これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

ウクライナ戦争と日本

2022-04-30 13:10:01 | ウクライナ戦争
【はじめに】
 スマホが普及しているので、ロシア軍の蛮行が全世界に知れ渡ってしまいました。ロシア以外で、プーチン氏やラブロフ外相の発言を信じる人は殆どいないと思われます。それでも、彼らは連日嘘をつき続けています。

 日本と欧米諸国が団結して、プーチン政権を崩壊させるべきだと考えます。ウクライナが今年一杯頑張ってくれたら、プーチン政権は瓦解するのでは?と私は期待しています。

・・ ウクライナ戦争に関連した私の投稿 ・・・
★ 私とKGB :     投稿=2022年3月26日
★ ウクライナの問題と橋下徹氏の主張 :投稿=2022年3月19日
★ ロシアを常任理事国から外しましょう! :投稿=2022年3月12日
★ ウクライナへの侵攻      :投稿=2022年2月26日

【共産党と非常事態への対応方法】
 日本共産党の志位委員長が、4月13日の記者会見で「急迫不正の侵略を受けた際は自衛隊にも頑張っていただく」、「急に言い出したことではない。2000年の党大会で決定し、綱領に書き込んでいる方針だ」と発言されたと言う記事を読んでビックリしました。

 2020年1月版の綱領を読んで見ましたが、そんな記載は有りませんでした。 志位氏は東大卒の頭の良い方ですから、近年のロシア、中国、北朝鮮の不穏な動きを見て、「日本が緊急事態になる可能性があり、その場合の対応方法について」党内で議論していたのだと類推します。 そして、幹部の間では、「緊急時には自衛隊に頑張ってもらう」と言う方針を採用していたのだと思います。 綱領を修正する予定だったのかも?

 21世紀になっても、ならず者国家(ロシア、中国、北朝鮮)が存在します。日本は、ならず者国家に隣接しているのです。「国を絶対に守る」と言うスタンスを明確にしないと、ウクライナの様に侵略されてしまいます。

 私は、志位氏の発言を歓迎します。是非とも綱領を修正して頂きたいと考えています。

【プーチン氏のカレンダー】
 毎年・プーチン氏は、上半身裸の写真や銃を持った写真を載せたカレンダーを発行しています。ロシア人の多くは、国の指導者に誠実さなどは要求しないのです。悪い人間でも良いから、逞しい指導者を渇望しているのだと思います。

 普通のロシア人と日本人では、国家の指導者に求めるクオリティ(資質能力)が全く違うのです。ロシア人の多くは、ドンナニ汚い手段を使っても良いから、他国に侵攻して領土を拡大してくれそうな指導者を選ぶのだと私はみています。

 ロシアは16世紀以来・500年近くも覇権主義国家です。 ❶1547年:ツァーリの時代→→❷1721年:ロシア帝国→→❸1917年:ソビエト連邦→→❹1991年:ロシア連邦

 今回のウクライナ戦争でロシアが『手ひどい損害』を受けたら、500年間持ち続けた覇権主義思想からロシア国民は目覚める可能性が有ります。ウクライナ側の勝利で、戦争が終結して欲しいと私は願っています。

(余談) 安倍晋三氏が上半身裸の写真を公表したら、貴方はどう思われますか? 次回の選挙で落選間違いなしだと思います。 山本太郎氏は、まだ47歳ですから、今年の参議院選挙の選挙ポスターに上半身裸の写真を使用したら沢山票が集まるかも知れません。是非ともやってみて下さい!

【日本維新の会】
 日本維新の会の鈴木宗男参議院議員は、ロシアを擁護する発言を繰り返しています。鈴木氏は能天気なのか?今でも「話し合えばロシアが北方四島を返してくれる」と考えている様です。「いい加減にしろ」と言いたいです!

 「ウクライナ側にも責任が有る」と発言していた、大阪維新の会の法律顧問だった橋下徹氏は、先月・顧問を解任された様です。日本維新の会は、「橋下氏の考え方を支持しないから解任した」と明言すべきです。

 橋下氏の仕事(弁護士)と性格から、ウクライナ戦争がドンナ状態になっても、考え方を変えないと予想します。彼は正に『這っても黒豆』の人物です。

(橋下氏への質問) プーチン氏が正式に「北海道をよこせ!」と言って来たら、(その時、橋下氏が総理大臣だったら)「半分あげるから勘弁してください」とでも言うのでしょうか?! 北海道に住む人達に、「若い女性はレイプされるでしょうが、抵抗しなかったら殺されないかも知れない。我慢してください。」、「年金は大幅に減額されるでしょうが、我慢してください。・・・」と言うのしょうか?!

【北方四島】
 戦後、歴代の日本政府は「お願いですから、北方四島を返して下さい!」と言う様なスタンスでソビエト連邦→→ロシア連邦と交渉してきました。相手を刺激しない様な発言/交渉をしてきたのです。 岸田内閣はウクライナ戦争を見て、「北方四島は日本の固有の領土である」と明確にしました。 「従来の弱腰外交では、永遠に北方四島が返って来ない」と判断したのだと想像します。

 一方、ロシアの下院副議長が最近、「北海道の権利はロシアにある」と日本を恫喝するような発言をしました。 これは、プーチン氏が言わせたと考えるべきです。

 2019年5月11日・当時・『日本維新会』の所属だった丸山穂高衆議院議員が、「戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか?、反対ですか?」と発言して、物議を醸しました。 安倍晋三氏や鈴木宗男氏が、ロシアを宥め賺し(なだめすかし)て返して貰おうとしていたので、丸山氏の発言を「トンデモナイ発想だ!」と国民の多くが考えたのです。

 私は、1991年のソビエト連邦の崩壊直後の様な混乱状況に、ロシアがなったら→→自衛隊を派遣して北方四島を奪還して→→強固な基地を建設して→→ロシアが再侵入出来ない様にする以外に手は無いと考えていました。

 岸田首相は、「5年以内に防衛費をGDPの2%まで増額する」意向を表明しました。 私は、今年の補正予算で北海道に駐留する自衛隊を増強して、「事有らば!北方四島を奪還する」と言う強い姿勢をロシアに見せつけるべきだと考えます。

