これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

令和維新のすゝめ (その8)

2020-10-31 11:24:50 | 工業技術
★★★★ 技術革新と物作り ★★★★
【はじめに】
 2019年の消費税2%アップと新型コロナで、日本の経済はズタズタになっています。菅政権の最優先課題は、当面は『新型コロナの感染拡大を防ぎながら、経済の減速を最小限に抑える』、コロナ後には『経済を如何に回復させるか!』です。

 バブル崩壊(1991年~93年)の後に、即効性の無い漢方薬の様な減税対策や補助金支給をやって、『失われた20年』になってしまいました。こんな施策を続けたら、コロナ後の経済回復は出来ないのでは?

 今回は、日本の経済にとって将来も重要な、工業における物作りの話しです。 私の経験した事を書きます。

【ノーベル賞】
 今年・日本人はノーベル賞を貰えませんでした。ノーベル賞の受賞者数とGDP(国内総生産)は密接な関係が有ると言うコメンテーターがいます。 この説は一見真実の様に思えますが、日本のデータをベースにして考えた結論です。 ノーベル賞の受賞者数とGDPは、直接の関係は有りません。

 人類の発展にとって重要な事に、発明と発見が有ります。ノーベル賞は『発見』に対する賞の様です。『発見』は重要ですが、直ぐに金を産む事が少ないので、発見者に何か報いを与えるべきだと考えて、ノーベル賞が出来たのでは?

 逆に言えば、ノーベル賞の対象になる学問は経済の発展には直接関係しないか、影響が少ないのです。 「日本人がノーベル賞を貰えなくなったら、経済が後退する」と考えるのは誤りです。 中国人と元中国人の受賞者は8人、韓国人は金大中の1人だけですが、経済は発展しました。誰かの発見をベースにして、発明して→特許を取って→商品化したら儲かるのです。

 「ノーベル賞受賞者が誕生する様な教育をすべきだ!」と言う方がおられますが、一国に限ればノーベル賞受賞者が増えても経済が発展する分けでは有りません。「寧ろ、経済発展に貢献する人材を育成する教育が必要だ」と私は思います。素晴らしい研究者が必ずしも、若い人を上手に教えられるとは限らないのです。 (後日、私の考えている「教育改革について書きたい」と考えています。)

(余談) 誰でも知っている偉大な発明家・エジソンやアレクサンダー・グラハム・ベルは、ノーベル賞を受賞していません。

(余談) ノーベル賞には6部門有りますが、経済学賞、平和賞、文学賞は止めたらいいのにと考えています。経済学賞はアルフレッド・ノーベル(ノーベル財団)とは無関係です。スエーデンの国立銀行が設立した賞です。経済学者には申し訳ないですが、経済学を捏ね回しても、現在の経済は良くならないと思うからです。 寧ろ、「数学賞、考古学賞を新設したら良い」と思われませんか?

 平和賞は、ノーベルの遺言で始まりましたが、その選考委員はノールウェーの国会が選んでいて、(スエーデンでは無く)ノールウェー国が与える賞です。 「佐藤栄作、金大中、バラク・オバマ・・・の諸氏が世界平和に貢献した」と思われますか? 余りにも、政治的な賞だと思います。

 文学賞も止めた方が良いと思いますが、続けたいのなら『芸術賞』に改称して、文学だけでなく、音楽、絵画、陶芸などなどの賞にすべきです。

【安く作る工夫】
 安く作る工夫/考案は、新しい機械を開発するのと同じくらい重要です。 嘗て(かつて)、日本の多くの職場には『提案制度』が有りました。 生産性向上や品質アップが期待できる提案をすると、報奨金が貰えたのです。ブルーカラーの人達の、チョットしたアイディアが予想以上の効果を発揮したケースが多々有りました。

 戦後、日本の工業が急激に回復/成長出来たのは、「社員の提案を真摯に受け取る体制」が有ったからだと思います。「塵も積もれば山となる」と言いますが、チョットした提案が沢山積み重なると、職場は効率化して/活気が出て来るものです。社員の提案を大切にする企業は、品質を落とさないで『より安く』作れると私は思います。

 私が務めていた会社で提案制度が衰退したのは、報奨金の額を下げてノルマを課したからです。 多分、提案が重要だと気付いた頭でっかちのエリート社員が提案したのだと思います。 「採用賞には五百円ほど、努力賞には二百円ほど出すから、毎月・一人2件以上提案しろ」と言う様な規則を作りました。 目標の件数に達しない課の課長は、上から毎月怒られるので大変でした。

 文章を作るのが得意な社員が、本来の仕事をしないで職場を徘徊して、他人の提案書を作成するアルバイトを始めました。(課長は黙認していました。) 1件・五百円ほどで請け負っていた様でした。 100人から依頼されたら、毎月「100✕2✕500=100,000円」も小遣いが稼げた分けです。 更に、問題だったのは審査担当者でした。 本業の仕事をしながら、沢山の提案書を読んで、採用賞と努力賞を決定して、お金を配って回ったのです。

 素晴らしいアイディアを期待するのであれば、ノルマを課しては駄目です。素晴らしいアイディアは、次から次へと湧いて来るものでは有りません。 会社の経営者に次のアドバイスをします。

① 社員に問題意識を持ってもらい、無駄を省くには?品質を向上するには?・・・何時も考えてもらいましょう!(アイディアが湧く社員は少数です。出来ない社員に強制するのは止めましょう!)
② 愛社/愛職場精神が持てる雰囲気作りが必要です。
③ 提案の内容を吟味しましょう。効果の期待出来そうな提案には、納得出来る報奨金を出しましょう!
④ 検査成績書を改竄する様な不正が横行する企業では、素晴らしい提案を期待するのは無理です。
⑤ 悪徳御用組合が暗躍する会社が、社員の提案を期待するのも無理です。

(余談 :頭でっかちの人間が作ったら駄目な例)
 私が務めていた会社が、1990年頃に広い!広い!機械工場を建てました。メインの建物は370m✕340m程も有りました。(その面積は、甲子園球場や東京ドームのグラウンド面積の10倍ほどになります。) 私は、その横に建てた事務所棟で4年程勤務しました。

 着任して直ぐに、工場を見て回りました。知り合いのブルーカラー社員が沢山いたので、挨拶したのですが、皆さん異口同音に「不便で仕事にならない」と言うのです。この工場には、機械部品の加工、機械の組立/試運転、梱包/出荷、外注部品や機器の受け入れ/保管などのスペースと、巨大な自動倉庫が有りました。

 この工場は原則『受注生産品』を扱っていました。 〘受注生産品は、顧客の要望を聞いて→設計して→生産するのです。見込み生産品(汎用品)は別の工場で生産していました。〙受注生産品でも、機械の基本部分には殆ど変更が無いので、図面の大半は繰り返し使用されました。 品質保証の基本の一つは図面の管理です。 現場で使用する図面には朱印を押して、工場内に設けた図面管理室にブルーカラー社員が取りに行って、作業が完了したら速やかに返却する事になっていました。設計者が勝手に図面を持ち込むのは、硬く禁止されていました。

 問題は、広い工場の中に図面管理室が一か所しか無かったことです。一枚の図面を借りて/返すのに2往復・1km以上歩く必要が有りました。

 測定工具(マイクロメータ、ノギス、ダイヤルゲージなど)の管理も重要です。工場内に一か所設けられた工具管理室から、検査済みの工具を借りて/測定が終わったら返す事になっていました。 測定工具を1個借りるのにも、1km以上歩く必要が有ったのです。

 私が一番ビックリしたのは、自動倉庫の籠です。籠は頑丈な金網製でしたが、網目が10cm以上も有るのです。 自動倉庫の責任者に、「こんな籠に小さな部品を入れたら落下してしまう」と言うと、近くで働いていた数人が集まって来て、「スタッフに何回も言っているのに改善してくれない。貴方から言ってくれ」と頼まれました。 完全なルール違反でしたが、私は小さな部品や機器を、自分で受け取って組立場に持って行きました。

 籠に入らない大きな物を並べるスペースが設けられていて、担当者が何人かいましたが、毎日多量に入って来るので、彼等でも置き場所が分からなくなるケースが多々有りました。手配した設計者は形状とサイズが分かるので、「探して下さい!」と電話が掛かって来ました。私は何回も呼び出されました。 結構・区分けして置いていましたが、モータだけでも百台以上並んでいて、探すのは大変でした。

