げました。 一方、韓国の経済は発展しており、韓国軍は近代的な兵器を整備して、国力と軍事力とも年々差が広がっていきました。

 金正日は、死ぬまで「国をどう運営したら良いのか?」迷いに迷ったのだと思われます。(全く一貫性の無い、支離滅裂な政治を行いました。)

【先軍政治についての私の見方】  1997年~2016年
 共産国では”党”の下に”軍”が有るのが普通です。金正日が世界に例が無い先軍政治を採用した理由を、私なりに考えてみました。

 〝金王朝”を維持するためには、忠誠を誓う数パーセントの国民(共産党員、軍人、警察官、官僚、平壌市民)が有れば十分です。残りの国民から収奪した食糧などを、忠誠組に与え、残りの国民には”連座制”による恐怖政治を行うわけです。

 食糧も外貨も不足して、忠誠組に与える物が少なくなると、忠誠組の数を減らすか、一部のグループへの物資の支給を減らす必要があります。 金正日は、(軍への配給を増やすのでは無く、)軍に国家の中心であると言う”名誉”と、漁業や商売を行う”特権”を与え、軍の忠誠を維持すると言う”ウルトラC”の政策を採用したのだと私は思います。

 食糧の確保がさらに難しくなってきたために、2011年に平壌市の範囲を50%に縮小し、配給を受けていた平壌市民を50万人ほど減らしました。

【韓国からのオファー】
 1998年に、北朝鮮出身の現代グループの創業者・鄭周永が”金剛山観光事業”を始めました。

 2000年には、金大中大統領が(現代グループが用意した裏金の)”4億ドル”もの土産を持って訪朝しました。 そして、現代グループ会長 の鄭周永が”開城工業団地”と言う美味しい話を持ち込みました。 2003年に着工し、翌年に操業を始めました。

 開城工業団地は、現在の10倍ほどの規模で、2010年までに従業員数を50万人にすると言う夢の様な計画でした。 (経済封鎖が行われる前に、)外貨獲得のために海外に派遣していた労働者は約10万人程度ですから、北朝鮮にとっては極めて重要なプロジェクトだったはずです。

 鄭周永と五男・鄭夢憲が、人生を掛けて始めた”開城工業団地”の事業が軌道に乗ってきたにも関わらず、二回の核実験を強行し、2010年には延坪島砲撃事件も起こしました。 結局、従業員数が5.4万人程度になったところで開発はストップし、2016年には閉鎖されました。

 金正日が韓国や世界の世論に反する行動を取らずに、開城工業団地などの事業を進めていたら、経済が発展するだけで無く、金正恩が熱望している”休戦協定”はずっと前に締結されていたと私は考えています。

★★現代グループのその後★★  北朝鮮での事業が最初は旨く行かなかったために、現代グループでは兄弟紛争が起こり、現代自動車、現代重工、その他、に3分割されました。鄭夢憲は”その他”を引き継ぎましたが、”4億ドルの裏金”の捜査が始まり、2003年に自殺しました。

【金正日と核開発】
 金日成が1980年代に核開発に着手したと言われていますが、(金正日の時代になって、)2006年に第1回目の核実験を行いました。 この年には、ミサイル実験も実施しました。

 2009年にも第2回目の核実験とミサイル実験を行ったのです。 特に、人工衛星用のロケットと称して長距離弾道ミサイルの最初の実験を行いました。

 金正日は韓国との事業を進めながら、小泉内閣と接触している間にも、何食わぬ顔で核開発と弾道ミサイルの開発を進めていたのです。

【日本と金正日、そして拉致問題】
 2002年、日本から金を得る為に小泉首相を平壌に招待し、拉致を謝罪し、5名の被害者の一時帰国を承認しました。 日本は、約束を違えて5名の北朝鮮への帰国を拒否しました。 日本が約束違反したにもかかわらず、2004年に再度、小泉首相を平壌に招待し、拉致被害者の家族を帰国させました。

 拉致の証拠を北朝鮮が自ら証明したために、日本の世論輪が沸騰する事になりました。マスコミ各社が報道する様になったために、拉致家族の運動は益々活発に行われる様になりました。 (残念ながら、運動の支援者が増えるほど、パランドクスに陥ると、私は考えています。)

 自国民が多数拉致されたら、アメリカなら軍事力で解決しようとするかもしれませんが、日本は”外交”でしか解決出来ません。 日本の言い分が100%正しい時でも、”落としどころ”を見つける必要があります。 拉致被害者家族を支援する人が多くなればなるほど、問題解決の時間を遅らせる事になります。  日本が許容出来る”落としどころ”と、北朝鮮が提示出来るカードとの差が益々広がるために!

★★予告★★
 次回は、金正恩の統治についてです。 是非、読んで下さい!