文中の高島家の家族写真とはこれ(母親の追悼録『涙痕』明治42口絵写真)を指すのであろう。
梅屋敷などについてはこのBLOGで詳しく紹介している通りだ。
木島平治郎は児童文学書などの翻訳を行った人物で1890年、京都に生まれ、三高時代に「海潮音」の著者、上田敏に師事。1917年、東京帝国大学英文化卒業。東京高等商船学校(後の東京商船大学)で十九年間教鞭をとった。高島の教え子で高島家に長く下宿していた。この文章は木島にとって高島平三郎(形ばかりの東洋大学第十三代学長)は生涯忘れえぬ人物であったことが感じられる寄稿文となっている。ここでは部分的引用紹介に留めたが、興味のある方は全文を探し出し読んでみて欲しい。
高島平三郎という人はアカデミックな分野での児童学・心理学の推進者というだけでなく、その理論を教育実践の中にリンクさせていくことにも腐心し、人間教育における知育、徳育及び体育の必要性に自覚であった我が国最初の教育者であった。体育教育面では体育原理 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)という古典を執筆。そういう角度からこの人にフォーカスして行ける若手研究者の登場が待たれる。