(余談 :教訓)
 人間が新たに作った物では最初・大抵不具合が発生します。不具合を早期に洗い出して対策をする事が肝要なのです。(これは、法律や政府の施策でも同じです。)

 前述の工場の工場長(K氏)は常務になられていましたが、その前に別のセクションの平取の時、K氏の首が掛かった開発が暗礁に乗り上げていました。 急遽・私が引き継いで成功させました。開発の目途が立った時、K氏は料亭で宴会を催してくれ、「この借りは必ず返す」と言ってくれていたのですが、新工場では私に傲慢な態度を取りました。

 K氏に報告する時は、直立不動が要求されました。何回か会議に参加しましたが、メンバーの意見を聞くのでは無く、K氏が長々と自分の考えを喋る会議でした。 私は、二、三回意見を述べようとしましたが、話し始めると直ぐに怒鳴り出すのです。工場の問題点をK氏に報告する事は、誰にも出来なかったのです。

 結局、K氏が工場長の間は改善は進みませんでした。傲慢な態度を続け無かったら、この工場の売り上げが二、三百億円ほど有ったので、更に業績を伸ばしてK氏は専務になる事が出来たと思いました。

【生産コストの把握が必要です】
 私は中小企業と一緒に仕事をしたり、出向して働いたりしました。中小企業の多くは、自社製品の製造コストを把握していませんでした。期末に帳簿を締めて、初めて赤字/黒字が分かる有り様だったのです。

 生産コストを下げる為には、何にナンボ掛かるのか?把握する事から始める必要が有ります。素材費、加工外注費、社内加工費、塗装費、組立費、検査/試運転日、出荷/梱包費・・・等をそれぞれ把握する必要が有るのです。一見簡単な様に見えますが、結構難しいです。 特に社内の作業時間を、「どの仕事に何時間掛かったのか?」分析するのは難しいです。(細部に拘わらないで、ザックと集計するのがポイントだと私は考え、実践しました。)

 私は中小企業に出向しても設計と開発の仕事をしたのですが、時間を作って生産コストを算出する為のデータを集め、見積積算プログラムを作成しました。 問題点が沢山見つかって、加工外注先を変えたり、購入ルートを変えたりしました。 私が別の会社に移った後、多分・私が作成した資料やプログラムは使ってくれなかったと思います。(「生産コストを把握する事が重要だ!」と言う意識を、中小企業で定着させるのは難しく、時間が掛かります。)

 某社では、その会社でしか製造できない(昔から製造していた)機械を生産コスト以下(大幅な赤字)で売っていました。 顧客にとっては必要不可欠な機械でしたから、値上げを受け入れてくれると思ったのですが、社長は反対しました。 何とか社長を説得して、取引の少ない会社に価格アップの交渉をして見たら、すんなりと受け入れてくれました。

 私は東京勤務の時、(小遣いで)定時後に中小企業診断士の教室に通って勉強しました。最初から資格試験を受けるつもりは有りませんでした。 入社以来、中小企業の社長達と付き合っていたのですが、アドバイスを受け付ける様な社長は殆どいませんでした。 社員の提案を殆ど受け付けない社長が、金を出して中小企業診断士を雇うとは思えなかったので、私は資格を取らなかったのです。 勉強にはなりました。

 「どんなにしたら、より多くの中小企業が自社製品の生産コストを把握出来る様になるか?」色々考えているのですが、妙案は浮かびません。 思い付きですが、「工業高校で生産コストの集計方法と重要性を教える」案はどうでしょうか?! 「中小企業診断士を国の金で派遣する」案には賛成出来ません。

【中小企業は大切な存在です!】
 日本には中小企業庁が有り、中小企業基本法も有って、税制優遇などで中小企業を保護しています。 然し、私の目から見ると、「現場に足を踏み入れた事の無い、政治家と官僚達が昔ながらの経営をしている会社を支援/保護している」様に思えるのです。素晴らしい技術を持っていたり、種々工夫して頑張っている会社が沢山有ります。 官僚諸君!、机に”へばりつかない”で、そんな会社を見つけ出して、重点的に支援して下さい。

 20世紀の末頃から、日本では大手企業が需要の少ない分野(ニッチ)から撤退する様になって来ました。 中小企業は大企業の下請けのイメージが強いですが、大企業が抜けたニッチで活躍している会社も多々有ります。 こう言う会社は、小規模でも大企業並みの給料が出せます。

 私は中小企業に出向して、求人の仕事もしました。 求人倍率が『0.9』以上になると、中小企業に応募する人は少なくなります。 特に、機械工(工作機械のオペレーター)の求人は難しかったです。 機械工になりたい若者が少なく、経験豊富な機械工は自宅から遠いい職場に移るのを嫌がる傾向が有る様に思います。

 中小企業の税制優遇なども必要でしょうが、”金”以外にも「人が集まらない!」等々、中小企業の悩みを官僚諸君は聞いて回る必要が有ると思います。

【廃業してしまっていた!】
 日本の悪い慣例の一つに、適正価格では無く『叩いて!叩いて!買う』が有ります。某大手企業が大金を投入して生産ラインを大改造する計画を進めていました。私の勤めていた会社の機械を買ってくれる事になったのですが、そのラインに不可欠な装置を製造していた会社が全て撤退している事が分かりました。

 その装置の設計/製造には経験とノーハウが必要でしたが、修理は町工場でも出来ました。安いい価格を要求されて、メンテナンスもさせて貰えないので十年程の間に全ての会社が撤退していたのです。 私の会社の社長が安請け合いして、私が製造して貰える会社を探す事になりました。八方手を尽くして、関東の田舎に大昔に製造していた会社が現存している事が分かりました。

 電話では、「来て頂いても、期待には沿えない」と言われたのですが、他に当てが無いので出掛けました。 結構大きな工場でしたが、古い!古い!建物でした。社長は45歳ほどでしたが、社員は10名ほどしかいなくて55歳~70歳程に見えました。 全く別の分野の仕事をしていました。 社長は、「社員が全て60歳以上になったら会社を閉める計画だ」と言われました。 「今の仕事は少し儲かっているが、東京に近いから求人を出しても応募が殆ど無い。」様な話をされました。

 更に調査しましたが、見付からないので再度説得に行きました。 「顧客の計画を聞いても良い」と言ってくれたので、帰りに途中下車して顧客を訪問して、「次回、資料を持って私に同行して欲しい」と話したら、「資料は渡すが、出張は出来ない」と言い出しました。

 結局・私一人で三回目の出張をしました。工場長が顧客の計画資料を見て、「こんな現象が起こるので、この計画は成り立たない」と明言されました。帰社後、シミュレーションプログラムを作成して検討したら、工場長の予想通りの結果になりました。この装置が無いと顧客の大改造計画が成立しないのです。

 この改造計画には顧客担当者の課長昇格が掛かっていて、工場の偉い方から「君の会社には損はさせないから、君の会社経由で受けてくれ」と言われました。 それで、種々の工夫を加えた構造にして、シミュレーションプログラムを修正して、何とか成りたちそうな所まで持っていきました。 結局、現地で少し改造が必要になりましたが、何とか完成させる事が出来ました。

(余談) 普通・改造工事をする場合は、改造前の機械や装置を切断したりしてスクラップにしますが、この時は人手を掛けて再組立出来る様にして取り外しました。万一私の担当した装置が旨く出来なかったら、元に戻す事まで顧客は考えてくれていたのです。

 別の工場から、別の装置で同様の依頼が有りました。 別の会社に出向した時も、メーカーが撤退してしまった機械の製造依頼が来ました。 「昔は出来たのに、今は作れない」のは、正倉院の御物の話しだけでは有りません。

令和維新のすゝめ (その7)

2020-10-24 10:25:17 | 改革
★★★★ 技術革新と物作り ★★★★
【はじめに】
 今回から、物作りの視点からコロナ問題後の経済について書きます。国民の多くは、「経済は政治家や官僚に任せておけば、何とかなる」と安易に考えて来た様に思いますが、中国の台頭のために、そんな良き時代は終わっています。 国民、政治家、官僚、皆が勉強して、対策を考える事が必要な時代に入っています。

【私が主張する物作り】
 本稿で言う「物作り」は、工業だけでは有りません。建設業、鉱業、窯業、農業、林業、漁業などなどを含みます。そして、倉庫業、運輸業・・・GDP(国内総生産)でカウントされる物・全てを含みます。