 日本はウクライナに兵器を送る事が出来ない様ですが、北海道の自衛隊を直ぐに増強すれば、ロシアの東部軍管区からウクライナ方面に移動した兵器や兵隊を戻すと予想します。(既に、かなり移動している様です。) 従って、間接的ですがウクライナを支援した事になります。 ロシアが『いちゃもん」をつけてきたら、「北海道の権利はロシアにある」等と言うから仕方なしにした事だ!と弁明出来ます。

(余談 :私の夢) 私の夢は、『今回のウクライナ戦争でロシアが大敗して→→プーチン政権が崩壊し→→ロシアが大混乱になって→→日本が北方四島を奪還して→→ロシアに新しい政権が誕生したら→→日ロ平和条約を締結して→→欧米諸国と一緒にロシアの経済復興を援助して→→ロシアを民主主義国家にする』事です。

【ウクライナ戦争の私の予想】
 私なりに、ウクライナ戦争がどういう形で決着するか考えて見ました。

私の考えのベース :①ウクライナの国土≒60.4万km2(日本の1.6倍)、②人口≒4,373万人(内ロシア人≒17.3%)、③ウクライナ人の多くが反露感情を持っている、④ロシア陸軍≒28万人と少ない(内30%程は任期1年の徴集兵の様です)、⑤ロシアは制空権を掌握出来ていない、⑥欧米諸国が今後もウクライナに武器を支給する、⑦ロシア製戦車には欠陥が有る(破壊されやすい)。

予想❶ : 数日でキーウを占領して→→ゼレンスキー大統領を排除して→→傀儡政権を樹立し→→その政権に軍隊を持たせて国を治めさせるのがプーチン氏の当初の計画だったと想像します。

 現在の状況から、当初の計画を達成する事は『不可能』とプーチン氏は判断していると思われます。(ロシアの陸軍の兵数では広大な面積のウクライナ全土を平定して、治める事は誰の目で見ても不可能です。)

予想❷ :現在のプーチン氏の目論見は、東部2州(ルハンシク州とドネック州)とその西側の2州(サポリッジャ州とへルソン州)を完全に掌握し→→ウクライナ南部の沿岸地方(ミニライウ州とオデッサ州)を平定し→→モルドバのロシア占領地とクリミヤ半島を連結する事だと想像します。

 南部の沿岸地方を失ったら、ウクライナは内陸国になってしまい、経済復興と/将来の経済発展に支障をきたしてしまいます。最近欧米諸国から送られて来た兵器を南部2州に重点的に投入して阻止すると予想します。

 巡洋艦モスクワと揚陸艦サラトフが撃沈され、ロシアの軍艦が沿岸に近づくのが不可能になっています。従って、海(黒海)から南部2州に進攻する事は出来ません。(極東から複数の軍艦が出航したと言う記事が有りましたが、黒海に入る為には、トルコ領の狭い!狭い!海峡を通過する必要が有ります。トルコはNATOの加盟国ですから、ロシアの軍艦の往来は認めないと予想します。)

 プーチン氏の目論見が達成される可能性は非常に低いと私は見ています。

予想❸ :現在のロシア軍の占領地域は、クリミヤ半島と東部4州(ルハンシク州、ドネック州、サポリッジャ州及びへルソン州)の一部です。

 3月下旬以来、東部2州(ルハンシク州、ドネック州)に軍を集中させて2州の完全支配を先ず達成しようとしていますが、1ヶ月以上経過してもまだ成功していません。欧米諸国が支給した強力な兵器が前線に到着し始めているので、東部2州の戦闘は膠着状態になるか?ロシア軍が後退すると思われます。

 アントニオ・グテーレス国連事務総長が提案した「マリウポリ製鉄所の民間人を国連と赤十字の管理下で解放する」案を受け入れ、同時に現状の前線を国境にした停戦交渉を始めるのが、プーチン氏にとって最良の策だと私は考えます。 (アメリカとゼレンスキー大統領が、「これ以上民間人の犠牲者を増やすべきでは無い」と判断したら、停戦になる可能性が有ります。)

 プーチン氏が焦って、化学兵器や生物兵器を用いてウクライナ人を多数殺害したら、次の私の『予想❹』と同じ結果になると思います。

予想❹ :ウクライナ軍が頑張って→→ロシア軍を押し戻し→→クリミヤ半島及び東部4州を奪還し→→本来の国境線を挟んで両軍が対陣し→→膠着状態になる。(ウクライナが、ロシア領に侵攻する事は無いと思います。)

 ロシア軍が劣勢になって後退が余儀ない状態になったら→→化学兵器や生物兵器を使用して、ウクライナ人を多数殺害する(ゼェノサイドを行う)と予想しますが→→ウクライナ人は一層果敢に反撃するでしょう→→欧米諸国は強力な兵器を更に多数ウクライナに送ると思います→→結局、ロシア軍はロシア領まで後退するでしょう。

 こう言う状態になっても、プーチン氏から停戦交渉を始めるとは思えません。 敗北を認めたらロシア国民の多くはプーチン氏を支持しなくなるでしょう。 プーチン氏は国家親衛隊(約34万人)を総動員して→→反政府運動を抑えようとするでしょうが→→経済制裁が漢方薬の様にジワジワ効果を出して→→ロシア国民はプーチン政権を倒すと予想します。

 ロシアがゼェノサイドをしたら→→国連はロシアを常任理事から外すでしょう→→その時、まだプーチン氏が大統領だったらロシアは国連から脱退するでしょうが→→新しい政権が誕生したら、ロシアは国連に復帰すると予想します。

 『常任理事国から外す』と言う前例が出来たら、中国が「台湾に進攻して、併合する」と言う野望を諦める可能性が有ります。→→世界は平和になります。

日本の活性化❶―2 :高齢者活躍社会

2022-04-23 10:37:45 | 改革
【はじめに】
 前回は老人の健康管理/維持の重要性について書きましたが、今回は「元気な内は働くべきだ!」と言う私の持論を書きます。

【町や都市と過疎地は別個に考えるべきです!】
 過疎地には農地が沢山有りますから、老人は自分の土地が無くても、野菜を作る土地なら安い賃料で借りられます。 私の故郷の集落には国道が通っています。集落の老人達は野菜を作って、国道の脇に小さな小屋を建てて、無人の販売所にして小遣い稼ぎをしています。

