- 松永史談会 -

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今昔物語;インドネシアにおける聖戦論の残酷

2011年12月30日 | ローカルな歴史(郷土史)情報
 
 インドネシアのマルク(Maluku,モルッカ)地方といえば16-17世紀の世界経済に大きなインパクトを与えた香料(丁子、ナツメグ、メース)産地。18世紀になると英仏によって世界各地の植民地へ盗木移植が進む一方、香料貿易の独占の崩壊と香料価格の値崩れを恐れた、オランダによって香料生産地の制限措置が強化された。南モルッカ地方ではオランダによる植民地支配が長く続き、その間に住民のキリスト教への改宗が進んだ。
  インドネシア独立(1950)後はジャカルタ政府の支配が強化され、ジャワ島やスラウェシ島など外部からイスラム教徒が多数送り込まれた。両者(旧島民と来住者と)の対立はスハルト政権(1968-98年)崩壊後、周知のごとく一挙に表面化。
写真はアンボン島のパソにおけるイスラム教系住民の警備小屋(Laskar Jihad" target="_blank">`Post)とそこに貼り出されたオサマ・ビン・ラデン(Osama bin Laden)のポスターだ。


 
インドネシアのLaskar Jihad, or ‘Holy War Warriorsは2000年にジャファ・ウマル・タリブによって結成されたもので、彼は1980年代後半にパキスタンでイスラム教神学を学び、1980年代後半にはアフガニスタンのムジャヒディンと共に侵攻してきたソ連軍と戦っていた(Laskar Jihad, or ‘Holy War Warriors,’ was founded in 2000 by Jafar Umar Thalib, who spent several years studying in Pakistan and fighting alongside the mujahidin in Afghanistan in the late 1980s.)
モルッカ地方全域で繰り広げられた民族浄化(Ethnic Cleansing)にもグローバル・ジハーディズム→Global jihadism(聖戦の論理のグローバル化)の影がちらついている。
この悲惨な実態を調査した報告書『Indonesia:Poso and Maluku』(2002)・・・・(現在リンク切れ)』がこれ。実に綿密に調べ上げているので感心させられた。
セラム島中部(Maluku州Maluku Tengah県)にTeon Nila Serua郡という奇妙な名前の郡がある。       図中の赤丸が当該郡、紫色の■印はインドネシア内での位置関係
1979年の火山噴火で離島を余儀なくされたTeon島、 Nila島、 Serua島の島民(キリスト教徒、セラム島出身、漁民)たちの集団移住地(1982年)だ。彼らも1999年以後セラム島で迫害の洗礼を受けた。モルッカ地方の人たちの歴史は災害や戦争などによる定住と移住の繰り返しだったという部分もあるが、その悲惨さはこのレポにあるとおりだ。
バリ島やジャカルタでの爆弾テロといい、このマルク(モルッカ)地方における民族浄化といい、大義のない抗争を繰り返す、もの騒がせなラスカル・ジハードLaskar Jihadという組織である。

この島は南蛮貿易時代は日本人傭兵が活躍し、また第二次世界大戦中は日本軍の基地が置かれたところ(敗戦後はオーストラリア軍が日本兵の捕虜収容所として利用)The Japanese Invasion of Ambon Island, January 1942
2001アンボン島におけるイスラム教徒とキリスト教徒との抗争:
A Village in Maluku
AMBON: The Battle of Waai and the Ambon Demo.2001
アムステルダム熱帯研究所(KIT)のサイトよりある程度入手可能。検索方法はこのBlog内にて言及している。

以上の話題は、今は昔ということで、スハルト政権崩壊直後のインドネシア各地で起こった出来事だった。


参考文献

判りにくいイスラム教徒のエートス
インドネシア・アンボン島におけるテロ
Laskar Jihad and the Conflict in Ambon
JIHADISM IN INDONESIA: POSO ON THE EDGE
スラウェシ中部posoの地方政治と宗教(邦文)
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