日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

神の箱を搬入する

2008-04-22 | Weblog
   サムエル記下6章 神の箱をダビデの町に搬入した
  イスラエルの精兵三万人をつれてペリシテに奪われていた神の箱を取り戻すことにした。それはキルヤト・アリアムのアミナダブの家にあった(上7章1節)。サウル王即位以来そこに安置されていたのであるから、ダビデの時代を加算すると50年と言わない長い期間になる。
  ダビデがこれを思い立ったのは何故か。
  新しい国家を構想する時に、契約の箱を中心にした信仰共同体を造ることであったろう。
  アビナダブの子ウザとアフヨが新しい車を御して運び出し、行進の楽を奏でて進んでいる時、牛がよろめき、ウザが神の箱に手を出し押さえた(3~6節)。
  このハプニングが問題になる。人間的な判断からすれば箱の転落を防ごうとしたウザの行為は褒めらこそすれ、非難されるものではない筈。ダビデの怒りは神の真意を図りかねたからであろう(7~8節)。
  問題なのは「牛車」で運ぶことにあった。箱は祭司が肩に担ぐ、その為に担ぐ棒もあった(民数記4章15節、出エジプト37章4節)。
  ウザやダビデら一行は、箱にふれないで運ぶ規定を安易に考えたことから、聖なる神の意思に背く行為をした。

三ヶ月後ダビデは今度は神の箱を祭司らに担がせて運んだ。この違いが重要であることを「六歩進んだ」ことで確認できた。
  雄牛の燔祭は罪の赦しを神を求める事柄である。
  彼がこの後喜びの叫びをあげて角笛を吹き鳴らして町にはいる光景が描かれる(14~16節)。
  町に張ってある幕屋に箱を運び入れて先ずしたことは、燔祭と酬恩祭であった(17節)。そして「万軍の主の御名によって民を祝福し」、祝いの菓子を全員に配った(18~19節。)

  城の窓から見て夫ダビデを心にさげすみ、家に帰った彼にした挨拶(20節)は侮蔑と皮肉で愛情は微塵も無かった。
  これはミカルが王位継承者とサウルの子孫とを失うことで報われることになった(23節)。

 ここで詩149篇1~3節が示される。