 街なかの無人の販売所だったら、金を入れない輩が出てくると想像しますが、町から来た方でも(不思議と)過疎地では名札に書かれた金額をチャント払います。金を入れる箱を持って行く人もいません。

 全国の殆どの『市』に公益社団法人の『シルバー人材センター』が有り、60歳以上の方が働いています。 大阪市内には、老人も派遣する人材派遣企業が有って、時々ポストにチラシが入っています。 チラシによると、交通費や制服が支給され、賃金は最低賃金以上もらえる様です。

【シルバー人材センターの事務所】
 私が考えるシルバー人材センターの最大の問題点は、事務所が少ない事だと思います。神戸市と大阪市ではたったの4ヶ所しか有りません。故郷の田辺市の面積は1,000km2も有りますが、事務所は1ヶ所のみの様です。 歩いて行ける距離に事務所が有ったら、チョットした仕事を気軽に頼めると思うのですが!

 ウイキペディアによると、2006年時点で全国に交番は6,362ヵ所有り、その内267ヵ所は空き交番だそうです。警察官を増やして空き交番を無くそうとしている様ですが、日本は安全な国であり、110番に電話したらパトカーが直ぐ駆け付けてくれますから、交番の多くは廃止すべきだと考えます。 廃止した交番をシルバー人材センターの事務所にしたら、一挙両得です!

 事務所の運営は、市町村の指導の下で、(時給500円程度支払って)老人達に任せたら十分やっていけるでしょう! 市町村が、公平に運営しているか?をチェックする必要は有ります。

(余談 :シルバーと老人) 日本ではシルバーが老人を指す言葉になっています。昔・JRが電車に老人優先の座席を設けた時、新幹線用に用意していた銀色の布を使ったので『シルバーシート』と命名した様です。それ以来、シルバーが老人の意味で使われる様になった様です。 現在は『優先座席』と呼ばれています。

 私はシルバーの年齢になりましたが、銀は安いですから、せめてプラチナと言って欲しいです。そして、『シルバー人材センター』では長ったらし過ぎますから、愛称または略称が必要です。『プラワーク』を提案します。 プラチナワーク( platinum work)の略称です。

・・・ 2022年4月22日の小売価格 ・・・
★ 金≒8,900円/g
★ プラチナ≒4,500円/g
★ シルバー(銀)≒115円/g

【仕事の種類】
 シルバー人材センターで紹介する仕事の種類を増やすべきだと考えます。私が思いついた仕事を書きます。老人が出来る仕事を皆で考えたたら沢山出て来そうに思います。

❶ 年金生活者のイメージは、「パソコンやスマホの操作が難しい老人」でしたが、近年・年金生活に入った方の中にはパソコンやスマホに詳しい方が結構沢山おられると思われます。 データ入力、パソコン操作の指導・・・仕事は沢山有りそうです。

❷ 「二、三時間子供を預かって欲しい」お母さんが沢山いると想像します。現在では『認定ベビーシッター』の資格が必要です。 子供を育てた経験の有る老人に少し研修を受けて貰ったら、短時間の子供の世話なら十分出来ると思います。 全く知らない人でなく、近所で顔を見た事の有る人に依頼した方が安心出来ます。

❸ 喫茶店などのウエイターやウエイトレスは不思議と若者ですが、「小奇麗な服装をした老人でも良いのでは」と思います。70歳を過ぎたマスターの店も有りますから、ウエイターやウエイトレスが老人でも構わない様に思います。

(余談)  筑波に良く行っていた頃、ジャンボ・ビールを出す居酒屋が有りました。633ml瓶ビール2本分が、分厚い硝子製のジョッキに入っていました。今の私ではジョッキを持ち上げるのすら難しいと思いますが、当時は私の適量でした。(飲みにくい容器でビールを飲むと、美味しい様に思いました。) 筑波にはジャンボが付いたメニューが色々有りました。例えば、小さいバナナ・サイズの餃子をジャンボ・餃子と呼んでいました。美味しかったです。 ・・・ジャンボ・ビールは、老人では運べません。

【最低賃金の適用外です】
 シルバー人材センターの仕事は通常の雇用契約では無いので、最低賃金の規制を受けません。仕事の対価として支払われる金は、給与では無く『配分金』と呼ばれています。

 シルバー人材センターの事務所の入り口に、仕事の種類と標準価格を書いた紙を貼って、気軽に依頼出来る様にすべきだと思います。

 シルバー人材センターは安い値段設定が出来ます。 「今日は体調が悪いので、買い物して欲しい!」と電話が有ったら、「料金は500円です。直ぐに〇✕がお伺いいたします。」・・・顔見知りが増えて→→皆で助け合って生きる様になり→→『街』が活性化する様になりそうです!

【職場の老人】
 私が中小企業に出向した時に出会った老人について書きます。

❶ パートの女性が十数人働く、一品生産の機械と種々の部品を製造する会社に70歳を超えた女性がいました。素晴らしい技術を持った方でした。地元では有名な資産家の奥さんでしたから、金銭的には全く働く必要が無い方でした。(正社員は全て男性でした。)

❷ 年金生活者で生涯独身の70歳を超えた男性が、部長の肩書で雇われていました。 ほぼ毎日出勤して、定時までいましたが、月給は数万円しか貰っていませんでした。最低賃金法違反だと思いましたが、仕事以外にする事が無かったので、定年後も置いて貰っていた様でした。

❸ 作業員が100人以上の大規模な工事現場で働いた事が有ります。作業員が弁当を食べたり、お茶を飲む場所が確保されていて、そこを掃除する御婆さんがいました。 彼女は地元の工事現場を転々として働いていた様でした。顔見知りの作業員が多く、何時も明るく/頓智を利かせて叱咤激励(しったげきれい)していました。実に愉快で、私は思わず笑ってしまう事もありました。

❹ 製紙機械を設計/製造する社員30名程の会社に出向した時の話です。大中小の古い手動式の旋盤が3台有り、旋盤工が2名いました。定年は65歳でしたが、旋盤工の一人は70歳以上でした。彼が退職したので、代わりの職人が必要で、私が人材派遣会社とハローワークで探す事になりました。 有効求人倍率が”1”近くになると、中小企業の求人は難しくなります。

