【情味を味わって生きる】5246
中村天風師の心に響く言葉より…
人間の幸いとか、不幸とかいうものは、結果からいえば、生活の情味(じょうみ)を味わって生きるか否かによるといえる。
貴賎貧富などというものは第二義的のものである。
実際いかに唸るほど金があっても、高い地位名誉があっても、生活の情味を味わおうとしない人は、いわゆる本当の幸福を味わうことは絶対にできない。
もっともこういうと中には、現代のようなせちがらい世の中、いささかも面白味を感じることの少ない時代に、生活の中から情味を見出せよなどということは、ずいぶん無理な注文だと思う人があるかもしれない。
その生活に負わされている負担とか犠牲とかいう方面のみを考えると、およそ人間の生活くらい苦しく、つらく、悩ましいものはないと思われよう。
しかし、もっともっと立体的に人生というものは観察すべきである。
すると、期せずして生活の範囲の広いことと同時にその内容が、ちょうど精巧な織物のように、極めて複雑な色模様でちりばめられていることを直感する。
その直感なるものが、生活の中から、相当楽しく、面白く、愉快で、スウィートだと思えるものを、かなり量多く見出してくれるのである。
だから、われわれは、常に注意深く、日々の自己生活の中から、できるだけ多分(たぶん)に、情味を味わうように心がけねばならぬ。
『ほんとうの心の力』PHP
https://amzn.to/407stY2
坂村真民さんの「二度とない人生だから」という詩がある。
『二度とない人生だから
一輪の花にも 無限の愛をそそいでゆこう
一羽の鳥の声にも 無心の耳をかたむけてゆこう』
まさにしみじみとした「情味(じょうみ)」の世界だ。
「情味」とは、しみじみとした味わい、面白味、やさしさや、思いやり、心遣いを言う。
また、人間らしいあたたかみや、人情味のことでもある。
「情のある人」とは、相手を思いやる心が強くて優しい人をいう。
情(なさ)け深い人でもある。
「惻隠(そくいん)の情」という言葉もある。
武道などの試合で、「負けた相手の気持ちを思いやれ」ということで、勝ってニコニコしたり、ガッツポーズなどはしてはいけないという戒め。
弱者に対するいたわりの心であり、慈(いつく)しみの心でもある。
つまり、日常生活のいたるところで、「情味」を見出すことが大事で、それを感じることができる人が「幸せな人」だということ。
逆に、いくらお金があろうと、豪邸や高級車があろうと、日常、幸せを感じることのできない人は不幸せだ。
なぜなら、物質的な欲求は必ず、もっともっととエスカレートしていくから、常に満足ということがない。
だから、不幸せ。
情味を感じることができる人は、「足るを知る」人であり、一輪の花にも、無限の愛をそそぐことができる人。
そして、何もないあたりまえの日常に感謝できる人。
日常生活のいたるところで…
情味を味わって生きることができる人でありたい。
■メルマガの登録はこちらから
http://hitonokokoro.com/
■「人の心に灯をともす」のfacebookページです♪
http://www.facebook.com/hitonokokoro
■【人の心に灯をともす】のブログはこちら
http://ameblo.jp/hiroo117/
■Twitterはこちらから
https://twitter.com/hiroo117
中村天風師の心に響く言葉より…
人間の幸いとか、不幸とかいうものは、結果からいえば、生活の情味(じょうみ)を味わって生きるか否かによるといえる。
貴賎貧富などというものは第二義的のものである。
実際いかに唸るほど金があっても、高い地位名誉があっても、生活の情味を味わおうとしない人は、いわゆる本当の幸福を味わうことは絶対にできない。
もっともこういうと中には、現代のようなせちがらい世の中、いささかも面白味を感じることの少ない時代に、生活の中から情味を見出せよなどということは、ずいぶん無理な注文だと思う人があるかもしれない。
その生活に負わされている負担とか犠牲とかいう方面のみを考えると、およそ人間の生活くらい苦しく、つらく、悩ましいものはないと思われよう。
しかし、もっともっと立体的に人生というものは観察すべきである。
すると、期せずして生活の範囲の広いことと同時にその内容が、ちょうど精巧な織物のように、極めて複雑な色模様でちりばめられていることを直感する。
その直感なるものが、生活の中から、相当楽しく、面白く、愉快で、スウィートだと思えるものを、かなり量多く見出してくれるのである。
だから、われわれは、常に注意深く、日々の自己生活の中から、できるだけ多分(たぶん)に、情味を味わうように心がけねばならぬ。
『ほんとうの心の力』PHP
https://amzn.to/407stY2
坂村真民さんの「二度とない人生だから」という詩がある。
『二度とない人生だから
一輪の花にも 無限の愛をそそいでゆこう
一羽の鳥の声にも 無心の耳をかたむけてゆこう』
まさにしみじみとした「情味(じょうみ)」の世界だ。
「情味」とは、しみじみとした味わい、面白味、やさしさや、思いやり、心遣いを言う。
また、人間らしいあたたかみや、人情味のことでもある。
「情のある人」とは、相手を思いやる心が強くて優しい人をいう。
情(なさ)け深い人でもある。
「惻隠(そくいん)の情」という言葉もある。
武道などの試合で、「負けた相手の気持ちを思いやれ」ということで、勝ってニコニコしたり、ガッツポーズなどはしてはいけないという戒め。
弱者に対するいたわりの心であり、慈(いつく)しみの心でもある。
つまり、日常生活のいたるところで、「情味」を見出すことが大事で、それを感じることができる人が「幸せな人」だということ。
逆に、いくらお金があろうと、豪邸や高級車があろうと、日常、幸せを感じることのできない人は不幸せだ。
なぜなら、物質的な欲求は必ず、もっともっととエスカレートしていくから、常に満足ということがない。
だから、不幸せ。
情味を感じることができる人は、「足るを知る」人であり、一輪の花にも、無限の愛をそそぐことができる人。
そして、何もないあたりまえの日常に感謝できる人。
日常生活のいたるところで…
情味を味わって生きることができる人でありたい。
■メルマガの登録はこちらから
http://hitonokokoro.com/
■「人の心に灯をともす」のfacebookページです♪
http://www.facebook.com/hitonokokoro
■【人の心に灯をともす】のブログはこちら
http://ameblo.jp/hiroo117/
■Twitterはこちらから
https://twitter.com/hiroo117