- 松永史談会 -

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西川光二郎『悪人研究』正続編

2014年12月01日 | 教養(Culture)
日露戦争後、政府は内務省主導による感化救済・地方改良・報徳会運動を展開する。高島平三郎は学識経験者として感化救済 事業関係の講演会に何度も動員された。高島の基本的な考え方は明治維新後よちよち歩きの近代国家日本で、よりによって欧米列強からの外圧が高まっているご時世に、日本人としては社会革命をうんぬんするのではなく、国民の意識改革(高島の言う「内的革命」)を推進した方がよいということ。
社会主義者西川は服役中にいろいろ自らの生き方について思いめぐらしたのだろ、結局は著書『心懐語』の中で宣言したように自己の行ってきた体制変革運動から撤退し、高島と同じ路線(修養重視)に運動方針を軌道修正。
西川は他人からの教唆に関しては口をつくんできたが、彼の行動を見ていると、表だっては恩師・新渡戸稲造・松村介石・高島平三郎の名前しかださないが、誰か名前を出せない人物からの教唆のようなものを受けていたかもしれない。
『心懐語』を読んで感激した高島は洛陽堂主人河本亀之助を使者に立て楽之会に招待し、その後は一時期のことだが出版活動を通じて実践道徳運動に踏み込もうとする西川光二郎と婦人運動家西川文子の生活支援をした。

 

こんな本が大阪の古書店で¥6000。正続揃いが神田の書店で売りだされているが、な、なんと40,000円超  私の場合は昨年正編、この度続編をやっと入手した。続編の本文は国会図書館が公開しているのでパスしてきたが、河本洛陽堂の性格を考える場合、やはり必要な本だと思って正編・続編を収集した次第だ。

続編については本文関係は国会図書館のデジタル史料として公開されている



丸山鶴吉『50年ところどころ』等読むと警視庁特高課長時代に平民社の大杉栄や○●とのエピソードが語られている。丸山は社会主義者の遺伝子をよく理解できなかったようだが、しかるべき高徳の人の感化によって彼らを転向させられないものかと考えていたようだ。又、丸山のもとには平民社の出版物を印刷段階に差し押さえる秘密の情報網を抑えていたとも・・・・。
以下は、私の単なる勘繰りなのだが、この辺の裏の力が服役中の西川光二郎まわりで水面下で作動していたように思うのだが、如何なものだろ。
証拠?


出獄直後から洛陽堂を介して西川夫婦の生活支援を行った高島平三郎ー河本亀之助。洛陽堂から生活支援をうけたこの西川にしても、加藤一夫にしてもいつの間にか牙を抜かれ昭和10年代に入るとよりによって、ともに国家主義者へ急接近したり、天皇教に対する信仰告白などして大豹変する。牙を抜かれた段階で彼らはイノシシ(駆除の必要な有害獣)から豚(家畜)に転じたのである。
今日的に見れば、いかなる弁解をしようが、結局は山川均・菊栄夫妻、神近市子や荒畑寒村のようなまっすぐな生き方が出来なかった西川。
『心懐語』という随想録or心境告白書は拘禁が長く続いたノイローゼ状態の西川が書いた本だが、内容もそうだが、いろんな意味で謎めいた本だ。

・・・・・・・・・西川はどうも何かを隠しているように感じられる。

こういう連中(西川&加藤)に興味があるのかって?
全くない

覚書)修養関係の団体や人脈と共同歩調をとりはじめた西川の場合は大正10年段階には広島県沼隈郡に拠点を置いた村田露月の雑誌「まこと」の定期購読者名簿に記載されていた。言うまでもなく当時の東京沼隈会をリードしたのが丸山鶴吉(写真は雑誌まことの掲載写真原版、大正15年高島外遊壮行会をかねた東京沼隈会記念写真)らだった。

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