これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

つくね芋を育てています。

2024-12-30 20:36:55 | 園芸
【はじめに】
 私は子供の頃から芋粥(いもがゆ)が大好きで、今でも毎年二、三回食べています。 芋粥には昔から粘りの強い”つくね芋”等を使用しています。 私は、芋粥と”焼き干し鰯”が有れば、他に何もいりません。

 芋粥の思い出は、下記のブログに書きました。 本稿は以前のブログの補足説明と近年の私の工夫について書きました。

★ 我が家の芋粥(いもがゆ) :投稿日=2020年1月11日

【今年の成果】
 昨年と今年は大きくて美味しい”つくね芋”が出来ました。 特に、プランターでもスーパーで売っている物に負けない大きさの芋が出来たので、ビックリしました。 プランターに排水用の穴を追加したのが良かったのでは?と思います。

(余談 :ミミズと蝉の幼虫) 毎年、プランターにミミズと蝉の幼虫がいますが、今年は何故か?一匹もいませんでした。(花壇にはいました。) 夏暑かった為でしょうか? それでも、大きな”つくね芋”をプランターで3個も収獲出来ました。

【我流の育て方】
 インターネットでヤマノイモの育て方を色々解説してくれていますが、私は我流で/試行錯誤しながら10年強育てて来ました。

 私は、1985年に狭い庭付きの家を建て→→80歳を過ぎた両親と同居する様になりました。 私は、当時仕事が超!超!多忙だったので、庭の草引きは母がやってくれました。 二、三年後に、庭に長芋が生えて来る様になりました。ムカゴが落ちて、至る所に生えて来ました。

 2000年頃に、母が年老いて草引きが難しくなったので→→私が草引きを引き受けました。 小豆よりも小さなムカゴでも芽をだすので、見つけ次第に芽や蔓を除去していますが、根絶するのは不可能です。

 私は、花壇とプランターで”つくね芋”を育てています。 4月の中旬から5月の上旬に、テンデバラバラに芽が出てきます。 そして、11月の中旬に、葉がほとんど落ちってしまった頃に収穫しています。 妻は土いじりが嫌いですが、”つくね芋”を掘り出すのは楽しい様で、手伝ってくれます。

(1) 連作障害
 つくね芋には、連作障害が出ると解説している記事を見掛けます。 私は、花壇のほぼ同じ個所で育てていて、同じプランターを使用していますが、今のところ・連作障害は出ていません。

 ①化学肥料を一切使用していない事、②バーク堆肥などの有機物を沢山入れている事、③毎年、少量の骨粉を加えている事で連作障害が無いのでは?と勝手に判断しています。

(2) 施肥
 つくね芋を育て始めた頃、中粒の発酵固形油粕を6月と8月に沢山やりました。 大きな芋が出来たので→→擂り鉢(すりばち)で擂っていたら→→薄茶色に変色してきて→→美味しく無かったです。 それで、7月頃に中粒の発酵固形油粕を少量埋め込む様にしています。 化学肥料は使用した事は有りません。

(3) 最大の天敵は野良猫です!
 花壇とプランターを野良猫が掘り返し→→糞をします。 つくね芋を掘り出す事も有ります。 掘り出された芋は直ぐに埋め戻すと芽を出しますが、数日放置したら乾燥して死んでしまいます。

野良猫対策 :庭木を剪定して得た枝を、適当な長さに切って→→花壇とプランターに並べたり/立てたりしていますが、敵もさるもので万全では有りません。

罰則付きの条例を希望 :神戸市には『神戸市人と猫との共生に関する条例』が有りますが、野良猫に餌をやる輩を罰する規定が有りません。 私は、「100万円以下の罰金」、「再犯者には6ヶ月以下の懲役」くらいの罰を与えるべきだと思います。 野良猫を捕獲して→→結構な税金を使って去勢手術して→→捕獲した場所に放す自治体が有る様です。・・・税金の無駄遣いだと思われませんか?!