 日本は資源と食糧を輸入する為の外貨を獲得する必要が有りますが、国民が現在よりも豊かな生活を送れる様にするには、国内の物作りを拡大して内需率を高める事がポイントです。

 韓国にはサムソン電子があり、現代重工をはじめとする造船産業が有るので、米中貿易戦争は韓国にとっては有利なはずです。(文大統領がこの千載一遇のチャンスを生かせるか?甚だ疑問ですが。) 残念ながら日本には中国の物作りの代打が出来る産業が殆ど有りません。米中貿易戦争は日本にとってはマイナスです。官民を挙げて、難局に取り組む必要が有ると思います。

【政治家は勉強すべし!】
 米中貿易が始まっており、第四次産業革命が進行中ですから、現在は政府、政治家、企業の経営者も難しい舵取りが必要になっています。 然し、近年の与野党の政治家の多くは、「経済は官僚と企業の経営者に任せておけば良い」とノー天気に構えている様に見受けられます。

 昔のキャリア官僚は、入省後も勉強して「日本を背負うのは、政治家では無く、俺達だ!」と言う様な志を持った方が沢山おられた様に思います。 経済政策/物作りについて、政治家達に教え/アドバイスしていたと想像します。 当時の政治家達も勉強はしなかったのでは?と思われますが、聞く耳は持っていたのでしょう。

 勉強はしない、聞く耳を持たない政治家達と付き合うキャリア官僚の身になって考えて見て下さい。私だったら直ぐに辞めてしまいます。然ういう政治家に投票する私達国民にも責任が有ります。

【政治家に勉強して欲しい!】
 2009年7月の衆議院選挙で、私は手弁当で民主党候補(DO氏)の選挙運動に参加しました。 私は公示の1カ月以上前から選挙運動を手伝ったので、DO氏だけで無く、県会議員や市会議員とも何回も話をしました。 皆さん、産業/物作りについての知識/経験は殆ど無く、興味も無い様でした。

 2010年にリタイアした後、与野党の若手政治家で勉強していると思られる方・10人以上に、「ボランティアで産業/物作りの調査をして、報告書を作成します。先生が勉強したい事が有ったら調査します。」とメールしました。 全ての政治家から無視されました。

 某社長から依頼されて作成した「リチュウム電池の報告書」を御参考にとメールに添付して見ましたが、やはり無視されました。 そんな分けで、3年ほど前からブログを書き始めました。

 国会議員・自らこのブログを読んでおられるとは思えませんが、秘書や後援会の方が読んでおられて、先生が産業/物作りに関心が有ると思われたら、このブログのコメント欄に連絡先を書いて下さい。 勿論、ボランティアで協力させて頂きます。 産業/物作りの話しですから、右派も左派も関係無いと思います。

【不勉強の典型例】
 日本を代表する政治家や大企業のトップが、勉強しない人間だったら、国がトンデモナイ事になります。 その典型例が『故・稲山嘉寛氏』と当時の政治家達です。

 稲山氏は、韓国と中国に製鉄所を建設する為の図面、製鉄所に必要な機械を製造する為の図面、製鉄所を操業する為の技術資料などなどを、殆ど無償で提供してしまいました。さらに、操業指導さえしたのです。 「敵に塩を送る」だけで無く、「最新の兵器の製造方法」と「戦争のやり方」を教えたに等しいのです。 現在、稲山氏の様な事をしたら、株主に訴えられて、多分・有罪判決が出ると思われます。

 日本の支援を受けた韓国と中国の製鉄産業はドンドン成長して、日本の製鉄業の市場が奪われたので、日本の製鉄産業が成長する事が出来なくなり→生産量を減らしてきました。 韓国も中国も日本の技術支援に感謝していません。韓国に至っては、ポスコの発展に多大な貢献をした日本製鉄から徴用工の慰謝料を取ろうとしています。 稲山氏と時の総理大臣は、外交で『温情』を持つ事の愚かしさを知らなかったのです。

 明治以降、「鉄は国家なり」で、官民を挙げて鉄鋼産業の発展に努力して来ました。優秀な人材が鉄鋼関連企業に就職する時代が続いたのです。 西欧諸国の技術を導入して製鉄産業が発達してきましたが、日本では沢山の優秀な技術者達が努力して、ドンドン工夫/改良を加え、超大形の高炉の建設/操業が出来る技術を確立していました。稲山氏が、安易に提供した技術は世界最高レベルの物だったのです。

★ 稲山嘉寛氏 :新日鐡の初代社長(1970年~1973年)、会長(1973年~1981年)
★ 1965年 :日韓請求権協定 ;総理大臣=佐藤栄作
★ 1970年から韓国・浦項製鉄所の建設を開始(現・ポスコ) ;総理大臣=佐藤栄作
★ 1974年 :日中貿易協定 ;総理大臣=田中角栄
★ 1977年に中国の宝鋼集団に対する技術協力 ;総理大臣=福田赳夫

*** 余談 :鉄の製造 ***
 「稲山氏がどれだけ貴重な技術を流失させてしまったのか?」を理解して頂く為に、鉄の製造方法について書いて置きます。

 江戸時代まで炭で加熱して、砂鉄をくっ付ける「たたら」と呼ばれる方法で鉄を作っていました。(砂鉄を液状にしていた分けでは有りません。) 出来た鉄を「たまはがね(玉鋼)」と呼びます。

 幕末に西洋から入って来た技術は、高炉で鉄鉱石を高温で溶かす方法です。鉄は1,536℃で液体になりますが、高炉の中の温度を2,000℃程にする必要が有ります。

 高炉は下部から空気を吹き込んで、上部に原料を投入します。 小形の高炉では、鉄鉱石、石炭、石灰石を投入していたと思われますが、高炉を大型化すると投入する前に原料を均一なサイズに成形/固める(ペレット化する)必要が有ります。 そうしないと、高炉の中を空気が均一に流れず、均一な温度にならず、最悪の場合は目詰まりしてしまいます。 (石炭はコークスに加工され、ペレット化されます。)

 高炉で出来た鉄を「銑鉄」と呼びます。鉄鉱石には炭素は含まれていませんが、銑鉄には高炉中でコークスの炭素が約4%含有され、不純物も含んでいます。 銑鉄を転炉(転換炉)に入れて、炭素分を減らし、不純物を除去します。

 鉄の炭素含有量は重要です。少ないと柔らかくなり、身近な物では「針金」です。転炉で炭素含有量を0.1%~0.55%程度に調整します。炭素が多くなると「焼きが入る」様になり、強度は高くなりますが、衝撃を加えると折れやすくなります。(使用目的に合わせて炭素量が調節されます。)

 転炉から出た鋼(はがね)を連続鋳造設備でインゴット(塊)にします。長い!長い!圧延設備へ厚板を、更に圧延して薄板、棒材、形材、管を作ります。

 転炉から出た鋼(はがね)を連続鋳造設備でインゴット(塊)にします。長い!長い!圧延設備で厚板を作り、更に圧延して薄板、棒材、形材、管を作ります。

 幕末に入って来た技術は、やっと芽を出した『双葉』の様なものでしたが、明治以降に種々の技術革新を進めて、世界的な大樹に育っていた技術を、稲山氏が無償で韓国と中国に渡してしまったのです。当時の政治家達は技術に関する知識が無かったので、国家にとって重要な技術の流出を止めませんでした、 驚いた事に、政府は稲山氏に勲章(勲一等旭日大綬章、勲一等瑞宝章、藍綬褒章)を与えました。

(余談 :製鉄所の見学) 私が入社した会社には種々の事業部が有り、私は機械事業部で仕事をしました。 一番大きな事業部は製鉄でした。 私の顧客で製鉄所の見学を希望される方が何人かおられ、何回も案内しました。 高炉の周辺は高温ですが、真夏の好天の日でも、見学したいと言う方がおられ、往生しました。

 高炉の下部の穴を開けると、真っ赤な銑鉄が流れ出して、下に待ち受けた台車上の容器に流れ落ちます。 壮観ですが、とにかく暑いです。

 連続鋳造設備と圧延設備の全長は1km以上有ったと思いますが、暑い職場です。これも案内するのですが、さすがに数百メートルで顧客は「もう結構です」と言われました。

 見学者を募集している製鉄所が多数有ります。是非・参加して見て下さい。 想像以上に大きな工場で、沢山の機械が動いています。 稲山氏は、それらの機械がほぼ全て作れる図面/資料を流出させたのです。 一式分の図面/資料を運ぶのに大形コンテナが何個か必要だったと思われます。(どんな優秀な産業スパイでも、持ち出せない量です!)