  複数の人材派遣会社の担当者達は、「今時、手動の旋盤を扱える職人はいない」と言って、相手にしてくれませんでした。

 求人票には、「給与は当社の規定による」と書くのが一般的ですが、中小企業では「月給○○円、賞与2回」等と明記しないと応募者が殆どいません。 最初にハローワークに提出した求人票には私が妥当と考えた給与を書きました。全く応募が無かったので、思い切った金額に変更して見ましたが駄目でした。社長から、「退職した職人に支払っていた金額にする様に」と言われて調べたら、70歳過ぎの人に、なんと!年間800万円ほど支給していたのです。

(余談 :仕事には尊卑は無い!) 1980年代初めの頃、私は東京勤務で時々・銀座で呑んでいました。「夜中にロールスロイスで老婆が銀座にやって来る」という噂が有りました。新聞か雑誌で、「毛皮のコートを着た老女が、運転手付きのロールスロイスから降りてビルに入った。作業着に着かえてビルの掃除をしていた。・・・」と言う様な記事を読みました。 仕事には尊卑(そんぴ)は無いのだと教えられました。

【家政婦/家政夫】
 知り合いに、奥さんが買い物や料理を作るのが難しくなった家が有ります。 シルバー人材センターから、2年間ほど女性を派遣して貰いました。最初の女性は味が濃く、薄口にして欲しいとお願いしても駄目でした。次の女性は創作料理が自慢でした。 私も一回試食して見ましたが、トンデモナイ食材の組み合わせで、若い人でも毎日は食べられない料理でした。「良くも一年間我慢した!」と感心しました。 そして、彼女は「雪が降っているから今日は休みます」、「体調が悪いから・・・」と約束の日に来てくれませんでした。

 そんな訳で、私がインターネットで家政婦を探す事になりました。家政婦を派遣する会社が沢山有るのでビックリしました。電話やメールで数社にコンタクトして見ました。 私が持っていた家政婦のイメージは、中年の女性でしたが、現在は全く違っています。

 40歳代の男性がホームページを作って、個人でやっている方がいました。料亭の板前をしていたそうです。料金は高かったのですが、コンタクトすると「仕事がいっぱいで、現在は引き受けられない」と言われました。

 私が選んだのは、全国展開している家政婦の派遣会社です。 営業マンは好青年で、家政婦が必要な家には種々の事情が有る事を良く理解していました。 彼と家政婦候補者(Kさん)と私の三人で知人宅に行って打合せしました。私は事前に、味付け、嫌いな食べ物、・・・をメモして置きました。Kさんは、しっかりされた女性で『引く手あまた』の様でした。

 Kさんは、もう2年以上知人宅に通っています。一回行くと、(昼食と夕食二人分)✕(一週間分)作ります。Kさんは自家用車で通勤しているので、買い物は途中でやっています。 これは、私の提案でしたが、「買い物に要する時間も勤務時間に含め、Kさんのカードで支払って、ポイントはKさんが自由に使って良い」事にしたのです。

(余談) 裕福な家の家政婦は、老人では難しいと思いました。一方、介護が必要なケースでは介護士が買い物、料理、洗濯、掃除をしてくれる様です。

【公園の管理】
 神戸市では一部の公園の掃除や花壇の手入れを老人達に(少額の金を出して)委託しています。 そして、花壇のコンテストをして賞を出しています。 なかなか良い制度だと私は思います。

 神戸市は公園の管理を、建前上は町内会に委託している様です。 私の家の近所の公園は、昔は町内会が受託していましたが、35年以上前から一部の老人達が町内会の名前を騙って受託している様です。

 35年程前に家を建てた時、「日曜日に公園の掃除をするので参加して下さい」と言う回覧が来ました。私の子供達が利用する公園でしたから、参加しました。私以外は、全て老人でした。 てっきりボランティアだと思ったのですが、終わると、「市からです」と言って、千円入りの封筒とタオルを渡されました。 「〇✕(私)は金に細かい男だ!」と吹聴して回る輩がいました。 町内の老人達が、公園の掃除で小遣い稼ぎをしていたのです。

 公園の掃除には、昔から住んでいる老人以外は参加して欲しく無かったのです。それ以来、公園を掃除すると言う回覧は来なくなりました。 掃除は現在も続けています。閉鎖的な組織でやっていると、関係者が年老いて来て、消滅してしまいます。 35年前の老人達は殆ど鬼籍に入っているので、近隣の町内の人を集めて、我が町内会の名前を騙って、市から受託していると想像しています。

 町内会長で無い人間が窓口になっていると思われるので、市の担当者は「名前を騙っている事」を承知しているはずです。何か、公園を私物化している様に思います。 市はシルバー人材センター経由で人を集めるなどして、公明正大にすべきです。

【選挙・投票所のアルバイト】
 投票所には受付案内のスタッフが必ずいますが、近所の奥さん達によると、市役所のOBとその友人達だそうです。 時給は1,100円程の様です。 簡単な誰にでも出来る仕事ですから、奥さん達はやりたい様で、「選挙を私物化している」と不満を言う方もいます。

 市営の駐輪場の管理人も市役所のOBだそうです。 私は、この手の仕事も公明正大に、シルバー人材センター経由で人集めすべきだと考えます。

【F氏の思い出】
 子供に手が掛からなくなった頃、妻は近くの写真屋でアルバイトを始めました。その顧客の一人のF氏と親しくなりました。F氏は外国航路の商船に乗っていたそうで、既に年金生活者になっていました。船員の年金は、厚生年金よりもズット高かった様です。F氏は一生独身で、妹さんと、その息子の3人で悠々自適の生活をされていました。 F氏宅で何回かお茶を頂いた事が有ります。

 昭和の初め頃に、イギリス人のアーネスト・ウイリアムス・ジェームスが神戸市垂水区の塩屋に60棟以上も洋館を建てました。第二次世界大戦が始まった頃に、洋館を所有していた多くの外国人が日本人に住居を安い値段で売って帰国したそうです。F氏の親も1棟買い取り、そこでF氏は育てられたそうです。

