日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

ダビデの悔改め

2008-04-28 | Weblog
     サムエル記下12章 ナタンより罪を指摘されるダビデ
 11章で犯したダビデの不義を、預言者ナタンを通して主は暴露される。
1~4節のナタンの言葉は、ダビデには客観的な事柄としか捉えられなかった。
彼の「激怒」(5節)は、王が指導者として示す正義であり、律法遵守の表明である。羊の贖いに四倍の値を払うことは正当な裁定である(出エジプト21章37節)。しかし「主は生きておられる。その男は死刑だ」とダビデは何故口にしたのか。
  ナタンは「その男はあなただ」と告げられる(7節)。
その事件の実態をダビデの身上の事柄として指摘し、「殺したのはあなただ」(8~9節)と説かれる。
彼は驚愕し、自らの犯した罪が死に値することを認めて神に悔改めと赦しを願う(13節)。
「わたしは主に罪を犯しました」という悔改めの告白が、詩51篇3~14にある。
「神よ、わたしを憐れんでください御慈しみをもって。
深い御憐れみをもって、背きの罪をぬぐってください。
わたしの咎をことごとく洗い罪から清めてください。
あなたに背いたことをわたしは知っています。
わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。
あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し
  御目に悪事と見られることをしました。
  あなたの言われることは正しく、あなたの裁きに誤りはありません。」

  主の赦しは、わが子の死で報われる。15~17節の真摯な悲しみと痛みは彼が代償として受止めた証明かもしれない。
  わが子の死後、彼が「身を洗って香油を塗り、衣を替え、主の家に行って礼拝した」(20節)のは、罪赦された平安からと言える。ここで詩32篇1~5が示される。

  24~25節にソロモン誕生がある。ソロモンとは「シャーラム」の派生語で“償い”とか“平和”の意味であり、別名「エディドヤ」(主に愛された者)と付けられる。

  キリスト者もまた同じ赦しと喜びの経験を与えられる(ローマ4章4~8)。