これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

木材として利用される樹木 (その3)

2021-08-14 10:01:17 | 山林の問題
【はじめに】
 今回は、樹木の種類と、その木材の特性についての最終稿です。

 国立の『森林研究・整備機構』と言う組織が有り、その下に『森林総合研究所』、『森林総合研究所林木育種センター』、『森林総合研究所森林バイオセンター』が有ります。 そして何故か?『森林保険センター』なる機関が付いています。

 各都道府県では、『林業研究所』、『林業研究センター』、『林業試験場』などで樹木/森林や林業を研究しています。 30校近い大学が森林関係の研究を行っています。 全国の研究者の合計は二千人ほどいるのでは?と想像します。 無料で研究成果を公表しているので、時々読みますが、「田舎育ちなら子供でも知っている事」を金を掛けて研究していたり、呆れる報告書も有ります。 成果が出ている様には思えません。

 食用の木の芽以外では、木を食べる事が無いので、遺伝子組換えで有用な新種を開発すべきです。 花粉症を軽減する新種の研究、木目の綺麗な新種、杢目の出やすい環境の研究や育て方の調査、等々・研究テーマは沢山有ると私は思います。

【関連記事】
 森林や木材に関して、過去に投稿した記事を御参考までに列記しておきます。

★ 木材として利用される樹木 (その1)~(その2):2021年7月24日、8月7日投稿
★ 植林から製材まで (その1)~(その2) :2021年7月3日~10日投稿
★ 森林破壊と再生        :2021年6月12日
★ 木材価格が高騰している様です! :2021年5月29日
★ 過疎地の新しい産業は!  :2018年6月23日

【杢目(もくめ)】
 木材に、稀に現れる文様の事を『杢目(杢=もく)』と呼びます。杢の出た材は高値で取引されます。 ウイキペディアと府中家具工業協同組合の資料から、木の種類と現れる可能性の有る杢目を整理しておきます。 杢目の写真は『 https://wp1.fuchu.jp/~kagu/siryo/moku.htm 』で見れます。

★ 楢(なら)の種類 :虎斑(とらふ)
★ 楓(かえで) :鳥眼杢(ちょうがんもく)、波状杢(はじょうもく)、縮杢 (ちぢみもく)
★ 栃ノ木 :波状杢、縮杢
★ 欅(けやき) :玉杢(たまもく)、如鱗杢 (じょりんもく)
★ 春楡(はるにれ) :葡萄杢 (ぶどうもく)
★ 柘植(つげ) :虎杢、孔雀杢
★ 柿 :孔雀杢、縞杢 (しまもく)・・・黒柿
★ 楠 :葡萄杢、玉杢
★ 赤松の古木 :鶉杢 (うずらもく)
★ 杉の老木 :笹杢 (ささもく)

【掬(ぶな)】
 昔は北海道南部から九州の自然林に、掬(ぶな=橅)は沢山自生していた様です。 ①掬の丸太は重く、川を利用して搬出するのが難しかった、②腐りやすい、③加工後に狂いが出易いなどの欠点が有るので、昔は薪等にしか利用されませんでした。

 戦後、沢山生えているから何とか利用しようと研究され、段々・家具などに利用される様になりました。 特に曲げ加工を施す椅子の脚には不可欠な材になっています。 伐採が進み、その後に杉等を植林したため、現在では入手が難しくなっている様です。

【樫(かし)】
 樫(かし)はブナ科の中で高木になる種類の総称です。 私の故郷・紀州の雑木林には樫が沢山生えていました。椎茸のホダ木、炭の原料にするか、薪にしていました。  私は正月が近づくと、樫の木を切って来て、拍子木(ひょうしぎ)を作りました。 硬い木を叩くと良い音がするのです。「火の用心! カンカンカン」・・・

 白樫と赤樫は、東北地方の北部と北海道以外では、全国各地に自生しています。白樫も赤樫も硬くて加工しにくい材です。鍬、鉈等の柄、大工道具の柄、木刀などに細々と使用されています。 「木目が綺麗とは言えない」と私は思います。

【椎(しい)】
 紀州の雑木林には(数は少なかったですが)椎(しい)が自生していました。 結構な大木になります。 生命力が高く、雑木林の伐採を繰り返すと、(私は見たことが有りませんが)白樺の様に椎だけの林になる様です。

 我が家では、椎茸のホダ木として利用しました。 炭の原料にした事も有ります。

(余談 :椎の実) 椎の実はドングリの仲間ですが、生でも食べられます。 ドングリとは区別して『椎の実』と呼ばれます。椚木(くぬぎ)の実よりもずっと小さくて、大豆ほどしか有りません。 椎の実が落ちる頃になると、小学生以下の子供達・十数人で拾いに行きました。枯葉の上に落ちた椎の実を見つけるのは難しかったです。 それでも、小さな子供も見つけていました。 その場で皮を剝いて食べました。

【朴の木(ほおのき)】
 朴の木(ほおのき)は全国各地に自生していて、大木になります。 私の故郷(紀州)にも数は少なかったですが、有りました。 材は軽く、堅く、加工し易い為に種々の用途で利用されています。 欠点は、耐久性が低いことです。

 私が子供の頃、下駄は重要な履物でした。下駄の歯が欠けたり/すり減ると、大工さんが朴の木を加工して、歯を取り替えてくれました。 下駄の歯は、材料の名前を取って『朴歯(ほおば)』と呼びます。 旦那衆達の上等な下駄の台は桐(きり)でした。私のは杉だったと思います。

 太い朴の木の下には、他の木や草が生えていなかったので不思議に思いました。 朴の木の根や落ち葉から、他の植物の発芽を抑制する物質を出すためだそうです。

 朴の木の葉は大型です。 葉には殺菌作用が有るので、大昔から食材を包む時に使用しました。例えば、奈良県や長野県の『朴葉寿司』など。

【銀杏(いちょう)】
 銀杏は全国各地で街路樹として植えられていますから、日本では比較的簡単に育てられる木だと想像します。 銀杏材には歪難い、柔らかくて加工し易い等々の長所が有るので、木材としての利用を検討して、価値が有りそうなら植林すべきだと考えます。 観光地に向かう道路から見える、放置されている杉林を伐採して→銀杏林にしたら→落葉前に全山黄色に輝く素晴らしい景色が得られると思います。

(余談 :祖父江のギンナン) 20年ほど前に、愛知県稲沢市祖父江町の会社に数回行った事が有ります。 銀杏が沢山植えられていたので、会社で聞いてみると、「祖父江は日本一のギンナンの生産地だ!」と言われました。一般に果樹は収穫が簡単に出来る様に、剪定して低く育てますが、祖父江の銀杏は伸び放題の大木でした。収穫作業は見られませんでしたが、「多分・重機で幹を揺すって実を落とすのだろう?」と想像しました。 祖父江の銀杏なら、木材として利用出来そうに思います。

【柳】
 柳は水辺の土地を好み、杉や檜の植林には向かない川岸に自生しています。(しだれ柳は風情が有るので、堀端等にも植えられています。) ほどほどの大木になりますが、現在は木材としての価値は殆ど無い様です。 茸の栽培、化薬の原料として細々と利用されている様ですが、他の利用方法を検討すべきです。

 子供の頃、家具と呼べる様な物が有る家は少なかったです。 服や下着は柳行李に収納して押し入れに仕舞いました。部屋はガランとしていました。

(余談 :鉛筆の軸) 私の故郷に(山裾の)川の近くの山に柳が30本ほど植えられていました。 父は、「柳は鉛筆の軸になる」と言っていましたが、北米産の檜科の『インセンスシダー』が正しい様です。 子供の頃の安い鉛筆の軸は削り難かったので、柳だったのかも知れません。

【桜】
 桜材は硬くて湿気に強い等の特徴から、板にしてテーブルや床材に使用されて来ました。比較的高価な材です。 長男が入学した私立中学校の机は桜の板で出来ていました。 桜は燃やした時に良い香りがするので、燻製のスモークチップとしても利用されています。

 桜の樹皮から茶筒などの工芸品が作られます。 秋田県の角館が有名ですが、我が家の桜樹皮製の茶筒は天童市で買ってきた物です。 天童市に出張した時、将棋駒を買うつもりだったのですが、予算の都合で茶筒にしました。妻は、今でも大事に使っています。