 200坪程の敷地に木造の洋館が建っていて、ガラス張りの温室があり、種々のシンビジュウムを沢山育てていました。F氏は器用な方で、広い庭の植木を植木屋さんに負けない技(わざ)で剪定していました。我が家にも時々来られて、雨樋(どい)に溜まった枯れ葉の除去などを無償で色々して頂きました。 

 子供達が網戸を破った時、妻に網の張り方を教えてくれた様です。多分、妻は今でも網戸の張替えは出来ると思います。 神戸市の近辺では、各家でイカナゴの『くぎ煮』を作りますが、我が家の『くぎ煮』はF氏のレシピで作っています。

 F氏は『老害者』とは真逆の方でした。『美人薄命』の言葉通りに70歳そこそこで亡くなりました。

(余談 :ジェームス邸) 前述のジェームスが自宅用に建てた洋館を、三洋電機の創業者・井植歳男氏が購入し、井植氏の故郷・淡路島が見えるので『望淡閣』と命名しました。現在は結婚式場兼レストラン『ジェームス邸』になっています。 我が家から徒歩三、四分なので、オープンした頃は時々ですがランチやディナーを頂きました。二階に洒落たベランダが有り、何時もそこで珈琲を楽しみました。 予約が必要ですが、神戸に来られたら是非とも寄ってみて下さい。

日本の活性化❶―1 :高齢者活躍社会

2022-04-16 09:54:31 | 改革
【はじめに】
 1991年にバブルが崩壊して30年以上になりますが、日本の経済は停滞したママです。 日本とイタリアを除いた先進国では、平均年収が増加しましたが、日本は30年以上も400万円前後で推移してきました。 何故こんな状態を放置してきたのでしょうか?! 日本の政治と経済を活性化する必要が有ると私は考えているのですが、妙案は浮かびません。皆さんも考えて下さい!

 竹中平蔵氏は『規制緩和』、京大の藤井聡教授は『消費税減税』・・・多くの専門家が種々の提案をされています。 私は色々な対策を同時/平行に実施しないと日本を活性化して、平均年収をアップさせられないと考えています。 今回と次回は、「高齢者に活躍してもらう必要が有り、その為に何をすべきか」についての私の考えを書きます。

【元気な内は働ける社会】
 『女性活躍社会にする運動』は重要だと考えますが、高齢者の割合が増加している問題は、より差し迫った重要な問題です。『高齢者活躍社会にする運動』を官民協力して始める必要が有ると思います。

① 高齢者の割合が増加すると→→年金受給者が増加し→→医療費も増加して→→国家が破綻する。
② 少子化問題を解決して→→子供を沢山生んで/育て→→現役で働く人口を増やし→→日本の経済を発展させて→→税収を増加させ→→福祉予算を増やし→→高齢化問題を解決する。

 今から30年程前に『②の案』に着手したので有れば、良策だと言えますが、高齢化社会は将来の問題では無く、現在既に発生している問題です。 従って、直ぐに対策を打たなければならない問題です。

【持論 :理想的な老人】
 「毎日!毎日!少しの時間運動して、体力と時間を残して、給与をもらうか/全くのボランティアで社会に貢献する」、「医者の世話に出来るだけ掛からないように努力する」のが私の理想とする老人です。

 元気でも『老害』と呼ばれる人達が沢山いますが、老害は何とかして排除すべきです。老害者は得てして実権を握っているので、面と向かって「貴方は老害です!」と言えません。 年取った重役でも素晴らしい人格者はおられますが、老害を排除する為には、重役に定年制を設ける以外に無い様に私は考えています。

【持論 :身体の仕組み】
 私の持論ですが、人類の祖先は食物を得る為に毎日!毎日!動き回らざるを得なかったのだと思います。その為に、人類の身体は毎日身体を使う事を前提にした『作り』になっているのだと私は考えています。

 食物を取れなくなった(社会に貢献出来なくなった)老人は→→身体を短期間に老化させ→→死んで、次の世代に活躍の場を明け渡す様に、身体の作りはなっているのだと思います。 役割が終わった人間は早く死ぬべきですが、医薬や医術が進歩して、なかなか死ねなくなりました。

 私は老人の介護についてはスウェーデンに学ぶべきだと考えています。スウェーデンでは、自分の口で食べられなくなったら、『胃ろう』による栄養補給は行わないのが原則です。「静かに見守って死を迎えさせるべきだ」との考え方なのです。

❶ 人類の身体は毎日運動する事を前提にした『作り』になっている。
❷ 年とともに老化する。→→身体を動かさないと老化が早まる。
❸ 使用しない筋肉/機能は退化する。→→若い時は、筋肉が衰えても運動したら回復しますが、年を取るとなかなか元に戻りません。

【ラジオ体操】
 私が工場勤務の時は、現場職だけで無く事務職も毎朝勤務時間前にNHKの昔のラジオ体操をしました。 運動が必要なのは、本社や支店の事務職でしたが、ラジオ体操の習慣は有りませんでした。

 散歩は足腰の運動にはなりますが、足腰以外は殆ど使いませんから、上半身、腕、首などの運動を別にする必要が有ります。 NHK、日テレ、朝日などで車椅子の人でも出来る体操を放送しています。老人は勿論ですが、若い人達も毎日三、四分間体操して、5,000歩ほど歩いたら日本の医療費は大幅に少なくなると予想します。

(余談) 40歳代の現場職社員と電車で出張した事が有ります。彼は入社以来・車通勤でした。 電車がほぼ満員だったので、吊革を掴もうとするのですが、ドンナニ頑張っても肩より上に手が上げられませんでした。彼は、ラジオ体操をサボっていたのだと思いました。

【サプリメント】
 栄養補助食品(サプリメント)の広告が氾濫しています。 毎日・散歩と体操をして、サプリメントも利用するのは良いと思いますが、「サプリメントだけで健康を維持できる」と考えるのは間違いです。

【私の健康管理方法】
 私は昨年、後期高齢者になりました。同い年の友人が前立腺癌になったので、私もPSA検査を受けました。数値が高かったので、エコー検査とMRI検査を受けましたが、前立腺が肥大しているだけで、癌では無くてホットしました。