【理想的な経済とは?】
 コロナの問題が発生して、マスクの多くを中国から輸入していた事が分かりました。 マスクは、各家庭で結構沢山備蓄していましたが、医療用の資材は備蓄量が少なく、医療現場では困った様です。

 幸いにも今回のコロナの毒性が(今の所)低いので、何とか経済活動を継続出来ていますが、将来・毒性の強い新型の流行性病原体が発生する事を考慮した、経済/物作り体制を確立する必要が有ります。

 農作物は、豊作の年も有れば/不作の年も有ります。 (近年、異常気象が続いています。) 主食の農産物が不作になると、農業国は自国向けを優先すると予想されます。 世界的な食糧不足になった年に、日本が豊富な外貨で買い漁ると、国際信用を失ってしまいます。 最低限の食糧は国内で生産する事が肝要です。

 政治家や官僚諸君に、「日本の理想的な経済運営とは?」を考えて頂きたい。 自分の理想/理念を持って、行動する事が肝要です。官僚は政治家の考えを忖度して仕事をする事が要求されますが、確固たる理念を持った上で「忖度」して仕事をして下さい。 私の理想を下に列記して置きます。

① 最低限必要な物は国内で生産する。(食糧、医薬品/医療資材などなど)
② 内需率を高める。
③ 国際競争力の有る製品を開発し続ける。
④ 貿易相手国を増やす。(一国に偏った貿易は安全保障の面で好ましく有りません。)
⑤ 経常収支は毎年適度に黒字であるべき。(大幅な黒字は国際摩擦を引き起こします。)
⑥ 実質GDP(国内総生産)が毎年アップする。
⑦ 企業が利益を適正範囲で株主と従業員に配分する。(内部留保はほどほどに!)

【出を節約して、入りを工夫する】
 小学校のクラスメイトに、村で「金を貯めている」と噂の家の子がいました。時々・遊びに行くと小父さんが、「出を制して、入りを図る」と金が貯まると言われました。

 私は、「支出を減らして、収入手段を工夫して沢山儲けろ!」と言う意味だと大人になるまで誤解していました。 然し、国家の経済政策では、私の間違った解釈の方が正しいと思います。多少の貿易収支の赤字は許容出来ます。 官民挙げて物作りに励み、輸出出来る製品/産品を増やす事が肝要です。

(余談) 大人になって、小父さんは二宮尊徳(金次郎)の名言をそのまま言っていたのだと分かりました。「収入を計算して、それに見合った出費をしなさい!」と言う意味です。私の小学校には、薪を背負って、歩きながら読書をする少年の立派な銅像が有りました。 私達の頃・学校では二宮尊徳についての授業は有りませんでしたが、小父さん達が小学生だった頃は、その名言や偉業を教えて貰ったのだと思います。

(余談) 私は若者達に「二宮尊徳について勉強しなさい!」とは言いませんが、国会議員や政治家を志す人には、「二宮尊徳について勉強しなさい!」と言いたいです! 国会議事堂の前にこそ、二宮尊徳像を置く必要が有ります。

【中国に負けてはいけません!】
 習近平が2012年に中国の最高指導者になって、①蓄積した豊富な外貨、②アメリカ等で学んだ多数の優秀な人材、③過剰な製造設備、④豊富な地下資源、⑤巨大な国営企業群・・・などをフル活用して経済的/軍事的な覇権主義を進めています。

 欧米諸国、日本や韓国では一企業や一分野の企業群に多額の資金を投入して優遇するのは、国内ルールと国際ルールで制約されています。 然し、中国は、「そんなルールは関知しない」との態度です。 中国が重点指向して取り組む分野では、西側諸国の民間企業が国の支援無しに対抗するのは難しくなって来ています。

 中国は他国の企業、資源、農地などを買収しています。日本でも北海道などの土地を買っています。 中国は自国の土地や国営企業を絶対に他国には売りません。 この様な一方的な状況を放置して良いと思われますか? 中国のやっているのは、『金と言う武器による植民地化政策』です。

 日本を含めた西側諸国は、中国の国営企業や中国人が購入した不動産/企業を調査して実態を把握する必要が有ります。 中国の金による植民地化政策を制限する国際ルールを確立する必要が有ります。

 この国際ルールが出来るまで、日本は重要な産業を選んで、国が支援する必要が有ります。 倒産寸前まで追い込まれた企業を支援するのでは無く、元気な内に手を打つべきです。 中国に渡してはならない、不動産を選定して、中国が買えない法律を制定する必要が有ります。 現在は民間人が所有する不動産や企業を中国は、殆ど制約無しに購入出来ます。 

 中国国内に住んでいる中国人が北海道に所有する土地に道路を作る事になったとします。所有者の許可を得るのは非常に難しいと思います。 「A国が許容している事は、日本も許容するが、A国が許容しない事は日本も許容しない」と言う法律を至急作るべきです。 これは、国際ルール違反にはならないと思われます。

日本学術会議の問題

2020-10-17 11:23:51 | 改革
【はじめに】
 菅内閣が日本学術会議から推薦された会員候補・105名の内、6名を認めなかったことで、マスコミと野党などが大騒ぎしています。 最近まで殆どの国民は、日本学術会議と言う名前を聞いた事が無かったのでは?

 数日前に、尊敬している三浦瑠璃氏のコメントを読んで、日頃は”歯に衣を着せない”彼女なのに、日本学術会議側の批判は殆どしていませんでした。 彼女は”学者”ですから、「老先生達の問題点は指摘できないのか?」と思いました。 それなら、私が書こうと思い立った分けです。

【日本学術会議とは】
 日本学術会議は、1948年に制定された『日本学術会議法』に基づいて、内閣府に設けられた機関です。 学者・先生達が科学に関する意見を議論して、発表する団体です。 科学に関する予算に関連したり、政治的圧力を加える団体では有りません。

 ウイキペディアによると、意見表明には下記の六種類が有るようです。近年は、政府から意見を求められる事も無く、日本学術会議の方から勧告や要望を出す事も殆ど有りません。

① 勧告 :科学的な事柄について、政府に対して実現を強く勧めるもの
② 要望 :科学的な事柄について、政府及び関係機関等に実現を望む意思表示をするもの
③ 声明 :科学的な事柄について、その目的を遂行するために特に必要と考える事項について、意思等を発表するもの
④ 答申  :専門科学者の検討を要する事柄についての政府からの問いかけに対する回答
⑤ 提言  :科学的な事柄について、部、委員会又は分科会が実現を望む意見等を発表するもの
⑥ 会長談話 :緊急な課題等について、日本学術会議会長から発する談話

(余談) 日本には科学アカデミーに相当する団体は、日本学術会議の他に日本学士院と日本工業アカデミーが有ります。 科学予算の配分に関係しているのは、国立研究開発法人・科学振興機構と独立行政法人・日本学術振興会です。

【会員の任命】
 問題になっている『会員の任命』についての規定は、日本学術会議法の第7条の2項「会員は、第17条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」。 第17条は、「日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする」となっています。

 「推薦された会員候補を総理大臣が拒否出来るか?」は法律には明記されていません。 最近亡くなられた中曾根康弘氏が総理大臣だった、1983年に「学会から推薦したものは拒否しない、形だけの任命をしていく、政府が干渉したり、そういうものではない」との見解を出されました。 野党の一部などは、この見解を盾に異議を唱えています。

 中曽根氏の見解は40年ほど前の話しです。「世の中が変化しても、昔の総理大臣の考え方に縛られる」と、皆さんは考えますか? もし、そんなルールが存在しているのだったら、新しい事は何も出来ません。 立憲民主党が政権を取っても、自民党時代の政府見解を守るのですか?