 私の提案は罰則が重すぎると思われるかも知れませんが、ゴミの不法投棄は『廃棄物の処理及び清掃に関する法律』の第16条と第25条の規定では「罰金1,000万円以下または懲役5年以下、又はこれを併科する」となっています。 公共の場や他人の所有地に野良猫への餌を置くのは『一種のゴミの不法投棄だ!』と言えますから、決して過剰な罰則だと思いません。

《余談 :野良猫に餌をやる困った奥さん》
 隣の家の奥さん(Sさん)は”苦情言い”で近所では嫌われ者でした。 その上、結構遠いい所まで野良猫に餌をやりに行っていました。 (私は何回か見た事が有るのですが、)庭の広い家では、無断で庭に入って餌をやるのです。 私が散歩していると、大きなお屋敷の奥さんが、紙製の皿に猫の餌が入ったのを手にもって、数人の奥さん達と喋っていました。

 Sさんが、勝手に庭に入って野良猫に餌をやっていたので、注意したら→→「私は、猫が食べるのを見ていただけだ」と言って逃げる様に行ってしまったのだそうです。

 Sさんは、8年程前に痴呆症の症状が顕著になり、その頃から野良猫の餌遣りはしなくなりました。 2年前にくも膜下出血になり→→植物人間になって病院か施設に入っている様です。 我が家の近所の野良猫は激減しました。

 近所に教師だったと言う生涯独身だった年老いた女性がいたのですが、彼女も野良猫に餌をやって回っていました。 歩くのが難しい状態になっても餌遣りを続けていました。 20年程前にポックリ逝かれたのですが、亡くなる3日程前まで餌遣りを続けていた様です。 彼女は近所の嫌われ者でしたから、「野良猫と会う以外に楽しみが無かったのでは?」・・・私から見たら「寂しい老後だったのでは?」、「こんな方には教えて貰いたくない!」と思いました。

 我が家から徒歩5分程の所に、高さ2mほど有るブロック塀で囲った結構大きな家が有ります。塀や屋根の上に日中は猫が10匹以上いました。 近所の奥さん達の話しでは、「老婆が一人で住んでいて、猫を飼っている」とのことでした。

 10年程前に彼女が亡くなられ→→子供さん(?)が住む様になり→→猫に餌をやら無くなったのか?→→急に猫を一匹も見掛け無くなりました。 そんな分けで、最近は、我が家にやって来る野良猫は三、四匹になりました。

【プランター】
 私は下記の大きな/頑丈なプランターを使用しています。 10年以上前に、妻の好きな草花を育てる為に購入した物を転用しています。 今でも十分使用出来る状態です。

★ プランター :容量=48リットル、(幅=72cm)✕(奥行き=40cm)✕(高さ=26cm)
★ アマゾンの価格=1,320円

 プランターの底に大き目の鉢底石をタップリ入れています。  プランターで育て始めた時、野菜用の土に→→赤玉土を少し混ぜて→→バーク堆肥をタップリ入れ→→骨粉を少量混ぜました。 次の年からは、収獲した後→→土と鉢底石を全て一旦取り出して→→プランターを水で洗います。 土には、バーク堆肥と骨粉を追加して→→混ぜています。 プランターに鉢底石を戻し→→土を入れます。 バーク堆肥と空気が入った分だけ土が余っるので→→花壇に撒いています。

 ペーハー(PH)が『6』前後になるように心掛けています。 私は、竹村電機製作所製のPH計を使用しています。 (植物を育てる時はペーハー値の管理が重要ですから→→持っておられない方は、是非とも購入して下さい。)

 4年前に「水捌け(みずはけ)が悪いのでは?」と気が付いて→→プランターの底にφ6mmの穴を4箇所開けて見ました。 少し大きな”つくね芋”が採れたので→→6穴(けつ)増やしました。

穴開け作業 :最初に細い錐(キリ)を貫通させ→→穴径がφ6mmになる太いキリを貫通させました。

【つくね芋の病虫害】
 神戸の我が家では、梅雨の時期と9月頃に『キイロスズメ蛾』の幼虫が発生します。 葉を食べまくって→→二、三日で急激に成長します。 黒い大きな糞を落とします。 見付けたら、剪定ハサミで切断しています。 (農薬は一切使用していません。)