 自己負担は一割ですが、「近年中に二割に戻る」と言う噂を聞いたので、今月・簡易人間ドック検査等を受けましたが、前立腺肥大以外の異常は見つかりませんでした。

 私は喫煙も晩酌もやっていますが、今も元気なのは、何故か?考えてみました。遺伝的な要因が大きいと思います。母は103歳、父は原爆の被爆者で、80歳まで喫煙しましたが87歳まで生きました。

❶ 簡易人間ドック検査 :40歳になった頃、会社の定期健診を受けた時、たまたま・他に受診者がいなかったので、医者が暇で色々とアドバイスしてくれました。義兄が開業医だと言うと、「毎年、簡易人間ドック検査を受けるよう!」アドバイスしてくれました。以来、65歳にリタイアするまで毎年簡易人間ドック検査をしてもらい、義兄から注意点を指摘してもらってきました。

❷ 歩数 :50歳の時に出向した会社の社長が、「毎日一万歩以上を目標にすべきだ!」とアドバイスしてくれました。歩数計を買って、毎日の歩数をチェックしました。 年老いてからの”一万歩”は多すぎると言う記事を読んだので、リタイアしてからは”五千歩”を目標にしました。コロナが問題になってからは、二日に一回、人通りの少ない道を散歩しています。

❸ 好き嫌い :私は鶏肉は嫌いですが、他には嫌いな物は有りません。野菜、青魚、肉、牛乳、チーズ、納豆は大好きです。

(余談) 私は30歳代に365日間✕2回・禁煙しました。少しずつ体重が増えて6~7kgも太ってしまいました。喫煙を再開すると1年間ほどで元の体重に戻りました。 禁煙期間の前後を除いて、私の体重は20歳頃から変わっていません。 私は昔から小食で一回に食べられる量が少ないので、毎日お八つを頂かないと体重が維持出来ません。 この事で、後期高齢者になっても元気なのか?とも思われます。

【妻の健康管理方法】
 妻は私より二歳年下で、至って元気です。 何か特別の用事がない限り、夕方・友達と五、六千歩散歩しています。週に1回体操教室で二時間以上運動しています。月に一回・五時間ほど習い事に通って、口の運動をタップリしています。

 年に3回ほど、遠方の家に妻と二人で草引きと植木の剪定に行っていますが、妻は筋肉痛にはなりません。多分、体操教室のお陰だと思われます。

【高齢者の健康維持方法】
 私は神戸市と大阪市で二拠点生活をしています。 大阪にも住んでいるのは、(ボランティアで、)小さな賃貸マンションの管理、京都府の2ヶ所の家の草引きや庭木の剪定をするためです。75歳を過ぎた私が元気なのは、身体を使う仕事が有るのと、神戸の近所の人や大阪のマンションの住人と会話しているからだと思います。

 神戸の家の周辺では、散歩したり/ジョギングする人が多いいですが、大阪では殆ど見掛けません。 大阪の道には起伏が殆ど有りませんが、マンションの住人達は電動アシスト自転車を利用しています。電動アシスト自転車では、足腰を鍛える事は難しいと思います。 マンションの住人達は、多分・若い時から運動不足だったと想像しますが、私より若いのに、足腰に問題を抱えた方が3人もいます。3人は自転車に乗れなくなって、私に自転車を上げると言ってくれるのですが、「運動不足になるから」と言って断っています。

 マンションに70歳過ぎの女性が住んでいるのですが、彼女は週に6日ほど働いていました。 2年ほど前にコロナで急に仕事が無くなり、買い物以外では出掛けなくなりました。会うたびに太って来ます。運動不足が主原因なのは分かります。「仕事でストレスを解消していたのに、部屋に閉じこもる様になってストレスが溜まって無茶食いしているのでは?」と私は想像しています。

 年老いて太るのは、心臓の負担が増えるので良くないそうです。 私の予想では、彼女は数年以内に歩行に問題が出て来て、毎週・クリニック通いになるでしょう!

【登山】
 私の神戸の家の最寄り駅はJR塩屋です。そこから須磨の鉢伏山に登る登山道が有り、三、四時間で頂上に登れます。 好天の日には、塩屋駅の周辺に登山のグループが沢山集合します。 近鉄の大和西大寺駅に、年に3回・好天の日に行っていますが、改札階の広い通路が、沢山の登山姿のグループの集合場所になっています。

 登山は元気な内の趣味の一つとしては価値が有ると思いますが、今回・私が問題にしている「高齢者活躍社会の実現」と言う事には貢献しません。 「昨日は、鉢伏山に登って疲れた!今日は寝て暮らそう!」では、社会的な活躍をした事にはなりません。

【老人の集会場】
 私が小学生の頃(今から60年以上前に)集落の婦人達用に村が集会場を建てました。十畳ほどの小さな畳敷きの部屋に、台所とトイレが付いただけのお粗末な建物です。集落の主婦達が、月に一度集まってワイワイガヤガヤやりながら、昼食を作っていました。 時々でしたが、集落の子供達に『うどん』をふるまいました。

 コロナが猛威を振るいだす前の年(2018年)に帰省した時、集落の主婦に聞いたら、「メンバーは全員代替わりしたが、今でも定期的に集まっている」、「楽しいです」と言っていました。

 私が神戸に家を建てた時、徒歩数分の所に、市が建てた南向きで、海が見張らせる鉄筋コンクリート造の立派な老人用の集会場が有りました。近所の老人が、「行って見たら、古くからの住人達ばかりで、仲間には入れてもらえなかった」と言っていました。20年ほどすると、利用者がいなくなったのか?閉鎖し→→その後、市立のデイサービスになりました。

 田舎では老人でも毎日歩いて、身体を使わざるを得ません。強風や大雨の日以外では、一日・家に閉じこもるのは病人だけです。 そんな地域では、『口の運動をする』集会場を設ける事は有意義だと思います。 逆に、都会の老人には運動が必要で、『口の運動』の場所を税金で作る時代は終わったと思います。

【老人大学は止めるべきです!】
 地方公共団体が無料か、格安の料金で『老人大学』とか『生涯学習』を運営しています。老人が趣味で勉強するのは素晴らしいと思いますが、必要な金は全て自分達で負担すべきです。老人の暇潰しの為に貴重な税金を投入すべきでは有りません。

 私が播州の会社に勤務していた時、地元の高齢の社員達が、「老人大学は不公平だ!」と怒っていました。4年の大学と2年の修士課程があって、入試も試験も有りません。「入学するとダラダラと6年間通う人が多いい。」、「入学したいのだけど、空きが出来ないと入れない。申し込みの順番だから、私が生きている間に入れそうに無い!」、「勉強が目的でなく、喋りに行く人が多いい!」などと言っていました。

 老人に必要なのは座学では無く、身体を使う事です。 スマホを持って歩くとポイントが溜まるアプリを自治体や企業が運営しています。老人大学を止めて→→その金を回して→→アプリを充実させたら老人達は元気になり→→医療費を減らせます。

 貴重な税金は、若い人達のために使うべきです。

ありがとう!