【柿】
 ゴルフの好きな方は、柿がクラブに使用されていることを御存じだと思います。 稀に幹の芯が黒くなります。これを『黒柿』と呼んで昔から、床の間の柱や板に使用して来ました。黒柿は非常に高価な材です。

(余談 :黒柿) バブル景気が始まり掛けた頃、親戚(OM氏)が賃貸マンション用の用地を探していました。 「出来たばかりの地下鉄の駅から徒歩三、四分の所に適当な物件が見つかったので、同行してくれ!」と言って来ました。 畑の中に築100年以上の二階建ての古民家が有りました。 中に入ると、金に糸目を付け無いで建てたと思われ、天井は普通より1mほど高く、高級木材をフンダンニ使用していて、壊すのは忍び無い建物でした。 一階と二階に床の間が有り、特に二階の床の間は柱、梁、床全てが黒柿でした。柱は全て良質の檜で、廊下の板も厚い無垢板でした。 近年に設けたと思われる、ステンレス鋼の螺旋階段の板は、厚さが3cm以上有る無垢の綺麗な欅板でした。

 OM氏は買う事を決断して、「解体は君に任せる」と約束してもらいました。 OM氏は木材についての知識が全く無いので、古材が売れると言っても信じて貰えませんでした。私は古材の販売ルートを調べて、捕らぬ狸の皮算用を始めていました。 数か月して、解体工事の計画を話に行ったら、「もう解体してしまった」と言うのです!

【姥目樫(うばめがし)】
 備長炭で鰻や肉を焼くと美味しいですね! 私が高校生活を送った、和歌山県田辺市に(江戸時代に)中屋左衛門と言う商人がいて、彼が姥目樫(うばめかし)の焼き方を工夫して素晴らしい『炭』を作り、販売したと言われています。彼の名前の二文字(『備』と『長』)から、備長炭と呼ばれるのだそうです。

 備長炭は、本来は姥目樫が原料です。 小さな穴が無数に有り、そこに悪臭を吸着するので、冷蔵庫や下駄箱の脱臭剤に使用されています。非常に硬いので、叩くと良い音がします。 適当な長さに切った備長炭を並べると、木琴が出来ます。(夏休みの工作に最適です。)

 姥目樫は紀州の雑木林に沢山生えているので、備長炭の原料が不足する恐れは有りません。

 普通の炭の原料は、その他の樫(かし)、椚木(くぬぎ)、栗、唐松(からまつ)、杉などです。 近年、竹の炭も注目されています。

【茸の栽培】
 松茸を除く、殆どの食用茸は人工的に栽培出来るようになっています。 その殆どは広葉樹の『大鋸屑(おがくず)』に菌を植えて、衛生的な工場で生産されています。 (私は、新聞紙から作った紙綿で茸を栽培する研究を少しして、特許権を取得した事が有ります。)

 占地(しめじ)には色々種類が有る様です。 昔から味が良いと言われてきた占地は、ホンシメジの事です。我が家の山の頂上部に赤松が十数本植えられたいました。そこに毎年沢山ホンシメジが生えました。 松茸とホンシメジは赤松に寄生します。 ホンシメジは、赤松林に広葉樹の枯れ葉が堆積した(栄養豊富な)所に生える様に私は思います。 (松茸は真逆です。)

 ホンシメジの人口栽培が出来る様になっていますが、大鋸屑では無くて、赤玉土に穀物を混ぜた物に菌を植え付けている様です。

★★★★★★★★
【竹】
 竹は樹木では有りませんが、昔は種々の用途で活用されました。竹には、沢山種類が有ります。 庶民の家では無くてはならない物だったのです。 箒、笊(ざる)、竹籠、物干し竿、釣竿、・・・。 私の子供の頃、筍には商品価値が有りましたが、竹は持ち主の許可を得ないで、勝手に切っても文句を言われませんでした。

 孟宗竹(もうそうちく)は中国から入って来て、全国で栽培される様になりました。最大の竹です。市販される筍(たけのこ)は孟宗竹の地下茎から出る『芽』です。 破竹(はちく)や真竹(まだけ=苦竹)の筍(たけのこ)も食用です。

 竹の新しい用途の研究/検討が行われています。建材、家具材、繊維、家畜の飼料、バイオ発電用の燃料などなど。 (株)バイケミが、竹を有機肥料にする提案をしています。

(余談 :土壁と竹) 昔の家は土壁でした。田舎では、左官に頼まないで家の男達で土壁を造りました。我が家では、父と私の仕事でした。 古い壁を壊して→新しい竹木舞掻(たけこまいかき)を取付け→海藻を煎じた液体(糊)を作って→土に藁と海藻の煎じ汁を混ぜ→竹木舞掻に塗りつけました。 外側に、表面を黒く焼いた板(焼き板)を取り付けて完成です。

(余談 :竹の桟橋) 1998年頃にベトナムに機械を輸出しました。 ベトナムの田舎の工場だったので、陸揚げ、搬送が心配でした。 近くに出張していた大手企業の知り合いの社員に調べて貰ったのですが、送ってくれた桟橋の写真を見てビックリしました。 全て竹で出来ていたのです! 彼は確か?、「2トンまでなら大丈夫」と言っていました。

(余談 :鉄筋の代用品) 第二次世界大戦中に建設した大きな石油タンクを、1980年頃に解体しました。基礎のコンクリートを破壊すると、鉄筋の代わりに竹が出てきました。 孟宗竹を縦に割って、細い帯鋼の様な形状にして、(竹木舞掻の様に)縦・横方向に並べた後、コンクリートを流し込んだものでした。それでも、40年間ほど基礎が罅(ひび)割れる事は無かったのです。



木材として利用される樹木 (その2)

2021-08-07 11:31:21 | 山林の問題
【はじめに】
 今回は、樹木の種類と、その木材の特性についての第二稿目です。今回・取り挙げる樹木は、榧(かや)以外は全て広葉樹です。日本に生育する広葉樹の種類は非常に多いいですが、私が知っているのは極一部です。 記憶を搔き集めて書きます。

  現在でも天然林(自然林)は、全森林面積の50%以上有り、その多くは広葉樹林です。

【関連記事】
 森林や木材に関して、過去に投稿した記事を御参考までに列記しておきます。

★ 木材として利用される樹木 (その1):2021年7月24日投稿
★ 植林から製材まで (その1)~(その2) :2021年7月3日~10日投稿
★ 森林破壊と再生        :2021年6月12日
★ 木材価格が高騰している様です! :2021年5月29日
★ 過疎地の新しい産業は!  :2018年6月23日

【広葉樹を植林しましょう!】
 住居は洋式化してきているので、庶民の家では檜や杉の正目の板や柱が必要では無くなっています。 洋風の部屋では、檜や杉の正目は不似合いになっています。

 近年に建てられた一戸建てやマンションでは、ウォークインクローゼット、靴収納棚、種々の収納棚が作り付けになっているので、家具の需要が減少しています。

 木材は、建材、家具材、器具材として重要です。薪や炭としての需要は殆ど無くなっていますが、バイオ発電の燃料として今後沢山使用される可能性が有ります。 脱プラスチック運動が既に始まっていますから、紙や段ボールは増加すると予想します。

 木材の長期的な需要予測をする事は極めて難しいと思われますが、「今後・木材は多様な用途で使用される様になる」事は断言できます。杉や檜の植林一辺倒の政策は早急に止めるべきです。 需要が少しでも見込めそうな広葉樹を調査/検討して、選定した樹木に適した土地を探して、植林を奨励すべきです。高級木材を欧米諸国に輸出する気概を持って、取り組みましょう!

(余談 :プラスチックの規制) 2019年、ヨーロッパ諸国では『使い捨てプラスチック禁止法』が成立しています。プラスチックは種種雑多な分野で使用されていますが、可能な物からプラスチック製品を禁止しようと言う規制です。海洋汚染問題の一つに『マイクロプラスチックゴミ問題』が有りますが、その対策としての規制です。プラスチックの規制は世界的に広がると私は期待しています。 代替品の多くは、木製品か紙製品になると思われます。どちらも、木材が原料です。

(余談 :里山) 昔は集落の近くの山は、生活に欠かせない薪を得る為の雑木林でした。現在は過疎地でもプロパンガスが普及し、高齢化が進んだので薪を使用する家は殆ど有りません。野生動物(熊、猪、鹿、猿)対策として、民家の近くには(動物が好む木の実の出来ない)針葉樹を植林すべきだと考えます。人間の住む地域の周囲を針葉樹で囲って、その外側を広葉樹林にしたら野生動物との共存が出来るのでは?!