 去年は不思議な事に『キイロスズメ蛾』は発生しませんでした。 今年は9月の中旬に一匹だけ発生しました。 『キイロスズメ蛾』以外の害虫が発生した事が有りません。 そして、病気も発生した事が有りません。

【豆知識 :山の芋】
 山の芋は雌雄異株です。 丸い羽根が3枚付いた果実が出来るので、果実からも繁殖出来ると思います。 多くの種類で蔓にムカゴが付き→→私の経験では、小さなムカゴも発芽します。 つくね芋には滅多にムカゴ出来ない様で、我が家では一粒も付いた事が有りません。

 つくね芋には、黒皮と白皮の二種類が有ります。 子供の頃育てていたのは白皮で、現在育てているのは黒皮です。 どちらも粘りは強いです。 白皮の”つくね芋”を長い間食べていないので、黒皮と白皮の味の違いは、私には分かりません。

・・・ つくね芋の仲間 ・・・
❶ つくね芋
❷ いちょう芋

・・・ 長芋の仲間 ・・・
① ヤマノイモ(自然薯) :日本固有種  ・・・粘りが強い
② ナガイモ :中国原産と言う説が有りますが、日本で栽培されているナガイモは、現在中国では栽培されていない様です。

《余談 :ねばりっこ》
 近所に鳥取県出身の奥さんがおられて、毎年・鳥取県産の長芋『ねばりっこ』を頂いていました。 見た目はスーパーで売っている長芋と同じですが、粘度は、つくね芋と同程度で→→芋粥(いもがゆ)にすると美味でした。

 残念ながら、3年前に引っ越されました。 『ねばりっこ』はアマゾンで入手出来ますが、結構な値段です。

《余談 :ヤマノイモの輸出入》
 ヤマノイモは中国やベトナム等から輸入されていますが、日本から台湾、アメリカ等に輸出されています。

出典 :農畜産業振興機構 『やまのいもの需要動向』

春がやって来ました!

2021-03-24 10:41:57 | 園芸
 我が家の狭い庭にも春がやって来ました。 今は、種々の草花と木瓜(ボケ)が満開です。

 正月前に八重の蠟梅が、2月には南高梅が、そして3月にボケが咲きます。 この3種類の花が咲いている間は、番い(ツガイ)のメジロが、日に何度も飛んで来ます。

 濡れ縁から2メートルほどの所にボケを植えています。 ボケの花が密集して咲くためか?濡れ縁に座ってジットしていると、手が届きそうな距離までメジロがやって来て、花のほんの少ししか無い蜜を一生懸命突きます?!

 メジロは時々、花を落とすので嫌う方がおられますが、私は大事に見守っています。 今年も南高梅の花をメジロが落としましたが、昨日見たら・小さな実が沢山付いていました。 今年も食べきれ無いほど、梅が収穫出来そうです。

 花の直径が二十センチほど有る、大輪の牡丹を地植えしているのですが、蕾の先が綻び始めました。来週には開花するでしょう! 今年の牡丹は元気ハツラツで、30輪以上咲きそうです。

我が家の芋粥(いもがゆ)

2020-01-11 11:12:06 | 園芸
 今回は、私の大好物の”芋粥”とジネンジョ掘りの話しです。 我が家の・お嫁さん二人に芋粥を食べて貰って、感想を聞きたかったのですが、二人とも食べた事があり、「好きですが、噛めないので胃を悪くしますね」と言いました。 (我が家の芋粥は、まだ食べて貰っていません。) 芋粥を食べたら、必ず胃薬を飲んで下さい。

【芋粥が大好物です!】
 我が家では、ジネンジョかツクネ芋を擂鉢で擂って、出汁(だしじる)を加えて、少量の御飯に芋汁をタップリ掛けたのを”芋粥”と呼んでいました。 父の大好物で、私も好きです。 何故か?母と姉達は殆ど食べませんでした。

 家の東側の石垣の上に馬酔木(アセビ)の垣根が有り、父はその根元でツクネ芋を育てていました。収穫する為には、石垣を壊す必要が有りましたが、父は他の場所では育てませんでした。 ジネンジョ堀りは、私の仕事でした。 小学低学年の頃から、近くの2才年上の男子について急な山に入り、掘って来ました。 父は、何時も喜んでくれました。

 結婚後、家内が私の母の味で”芋粥”を作ってくれる様になって、うす塩の干し”うるめいわし”を添えてくれる様になりました。 『芋粥+うるめいわし』は絶品です!

