これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

小企業・N社の話し (1)

2023-08-27 09:36:21 | 工業技術
【はじめに】
 私は、50歳から4年強と60歳から4年強、合計9年弱、製紙機械を設計製造する小さな会社(N社)で働きました。N社は優れた点も有りましたが、問題点も沢山有りました。今回と次回は、N社の話しです。

 二代目の社長(N2氏)は、技術志向の優良企業にする事が夢でしたが、ボンクラ息子に会社を譲ったので、N社は12年程で立ち行かなくなり、社員数を半分ほどに減らして、大手製紙会社の子会社になってしまいました。

【N社の歴史】
 戦前に初代社長(N1氏)が某製紙工場の敷地内に事務所を設けて、その工場の機械をメンテナンスする会社を起こしました。 20年ほど後に、広い敷地を入手して工場を建てて、製紙機械を製造するN社を設立しました。N社は、最盛期に社員が200人程いた様です。

 N1氏は、工場の直ぐ近くに自宅を建てました。 N1氏は女性好きで、工場の近くに二号さんを囲って、自宅には殆ど帰らなくなった様です。 正妻さん(N1Wさん)には男の子(N2氏)がいました。 二号さんにも、N2氏と殆ど年の違わない男の子(N2B氏)がいました。

 N1氏は、工場の敷地内に減速機等を製造する別会社(NS社)を設立して、その経営は奥さん(N1Wさん)に任せました。 (NS社は、後に整理されました。)

 N1氏が亡くなった後、奥さん(N1Wさん)がN社を引き継ぎ→→後に、大手鉄鋼会社勤務だった息子(N2氏)を社長にしました。 二号さんが生んだ子供(N2B氏)が、「N社の経営権の一部を渡せ!」と訴訟を起こしました。この訴訟は、私がN社に出向した時点(1996年)では、まだ決着がついていませんでした。

 1980年頃に入社したA氏が、独学でシーケンサー制御を勉強して、早くからデジタル制御を導入した事で、煩雑な制御が必要な新製品の開発が出来、顧客の信用を勝ち取ったのだと思います。

 1993年に建設した新工場は、沢山金を掛けて、結構細かい配慮が施された、中小企業ではめったに見られない立派な工場でした。沼地の様な場所だった様ですが、重たい機械が組み立てられる様に、しっかりした基礎工事が施され、床はレール定盤になっていました。(レール定盤 :工場の床の水平度を高め、維持する為に、鉄道のレール状の金具を床に敷いたもの。)

・・・ N社の歴史 ・・・
★ 1938年 :N社創業
★ 1956年 :N社設立 ・・・田原義則氏がN社に入社されて、3年間ほど活躍された。
★ 1975年頃 :N2氏が会社を引き継ぐ
★ 1980年頃 :A氏が入社
★ 1993年 :新工場建設
★ 1996年~2000年 :私がN社に出向
★ 1998年 :M氏が入社
★ 2006年~09年 :私がN社に就職
★ 2010年頃 :N2氏が会長になられ→→ボンクラ息子のN3氏が社長に就任
★ 2012年頃 :N2氏が逝去された。
★ 2022年 :大手製紙会社がN社を買収

(余談 :故・田原義則氏) 明産(株)の創業者で、黄綬褒章を受章された故・田原義則氏の話です。 田原氏は旧制の工専(大阪工業専門学校→現在は大阪府立大学)を卒業された後→→N社に就職して、3年間ほど活躍された様です。

 N1氏の自宅(本宅)は会社の直ぐ近くに有って、二号さんを囲っていた家も歩ける距離にだったそうです。父親が遊んでくれないN2氏を可哀そうに思ったので、田原氏が時々遊んでやった様です。明産(株)の社長になられた後も、関西に出張したらN社に様子を見に来ていた様です。

 私は、N社に出向して直ぐに、(20歳ほど年上の)田原氏と親しく接して頂く様になりました。田原氏が顧客を訪問される時、何回か同行しました。 車中で技術/開発の話を夢中になってしました。

【N社の転機】
 1996年出向前に、私がN社の社長(N2氏)と面談したおり、「当社は技術志向の会社です」と自慢げに話されましたが、現実は程遠い状態でした。

(余談 :技術志向とは?!) N2氏の考える技術志向は、「新製品を開発して、不具合の発生しない機械を製造する」事だと考えている様でした。 私は、「先ず第一に、技術者を大切にして、適正に評価する」事だと思います。 社員が素晴らしいアイディアを出したら→→真摯(しんし)に検討して→→成果が得られたら→→昇給させたり、昇格させるのです。 そうしたら、会社は活性化して→→おのずから「技術志向の会社だ!」と世の中で認められる様になります。

 私がN社の財務状況を調べてみると、出向する数年前から、毎年・三千万円ほど赤字を出して、債務超過になる寸前の状態でした。 出向していた4年強の間に、赤字体質から脱却して→→内部留保が1億円以上貯まりました。

 社長(N2氏)は、「自分の力で会社を立て直せた」と考えていた様でしたが、社員の努力と以下に述べる様な、会社にとってラッキーな事が積み重なって黒字体質に変われたのだと私は思いました。

《転機❶ :新製品の開発》
 私が出向する二、三年前から実験装置を作って、社長(N2氏)とA氏がアイディアを出してリワインダー(巻取機)の開発をしていました。出向した時、ほぼ完成していました。私は、製造原価を計算して、某大手製紙会社(R社)に売り込む仕事を引き受けました。