【胡桃(くるみ)】
 チーク、マホガニー及びウォルナットを、欧米では三大銘木と呼んでいます。チークとマホガニーは熱帯地方で植林されている様です。 ウォルナットは胡桃(くるみ)の事です。 日本は、ウォルナットをアメリカやカナダから輸入して来ましたが、アメリカでは伐採が進んで、現在は輸出禁止になっています。

 日本に自生している鬼胡桃(おにぐるみ)を木材を得る目的で植林する案を推奨します。 湿気の多いい山間の川沿いの地を好む様なので、候補地は全国に沢山有りそうです。

(余談 :モンキーポッド) ウォルナットが高価になったので、日本ではテーブルの天板等にモンキーポッドが使用されています。(モンキーポッドは日立のコマーシャル・ソング「この木なんの木」で、日本では有名になりました。) 次男が大金をはたいてモンキーポッドの無垢板を買いました。 周囲が白く、芯部はチョコレート色で洋間にピッタリのテーブルになっています。

(余談 :クルミ) 鬼胡桃(おにぐるみ)は、縄文時代から食糧にしていた様です。 私は、胡桃の実(クルミ)が好きです。学生時代、下宿からの散歩コースの道端に胡桃が数本生えていました。師走の頃にクルミが落ちていたので、何個か拾って、何とかして殻を破ろうとしましたが、駄目でした。

 クルミは年間2万トン弱・輸入されていますが、国産は150トン程しかありません。クルミは和菓子、洋菓子、パン等に使用されているので、何気なく食べていますが、その大半はアメリカから輸入した物です。

(余談 :スタッドレスタイヤ) 雪道走行で使用されるスタッドレスタイヤの一部には、鬼胡桃の殻が混合されています。

【栃の木(とちのき)】
 栃の木(とちのき)は全国各地に自生している様ですが、特に東北地方に多いいと言われてます。実が食用になり、『栃の実』と呼ばれます。東北地方では常食していた地域もあり、飢饉の時の食糧として使用していた地域も有ります。 その為に江戸時代には、(私有地でも)栃の木を勝手に伐採するのを禁じていた藩も有りました。

 栃の木は、大木になります。 大木になると、波状杢(はじょうもく)、縮杢 (ちぢみもく)と呼ばれる杢目(もくめ)が出る事が有り、高値で取引されます。 (杢目については、次回・書きます。)

 栃の木の材は、軽く、柔らかで加工し易く、綺麗な表面になると言う長所が有りますが、耐久性が低い、狂いやすいと言う短所が有ります。

【樺の木(かばのき)】
 樺の木(かばのき)には沢山の種類があり、日本には約十種類(真樺、ミズメ、岳樺、白樺など)が生えている様です。 『〇✕カンバー』と呼ばれている木は樺の木の仲間です。

 真樺(まかんば)とミズメ(水目)は高級材として取引されています。岳樺(だけかんば)は真樺やミズメの代用品として使用されている様です。 多くの体育館の床に使用されています。

余談 ;樺桜(かばざくら) :木材商は樺を樺桜と呼ぶそうです。 カバでは馬鹿を連想するので、『樺桜』なのだとか! ミズメは中国に生えていないのか?漢字が有りません。

【白樺(しらかば)】
 本州の東部の高地、北海道では平地でも、白樺の林が見られます。 最初に見た時に「白樺は高級材では無いのに、何故?植林しているのか?」不思議に思いました。白樺林の有る地域では、雑木林を伐採すると白樺が最初に成長して、白樺だけの林になるそうです。

 材質は堅く、木目も美しいですが、耐久性が非常に低いと言う欠点が有ります。太い木は少ない様です。 家具、器具、茸栽培などに利用されていますが、高級材では有りません。

【水木(みずき)】
 宮城県の鳴子温泉に家族旅行した時、『こけし』の製造/販売をしている小さな店が有りました。 不愛想な主人で、小一時間ほど轆轤挽きを見せてもらいましたが、文句を言いませんでした。 鳴子こけしの原料は水木(みずき)です。 材は色白でとても綺麗でした。

  水木は落葉樹で、公園に時々植えられているので、見られた方は多いいと思います。水木は全国各地に自生している様ですが、数は少ないために、『こけし』等の需要が賄えなくなり、近年は植林している様です。

【椣(しで)】
 椣/四手(しで)は樺の木の仲間です。日本木材総合情報センターの資料によると、日本には4種類が生えているそうです。

 材は重くて硬く、比較的加工しにくい様ですが、家具、床柱、茸栽培、炭の原料・・・様々な用途で使用されています。 材の価格は安い様です。

【榧(かや)】
 榧(かや)は成長の遅い針葉樹です。 将棋ファンや囲碁ファンにとっては垂涎の的の木材です。 国産の榧は殆ど入手出来なくなっており、新品の将棋盤や囲碁盤は中国から輸入された木材から作られた物です。

 榧の実は美味しいそうです。 私は、残念ながら食べたことが有りません。 インターネット通販で入手できます。

(余談 :盤のサイズ) 囲碁盤は45.5cm✕42.5cm、将棋盤は36cm✕33cmです。 厚さは『寸』で表しています。 1寸≒3.03cmです。 最も厚い盤は9寸(27.3cm)の様です。 四方柾で厚さ9寸の囲碁盤を得るためには、途方も無く太い丸太が必要になります。

(余談 :四方柾の囲碁盤) 1980年代の初めのころ何年間か、ある地方都市に年に三、四回出張して、駅の近くのビジネスホテルに宿泊していました。ホテルの近くに、夜遅くまでやっている古美術商が有ったので覗いてみました。 目立つ所に値段を書いたシールを貼った、榧の四方柾で厚さが8寸か9寸ほど有る囲碁盤を置いていました。 何回か覗きに行きましたが、この囲碁盤は売れていませんでした。

 2005年に別の仕事で、その地方都市に出張して、例のビジネスホテルに泊まり、古美術商に行くと囲碁盤は店の奥に移されていて、値段は40%引き程になっていました。悩みに悩んで、買おうと決心し次の出張時に大金を持って店に入りました。 結局、「囲碁の仲間を見つけるのは面倒だ!」と思って断念しました。 リタイアした後・私は、囲碁のPCソフトを相手に日に一局は楽しんでいます。

【楠(くすのき)】
 楠の材は腐り難いと言う長所があり、昔は木造船の材料として使用されていました。昔・読んだ本に、「5世紀~6世紀頃に棺(ひつぎ)の材料として楠を朝鮮半島に輸出した」と書いていました。 当時は、日本の貴重な特産品だったのだと思います。 従って、かってはは沢山植林されていました。

 楠から樟脳が得られます。かっては多量に生産され、日本の重要な輸出品でした。現在でも生産されています。 貴重な木を残すために、現在は枝を切り落として、枝から樟脳が生産されています。

【楢(なら)】
 楢(なら)は、椚(くぬぎ)、水楢(みずなら)、柏(かしわ)、小楢(こなら)、楢柏(ならがしわ)、棈(あべまき)等の総称です。 英語ではオーク(oak)です。

【水楢(みずなら)】
 ウイスキーやワインの樽には日本でも、北米産のホワイトオークやヨーロッパ産のスパニッシュオークが使用されて来ました。 サントリーが1989年に北海道産の水楢の樽を使用した『響17年』を発売しました。 私は、サントリーよりもニッカウヰスキーの方が好きだったのですが、さっそく、『響17年』を買ってみました。 上品な味で魅了されてしまいました!2014年には、シングルモルトの『山崎』でも、水楢樽製が発売されました。

 サントリーは水楢の樽で作ったウイスキーで世界の賞を何回も獲得しました。 私の味覚が世界で認められた様で、嬉しかったです。 私の好きなシーバスリーガルが、水楢の樽を使いだしています。