(余談 :故郷の茶粥) 紀州では、ほうじ茶か番茶で少量の米を炊いたのを『茶粥(ちゃがゆ)』と呼んで、今でも人気が有ります。 私の故郷では、『おかいさん』と呼んでいました。 戦後の食糧難の時代には茶粥に薩摩芋を入れていました。それを、近所の家では『芋粥』と呼んでいました。

(余談 :番茶) どの家でも、畑の周囲に茶を植えていて、新芽を摘んで”お茶”を作りました。集落の数軒が大きな釜を持っていて、庭に仮設の竈(かまど)を築き、何軒かの主婦たちが協力して一年分の”お茶”を作ったのです。 茶葉の水分を飛ばしたら”番茶”になり、さらに過熱する(焙じる)と”ほうじ茶”になります。 私の集落では”番茶”を作りました。 茶摘みには子供達も参加しました。

【芥川龍之介の芋粥】
 私は少しませていたので、姉が借りてきた芥川龍之介の『芋粥』を小学五、六年生の時に読みました。 我が家の芋粥を食べながら、”五位”を想像しました。 ずっと後になって知ったのですが、五位が好きだったのは、植物を煎じて作った甘い汁で、ジネンジョを煮たものだった様です。 (私は食べた事が有りませんが、多分好きにはなれないと思います。)

【飯屋のトロロ定食】
 入社後、結婚するまでの4年間ほど寮生活でした。バスや電車が無くなる時間まで働いて、30分ほど掛けて歩いて寮に帰る日が多かったのですが、途中に遅くまでやっている小さな飯屋が有って、何時も『トロロ定食』を頂きました。

 米と麦を混ぜて炊いたご飯(麦御飯)に、粘り気の強いヤマノイモを擂って出汁に溶かした物を少量掛け、焼き鰯、味噌汁、沢庵が添えられていました。 母の作ってくれた”芋粥”とは全く違う物でしたが、鰯が良く合っていました。 

【ヤマノイモ】
 ヤマノイモ科に属する食用の芋には、大きく分けて4種類有ります。 地方によって呼び名が違うので、”ややこしい”です。 私の故郷では、ジネンジョを『ヤマイモ』とか『ヤマノイモ』と呼びます。 近所に鳥取県出身の方がおられ、毎年12月になると「到来物のヤマイモです」と言って、スーパーで売っている”ナガイモ”とソックリの芋を頂きます。 粘り気が非常に強く、子供の頃に食べたジネンジョの様に美味しいです。 (私は、ジネンジョを栽培した物ではと思っています。 ”芋粥”にして頂いています。)

 ヤマノイモ科は雌雄異株です。 白い小さな花が咲きます。 ジネンジョとナガイモには種子が出来、種子から育てる事も出来ます。 種子は、風で飛びそうな形状をしています。 (ツクネ芋とイチョウ芋は雌株しか無いので、種子は出来ません。)

 ツクネ芋以外は、蔓に沢山”零余子(むかご)”を付けます。(私は、ツクネ芋の零余子を見た事が有りません。)

① ジネンジョ(自然薯) :雌株+雄株が有り→種子、零余子(ムカゴ)が出来ます。
② ツクネ芋 :雌株のみ、零余子(ムカゴ)は殆ど出来ません。
③ イチョウ芋(大和芋) :雌株のみ、零余子(むかご)が出来ます。
④ ナガイモ(長芋) ::雌株+雄株が有り→種子、零余子(ムカゴ)・・・スーパーで売っています。

 粘り気が最も強いのは、ジネンジョで、その次がツクネ芋です。 ジネンジョは、赤土で育ったのが一番美味しかったと記憶しています。(赤土には殆ど肥料分が無いのに不思議です!)