【推薦する会員の決定】
 内閣府に推薦する『会員』の決定方法は、過去・何回か変更されましたが、2005年から「現在の会員が次の会員を選ぶ『コ・オプテーション方式』」になっています。 左派の現会員は左派の人を、右派の現会員は右派の人を推薦する事になります。理工系でも学閥が存在しますから、○○学閥の現会員は○○学閥の人を推薦します。

 国立大学で新たな教授を採用する事になったとします。「××領域の研究をしている・・・を募集する」と言う官報が出ます。 貴方が正に該当すると考えて応募して見て下さい。 ノーベル賞の様な権威のある賞を得ている場合は別ですが、不採用になります。 官報を出す前に内示が出ているケースが殆どだと、私は思います。学者先生達はそう言う世界に生きているのです。

 政治家は、国民の考え方が多いい方が当選しますが、学者先生達は国民の思想とは無関係です。従って、どんな『推薦会員』の決定方法でも、国民の少数しか支持しない思想の持ち主の『会員』が誕生します。 然し、「日本学術会議には国政に関する決定権が無いのですから、色々の考え方の『会員』がいる方が健全だ」と私は思います。

(余談 :日本学術会議の選挙?) 日本学術会議には210名の会員と約2,000名の連携会員がいます。会員と連携会員の任期は6年で、会員は再任不可、連携会員は2回まで再任可能です。3年毎に半数が交代する事になっています。会員の定年は70歳です。

 現在の会員と連携会員が(次期の)会員候補と連携会員候補を投票用紙に5名まで記入します。 その内、会員候補は0名~2名まで書く事になっています。 「投票結果をどの様に集計して当選者を決めるのか?」私が調べた範囲内では不明です。「当落ライン上で、得票数が同じ場合はどうするのか?」、「定員に達しなかったらどうするのか?」、「1票しか得られ無かった人でも、当選にするのか?」・・・日本学術会議は公表する義務が有ります。

 会員候補を105名選んで、リストを内閣府に提出しますが、連携会員には内閣の認定は不要ですから、日本学術会議が投票結果を基に独自に決定します。 なお、「会員は特別職、連携会員は一般職の国家公務員となります」が、貴方や私の毎月の小遣い程度の手当が支給されるだけだと思われます。「会員になったら年金が増える」との報道がありましたが、噓です! 全くの名誉職です。

【日本学術会議は必要か?】
 欧米諸国には科学アカデミーと言う団体が有ります。日本にも戦前には『学術研究会議』が有りましたが、終戦の年(1945年)に廃止されました。 多分・GHQの指導が有ったのだと思いますが、1949年に『日本学術会議』として復活しました。

 初期の頃は、荒廃した科学の復興に日本学術会議は貢献した様に思いますが、次第に政治家にとって日本学術会議は重要ではなく、寧ろ困った存在になったと思われます。

 政府が専門家に意見を出して貰いたい時、日本学術会議に意見を求めると(忖度しない)意見が出て来る恐れが有ります。 従って、現在は民間人と御用学者を含めた有識者会議で議論してもらう様になっています。

 現在の存続の意義は、「欧米諸国にアカデミーが存続しているから、国の体裁の為にそのままにしておこう!」、「年間の経費は僅か11億円ほどだから」と考えて、歴代の内閣は放置して来たのだと私は考えています。 近年は、「秘書付き、小遣い付き、居心地の良い高給老人クラブ」の様な存在になっている様に思われます。

 野党は6人排除した事を問題にしていますが、立憲民主党や共産党が将来・政権を取ったとしても、日本学術会議に活躍して貰う事は無いでしょう。 日本学術会議には右寄りの先生もおられるので、立憲民主党や共産党にとっても、好ましい団体では無いのです。

【学者・先生達の組織を改革出来るのか?】
 菅総理は、日本学術会議を改革したいと考えているのでしょうか? どう改革したいのでしょうか? 私は、「軽い気持ちで(深い考え無しに)6人排除した書類にサインしてしまったのでは」と想像します。

 日本学術会議の会員と連携会員は、文章を書くのに慣れており、口の達者な方が多く、何よりも年寄り達ですから、人の意見を聞く耳を持っていません。 「少しは、政府の方針を忖度した発言をして欲しい!」と言っても、馬耳東風です。

 一時的に左寄りの学者を排除しても、十年もしたら左寄りの学者が会員になるでしょう! 総理大臣の貴重な時間とエネルギーを割いて、日本学術会議の改革(?)を行う必要は無いと思います。

【学会の選挙】
 日本学術会議の会員(210名)と連携会員(約2,000名)は、各種学会の推薦で選ばれます。 各学会のボス達が独断で人選しているのだと思います。ガラス張りの状態で決めているのでは有りません。

 ウイキペディアによると、2020年現在・日本には1,176もの学会が有ります。学会より会員の少ない協会、研究会や勉強会も多数有ります。 研究者や開発者は、大抵・複数の学会や協会のメンバーになります。(私も、五つの団体に会費を納入していました。)

 学会には『公的学会』があり、それらは日本学術会議が指定しています。公的学会で無い学会も有ります。『創価学会』は公的学会では有りません。

 私は、1971年に機械工学科を卒業して社会人になりましたが、当時の機械工学関係の学会や研究会は会員は少なかったですが、戦争で遅れてしまった工業の発展に貢献したいと考えて、皆さん頑張っていた様に思います。学会で活躍されていた方が理事になられました。

 日本が豊かになって来ると学会の会員数が増えて、名誉欲の強い人間が学会の理事に立候補する様になって来ました。 民間企業からも理事が選ばれましたが、名誉欲だけは人一倍強いのですが、工学的知見は殆ど無い”お偉方”が理事になるケースが増えて来ました。

【日本弁護士連合会】
 欧米諸国では、市民が血を流して民主主義を獲得しましたが、日本は戦後・GHQから与えられました。民主国家になったと考えておられる方が多いいと思いますが、何かの団体を作ると、直ぐに非民主化してしまいます。その典型が日本弁護士連合会(日弁連)だと思います。

 日本には1949年に全面改正された『弁護士法』が有ります。この法律によって、弁護士の資格を得ても、どこかの弁護士会に所属しないと、弁護士の仕事が出来ません。 全国に有る弁護士会は、日弁連に所属しなければなりません。

 日本学術会議は税金で運営されていますが、弁護士会は弁護士達が治める会費などで運営されています。(国費は投入されていません。) 従って、弁護士として働くためには、地域の弁護士会と日弁連に会費を納入しなければならないのです。 合計の年会費は20万円以上になるようです。日弁連に入る年会費の総額は(私の試算では)60億円ほどになります。(日本学術会議の運営費は11億円ほどです。)

 弁護士になるためには、ある程度・頭脳明晰でなければなりませんが、「頭の良い人間の団体はガラス張りの民主的な団体だろう」と思われそうです。 然し、実情は全く違う様に見えます。

 日本人の多くは『事なかれ主義』です。自分達の出す金で運営される団体で、ボス達が勝手に決定しても文句を言わないケースが多々有るのです。 その典型例が、日弁連と民間企業の御用組合だと思います。

(余談) 橋下徹氏も日弁連の会員です。 橋本氏でも、日弁連の左寄りで、理想主義的な主張を止める事が出来ません。 私は典型的な悪徳御用組合に所属していましたが、組合員を無視した会社寄りの(高給を食む)組合幹部に異議を申し立てた事は有りません。そんな事をしたら、昇格が完全にスットップしたからです。

【私の考え】
 日本学術会議は有っても無くても良い機関ですから、この際・廃止したらスッキリすると思います。日本学術会議法を廃止するだけで良いのでは? 野党は6名排除した事は問題にしていますが、日本学術会議の廃止にも反対するでしょうか? 民主党政権時代にも、日本学術会議は何の役にも立たなかった様に思えるのですが!?

