日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

心に触れる言葉をかけていただく

2012-01-02 | Weblog
  ルツ記2章 

  13節「ルツは言った。「わたしの主よ。どうぞこれからも厚意を示してくださいますように。…心に触れる言葉をかけていただいて、本当に慰められました」(新共同訳)

  1節「ナオミの夫エリメレクの一族には一人の有力な親戚がいて、その名をボアズといった」。この有力な人物ボアズがまず登場する。「有力な」(ハイル) は「非常に裕福な」(口語訳)である。ルツは落ち穂を拾いに収穫期になっている畑に出掛けると姑ナオミに申し出た。そして刈り入れをする農夫たちの後について落ち穂を拾ったが、そこはエリメレクの一族のボアズの畑地であった(2~3節)。新共同訳は「たまたま」とあるが、口語訳訳計らずも」のほうがよい。そこでボアズとの出会いが起きたのであり、人の計画を越えた神の御手が働いたのである。神は時と場所と人物を備えられた。ベツレヘムからボアズがやって来て、農夫たちと祝福の挨拶を交わし、監督している召し使いに、そこの若い女は誰の娘かと聞いた(4~5節)。するとあの人はモアブからナオミと一緒に帰って来たモアブの娘で、朝から今までずっと立ち通しで働き、今、小屋で一息入れているところだと答えた(6~7節)。
  8節「ボアズはルツに言った。『わたしの娘よ、よく聞きなさい。よその畑に落ち穂を拾いに行くことはない。ここから離れることなく、わたしのところの女たちと一緒にここにいなさい』」。「わたしの娘よ」と呼び掛けられ、ルツはひれ伏して言った。「よそ者のわたしに何故これほど目をかけ、厚意を示してくださるのですか」と尋ねると、夫が亡くなった後も、姑に尽くし、全く見も知らぬ国に来たことなど、何もかも伝え聞いていたと答えた(9~11節)。狭いベツレヘムの町で噂になっていたである(1章19節see)。「主がその御翼のもとに逃れて来た」(12節)は、神の慈愛深さを表わしている(詩36篇7節、57篇1節)。彼女は、心に触れる言葉をかけていただき、本当に慰められたと感謝を表わした。14~16節にこの厚意を続いて受けることになる。ルツは日が暮れるまで落ち穂を拾い集め、また穂を打って取れた大麦は一エファ程にもなり、それを背負って町に帰り姑に差し出した(17~18節)。大麦一エファは二三リッターだから大量である。厚意を寄せた人物が誰かを尋ねたのでルツはボアズと名乗る人だと告げた(19節)。
  20節「ナオミは嫁に言った。『どうか、生きている人にも死んだ人にも慈しみを惜しまれない主が、その人を祝福してくださるように』。ナオミは更に続けた。『その人はわたしたちと縁続きの人です。わたしたちの家を絶やさないようにする責任のある人の一人です』」。そのボアズが、縁続きの人であるということは、死別した夫や寡婦の自分に慈愛を賜わる主であることを「生きている人にも死んだ人にも慈しみを惜しまない主」であると告白する。そして、彼が「家を絶やさないようにする責任者」(ヘブル語=ゴーエール)だと判った。ゴーエールは「買い戻す」「贖う」という動詞の分詞形である。これはレビ記25章23~25節にある。
   21節「モアブの女ルツは言った。「その方はわたしに、『うちの刈り入れが全部済むまで、うちの若者から決して離れないでいなさい』と言ってくださいました」。ナオミは「わたしの娘よ。すばらしいことです。そこで働く女たちと一緒に畑に行けるとは。」と語った(22節)。ここから物語は「モアブの女ルツ」でなく「嫁ルツ」になる。ルツとボアズとの結婚(ゴーエール婚)が3~4章で展開されることになる。それは神が結び合わせた出会いである(マタイ福音書19章5~6節)。