 水楢は世界各地に分布しています。 日本でも九州から北海道まで全国各地に生えていますが、特に北海道に多いい様です。 ヨーロッパでは家具材として昔から使用されて来ました。日本でも近年・家具に使用される様になって来ています。 (昔は炭の材料として利用していた様です。)

 私は、「今後は広葉樹の植林に力を入れるべきだ!」と考えています。 日本では植林と言えば針葉樹ですが、ヨーロッパ諸国では広葉樹が沢山植林されています。石川県農林総合研究センター・林業試験場が『ミズナラ林の育成技術』と言う資料をインターネットに公表しています。長文で少し難しいですが、暇を作って読んで下さい。

 北海道の水楢は、昔から(現在も)ヨーロッパに輸出されています。 近年はウイスキーの樽用としても輸出され、日本では不足ぎみになっている様です。 「杉や檜の正目と香りを愛するのは日本人のガラパゴス文化の一つだ」と思います。 「欧米人の趣向に合う木は水楢以外にも有るのでは?」、「雨の恵みが多くて、広い森林の有る利点を生かして、高級木材を生産して世界に輸出する!」くらいの意気込みで、森林政策を立案して欲しいと考えています。

(余談) 水楢は楢の一種です。 伐採すると、切り株から多量の水が出てくるので、水楢と呼ばれます。

【椚木(くぬぎ)】
 団栗(どんぐり)がなる木が椚木(くぬぎ)です。日本各地の雑木林に沢山生えています。

 私の故郷で、待望の男の孫が生まれて直ぐに、椚木(くぬぎ)を一本植えたお爺さんがいました。 孫が小学生になった頃、幹に傷を付けました。お爺さんの狙い通りに、クワガタとカブトムシが日に数匹樹液を吸いに来るのですが、スズメバチがもっと沢山やって来ました。スズメバチを上手く追い払わないと、クワガタやカブトムシを捕る事は出来ませんでした。

 小学生ではとても無理でしたから、私はお爺さんの許可をもらって、息子の為にクワガタとカブトムシを沢山捕りました。スズメバチだけ追い払う方法を工夫出来たら、過疎地の観光の目玉になると思います。 良い方法が有ったら教えて下さい。

 椚木は成長が早く、材は堅く、建材、家具、器具等に利用されてきました。椎茸などの茸の栽培にも利用されています。 伐採しても株から芽が出て、10年ほどすると結構な太さに成長します。

木材として利用される樹木 (その1)

2021-07-24 11:51:56 | 山林の問題
【はじめに】
 今回と次回は、樹木の種類と、その木材の特性について書きます。

 『(一般財団法人)日本木材総合情報センター』が木材に関する種々の情報を発信しています。 「木材の種類と特性」は素人向けの解説ですが、他に研究者向けのデータなども収集し公表しています。 政治家や官僚が、これらの情報を勉強して政策を立案してくれたら、日本は素晴らしい国になると思います。残念ながら、農林族議員達は政治資金集めには熱心ですが、日本木材総合情報センターの情報を読んだ事が無いのではと思います。

 野党の議員も同様のレベルだと私は推察します。蓮舫参議院議員に「日本木材総合情報センターの情報を読んだ事が有るか?」と聞いて見て下さい。「それ何?」と答える様に思います。 結局、このセンターは何の為に/誰の為に存在しているのでしょうか?!

【関連記事】
 森林や木材に関して、過去に投稿した記事を御参考までに列記しておきます。

★ 植林から製材まで (その2) :2021年7月10日投稿
★ 植林から製材まで (その1) :2021年7月3日投稿
★ 森林破壊と再生        :2021年6月12日
★ 木材価格が高騰している様です! :2021年5月29日
★ 過疎地の新しい産業は!  :2018年6月23日

【私の考え方】
 比較的成長が早い杉でも植林から伐採まで、最短で50~60年は掛かります。 檜の正目の板や、二面が正目の柱を得るためには150年以上掛かると思います。 今から50年前は木材価格は高く、国からの補助金無しでも山林経営はなりたっていました。 150年前は明治が始まったばかりの頃で、その時代に令和3年の木材需要を予想するのは、占い師でもギブアップしたと思います。

 「国土の2/3を占める森林をどうすべきか?」と言う問題は極めて重要です。「短期的な視点の小賢しい知恵では無く、森林についての経験と知識の有る、色々な人達が知恵を出しあって、試行錯誤して答えを探す様な難しい問題だ!」と私は思います。

〈1〉 緑豊かな森林と清流を後世に残す事を最優先課題にする。
〈2〉 杉や檜の植林を重視した森林政策は止めて、経済性に乏しい植林地は雑木林に戻す。
〈3〉 日本で育てられる樹木の特性を研究して、植林する木にも『適材適所』の考え方を導入する。 木材を加工する技術は既に十分進んでいます。 例えば、集成材の柱は、強度も見た目も無垢の柱より優れています。 現在は商品価値の低い樹種でも、まとまって生産したら活用される様になると思います。
〈4〉 木材の流通をより効率的にするシステムの創造とインフラ整備に国の予算を配分すべきです。 ヨーロッパ諸国では参考になりそうな政策が行われています。

【杉】
 杉は戦後・全国各地で多量に植林されて来ました。 正目の板や、二面が正目の柱は今後も高級木材として珍重されると思いますが、普通の杉材は米松や米杉などの安価な輸入材と価格競争が強いられます。 杉や檜の植林に偏重した政策を続けるのは国費の浪費だと思われます。

 日本は工業製品を輸出して外貨を稼ぎ、その金で地下資源を輸入する国です。農林水産省が所轄する分野の関税を高くして、国内産業を保護する事は難しいのです。 農民は美味しくて安全な農作物を作って、(細々ですが)輸出しています。 林業も工夫/努力して、国の補助金に頼らなくてもやって行ける様にすべきです。

【檜(ひのき)】
 昔から檜は最高級木材として扱われてきました。今でも神社・仏閣・城などは、殆ど檜が使用されています。神社・仏閣等に使用される木材は、百年とか二百年育てた太い木からしか得られません。

 檜材は不足していると言われていますが、神社・仏閣以外の用途では、檜の正目板を剥いだ(ピーラーした)厚紙状の物を、集成材や突板の表面に貼り付けた材で我慢すべきです。 逆に言えば、檜は太くなるまで育てるべきだと思います。 現在の国の補助金は杉も檜も植林後・40年間しか出ません。『 十把一絡げ』の政策は止めるべきです。

(余談 :檜皮葺) 古い神社仏閣に行くと、日本独特の檜皮葺(ひわだぶき)の屋根が見られます。 太い檜の立ち木の皮を、薄皮を傷を付けない様に慎重に剝ぎ取ったものです。皮を剝がされた立ち木が枯れる事は有りません。

(余談 :檜の花粉) 檜の花粉も花粉症の原因です。 檜は雌雄異株ですから、雌株だけ植林したら、少しは檜花粉症の方は楽になるのでは?と思います。

【翌檜(あすなろ)】
 翌檜(あすなろ)はヒノキ科の日本固有種で、葉の形は檜に似ていますが檜より幅広です。桧葉(ひば)とも呼ばれます。 能登半島では植林されています。変種の檜翌檜(ひのきあすなろ)は青森県で植林されており、木材は青森ヒバと呼ばれて、高級木材として取引されています。

 私の故郷・紀州では、翌檜は殆ど植林されていませんでした。 集落の裏山に5集落で建てた神社があり、境内に幹の直径が50cm以上ある太い翌檜が数本植えられていました。その内の一本を伐採した時、幹の端面を見た事が有ります。色白で綺麗でしたが、年輪の幅が広かったです。父は「翌檜は植えてはいけない!」と言っていました。「温暖で雨の多いい紀州では成長が早過ぎて、良質の木材が得られないのだ」と思いました。 真否不明です!