2022-04-09 11:47:23 | 義母
【はじめに】
 今回は、私の妻の母(義母)とその姉(義伯母)の話です。 二人とも良くしてくれた、大正生まれの立派な方でした。

 第二次世界大戦の末期と戦後直ぐの頃は、結婚適齢期の男性が沢山亡くなったので、嫁入り先が少なかったのです。 義母は、ほとんど同じ年齢の娘が二人いる田辺市の商店に後妻に入りました。 義伯母は、男女4人の子持ちの姫路市の男性と結婚しました。

【義母】
 義母が結婚した時は、100人ほどの従業員で団扇(うちわ)を製造して、県外にも販売していました。(我が家に昭和天皇に献上した団扇と同じ物が残っています。) 相当儲かっていた様で、義父は友人達と芸者遊びをして、県外に複数の二号さんを囲っていました。

 私が結婚する前に、母が叔父に頼んで二号さん達がどうなっているのか?調査しました。 義父が亡くなった後で、義母が金を渡して後腐れが無い様に、円満に処理していたそうです。 普通、二号さんがいたら、奥さんが子供達に愚痴を言うものですが、義母は二人の子供には一切話さなかった様です。 結婚した後で、妻に「お父さんには二号さんの噂が有る」と聞いて見ましたが、笑い飛ばされました。 私は、この事でも義母を尊敬しています。

【義父の借金~娘の結婚】
 義母は、男女二人の子供をもうけました。 義父が、友人の借金の保証人になり、友人が逃げたために1億数千万円以上の債務が出来てしまいました。1955年頃の話なので、今の金では3億円以上だったと思います。金目の物は全て売り払い、幼い長男(私の義兄)は質屋通いをしたそうです。

 義父はまだ沢山借金を残して、1965年に亡くなりました。借金と店は義母と義姉が引き継ぎました。本業の団扇(うちわ)は少しずつ売れなくなり、タオルと冠婚葬祭の贈答品がメインになっていきました。

 借金の返済は大変だったと思われますが、娘(私の妻)には苦労をさせなかった様でした。娘が高校を出た後、お茶やお花の習い事をさせ、家で料理を教えた様です。そんな分けで、妻の料理は美味しいです。着物で習い事に通ったので、着物は自分で着られます。 結婚した時、高価な着物を沢山持って来ました。箪笥の中に、反物状の高級大島紬が入っていました。(今買うと100万円以上します。) 地味な色合いだったので、「妻が中年になった頃に仕立てなさい」と言う親心だと思いました。

 高校卒業して四、五年後に、義兄が「世の中を経験させた方が良い」とアドバイスしたので、娘を女中に出しました。その噂を聞いて、私が交際を申し込んで、義兄の協力も有って、結婚しました。

 私は、借金の話を義母には全く聞かなかったのですが、結婚して数年後に「借金を完済した!」と義母から言われました。25年間ほども頑張って、今の金で3億円以上の借金を返済したのです!

【義母の思い出】
 義母は『酸いも甘いも知る』、サッパリとした性格の方でした。遊びも好きで、義母に私は花札を教えてもらいました。1980年頃に任天堂の家庭用ゲーム機を買って楽しんでいました。 1983年・6歳になた長男に、発売開始直後の『ファミリーコンピュータ』を送ってくれました。

 義兄の医院に必要だったので、60歳を過ぎた義母がパソコン操作を練習して、データを打ち込んでいました。 私の好物を覚えてくれて、帰省したら「シロウオの踊り食い」、「鰹の刺身」、「トコブシの煮つけ」・・・を食べさせてくれました。 そして、時々・駿河屋の特上羊羹を送ってくれました。

【義伯母】
 義伯母は、姫路の男女4人の子持ちの男性と結婚したので、今でも『姫路の伯母さん』と呼んでいます。 夫は大企業に務める職人さんで、義伯母は働きながら子育てしました。私が結婚した頃、子育てはほぼ終わって、小さな借家で義伯父さんと二人暮らしでした。 義伯父さんは定年直前でした。

 私は、当時・高砂市の社宅暮らしだったので、何回かお邪魔しました。義伯父さんは無口な方で、話をした記憶が全く有りません。部屋の隅で、みんなの会話を聞いていたと記憶しています。

【義伯母と長男の兜】
 我が家に待望の長男が産まれた時、義伯母と義母が凄く喜んでくれました。義伯母は決して豊かな生活では無かったのに、「兜を買って下さい」と言って十数万円もくれました。 人形店を数軒回って、自分の金も足して、サラリーマンには買えない様な立派な兜を買いました。我が家の家宝にしようと考えたのです。

 長男は気に入ってくれ、結婚した時に「男の子が出来たら貰って良いか?」と言うので、勿論・了承しました。 残念ながら、長男にも次男にも男の子が出来ていないので、兜はまだ家に有ります。

 今でも、四月の末になると妻は兜を飾っています。私は、毎年・兜を見ると、素晴らしい方だった義伯母を思い出します。

【義伯母は郷里に帰りました!】
 夫が年金生活に入った後で、義伯母は郷里だった和歌山県田辺市に(二人で)帰りました。 我が家はゴールデンウイークとお盆に田辺に帰省していたので、義伯母の家にも寄りました。 小さな借家で、慎ましく暮らしていました。