【ジネンジョの繁殖と成長】
 ジネンジョは種子とムカゴ、何方でも繁殖します。山の上の方でも自生していますから、種子は遠くまで飛べるのでしょう。 ムカゴが地面に落ちて、次の春、芽を出したとします。 蔓が近くの木の幹に絡みつき、上へ上へと伸びて行きます。葉が太陽の光に当たる所まで蔓が伸びると、芋が成長し始めます。これが、次の年の親芋になります。 11月の中旬から葉が枯れ始め、12月頃には蔓も枯れて、蔓は根本からバラバラになって、地上に落下してしまいます。

 次の年に親芋から芽が出て、親芋に蓄えた養分を貰って蔓が成長します。蔓の付け根に新しい芋が出来て、親芋の横を下へ下へと成長します。 秋ごろには、親芋は殆どの養分を蔓に与えて、皮だけになってしまいます。 新しい芋は、親芋よりも地下深くまで伸びて、太くなります。 (人間の一生に似ていますね!)

 何年かすると、蔓は太くなり、芋は2メートル近くまで長くなります。 平地で深さ2メートルの穴を掘るのは難しいですが、急な斜面なら長い芋を比較的簡単に掘り出せます。

【ジネンジョ掘り】
 私は、和歌山県の山村で育ったのですが、11月頃になると、男の子供達が山に入ってジネンジョを掘りました。 (私の集落では、大人はジネンジョ堀りはしませんでした。) 2メートル近い芋は、せいぜい一日に1本か2本しか掘れません。 私は、何時も芋の一番上の方を30cmほど折って、穴に埋め戻してやりました。 親芋になって、次の年から又、成長してくれます。

 小腹が空くとムカゴを食べました。 喉が渇いたら、谷の水を手で掬って飲みました。 食べ物を得る遊びは、”しんどくても”楽しいかったです!

(余談 :蛇の冬眠) 蛇や蛙が冬眠する事を学校で教えて貰ったと思いますが、殆どの人はドンな状態で、ドンな所で冬眠しているか?ご存知無いと思います。ジネンジョを堀っていたら、時々・蛇や蛙が出てきました。 蛇の直ぐ近くに蛙が冬眠している事も有りました。 「来年、目が覚めたら”こいつ”を食ってやろう!」と蛇は目論んでいるんだと、年上の子供は言ったいました。 多分、嘘です。 (元気な蛇は殺して遊びましたが、動かない蛇と蛙を見付けたら、何時も直ぐに穴を掘って、埋めてやりました。)

(余談 :川石) 山の上の方でジネンジョを掘っていると、丸くなった”川石”が所々に落ちていました。 大昔は、この付近を川が流れていたのだと、知る事が出来ました。 「どれだけの年月を掛けて、あんな下の方を川が流れる様になったのかな?」と、自然の力の大きさに感動しました。

【ジネンジョ掘りの名人】
 四歳年上の男性が、私が育った集落の最長老になっています。彼は、小学生の頃からジネンジョ堀りの名人でした。 2メール近いジネンジョを、傷一つ付けないで、木に括り付けて持ち帰っていました。 町から、ジネンジョを買い付けに来る人に売って、小遣い稼ぎをしてたのです。 (私達が掘った物には、必ず傷が有ったので、買い取って貰えませんでした。)

 ジネンジョは周囲の岩や石を避けて、前後左右に曲がって成長します。 スーパーで売っている様に、真っすぐい棒の様では無いのです。 断面は丸かったり、平べったかったりするので、気を付けながら掘っても、傷を付けてしまいます。 名人に、何回も弟子入りをお願いしたのですが、結局・一回も連れて行って貰えませんでした。

【ツクネ芋を栽培しています。】
 我が家の居間の窓の下に、二坪ほどの小さな花壇が有ります。 (我が家では『ハタケ』と呼んでいます。) 夏季は胡瓜かゴーヤを植えてグリーンカーテンにしていました。(冬季は玉葱を育てて来ました。) 連作障害か(?)、胡瓜は生育が悪くなりました。 ゴーヤは今でも元気に育つのですが、家内も私もゴーヤが余り好きで無く、近所に配っても、喜んでくれる方が少ないので、数年前から”ツクネ芋”を育てています。