 廃止したら、東京の地下鉄・乃木坂駅前の一等地が空きます。職員50名の給与4億円と、更に7億円ほどの予算が浮きます。

 国民に民主主義思想がもっと広がって、事なかれ主義から脱却出来て、自分の意見をハッキリ言う人が増えて来たら、「日本科学アカデミー」として再スタートしたら良いと考えます。日本の国民は残念ながら、ガラス張りの民主的な団体を作ったり、維持する能力が有りません。 少子化対策が進んで『未婚女性家族社会』になったら、世の中はガラリと変わって、民主主義思想が定着すると期待しています。

(余談) 私は「自衛隊は必要だ」と考えています。従って、兵器も必要です。 日本学術会議は1950年以来・一貫して兵器の研究開発を否定しています。欧米諸国、ロシア、中国にも科学アカデミーは有りますが、兵器の研究開発を否定しているアカデミーは、他には無いと思います。

令和維新のすゝめ (その6)

2020-10-10 11:55:08 | 社会問題
★★★★ 少子化対策 ★★★★
 今回は、少子化対策の最終稿です。

【はじめに】
 比較的簡単に伴侶が見つかって、悩む事無く子供が出来て、楽しい家庭を築いた方が多いいと思います。 然し、世の中には、結婚出来無かったり、子宝に恵まれ無かったカップルも沢山います。 今回はそんな例を幾つか書きます。人は色々ですから、少子化対策は難しい事だと思います。

【避 妊】
 セックスを楽しみたいと言うのは、男女を問わず人間の本能です。 「妊娠を心配しないでやりたい」と言う神の意思に反する願望は大昔から有る様です。 コンドームは5,000年前のエジプトが起源だそうです。 『コンドーム』は17世紀のイタリア人の名前だと言う説が有ります。 17世紀のコンドームは牛の腸膜製だった様です。20世紀の初めに、ゴム製が作られる様になりました。

 戦後、日本でもコンドームが普及し、その他の避妊具と避妊薬も普及して、少子化が問題になる様になりました。換言すると、人類の長い!長い!歴史の中で、この百年間は「子供を儲けるかどうか?」をカップルの意思で決める時代になったのです。少子化対策とは、カップルの意思を「子供を産もう!」と言う方向に誘導する事です。

(余談) 私は会社の名前の入った大きな独身寮に入りました。そこに二、三年先輩の二人の男性がいて、私と同じ部に所属していました。 彼らはコンドームの通信販売を始めました。 宛先に大手企業の名前が入っていますから、顧客も安心です。段々と注文が増えて来ました。毎日・十通以上、注文の手紙が来る様になりました。 商売は大繫盛になったのです。 (昔は若い奥さんが対面でコンドームを買うのが恥ずかしかったのです。)

 寮長が不信に思って、彼等の押し入れを開けたら、溢れる程のコンドームが有ったそうです。アルバイトは社内規定で禁止されており、会社の名前を利用するのは以ての外でしたので、「商売を続けるのなら、会社を辞めろ」と言ったそうです。私は寮長と親しかったのですが、「あいつら、一生コンドームを買う必要が無い!」と笑っていました。

【流 産】
 余程・親しい関係で無いと、奥さんが流産した事は分かりません。 40歳・少し前に、高給を得ていた男性と結婚した女性がいました。直ぐに一人目は出来たのですが、その後は流産を繰り返して、結局二人目は授かりませんでした。

 彼女は持病の無い、健康な方で今でもお元気です。 女性が40歳を過ぎると、流産する確率が高くなる様です。 出産適齢期(20歳~35歳)に産んで貰える様にするのが、少子化対策のポイントの一つです。

(余談) 男性も加齢と供に異常な精子が混じる様になるそうですが、卵子を我が物にする為に、精子達は過酷な競争をして、正常な/元気な精子が最初に到達出来る事になります。その為に、男性は年をとっても元気な子供が授かるのです。 山本五十六は、お父さんが56歳の時に生まれました。 (私の幼友達に五二君がいます。てっきり父親が52歳の時に生まれたのだと思っていましたが、父親に会ったら若くてビックリしました。名前を考えるのが面倒くさかったので、5月2日生まれだから『五二(ごに)』にしたそうです。)

【薬の為に子供を諦めたカップル】
 大規模農家が二軒あって、その一人息子(K氏)と一人娘が結婚しました。K氏は家業を継がずに私が勤務していた会社で働いていました。 二十歳代で結婚したのですが、結婚して直ぐに耳鼻科の病気になって、強い薬を服用する様になってしまいました。 医者から、「この薬を飲んでいる間に子供を儲けると、奇形児になる可能性が有る」と言われたそうです。

 K氏は薬を飲み続けていたのですが、45歳頃・奇蹟が起こった様に完治しました。完治祝いの席を設けたのですが、「更年期だから子供は諦めている」と寂しそうに言いました。

(余談) K氏が30歳代の時に、両家の両親が相次いで亡くなりました。大きな二軒の家屋敷と数町歩の田圃を相続し、誰かに委託していた様でした。

【趣味に生きた男性】
 結構・魅力的な男性なのに、独身で趣味に生きた方を二人知っています。その一人のF氏は大手優良企業の社員で、私が面識を得たのは彼が定年になる2年程前でした。 何時も、高価そうな趣味の良い服装で、十歳は若くみえました。  F氏の趣味はスキューバダイビングで、年に何回か一週間ほどの休暇を取って、インドネシアに一人で出掛けていました。

 もう一人のG氏は、仲間三人で設計会社を設立して、私が勤務していた会社に出向して、同じ機械を担当していました。彼等は正社員よりも担当の機械を熟知していて、会社に取って無くてはならない存在だったので、出向者としては破格の賃金を得ていたと思いました。

 二人は結婚して子供さんがいましたが、G氏は独身でした。高校時代からサーフィンに夢中になって、40歳を過ぎても休日には大抵、サーフィンに出掛けていました。多分・一生独身で過ごしたと思います。

【超過保護で育った男性】
 私の親戚に一人っ子で超過保護で育った男性(M1氏)がいます。M1氏は40歳を過ぎていて、学校を出てから一度も就職しておらず、家に閉じこもって暮らしている様です。勿論・独身です。M1氏の父親(M2氏)も一人っ子で、彼も超過保護で育った様です。M2氏の父親(祖父=M3氏)は、税務署長で定年を迎えたので、節税対策は得意だったと思われます。 M2氏が私の親戚の女性と結婚して数年後に、沢山の不動産と預貯金を残して亡くなりました。

 M2氏は私の親戚の冠婚葬祭には何時も、奥さんとM1氏を連れて参加しました。私は、まだM1氏が幼い頃から話をしようとしましたが、話し始めると直ぐにM2氏か奥さんが飛んできて間に入りました。 その為に何時も短い会話でしたが、M1氏は私とは真面に話が出来ました。

 M2氏は定年退職しても、質素な暮らしをして、貸家などの収入をセッセト貯金している様です。M1氏が一人になっても困らない様にと考えているのだと想像します。私には本末転倒の様に思えるのですが!?

【若くして大成功した男性】
 若い時に起業して大成功した男性(O氏)がいます。ガムシャラに働いて、結婚したいと考え出した時は、40歳近くになっていました。 バブル崩壊後・数年経っていましたが、彼の所得は羨ましい額でした。

 彼は、積極的に婚活を始め、気に入った女性とデートするのですが、「金目当てでは?」と疑ってしまい、別の女性と付き合っても・また疑って・・・。 母親から「結婚相手を探して欲しい」と依頼されました。 私は、「正直に年収を女性に告げたら、普通の女性でも金目当てに変貌してしまう!」とアドバイスしました。 「年収は誤魔化せても、会社名と役職(社長)は正直に書かないと、婚活会社は受け付けてくれません。交際を始めると女性が調べて、年収がバレテしまいます」と言われました。 結局、彼は今でも独身の様です。

【1960年頃に結婚した男性の話し】
 大昔の羨ましい二人の男性(N氏とM氏)の話しです。 N氏はダンディで多趣味、話し上手な方でした。 M氏の方は、ブ男では有りませんでしたが、優しいと言う以外に褒め言葉が有りません。極普通の方でした。

 共通するのは、大学卒で、結婚した時期(1960年頃)がほぼ同じで、超高収入を得ていた女性の方からプロポーズされた事です。 二人とも結婚して最初の給料を奥さんに渡そうとしたら、「貴方の給料は当てにしていません。小遣いにして下さい」と言われたそうです。 N氏の奥さんはブティックを数店経営されていて、M氏の奥さんは美容院を数店持っていました。

 奥さん達は超多忙だった様で、結局子供は儲けられませんでした。今の様に保育園が沢山有って/充実していたら、子供を産んでいたかも知れません。

(余談) N氏は中規模の会社の重役になられ、M氏は大企業の部長になられたので、結構な年収が有ったと想像しますが、定年まで給料は全て小遣いだった様です。 私は、二人に二、三回・洒落た店で御馳走になりました。

【親の介護で結婚が遅れた女性】
 娘さんが一人の家が有ったのですが、娘さんが30歳くらいの頃、両親が相次いで癌になって自宅療養をしていました。 娘さんは会社を辞めて、両親の面倒を見ました。 二人を見送った時、35歳を過ぎていたと思います。

 近所の人達が結婚相手を探して上げようと努力しました。私の所に、「料理も上手だ・・・」と言う手紙を同封して、ポートレートが届きました。綺麗な優しそうな女性でした。出向していた会社に四、五歳年下の男性がいたのでポートレートを見て貰いましたが、会う所まで行きませんでした。

 結局、彼女が40歳になった頃、実家を処分して両親の故郷に帰って行ったそうです。暫くして、「結婚した」と連絡が有った様ですが、子供は授からなかった様です。

【難産だった奥さん】
 100所帯以上が入った社宅に住んでいた時の話しです。「YK氏は高級ソープランドに行っている」と言う噂が、社内と社宅で広がりました。 赤ちゃんを抱いたYK氏の奥さんを、私は社宅で時々見掛けました。まだ二十歳代の綺麗な方でした。 「初産が難産で、以来・怖くてセックス出来なくなってしまったので、高級ソープランドに月に一回だけ行って貰っている」と奥さんが言われたそうです。 そんな事を聞き出した人は、鬼ですね!