 田辺には親戚が沢山住んでいて、知り合いも多かったためか、義伯母は活き活きとしていました。 結婚以来、子育てと、仕事などで苦しい生活だったと思いますが、田辺の3年間ほどは一番楽しい時だった様に見えました。

【義伯母の最後】
 夫が年老いたので、夫の生まれ故郷の姫路市に帰りました。古い長屋を借りて、義伯母はビルのトイレ掃除などの仕事をしていました。私は一度お邪魔しましたが、田辺の時の様な笑顔では有りませんでした。 暫くして、旦那さんは亡くなりましたが、仕事は続けていました。

 数年後に入院されて、義母と妻が時々見舞いに行っていましたが、私には会いたくないと言ったそうです。年老いた姿を見せたく無いのだろうと推察して、私は行きませんでした。

 危篤状態になった時、義母と妻が病院に行きましたが、育てた子供達は一人も来なかったそうです。義伯母は、「お世話になった!、お世話になった!」を繰り返し、最後には「ありがとう!、ありがとう!」と言い続けて、意識が無くなり、苦しまずに逝ったそうです。 私は、義伯母らしい、素晴らしい最後だったと思いました。

【義母は義兄と同居する様になりました!】
 義兄は工学部を卒業した後、医学部を受験し医者になりました。義母は、借金を返済しながら10年間ほども仕送りを続けた事になります。

 1982年頃に義兄は京都府で開業医になりました。義母は医院に住むようになり、開業前に妻は長男を連れて、一ヶ月ほど手伝いに行きました。最初の日は、患者さんが二、三名しか来られ無かったので、皆で先行きを心配したそうです。

 その後、義兄は結婚して、男の子を一人授かりました。義母は、孫と友達の様に接して、大層可愛がりました。晩年は幸せな暮らしでした。

【義母の最後】
 義母は癌が急激に悪化して、二、三ヶ月入院して亡くなってしまいました。入院中に妻は週に二、三回・片道2時間掛けて見舞いに行っていましたが、「私には会いたくない」と言ったそうで、私は見舞いませんでした。

 妻が見舞った土曜日の夜に急変し、妻が見守るなかで義母は亡くなりました。 葬儀は郷里の田辺市で行う事になり、日曜日の朝一の電車で、私は妻の喪服を持って電車に乗りました。義兄は患者を抱えた開業医ですから、急には休めません。それで、妻と私・二人で葬儀の手配をしました。

 葬儀場の宿泊施設を利用したのですが、『通夜ぶるまい』の後、深夜に私は一人で棺(ひつぎ)の横に小一時間座って、「ホントに色々ありがとうございました!」と何回も小さな声で言いました。恥ずかしながら、涙を流してしまいました。

花見と過剰介護

2022-04-02 09:13:19 | 趣味
【枝垂桜】
 京都府に私が管理している土地が有るのですが、昨日(1日)・急用が出来たので、電車で行って来ました。 満開の染井吉野が電車の窓から至る所で見えました。 東京は今週初めに満開だった様ですが、関西は少し遅れて満開になりました。

 管理地に枝垂桜が一本植わっていて、十年間ほど手入れして来たのですが、花が咲いている時期には行った事が有りませんでした。 昨日は枝垂桜も満開で、少し濃い素敵なピンク色でした。

【公園で花見しました!】
 好天の日に、赤ちゃん~幼稚園に入る前の小さな子供達が遊ぶ公園に、時々・散歩がてらに出掛けます。真冬でも真夏でも、遊ぶ子供が見られる住宅街の公園です。 まだ樹齢20年程の若い染井吉野が10本ほど植えられています。

 春分の日に、花見兼子供見物に出掛けました。桜は五、六分咲でした! 子供は十数人遊んでいて、小学生が数人いました。 コロナが流行り出して幼稚園児くらいになるとマスクをしていますが、もっと小さい子はマスク無しです。 よちよち歩きの可愛い子供の顔を見る事が出来ました。

 私は、特等席のベンチに座る事が出来ました。 『花より団子』です。子供達は桜の花には見向きもしませんでした! 私の故郷には染井吉野は植えられていませんでしたが、山桜は生えていました。 美味しくないサクランボを取りに行って、食べた記憶が有りますが、桜を愛でた記憶は有りません。

【介護の車が来ました!】
 公園の入り口に、介護施設の大きな車が横付けしました。男性の運転手と女性の介護士が3人降りて、私より二、三歳年上と思われる男女の老人・二人降ろしました。二人は殆ど自力で降りました。

 二人とも杖をついていましたが、(3人の介護士を引き連れて)十数メートル離れた私の方に自力で歩いて来るのです。他に空いたベンチが有るのに、当然の事の様に私が座っていたベンチに座ろうとしました。仕方が無いので、私は別のベンチに移りました。 5人は私を無視し、お礼の言葉は一言も無かったです。

 老人二人は”くたびれた服装”でしたから、高級介護設備の入居者とは見えませんでした。車の乗り降りが出来て、杖をついたら自力で歩ける人を、四人掛かりで花見させていたら、介護予算が幾ら有っても足りないと思いました。

【ブラジルから帰国された紳士】
 私が社会人になって、間もなくの頃の話です。 3月の今頃に新幹線に乗っていたら、60歳前後の紳士が乗って来て、隣の席に座られました。 座ると直ぐに話し掛けて来ました。

 若い時にブラジルに移住されて→→成功して→→数年に一度帰国されている→→年老いたので今回が最後の帰国になりそうだ!→→1ヶ月程掛けて全国を旅行する・・・と話されました。

 「日本の桜は素晴らしい! 今の時期に来て良かった!」と言われました。

【優雅な方の花見】
 私は現役の頃、転勤が多く色んな所で働きました。 自転車、バイク、バス通勤をしましたが、一番多かったのは電車通勤でした。 朝は、同じ時間に→→同じ車両の→→同じ入口から入りました。 田舎の電車では、顔見知りが出来て、時々話をする人が出来ました。 そんな中に、年の半分ほど海外出張される方がいました。

 4月の下旬ごろに久しぶりにお会いした時、彼は「昨日帰国したのですが、関西の桜は終わってしまいましたね! 僕は桜を見ないと落ち着かないので、明日・休みを取って弘前城に行く予定です。」・・・弘前城の桜が如何に素晴らしいか、話してくれました。