 ツクネ芋を育てるのは意外と簡単です。 グリーンカーテンにはなりますが、11月頃まで葉が枯れないので、少し問題です。

 最初の年は、スーパーから小ぶりのツクネ芋を2個買ってきて、それぞれ四等分して、大きなプランターと”ハタケ”に分けて植えてみました。 11月に掘ってみると、プランターの方はスーパーで買って来た物より小さかったですが、地植えした方は結構な大きさになっていました。

 一番大きかった芋を擂り下ろしていたら、黒っぽく変色して来ました。多分、灰汁(あく)が強いのだと思い、少し食べて見ましたが美味しく有りませんでした。 インターネットで調べたらツクネ芋には、余り肥料を与えたら駄目と書いていました。 次の年から、発酵油粕の固形肥料を少量、年に1回だけ与えています。

 去年、芽の出る前(3月頃)に、ハタケに植えた1個が猫に掘り起こされ、乾燥して萎びていました。駄目元で埋めたら、芽が出て、スクスクと育ち、大きな芋になっていました。 植物の生命力の強さには、時々驚かされます。

 ツクネ芋にも連作障害が有る様ですが、今の所、生育は順調です。 「土に有機物が沢山入っているためか?」と勝手に判断しています。 病気は一度も発生していません。 毎年、蛾の一種のキイロスズメが葉を食べます。 薄い草色の保護色ですが、大きな黒い糞を落とし、私の中指ほどの大きさになるので、簡単に見付ける事が出来ます。 一度・徹底的に退治すると、(我が家の場合は)その年はもう発生しません。

【我が家の”ハタケ”】
 家の西側の半分と南側に幅1メール、東側の半分に幅2メールほどの花壇を作っています。そして、居間の窓の下に”ハタケ”が有ります。 40年ほど前に家を建てた時、周囲に畑が沢山あり、毎年、少しずつ家が建ちました。 不要になった畑の土を頂いてきて、花壇と”ハタケ”に入れました。 レンガを沢山買って来て、最初は横に寝かせていたのですが、土が増えてきたので今ではレンガを立てています。 特に”ハタケ”は水はけを良くするために、レンガを二段に立てて、庭より40センチ以上・土を盛り上げています。

 家内は花が好きなので、最初の頃は一年草の花や、紫陽花等を化学肥料で育てていました。(家内は”土弄り(つちいじり)”が嫌いな方なので、花壇の手入れは私の担当です。) 数年もすると、ミミズや蝉の幼虫が殆どいなくなってしまいました。 以来、化学肥料は出来るだけ少なくして、バーク堆肥、骨粉、発酵油粕で育てています。(時々、魚粉、牛糞、鶏糞も使います。)

 竹村電機製作所の土壌酸度測定器でペーハー(PH)の管理もしています。 PH計は4,000~8,000円程で入手出来ます。 化学肥料を多用される方には、お勧めします。

盆栽は誰のものか?

2018-06-29 17:40:37 | 園芸
 今回は、明光商会の創業者の故高木禮二さんに教えて頂いき、私の座右の銘にしてきた事を書きます。 (私のプログでは実名を使用しない事を原則としていますが、今回は敢えて禁を破る事にしました。)

 昔、明光商会は市ヶ谷にありました。田舎者の私は市ヶ谷を全く知らなかったので、最初に明光商会を訪問した時、一時間ほど早く着いてしまいました。(玄関に石像の有るビルと聞いていたので、迷わなかったのです。)
 受付の女性に「早く着きすぎたのでロビーで休ませて下さい」とお願いすると「盆栽を展示していますので、如何ですか?」と案内してくれました。

 それまでに見た盆栽とは全く異質な、芸術の域にあると言っても過言でない盆栽が展示されていました。木は人間とは逆で、歳月を重ねると堂々とした風格と威厳が出て来ます。
 樹齢800年と書いた札の付いた盆栽もありました。鎌倉時代から延々と受け継がれてきたわけです、毎日毎日、誰かが水をやり、手入れをして、病気を乗り越え今日まで生きて来たのか!