(余談) 社員の誰かがソープランド街に行って、たまたま見掛けたYK氏の後をつけて、噂を広めたのだと思います。「君もソープランドを利用したのだろう!」と言ってやりたかったです! 『武士の情け』は無くなってしまったのです。

【出産と転勤拒否】
 私が勤務していた会社では、理由の如何を問わず・転勤を拒否すると、その時点で昇格がストップしました。この社内ルールは、私が定年退職する時も存続していた様です。最初に配属された部にいた、数年先輩の男性社員二人の話しです。彼等の奥さんが相次いで出産されました。 出産二、三ヶ月後、それぞれに遠隔地への転勤辞令が出ました。彼等の奥さんは”産後の肥立ちが悪く”、二人とも転勤を拒否しました。

 その内の一人(KO氏)が、私が出向した会社に一年ほど遅れて出向して来ました。KO氏は仕事に情熱が湧かない、駄目社員になっていました。 KO氏は日本酒が好きで、私をよく呑み屋に誘うので、たまに相手をしました。彼の悲惨な人生を延々と話すので、楽しい酒にはなりませんでした。奥さんは、出産後・重症の鬱病になり、入院して時々自宅に帰り、数日後に入院する様な生活をしていた様でした。数年すると、医者の許可が出ても「病院の外は怖い」と言い出して、以来、病院を出る事が無かったそうです。(KO氏が奥さんと、普通に暮らしたのは3年ほどでした。)

 産後・1年程した時、奥さんの御両親が、「子供は私達が育てるから、娘と離婚して、新しい人生を始めなさい」と言われたそうですが、彼は断って息子を一人で育てました。最後にKO氏と会った時、息子さんは30歳程になっていましたが、「仕事にも就かず、僕から毎月小遣いを貰って、年上の女性と同棲している」と嘆いていました。

【子連れの女性と結婚した友人】
 入社同期の友人の二人(H氏とS氏)が、女の子を連れた女性と結婚しました。 そして、2組とも結婚して、直ぐに子供が出来ました。 H氏の方は、奥さんが専業主婦になられ、暫くして三人目も誕生して、三人とも立派に育てられました。 

 S氏の方は、奥さんが優秀な(コンピューターの)プログラマーでした。結婚した時、退職されて専業主婦になっていました。上の子は幼稚園児で、下の子が一歳になった頃、「高給を出すから、復帰して欲しい」と何回も誘われたので再就職しました。S氏は内心、再就職には反対だった様で、私と飲んでいる時、時々「僕より高給だから!」と寂しそうに言いました。

 40年ほど前でしたので、学童保育は充実しておらず、上の子は『鍵っ子』になってしまいました。小学校の高学年になった頃から、時々・登校しなくなり、無試験で入れる様な私立の高校に入学しましたが、殆ど登校せずに、中退してしまいました。

【鋭利な刃物が怖い】
 三十歳前後の二人の男性が電車の中で話していました。 「美人の○○さんは、まだ独身らしいね!」、「彼女は結婚出来ないよ! 包丁や針の様な鋭利な物が怖いらしい。 料理を作った事が無い」・・・と言うのです。

 知り合いの医者に話したら、『先端恐怖症』と言うそうです。「時間が掛かる様だが、治るケースも多々有る様だ」と言いました。 彼女の様な場合は、決して恥ずかしい事では無いですから、家族だけで悩まないで医師の力を借りるべきです。 多分、健康保険の対象になっていると思われます。

【子供がいると嘘ついた男性】
 大手重電(ME社)の協力会社に出向した時、ME社が雇った設計の派遣社員(T氏)がいました。 狭い設計室で、T氏と私・二人で仕事をしました。 T氏は楽しそうに、一人息子の話をするのです。

 二、三ヶ月後に、経理の女性に「T氏は息子の自慢話しをする」と言うと、「Tさんは、独身で御父さんと二人で暮らしている、子供はいませんよ!」と不思議そうに言いました。その後、私に嘘がバレたと気付いたのか?息子の話しはしなくなりました。 彼は日頃、「息子がいたら、こうして遣ろう!ああして遣ろう!」と想像して、楽しんでいたのだと思います。 だから、実際に有った事の様に話せたのだと思いました。

【不思議な男性の話し】
 これも、中小企業に出向した時の話しです。50歳代の男性設計担当者(N氏)を採用しました。 面接の時は、「某大手企業で20年ほど設計をやった」と言っていましたが、仕事を始めるとレベルが非常に低い事が分かりました。

 N氏の履歴書には『内縁の妻』との記載がありましたが、三、四ヶ月後に、N氏には正妻さんがいる事がバレテしまいました。N氏の給料は大学卒の新入社員程度しか有りませんでしたが、「その一部を正妻さんに渡して、学校の先生をしている『内縁の妻』の給料で生活している」と話しました。 二人の女性には子供はいませんでした。

 N氏は、ブ男では有りませんでしたが、中肉中背の話し上手でもない普通の男性でした。 N氏は、一年も経たない内に辞表を提出して、何所かに行ってしまったのですが、パートの女性達は「二人の女性がN氏を離さないのは何故か?」勝手に類推して、楽しそうに喋っていました。

(余談 :一生独身だった男性の話し)
 この話は、1995年頃に親しくしていた同僚から聞きました。 大昔、(多分・大正時代だったと思いますが、)大阪に長男(A氏)と次男(B氏)・二人息子の資産家が有りました。B氏は、勘当されて家を出た切り音信不通になってしまいました。 A氏が若い時に両親が亡くなられ、沢山の遺産を相続したそうです。

 遺産には数区画(数番地分)に建つ・賃貸の多数の長屋が含まれていて、第二次世界大戦時にこの長屋群は震災を免れました。 家賃の取り立てや長屋の補修などは、全て弁護士(C氏)に任せていました。 A氏は生涯独身で、古い実家で料理・洗濯・掃除を全て自分でやって、質素な暮らしを続けたそうです。 1990年頃から、年老いたA氏は通いの家政婦を雇って、1997年頃に亡くなられました。

 昔は”見合い結婚”が主流でしたが、「金目当ての話しが続いて、A氏は嫌になって、生涯独身だったのでは?」と、私は勝手に想像しました。

 A氏が亡くなられた後で、弁護士(C氏)が相続人の次男(B氏)を探したら、関東に住んでいた事が簡単に分かりました。 B氏は既に亡くなっていて、一人息子が生存されていたそうです。 二、三区画分の長屋を解体→整地→現物納付で税金を納める事になりました。

 私の同僚は、解体される長屋群に住んでいたので、心配していましたが、予想していたより高額の立ち退き料が出る事になりました。 彼は、その金を基にマンションが購入出来て喜んでいました。

令和維新のすゝめ (その5)

2020-10-03 10:29:12 | 未来予想
★★★★ 少子化対策 ★★★★
 今回は予定を変更して『そこまで言って委員会NP』の議論に関する私の考えを書きます。「人は色々だから少子化対策は難しい」と言う話は次回に書く予定です。

【はじめに】
 読売テレビが、ほぼ毎週日曜日に『そこまで言って委員会NP』を放送しています。全国放送はしていないので、東京の方はご存知無いと思われます。 2003年に『たかじんのそこまで言って委員』と言うタイトルでスタートした時から、私は見ています。

 最近は録画して見ているのですが、2020年9月13日分を一昨日に見ました。少子化対策を少し取り上げていました。 私から見たら、コメンテーターの皆さんは頓珍漢な議論をしている様に思いました。

 少子化対策は、50年以上掛けて成功したフランスの例が有りますから、日本も本気で取り組んだら合計特殊出生率を『2.0』近くまでアップ出来ると思います。 然し、私が定義した『未婚女性家族社会』になると思います。 私は『未婚女性家族社会』を許容しますが、皆さんはどう考えられますか?

