河本亀之助が一時期発行業務を引き受けた加藤一夫編「科学と文芸」(1918年1月号~6月号)、この雑誌は7,8号を別人がだし、終刊となっている。丸3年33冊を出している。復刻版あり。

入手したのは4巻3号(1918年),洛陽堂刊
こちらは雑誌「白樺」の洛陽堂刊の最終号(大正6年10月号)。
№614記事のpwd=一時的に非公開

雑誌「白樺」8-10に掲載された洛陽堂の出版目録。洛陽堂は明治42年に創業し、大正3年をピークとして徐々に経営面での勢いが下降線をたどっていく。大正6年頃は紙価が高騰し、出版社は何処も雑誌廃刊に追い込まれた。
河本亀之助の弟俊三の柳宗悦(「最近雑誌「都会と農村」を出したようだが、お宅の景気はどうかという問いに対して、俊三は雑誌「白樺」より売れてますというような棘のある返答をしたこと)に対する物言いが多少血の気の多いところがあった武者小路らの勘気に触れるところとなり、洛陽堂と白樺同人との関係が急速に悪化していく。
武者小路らのいう河本俊三発言が本当だったとしたら、洛陽堂側にも貴族主義的で高等書生どもに対する積もり積もった不満のようなものがあって、俊三をしてあのように言わしめたのだろ。

実践道徳関係では高島平三郎、西川光次郎、修養関係では花田仲之助(日露戦争前後の情報将校、大陸浪人の首領)ら

入手したのは4巻3号(1918年),洛陽堂刊
こちらは雑誌「白樺」の洛陽堂刊の最終号(大正6年10月号)。
№614記事のpwd=一時的に非公開

雑誌「白樺」8-10に掲載された洛陽堂の出版目録。洛陽堂は明治42年に創業し、大正3年をピークとして徐々に経営面での勢いが下降線をたどっていく。大正6年頃は紙価が高騰し、出版社は何処も雑誌廃刊に追い込まれた。
河本亀之助の弟俊三の柳宗悦(「最近雑誌「都会と農村」を出したようだが、お宅の景気はどうかという問いに対して、俊三は雑誌「白樺」より売れてますというような棘のある返答をしたこと)に対する物言いが多少血の気の多いところがあった武者小路らの勘気に触れるところとなり、洛陽堂と白樺同人との関係が急速に悪化していく。
武者小路らのいう河本俊三発言が本当だったとしたら、洛陽堂側にも貴族主義的で高等書生どもに対する積もり積もった不満のようなものがあって、俊三をしてあのように言わしめたのだろ。

実践道徳関係では高島平三郎、西川光次郎、修養関係では花田仲之助(日露戦争前後の情報将校、大陸浪人の首領)ら