 その後は明光商会で打ち合わせがある時は、必ず1時間以上早くいって、盆栽を鑑賞しました。ある時、木の無い鉢が一つ展示されていました。見事な絵が描かれていて、見とれていると、後ろから「見事なものですね、国宝級だと思いますが、鉢には穴が開いているからか? 国宝にはならないのだと思います」と声を掛けられました。
 商談が進んで、社長を紹介して頂いたら、先日・鉢の説明をして頂いた方でした。

 「盆栽は育てられる人に引き継ぐ物で、後継者が育てられそうに無い時は、死ぬ前に育てられる人に譲るものです。」と最初にお会いした時に教えて頂きました。
 高木さんは盆栽だけでなく、会社も譲って亡くなられた様です。 オーナー社長がボンクラ息子に会社を継がせて、死んだ後も社員を苦しめる例が多いいですが!

 私は技術屋でしたが、仕事をするだけでなく、知識と経験を若い人に伝える事に時間と労力を掛けるべきだと考える様になりました。

 ある大手企業(A社)の開発をボランティアで手伝った時、お礼に盆栽を上げたいと言われ、案内されました。素晴らしい盆栽が木製の棚に二十数鉢置かれていました。高木さんの教えを思い出し、ちゃんと育てる自信が無かったので辞退しました。

 A社が吸収したB社のオーナー社長が持っておられた盆栽だった。B社が倒産した時、オーナー社長の家屋敷、骨董品等々すべて没収されたそうです。オーナー邸の庭に立派な盆栽が有った事を思い出した重役が、社員二人に見に行かせ、持ち帰らせたものでした。その後、その二人の社員が手入れしてきたのですが、二人とも定年が近づき困っていたのです。(簿外資産ですから処分が難しい!)

 高木さんが長い年月を掛けて収集された盆栽の一部は『さいたま市・大宮盆栽美術館』で見られます。盆栽に興味の無い方でも、一度是非とも見に行って下さい。考え方が変わると思いますよ!


余談(1) :高木禮二さんの恰幅の良い姿は舛田利雄監督の映画「大日本帝国」で見られます。

余談(2) :私が明光商会に行っていた頃、隣に新社屋を建設していました。ほぼ完成した新社長室を見せて頂いたのですが、床と壁に素晴らしい紋様の入った大理石が埋め込まれていました。もう一度是非見てみたいものです!

今年も芍薬の花が咲きました。

2018-05-12 10:45:58 | 園芸
 先月、プログで紹介しました『牡丹』と同時(三十数年前)に、山奥の実家の庭から芍薬も移植しました。今年も沢山花が咲き、今日最後の花芽が開き始めました。

 この芍薬も、田舎の庭に植えたのは明治時代の様ですから、100才を超えています。

 田舎では施肥、水やり、その他の一切の手入をしなかったので、繁茂し過ぎる事も無く、毎年十輪ほどの花を咲かせていました。

 我が家の庭に移植する時、日当たりの良い場所を選んで、腐葉土などの有機物を沢山入れて植えました。そのためか、とても100才を超えているとは思えない程、元気はつらつです。

 毎年春になると芍薬は、全部成長したら葉を広げるスペースが無いほど多くの芽を出します。適当な間隔になるように、私は芽を摘んでやります。

 今年、芍薬の芽を摘みながら思ったのですが、人間は何故か豊かになったら『子供は要らない!』とか『子供は二人しかいらない!』とか考える様になる。

 人間にも『子孫を増やしたい!』と言う本能があるのに、『遊びたい!』とか『〇〇も××も欲しい!』とか考えるのですね? 自分で『芽摘み』をしているわけです。

 自分の子供や孫は可愛いと思い、他人の子供はそれ程には思わないのは、多分本能だと思うのですが! 人間の脳細胞は、その人(主人)に内緒で本能の一部を蹴散らしているんですね!

添付の写真は、我が家の芍薬です。