雑誌「白樺」は高級雑誌の典型だが、この洛陽堂刊の美術全集「泰西の絵画及び彫刻」全9巻も当時としてはとてもハイセンスなものだったはず。サイズこそ菊版だが、体裁的にはいまでいう画集。
絵画編4の函の絵はフォゲラー「夏の夕べ」
大正5年刊の本としては珍しくカラー図版。『沼隈郡誌』が刊行されるだいぶ前に出された本だが、最先端の印刷技術をこの全集にいちはやく取り入れた感じ。
有名なクリムト(1862-1918)「ユーディト」(1901)
「前川蔵書之印」
1918年だからクリムトの方は大正8年没ではなかった。
現在入手しようとするとこんな保存状態のものになる。小泉鐡(まがね)が図版提供などに大きく寄与していた。
このシリーズの由来については田中英夫『河本亀之助小伝』417-421㌻が詳しい。田中氏の説明によれば、売れ残った雑誌「白樺」から図版だけを外し、武者小路たちには無断で再編集し、それを河本亀之助編と言う形で刊行したものだったらしい。
先ほどまで雑誌「白樺」は良書だと思ってきたが・・・・・・。
絵画編4の函の絵はフォゲラー「夏の夕べ」
大正5年刊の本としては珍しくカラー図版。『沼隈郡誌』が刊行されるだいぶ前に出された本だが、最先端の印刷技術をこの全集にいちはやく取り入れた感じ。
有名なクリムト(1862-1918)「ユーディト」(1901)
「前川蔵書之印」
1918年だからクリムトの方は大正8年没ではなかった。
現在入手しようとするとこんな保存状態のものになる。小泉鐡(まがね)が図版提供などに大きく寄与していた。
このシリーズの由来については田中英夫『河本亀之助小伝』417-421㌻が詳しい。田中氏の説明によれば、売れ残った雑誌「白樺」から図版だけを外し、武者小路たちには無断で再編集し、それを河本亀之助編と言う形で刊行したものだったらしい。
先ほどまで雑誌「白樺」は良書だと思ってきたが・・・・・・。