【松】
 松は海辺の岩山から山奥の頂上付近にまで、生育する貴重な樹木です。

松の長所 :松は一般に、杉や檜が育たない土地でもユックリですが成長します。 火力が強い。
松の短所 :日本の松は、一般に幹が真っすぐに育つケースは非常に稀です。その為に、余程の大木で無いと板や柱にするのは難しいです。 昔の木造建築では、梁(はり)や垂木(たるき)等に使用していました。 製材後・松ヤニを出し続けます。(私の実家の松の梁は、50年以上経っても『松ヤニ』を出しました。)

① 赤松 :一般に海から離れた山林に植林される。 赤松林では、松茸や本占地(ほんしめじ)が採れます。
② 黒松 :海岸の防風林、防雪林など。
③ 唐松(からまつ) :寒冷地に植林されている。古木は高値で取引されている様です。
④ 五葉松(ごようまつ=姫子松) :日本固有種、盆栽・・・植林は殆どされていません。
⑤ 蝦夷松(えぞまつ) :北海道

(余談 :燃料としての松) 松ヤニを多量に含むためだと思いますが、松の火力は非常に強く、松明(たいまつ)として使用してきました。 京都の『五山の送り火』は松の幹を割って、松ヤニの多いい部分を約20kgを一束にして、『大』の字などに並べて燃やしています。 ウイキペディアに束の数が出ていました。 五山の合計は481束ですから、毎年10トン程の松明が必要です。

 阪神淡路大震災(1995年)の頃、私より数歳年上で残業拒否で/目一杯有給を消化する社員(KS氏)の面倒を見ていました。KS氏は陶芸家の弟子になって、修行していた様です。 その後・自分で登り窯を造り、年に二回窯焚きしていました。 震災後・直ぐに「陶芸家になる」と言って、早期退職しました。 松の薪代が、一窯で二十数万円掛かると言うのです。「僕が退職したら、一回だけ薪代を出し、窯焚きも手伝うから、僕が一番気に入った作品を1個だけくれ」と堅い約束をしました。 KS氏の展示会に行ったりしていていました。2010年にリタイアしたので、KS氏に電話したら、「最近、1個・50万円ほどで売れた、もっと良い物が出来るかも? 約束は無かった事にしてくれ!」と言い出し、以来音信不通です。

(余談 :米松) 私は北米産の米松(べいまつ)の木目が綺麗だと聞いていたので、1985年に家を建てた時、一部屋の和室の天井板として、突板(ベニヤ)の表面に米松を薄く『かつらむき(ピーラー)』した物を貼り付けた板を選びました。 「これは松だよ」と言っても誰も信じてくれませんが、私は気に入っています。

 2002年頃に某社が工場の建物の中に、高温(60℃ほど)に保つ特殊なハイグレードのクリーンルームを建設しました。 クリーンルームには無垢のぶ厚い米松の板と角材が使用されていました。 断熱性とホコリの発生を抑える為に、高価な米松を採用した様でした。

(余談 :ローマの松) レスピーギが私の好きな「ローマの松」と言う曲を残してくれました。 この曲は日本の松のイメージを払拭して聴く必要があります。 ローマの松は下の方が真っすぐで、葉の付いた部分は『傘』の様な形をしています。

(余談 :唐松) 松は常緑樹が殆どですが、唐松は落葉樹です。 それで、『落葉松』とも書きます。 私の故郷・紀州では見たことが有りませんでした。 北原白秋の『落葉松』を読んで、是非見てみたいと長年思っていたのですが、信州に冬出張した時に念願がかないました。車を停めてもらって、暫く眺めました。

【樅ノ木(もみのき)】
 山本周五郎の『樅ノ木は残った』は、NHKの大河ドラマを始め、映画やテレビドラマが沢山作成されました。 私の故郷では樅ノ木は植林していませんでしたが、所どころに大木が有りました。

 椴松(とどまつ)は松ではなく、樅ノ木の一種です。 北海道の森林面積の30%近くには椴松が生えているか、植林されています。 その一部は、建築材として使用されています。 然し、椴松には、幹に何故か多量に水を含む物が有り、それを『水食い材』と呼ぶそうです。 『水食い材』は結構な割合で存在し、紙の原料等にしか利用出来ません。

(余談 :クリスマスツリー) クリスマスに樅ノ木のツリーを飾るのは、ヨーロッパの風習が世界に広がったための様です。 日本ではプラスチック製が主流になっていますが、アメリカでは畑で育てた生木が年間・数千万本も販売されているそうです。

 杉を植林した林で、間伐と枝打ちをチャントすると、樅ノ木が生えて来ます。 子供の頃・クリスマスの前になると、町からトラックでやって来た業者が勝手に樅ノ木を多量に切って、持ち帰っていました。 日本では仏教徒や無神論者の家でもクリスマスツリーを飾りますが、現在はプラスチック製のクリスマスツリーが多いいので、樅ノ木の商売は無くなっているのでは?と思います。

【桐(きり)】
 桐は成長が早く、20年もすると箪笥に使用出来る太さに成長します。 私の故郷(紀州)でも桐の木が植えられていましたが、雑木林の中に自生した桐を見た記憶が無いので、多分・人間が全て植えたのだと思います。

 桐には、①木目が綺麗、②軽い、③割れや狂いが少ない、④湿気を通さない、⑤燃え難い等々、優れた特徴が有ります。 本格的な金庫の中には桐が使われていますが、燃え難いためだと思います。

 桐箪笥は今でも時々見掛けます。 桐箪笥にもピンからキリまで有ります。 1920年代に金持ちの旧家から嫁に来た女性が持参した最高級の桐箪笥を、1965年頃に見せて頂きました。かなり表面が黒ずんでいました。 後で聞いた話ですが、「再生修理業者に依頼すると、表面を薄く鉋で削って・新品同様に生まれ変わる。桐箪笥は曾孫や夜叉孫の代まで使える」と言っていました。然し、和服を着る方が少なくなっているので、「デザインを工夫してモダンで、洋服も収納出来る箪笥にしないと、販売数を伸ばすのは難しい」と思います。

 現在、棺(ひつぎ)の多くは桐製ですが、殆どが、中国から輸入されている様です。日本の一年の死亡数は140万人程ですから、棺として消費される桐の量は膨大です。 昔・土葬の頃は、杉板を桶(棺桶)にして亡骸を入れました。

【欅(けやき)】
 欅(けやき)は本州、四国、九州の山地から平地まで、幅広く分布しています。 樹齢1,600年の巨木も存在します。 街路樹として植えられており、東京近辺の公園にも植えられています。 早稲田大学と学習院女子大学の近くに、戸山多目的運動広場が有ります。 私は、10年程前から何回か欅を見に行きました。

欅材の長所 :木目が綺麗で、堅くて摩耗に強いので家具材や建材として、高級品です。(私は欅の木目が好きです。)

欅材の短所 :伐採すると、丸太の状態で長期間乾燥させる必要が有ります。乾燥中に丸太は大きく曲がります。 曲がりが収まった後で、製材します。

 欅の大木は非常に少なくなっており、欅材は庶民が手が出せない程の価格になっている様です。 和太鼓の胴は欅が最高だそうで、超大型くり抜き欅太鼓の価格は3,000万円もするそうです。

(余談 :欅林) 私は1965年頃に1.5年間ほど、西武池袋線の練馬駅から徒歩7~8分程の所に住んでいました。 少し歩くと昔ながらの松並木の街道が残っていて、更に十数分歩くと時代劇に出て来そうな小さな『茶店』が有りました。 赤いカバーを掛けた縁台に座って、ラムネを飲むか、アイスキャンディーを頂きました。

 この街道の周辺に広い欅林が結構沢山残っていたので、欅林の中も散歩しました。当時は枯れ葉が厚く積もっていました。 既に農家は化学肥料を使っていたのですが、昔は・欅林の枯れ葉を集めて畑に敷き込んで肥料にしていたそうです。 関東平野の農家出身の友人の話では、三、四町歩(3ha~4ha)の農家だと、その内・一町歩は枯れ葉を取る為の欅林だったそうです。

 雨の後でゴム長靴を履いて散歩した時、畑の畝の間を歩いてみました。新雪を歩く時の様に深い足跡が残りました。 私の故郷では雨が降り終わると直ぐに農作業を再開しましたが、「関東平野では雨の後は暫く休む必要が有るのだ」と気付きました。

【栗】
 栗は大昔から全国各地で、実(栗)を得るために栽培されて来ました。私の故郷でも小規模な栗林が数カ所有りましたが、現在は全て無くなっています。多分、全国的に栗林は減少していると思います。

 栗は成長が早く、栗材は「非常に堅くて重く、腐りにくい、狂いが少ない・・・」と言う長所があります。 これらの長所から、昔は鉄道の枕木に使用されていました。(現在の枕木はプレストレスコンクリート製です。)