 R社の某工場では一番規模の大きい製紙ラインを大改造して、生産能力を大幅にアップする計画を進めていました。N社が開発したリワインダーに自動化装置を加える案を作成しました。処理能力(生産量)がアップするだけでなく、大幅に作業員が減らせる案になりました。それまでは、4直✕4人=16人で操業していたのを→→4直✕2人=8人にする案でした。更に、製品の品質を向上出来る可能性が有りました。

 予想製造原価を計算して、売値を14,000万円にしようと考えました。R社の予算とピッタリだと分かりました。 R社では、作業員を一人減らせると、『1,000万円/年』の削減になる事が判明したので、R社の担当課長に「24,000万円で買って欲しい」と申し入れしました。彼は、「そんな美味い話が有るわけが無い!」、「重役に直接説明してくれ」と言いました。

 重役に説明すると、「君の言う様に作業員が8人削減出来たら、1億円追加で支払う」と言ってくれました。社長(N2氏)に報告したら、「14,000万円で良い。1億円も余分に儲かったら会社が駄目になる」と言われました。

 試運転で、2人で余裕をもって操業出来る事が確認できました。それ以来、重役、N2氏と私の三人で、技術の話しを肴にして時々呑む様になりました。

 この新型リワインダーと省力化/自動化機械によって、N社は黒字体質になりました。省力化/自動化のアイディアが次々に出て、製品化しました。

《転機❷ :社長が長年温めてきたアイディア》
 2008年頃に、某製紙会社(M社)から設備診断の依頼があり、社長(N2氏)と私が行きました。大正時代に製造された機械で、何時壊れても不思議で無い状態でした。「特急で見積書を提出して欲しい」と依頼されました。

 M社には金が有りそうに思えなかったので、三千万円値引き要求が有っても、十分利益が得られる見積金額にして、N2氏と二人で説明に行きました。 何と!「この金額で良いから、直ぐ設計に着手して下さい」と言うのです。

 設計に着手して→→1ヶ月ほど後に、関係者を集めて→→N2氏が機能を追加すると言い出しました。 客先は要求していなかったので、社員全員反対しましたが、社長命令だと言って押し切りました。 私は、M社が、そんな機能が活用できる紙種を製造していない事を知っていたのですが、反対しませんでした。

 新仕様での製造原価を計算してみると、ちょうど三千万円アップになったので、適正利益は確保出来ると判断しました。

 追加した仕様は、N2氏が全国の製紙ラインを見学して「N社で一度作ってみたい!」と考えていた機構だったのです。(N社では、実績が全く無い機構だったのです。)

 私の予想通り、M社では追加した機能は全く使って貰えませんでした。 大手製紙会社から依頼が有った設備診断で、M社で追加した機構で問題が解決すると考えるケースが有りました。 「実績が有るか?」と言われたので、「M社に見学させて頂けないか?」とダメもとで電話すると、了解して貰えました。

 そんなケースが何件か有って、「N社は技術志向の会社」だと認められる様になって行ったのです。

《転機❸ :M氏の入社》
 某重機械メーカーの子会社(T社)が製紙機械を手掛けていました。T社は赤字続きだったので、倒産すると噂されていました。T社の設計課長(M氏)とN2氏は昔から昵懇(じっこん)の関係だった様です。1998年に、M氏が機械設計課長としてN社に入社する事になりました。

 M氏は私と同い年で、家が埼玉県に有り、1年間単身赴任したら→→N社が家の近くに事務所を設ける約束で入社しました。社長は約束を守らず、私がN社を辞めた2009年時点でも単身赴任のままでした。 T社は倒産寸前だったので、T社でのM氏の給料は安かったので→→社長は足元を見て→→M氏の給料を、気の毒なほど安く設定しました。 「社長の冷たい性格を見てしまった」様に思いました。

 M氏は、製紙会社に顔が広くて、勉強家で、製紙機械の経験/知識が豊富でした。 社長が舌足らずの説明をしても、アイディアを具体化(図面化)出来ました。

 M氏は、明るくて、人格者で、思いやりの有る方だったので、設計室の雰囲気を良くしました。この点でも、貢献は大だったと私は思いました。

《転機❹ :大企業の撤退》
 世界の製紙機械メーカーとしては、『バルメット』と『フォイト』と言う巨大企業が有ります。 かって日本では、三菱重工、住友重機械工業が製紙機械も手掛けていましたが、2社とも撤退しています。 現在、大手企業では、フォイトと提携しているIHIだけが頑張っています。

 難しい工学計算やシミュレーション計算が必要になるケースでは、大手製紙会社からN社に引き合いが来る様になりました。

【エピローグ】
 2009年頃に、「三菱重工で製紙機械の設計を担当されていた方をヘッドハンティングしては?」と言う話が来ました。私は大賛成しました。トントン拍子に話が進み→→入社が決定した時→→社長(N2氏)が私に、「給料を捻出出来ない」と言い出しました。N社の財務状況を、私はN2氏以上に把握していたので、「二人は要らない」と言う事だと判断して、辞める事にしました。(私は年金を満額貰える年になっていました。)

 N2氏が、「二、三年後に会社を誰かに譲るつもりだから、その時は電話する。君と二人で機械の開発をやりたい」と言われました。 2012年に電話が有って、「今入院しているが、3ヶ月ほどしたら退院できる。君と開発をするのを楽しみにしている」と言われました。

 半年ほど待っても電話が無かったので、N社に電話すると、「亡くなられました」とのことでした。 私は、「A氏か、三菱重工から引き抜いた方を社長にされてのでは?」と考えていたのですが、ボンクラ息子(N3氏)が社長になっていました。

 数年でN社は倒産すると予想していたのですが、社員が頑張ったのか? 2022年まで持ちこたえましたが、大手製紙会社から金と社長を出して貰って、何とか現在も生き残っています。