【卵子凍結保存】
 13日の放送で頭脳明晰な山口真由氏が、少子化対策として2案提案されていました。

① 学校で妊娠・出産・卵子の老化などを教える。
② 卵子凍結保存の費用を国が負担する。

 私は①の提案には大賛成です。②の方は、保存する卵子の数と期間による様ですが、「300万円ほど掛かる」と言っていたので、費用対効果の面で全面的には賛成出来ません。

 若い時に卵子を凍結しても、年齢と供に子宮や血管の老化が進み、体外出産の成功率は低下する様です。 ウイキペディアの『卵子凍結保存』によると、「体外受精での出産率は30代から低下を始め、36歳ごろから加速し、36歳で16.8%、40歳で8.1%、42歳で5%、45歳だと1%以下」です。 45歳になって冷凍保存していた卵子を用いて出産する為には、100個以上の卵子が必要になります。

 日本では体外受精を法律では制限していない様ですが、学会が未婚女性の体外受精を認めていない様です。 「年老いた学会のボス達がリタイアしたら、制約は大幅に緩和される」と私は見ています。 同性婚のカップルが子供を授かるためには、体外受精が必要です。

(余談 :同性婚と憲法)  G7(日本、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、カナダ)で同性婚を認めていないのは日本だけです。 いずれ日本も認める様になるでしょう。 同性の家族でも、「自分の血の繋がった子供が欲しい」と言う運動が始まると予想します。 男性同士のカップルから、代理母出産の要求が出そうです。

日本で同性婚が認められないのは、憲法第24条・「婚姻は、両性の合意にのみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、・・・」の規定のためです。同性婚を認めるためには、憲法の改定が必要なのです。

 「同性婚を認めたら何か社会的な問題が発生する」と思われますか? 私は、「同性しか好きになれない人も、幸福な人生を送って欲しい! 幸福な人生を送る権利が有る!」と考えています。

 私は、2019年4月~7月に『日本国憲法(その1)~(その10)』と言うタイトルで投稿しました。 日本国憲法は1947年の施行から70年以上も経過していて、種々・改定が必要な個所が有ると思います。

(余談 :卵子) 私の小さい頃、我が家では沢山鶏を飼っていました。郵便配達員が月に何回も殺して、胴体の肉以外は持って帰りました。 私は時々殺して解体するのを見ました。 それで、今でも鶏肉が食べられません。

 鶏の卵巣を見た事が有りますか? 卵巣の壁には小豆より小さな球体の粒(卵胞)が沢山付いています。 郵便配達員は、「粒の数(卵胞の数)は最初から決まっていて、増える事は無い」と教えてくれました。 鶏の場合は・その幾つかが成長を始めていて、明日か明後日に産むのは卵の黄身程の大きさになっています。 人間の卵巣の仕組みは鶏と同じ様な物だと思いますが、人の場合は・排卵後に卵胞の一つが成長を始める様です。

 卵巣に有る卵胞を凍結保存しても駄目です。完全に成熟して卵巣から放出(排卵)された卵子を取り出して凍結保存します。 体外受精の成功確率は低いので、沢山卵子を凍結保存しておく必要が有ります。 卵子を取り出すのは、女性にとって大きな負担になる様です。

【田嶋陽子先生】
 13日の放送に田嶋陽子先生も出演されていました。私は田嶋先生とは考え方がだいぶ違いますが、昔から先生の発言に注目してきました。

 先生は若い頃にイギリスに留学された話をされていましたが、今・行かれたら考え方が大幅に変わると思います。イギリスでも多くの未婚女性が子供を産んで、自分で育てています。 今!田嶋先生が持論をイギリスやフランスのテレビで発言したら、「そんな事はとっくに解決済みです!」と言われるでしょう。

 日本は、女性の問題に関してはドンドン西欧諸国に近づいています。 田嶋先生が生きている間は無理かも知れませんが、先生の考え方では”金”を貰えない社会になります。 そんな時代になったら、「男性の権利を擁護する」考え方の人が、テレビに呼ばれる様になりそうです。

(余談 :男子医科大学) 女性医師が出産で休暇を取れる様にするためには、男性医師がカバー出来る体制が必要です。 男女共学の医科大学の入試で、男子に下駄を履かせるのには賛成できません。 東京女子医科大学が有りますが、何故か?男子医科大学は有りません。  ○○男子医科大学を設立したら、問題解決の一手段だと思われませんか?!

 理想は、医者の数が増えて産休を取っても支障が無い状態になる事です。「医師の数を増やすと医療費が増加する」、「医師の所得を減らさない為に、医学部の定員を増やしてはならない」等々の主張がまかり通っています。 私は、「医師も需要と供給の原理に従うべき」と考えています。 医学部を希望する高校生が多いいですから、医科大学の新設や医学部の定員を増やすべきです。 医師はそんなに頭脳明晰で無くても出来る仕事です。

【不妊治療】
 日本でも不妊治療費を医療費控除の対象にしました。 貧しくて税金を払っていないカップルは恩恵を受けられ無いのでは?

 私は、不妊治療を受けた/受けているカップルを4組知っています。2組は、「夫婦に特別な異常は無い」と医者が言ったそうですが、結局・授かりませんでした。 1組は、40歳を過ぎたので、諦めて治療を止めたら半年ほど経って出来ました。 (背の高い、美男美女のカップルでした。)

 六、七年前に、裕福な家の一人息子と一人娘が結婚しました。 現在、三十歳を少し過ぎています。 昨年・片方の親に、「もうそろそろですか?」と聞いたら、「実は、医者で調べたら、二人とも子供の出来難い体質だった。 可能性が低くても、幾らでも金は出すから不妊治療を受ける様に勧めた」と言っていました。 彼は多分、「孫の誕生のためなら一億円でも惜しくない」と考えていると思います。

 生命の誕生の話しに『費用対効果』を論ずるのは不謹慎と思われそうですが、国の税収は減少していますから、可能性の低いカップルへの支援は止めるべきです。フランスは43歳までの不妊治療費を国が出している様です。

【私の考え】
 0歳児保育を充実して、出産した女性が早期に職場復帰出来る様にするのが、少子化対策の一丁目一番地だと思います。 延長保育が必要で無い、つまり・残業しないで良い様にする『働き方改革』を進めるのが二番地です。 (私の孫の経験では)幼児にとって、延長保育は辛い/悲しい事の様です。

 保育料の無償化は実現しました。出産費用の一部は健康保険組合から出る様ですが、私は「一回50万円程度の出産費用を国が支給すべきだ」と考えています。(毎年100万人出産するとしても、国庫負担は5,000億円にしかなりません。)

 子供を産んだら”褒美の金”を渡す制度は、多少効果が有ると思われますが、「仕事を続けたい」、「キャリアをもっと積みたい」・・・と言う女性の望みを叶えられる様にした方が、少子化対策の効果が期待出来ます。 国も企業も地道な努力が必要です。

 仕事をしながら乳児や幼児を育てる女性には、肉体的にも/精神的にも大きな負担が掛かり、(現状では)遊びたいと言う母親の願望を抑える必要があります。 『子供は社会の宝物』ですから、子供を育てている女性を、社会全体で支える必要が有ります。

 「経済が回復して、給料がアップしたら沢山子供が生まれる」、「一人産んだら1,000万円支給する様にしたら、少子化問題は解決する」・・・などと大真面目で言うコメンテーターがいますが、「お金だけの問題では無い」と私は考えています。

 「母親が、たまには子供から解放されて、一人で遊び行きたい! などは以ての外だ!」とか「未婚の女性が子供を産むのは許せない!」と考える人物を少子化対策大臣にしてはいけません。 若い女性の考え方、希望、欲望が理解できる人を探して、少子化対策大臣になって頂く事が肝要です。