(余談 :栗の花) 栗は5月中旬~6月に、奇妙奇天烈な白い花を咲かせます。 尻尾の様な部分は雄花で、その付け根に雌花が一つだけ付いています。雄花は花粉を出した後、落ちてしまいます。

植林から製材まで (その2)

2021-07-10 10:32:47 | 山林の問題
【はじめに】
 今回も木を育てる仕事について書きます。 日本の国土の2/3は森林ですから、森林の有効活用と維持は非常に大切な課題です。 政治家や官僚に『任せきり』には出来ない問題です。 出来るだけ多くの国民に、森林や林業について勉強して頂きたいと私は考えています。

 車で山間部を走る時、山の話を時々しましたが、興味を示してくれた方は一人もいませんでした。 ブログに森林の記事を投稿しましたが、読んでくれる方は残念ながら少なかったです。 然し、敢えて書きました。

【関連記事】
 森林や木材に関して、過去に投稿した記事を御参考までに列記しておきます。

★ 植林から製材まで (その1) :2021年7月3日投稿
★ 森林破壊と再生        :2021年6月12日
★ 木材価格が高騰している様です! :2021年5月29日
★ 過疎地の新しい産業は!  :2018年6月23日

【④間伐】
 杉や檜を植林した山では、成長の遅い木や、幹が曲がった木を間引いて伐採します。 これが間伐です。 地面に『木漏れ日』がさす様に、木と木の間隔を空けてやります。 そうすると、雑草や羊歯(しだ)が生えて来ます。雑草と羊歯のお蔭で、大雨が降っても・貴重な土の流失が最小限に抑えられるのです。

 理想的な植林した山の管理は、適宜に枝打ちと間伐を行って雑草や羊歯が生えるようにし、年輪の幅が均一になる様に育てる事です。

 「どの木を間引くか?」は、所有者や山番が幹に紐を結んだり、ペンキを塗って作業者が分かる様にします。 大山林地主の場合は番頭さんが間引く木を指示していました。

 残す木を傷を付けない様に、倒す方向を決めて、斜めに切ります。 多くの場合、枝と枝が絡まっているので、狙い通りの方向に倒れてくれません。間伐作業の近くに立つのは非常に危険です。

 民家に近い山の場合は、間伐材は薪や稲干し竿に利用しました。 間伐材は一般に細く、曲がった木が多い等の為に、人手を掛けて持ち出しても利益が出ないケースが多かったです。 その為に山に放置しました。 現在は間伐材の有効活用に種々取り組んでいる様です。

(余談) 私が小学生のころ、近所のご主人(HM氏)が持ち山の間伐をしていました。 私達・子供は20~30m離れた安全な所で何か(?)していました。HM氏が大声で、「倒れるぞ!」と叫びました。 木が予想外の方向に倒れて、HM氏の母親の真上に倒れ、母親は即死でした。HM氏は好人物だったので、「監獄に入るのでは?」と心配していましたが、起訴猶予か?執行猶予か?で収監は免れました。

【⑤ 伐採(ばっさい)】
 木を鋸で切り倒すと、何種類かの長さ(3m、3.64m、4m)に切断します。 そして、一本一本の端面に所有者の刻印に墨を付けて打刻しました。 大雨で流された時、海の近くでキャッチして、刻印で所有者を判別して引き渡すシステムが有った様です。

 倒す時に他の木を傷を付けない様に、山の裾の方から伐採します。間伐の時と同様に、倒す方向を決めて斜めに切ります。 チェーンソーを使用しますから、比較的短時間に出来ます。

 二十歳代の方(A氏)が、今年・杉や檜を植林したとします。A氏が80歳まで生きたとすると、”まあまあ”の木に成長すると思われます。 良質の正目の柱を得るためには、孫かひ孫の代に伐採する事になります。 後述の『1枚板の木の襖』に使用できる様な巨木を得るためには、玄孫(やしゃご)、来孫(らいそん)の時代まで育てる必要が有るのです。

(余談 :白蝋病) 私が高校に入学した頃(1962年頃)から、故郷でもチェーンソーが使用される様になりました。(それまでは鋸でした。) チェーンソーを使用すると、作業時間が大幅に短縮されるので、短期間に普及しました。 そして、少しずつ白蝋病(はくろうびょう)に罹る方が増えて来ました。 重症の白蝋病患者は、チェーンソーが使用出来なくなってしまい→林業従事者として生活出来なくなります。

 日本の政府は何をやるのも遅いですね! 白蝋病が労災対象になったのは1977年です。 コンクリートを破壊するのを『斫り(はつり)』と呼びますが、振動の激しい鑿岩機(さくがんき)が使用されます。斫り作業者も白蝋病の恐れが有るので、決められた作業時間しか働きません。(余程の事が無い限り、残業はしません。) 林業従事者も厳格に作業時間を守るべきだと考えます。

(余談 :流木の権利) 大雨で川に流された流木を取る事を黙認する慣習が有りました。 山林を所有しない村民が沢山いましたので、家や小屋を新築したり、修繕する為に必要な木材は、濁流を流れる木材を命がけでキャッチするか?川原に残された木材を拾うか?したのです。私が小学性だった頃、川下で一人流木に引っ張られて亡くなりました。

 集落にコンクリート造りの長さ数十メートルの堤防が有りました。 あと数十センチ増水すると堤防が水没しそうな状況の中で、近所のK氏が鳶口(とびぐち)で流木を取っていました。友人と二人で見に行きました。 K氏は、見事な技で流木の後部に鳶口を打ち込んで、堤防の方に引き寄せていました。 打ち込む位置を誤ると、人間が濁流に引っ張り込まれてしまうのです。

 紀州には欅(けやき)は殆ど生えていないので、貴重品です。 太い欅(けやき)が流れて来ました。 K氏は素晴らしい身のこなしで、直径数十センチも有る欅の丸太をゲットしました。 今でも、その時の状況を覚えています。 私は、この時からK氏を尊敬する様になりました。

 K氏は、その後すぐに私の家の隣に新築して、素晴らしい女性と結婚されました。 欅の丸太は大黒柱になっていました。 無口だったK氏が奥さんの影響(?)で多弁になり、愉快な人になりました。 私は帰省したら、K氏宅にお邪魔する様になり、大黒柱を眺めています。

【⑥ 乾燥】
 生木は多量に水を含んでいますから、急激に乾燥させると割れてしまいます。 割れが入ったら商品価値は、ガクンと低下してしまいます。 昔は、伐採したら道路の近くまで運んで、山に野積して数か月~一年間・乾燥させて出荷しました。

 竿(さお)として使う細い木材は皮をむいて乾燥させたと記憶していますが、太い木は皮付きで乾燥させていました。

【⑦ 木挽(こびき)】
 現在、屋久島以外では巨木は殆ど見られなくなっていますが、私が小学生だった頃(1955年前後)、大洪水の時、2回・巨木が川原に流れ着きました。直径が1.5m以上✕長さが4m近く有ったと記憶しています。 川原に流れ着いた木材は、所有者の刻印が有っても、欲しい人が貰って良い事になっていました。

 大鋸(おおが)と言う鋸で、木材から板や柱を切り出す職人を『木挽(こびき)』と呼びます。葛飾北斎の『富嶽三十六景』の「遠江山中」に描かれています。 近所の木挽が使用していた大鋸はもっと幅が広かった様に記憶しています。

 昔は巨木の搬送が難しかったので、伐採現場の近くで木挽が板や柱にしました。 私の育った集落に木挽が一人住んでいて、川原に流れ着いた巨木は彼の物になったのです。 下校時に必ず彼の仕事を見物しました。「今日は、どこまで進んだか?」楽しみにしていました。  木挽職人は、大分前に絶滅してしまったのでは?と思います。 鋸・一挺で巨木から板や柱を切り出すには技術が必要ですが、根気も必要です。

(余談 :1枚板の木の襖) 昔の旧家では、部屋の仕切りや、押し入れに『1枚板の木の襖』が使用されていました。 襖の幅は半間(≒0.9m)ですから、巨木から木挽が切り出したのだと想像します。 母の実家の襖は全てピカピカに磨かれた『1枚板の木の襖』でした。

【⑧ 輸送】
 トラック輸送が毎年増えてきていましたが、私が小学校を卒業する(1960年)頃まで、筏(いかだ)で海まで搬送していました。 筏は、数本の丸太を大きな鎹(かすがい)で繋ぎ、貨物列車の様に紐で連結して、竿を操って川を下って行きました。

 小学生の頃、県道の大掛かりな改修工事をしました。日本丸か海王丸のマストにする丸太を運ぶ為だと言っていました。 長さが40m~50mほど有りそうな丸太を運ぶのを見学した記憶が有ります。

(余談 :筏からトラック輸送) 1958年頃から、難所の峠を通ら無くて良い様に、手掘り/発破のトンネル工事が始まりました。 トンネルは1960年頃に完成して、筏乗りは廃業してしまった様に記憶しています。 このトンネルは、今でも現役です。

【⑨ 製材】
 1960年代の前半に、私の集落に製材所が出来ました。 これが、村の最初の製材所だったと思います。 規模が小さかったので、大半の木材は田辺市の文里(もり)湾に有った製材所にトラックで運んでいました。 文里湾には貯木場が有り、その周辺に製材所が数軒有ったと記憶しています。

 文里湾の貯木場には、ソビエトから輸入した太い丸太が沢山浮かんでいて、一時期・活気がありました。 製材された木材(板、合板など)が輸入される様になって、現在は貯木場は無くなり、製材所が三カ所残っているだけの様です。 (製材所は山間部に数か所出来ています。)

 日本には大規模な製材所は少ないです。 日本一は、呉市に有る『中国木材』です。従業員が2,300名ほど、売り上げが1,200億円ほど有る様です。

(余談 バーク堆肥) コーナンなどのホームセンターでは『バーク堆肥』を売っています。バーク(Bark)とは樹皮の事です。 一般に針葉樹(杉、檜、松など)の樹液は作物の成長に害を及ぼす様です。針葉樹の樹皮にも樹液が含まれています。製材所で発生する樹皮は邪魔者だったのです。 私が子供の頃は、製材所で樹皮を燃やしていました。

 確か東京農大の先生(植村誠次氏?)だったと記憶するのですが、1960年代に、針葉樹の樹皮を堆肥にする方法(バーク堆肥の製造方法)を考案した様です。

 公共事業で使用する資材の単価を纏めた『土木工事積算標準単価』と言う本が毎年発行されます。バーク堆肥は発売される様になって直ぐに、この本に記載される様になりました。 街路樹を植える時等に、バーク堆肥を多量に使用します。 「国がバーク堆肥にお墨付きを与えた形になって、バーク堆肥が急激に普及したのだ」と私は思いました。

(余談 :私とバーク堆肥) バーク堆肥や腐葉土には種々の物が販売されています。シンプルな物は、20リットル入り袋で、バーク堆肥は700円程、腐葉土は1,000円程で入手出来ます。 私は鉢植えや花壇にバーク堆肥を入れています。 何でも程々が良い! 無闇矢鱈にバーク堆肥を入れると、肥料過多になってしまいます。

(余談 :私と有機肥料) 私は昔、古紙を水を使わないで『紙綿』にする機械を開発しました。 水分の多いい『魚のはらわた』や雑草に、『紙綿』を混ぜて有機肥料の原料を作る機械も開発しました。『植繊機』と命名して、商標登録しました。 現在、植繊機は(株)アーステクニカが製造販売しています。

 「有機肥料の作り方や業界の状況を勉強をする必要が有る」と考えて、(株)兵庫バークセンターを3回訪問して、苦労話を聞いたり、親切に色々教えて頂きました。

 葦(よし)、セイタカアワダチソウ、ツタ植物等を植繊機で粉砕して堆肥にする実験をしました。 私が有機農業を教えて頂いていた先生(HM氏)が、モンゴール人のテント『ゲル』に似た(プラスチック・シート製の)発酵槽を販売していたので、数セット購入しました。 一台の容量が4立方メートル程有りました。 HM氏の工場の空き地で、堆肥を作ったのです。 殆ど無臭で、一か月程で堆肥になりました。

 数軒の農家が、堆肥が出来たら使ってくれる約束をしてくれました。 HM氏の工場に様子を見に行くと、堆肥が全て無くなっていました。北島三郎氏の馬を預かっていた厩舎が軽トラで来て、「少し堆肥を分けてくれ」と言い、次に大型のトラックで来て、「馬が良く食べるから」と言って残り全部持っていったのだそうです! 私は大損害!で、約束して農家と社内に、言い訳するのが大変でした。

【結論 :私の主張】
 「杉や檜を育てる為には種々の手入れ(仕事)が必要だ!」と言う事が分かって頂けたと思います。 然し、日本には・林業従事者は45,000人しかおらず、一人が平均550ha(1km✕5.56km)もの広大な面積を管理する必要が有るのです。 高騰前の木材価格では、国からの補助金無しでは45,000人の林業従事者すら満足に食べていけ無かったのです。

 植林した山は、枝打ちや間伐を繰り返さないと良質の木が得られないだけでは無く、下草や羊歯が生えないと・大雨が降ると『土』が多量に流失してしまいます。 流出した『土』は川底に堆積するので、鮎が食べる苔が育たなくなってしまいます。 何らかの対策をしないと、清流が減ってしまいます。

 戦中と戦後に木材の需要が急激に増加し、全国で雑木林を伐採して杉や檜を植林しました。 その後、外国から安価な丸太や製材した板や木材チップが多量に輸入される様になって、国産の木材価格が少しずつ低下して来ました。 手入れをしないで放置する山が増加してきたので、植林から40年間の費用を国が全額援助する様になりました。 良質の木材を得る為には、40年は短すぎると思います。 国の出費を減らす事も重要ですから、『十把一絡げ』の考え方は止めて、植林に向かない山を選別をして、植林面積を減らす事が肝要だと思います。

 戦後、国は林道網の整備に莫大な金を投入してきました。 全国の森林を綿密に調査して、(ハザードマップの様な、)①雑木林が適切、②杉や檜の植林に適している・・・を示す地図を作成し、不要な林道は廃止すべきです。

 森林の維持/管理には、常識的な自由経済理論を適用しては駄目です! ①美しい自然を維持し、子孫に残す。②過疎地の崩壊を防ぐ!③上質の木材を育てる。・・・の様な、縦割り行政では無い・総合的な視点で政策を立案すべきです。

★★★★★★★★
【余談の余談 :ロシアの宝石】
 もう時効なので書きます。田辺市の文里湾にソビエト船が来ていた頃、船員達が宝石を隠し持って上陸していた様です。 宝石店の上得意で口の堅い人に限って、格安で売っていた様です。 義理の母から大きな宝石の付いたネクタイピンを四、五本頂きました。 そのうちの一本は、プラチナの台にエメラルドと思われる綺麗な大きな石が付いていました。 義理の母は、値段は言いませんでしたが、非常に高価だったとだけ言いました。 そのネクタイピンを着けて、迂闊にも銀座線の超!超!満員電車に乗ってしまったのです。 ドンドンと体がぶつかった瞬間、ネクタイピンは無くなっていました。


植林から製材まで (その1)

2021-07-03 11:46:47 | 山林の問題
【はじめに】
 今回と次回は木を育てる仕事について書きます。 農作業や漁作業は時々テレビで放映されますが、林業作業を見た方は少ないと想像するので、私の子供の頃を思い出して書きました。

 北米などで大型の機械を使って、大規模な伐採をしている映像を、何回か映画やテレビで見た事が有りますが、日本では今でも林業作業は手作業が基本の様です。

 私の故郷の龍神村森林組合は、近年赤字が続いていましたが、木材価格が高騰しているお蔭で、前期は少しだけ黒字になったそうです。

【関連記事】
 森林や木材に関して、過去に投稿した記事を御参考までに列記しておきます。

★ 森林破壊と再生   :2021年6月12日投稿
★ 木材価格が高騰している様です! :2021年5月29日
★ 過疎地の新しい産業は!  :2018年6月23日

【私の経験】
 父は軍人で、戦後(1946年の始め頃に)母と5人の娘達を連れて紀州の故郷に帰りました。戦友や部下が沢山戦死していたので、やりきれない日々を送っていたと想像します。 父は既に45歳になっていたのですが、帰省して直ぐに待ち望んでいた男の子(私)が生まれました。 どれだけ嬉しかったか想像に難く有りません。

 父は一家を養うために木材と山林の商売を始めて、成功しました。 小学校に入るずっと前(三歳頃)から、父が雇った人達の山仕事の状況を見て回るのに私を連れて行くようになりました。 小学3年生の頃に商売は辞めてしまいましたが、都会に住む方の山の管理(山番)は続けたので、中学を卒業する頃まで、二人で山に行きました。 杉を植えるべき場所は?、檜はどんな所に植えるのが良いか!、赤松は高く売れないが山の頂上でも育つ、等々・・・色々教えてくれました。

 1953年頃に、父は家の近くの雑木が生えた3町歩(3ha)程の山を買って、裾野部分・1町歩を文筆して集落の人達に売りました。近所の家は、畑にして、サツマイモやジャガイモを作りました。 我が家も1反部(10a)ほど畑を造りました。 そこで、杉や檜の苗を育てたのです。 戦争で都市部の住宅が破壊されていたので、木材の需要が多く、私の村でも盛んに伐採され、植林しました。 それで、杉や檜の苗の需要も多かったのです。

 苗は根が大切です。 栄養分が多いい土で苗を育ててはいけません。 開墾してすぐの赤土の多い畑で育てる苗が良いのです。 私の独断と偏見かも知れませんが、人間も何の不自由も無い裕福な家で育つとグータラ息子になるか、チョットした事で引きこもりになる恐れが有ります。貧乏人の子供は、逞しく生きる術を自然に学びます。

 我が家の杉と檜の苗は『挿し木』でしたが、種から育てる事(実生苗)も出来ます。 父は、「実生苗の方が、植林後の成長が早い」と言っていました。真否は分かりません。 成長が早すぎると、年輪の幅が広くなってしまうので、良質の木材にはなりません。 同じ理屈で、南向きの山は成長が早く、北向きは逆になります。 父は、「南向きの山は買うな!」と言っていました。

 前述の山の雑木が生えた2町歩は、父・母・私の3人で、少しずつ雑木を伐採して、植林しました。 雑木は薪と『椎茸ほだ木』に利用しました。 二、三年間ほど、父は炭窯を自分で造って炭を焼きました。

 私は、小学生になる頃から中学を卒業するまで、10年間ほど、雑木の伐採、植林、下刈り、枝打ちを手伝いました。

 1953年頃から、父は、現在の原木栽培のやり方で椎茸栽培を始めました。 この栽培方法は1943年に森喜作と言う方が開発したそうです。 当時はまだ龍神村では殆どやっていなかったと思います。 家の中に乾燥室を作って、本格的に椎茸栽培に取り組みました。始めた頃は結構儲かった様でした。

【① 植林】
 1年~2年間畑で育てた杉や檜の苗を、春と秋に山に穴を掘って、1本ずつ植えます。

 平坦な土地に杉や檜を植えるのだったら、田んぼに稲を植える様に等間隔で植えれば良いのでは?と思います。 イタリアの平地の林を見たら、等間隔に整然と木が並んでいました。 私の故郷では、結構いい加減な間隔で、苗を密集して植えます。

 村に鍛冶屋が有ったので、父は子供でも扱える小ぶりの鍬を作ってくれました。 その鍬で、私は小学校に入る前から植林を手伝いました。 そんなに大きな穴を掘る必要は無いので、子供でも出来ます。 ただし、足場の悪い急な斜面に植える時は、子供では難しかったです。

【② 下刈り】
 杉や檜の苗の高さは20cmほどしか有りません。 植えた後、直ぐにススキ等の背丈の高い草が生えて来ます。 雑木を伐採した後に植林すると、雑木の株から芽が出て、1年もすると1m以上に成長してしまいます。 日陰では杉や檜は成長しないので、植林後・数年間は毎年、草や雑木を切り払う必要が有るのです。これが『下刈り』です。

 下刈りと同時に、幹が曲がったり、成長の遅い杉や檜を切り捨てます。下刈りは間伐の初期段階でもあるのです。 柄の長さが1m以上有る鎌『下刈り鎌』を振り回して、草や雑木を切り払います。結構・体力が必要な作業です。 急峻な山の、足場の悪い所でするので、危険な作業です。

 現在は、エンジン付きの草刈り機を用いて下刈りをしている様です。

(余談) 鍛冶屋で小学生の私の体格に合わせた、特注の下刈り鎌を父が買ってくれました。 自分用の下刈り鎌を持っている子供はいなかったので、誇らしく/嬉しかったです。

【③ 枝打ち】
 樹木には枝の出る芽(側芽/腋芽)が有り、上の方の枝を切ったり、枯れたりすると、側芽が動き出して枝が出来ます。 日本で植林される杉や檜の側芽(腋芽)は非常に特殊です。 植林して何年か後に枝が十枝になっていたとします。 下から5枝を切り落とすと、その高さまで新しい枝は出来ません。 木が成長するにつれて、下から枝を切っていきます。 これが『枝打ち』です。

 木が若い頃は子供でも枝打ちが出来ますが、木が成長してくると木に登って作業する必要があり、子供では無理です。 更に成長すると、ターザンの様に、木から木に飛び移って仕事を続けます。 木の上でタバコを吸って休憩していました。地上には滅多に降りて来ませんでした。 最後の枝打ちの時は、20m~30mの高さまで登るのです!

(余談 :木登り器) 和コーポレーション社が木登り用の道具『与作』を発売しています。 ホームページで、与作を使って木に登っている動画が見られます。 ターザンの真似をしないで、安全に枝打ちが出来そうです。

 幹に傷を付けない様に、慎重に鋸で枝を切り落とします。 枝打ちは、切り口が傷みやすい初夏から紅葉が始まる迄の時期を外して行います。 数年間隔で、枝打ち→間伐→枝打ち・・・を繰り返します。枝打ちと間伐を調整して、木目の幅が均一になる様に育てます。

 木が成長して幹が太くなると、切り落とされた枝の付け根は木部に取り込まれて、何処に枝が有ったのか分からなくなります。 安価な板や柱には『節(ふし)』が有りますが、節は枝の痕跡です。 芯の近くには節が有りますが、枝打ちを繰り返して100年とか200年間育てると、節の無い高級な板や柱が得られます。

(余談) 『枝打ち』と言う言葉から、鉈(なた)やえび鉈で枝を切り落とす様に考えられると思いますが、傷を付けない為に鋸を使います。 現在は小型のチェーンソーを使用しているかも?

(余談 :北山杉) 川端康成の『古都』を読んで、京都の中川に北山杉を見に行った事が有ります。 杉にとっては、非常に残酷な育て方をしていました。 枝を天辺にチョットだけ残し、幹が太くならない育て方(栄養失調すれすれの育て方)をしているのです。 それで、「苦しい/助けてと言い続けて、幹に縦の皺が沢山出来るのか?」と勝手に思いました。

(余談 :JR京橋駅の針葉樹) JR京橋駅近くの環状線の土手の下に、檜科の結構太い木が十数本植わっています。下の方の枝は邪魔になるので、時々切り落としている様ですが、広葉樹の様に側芽から新しい枝が毎年生えて来ています。 これらの木は、枝打ちしても節の無い木材は得られません。 この木の名前を知っている方がおられたら、(コメント欄に記入して、)教えて下さい。翌檜(あすなろ)でしょうか?

(余談 :節穴から覗く) 大学の夏休みに帰省した時、友人と、地元では扇ヶ浜と呼ばれている所に海水浴に行きました。 節だらけの板と柱で出来た仮設の脱衣小屋が有り、板で男女の部屋を仕切っていました。 高校の男の同級生が数人来ていて、蒸し風呂の様な脱衣小屋の内で、汗ダラダラになって仕切り板の節目に錐で穴を開けようとしていました。

 節は固いので錐でも、穴を開けるのは難しいです。私は品行方正では有りませんが、彼らを手助けしませんでした。 暫くして、「穴が開いた!」と言うので覗いて見ました。 女性は、スカート等を着けたたままで下着を脱いで、水着を着て、それからスカート等を脱ぐことを知りました。期待はずれだったのです! 節穴から除くと視野が狭いので、「お前の目は節穴か!」と言うのでしょうか?